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Peter Cat Recording Co.: BETA

2024 / Peter Cat Publishing PVT. LTD.
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めくるめくピーター・キャット録音社へようこそ!

20 August 2024 | By Shino Okamura

時として登場するのだ。決してその界隈、その国やエリア周辺の音楽の熱心なリスナーではない人を一気に熱狂的なファンに変えてしまうほどのエネルギーを持つバンドやアーティストが。そんなこと思うのはお前だけだろう? と言われてしまえばその通りなのだが、そういう起爆力を持ったアーティストや作品の登場がコツコツと音楽の地図を塗り替えてきたことを私たちは知っている。このピーター・キャット・レコーディング・カンパニーというバンドが、あるいはその一つになりうるかどうかは未知数ながら、キャリア15年にして大きな転換点を迎えていることだけは間違いない。ここに届いた約5年ぶりとなるニュー・アルバム『BETA』を聴けば、おそらく多くの方が賛同してくれるのではないかと思う。このアルバムはすごい。すごく面白い。最高だ。

ピーター・キャット・レコーディング・カンパニーはインドのデリーを拠点とするバンド。最近ではクルアンビンのツアー・サポートも務めているが、2009年に結成されているので2010年に結成されたクルアンビンとほぼ同じほどの活動歴と言っていい。アニメーション/映像を学ぶために留学していたサンフランシスコで“霊的体験”をした(!)ことに端を発して音楽活動をするようになったというヴォーカル/ギターのSuryakant Sawhney以下、現在は5人のメンバーで構成されている。デリーの南西約30キロにあるグルガオンという町出身のそのSuryakantのソロ・ユニットのような形で始まり(SuryakantはLifafaというソロ・プロジェクトを現在も並行して稼働させている)、Lycanthropiaという地元インドのメタル系バンドでも活動しているKaran Singhらが加わり、メンバー・チェンジが幾度か繰り返されたのちに、オリジナルとしては前作にあたる『Bismillah』の前に現在のラインナップに落ち着いた。

と、書いてはみたものの、私がこのバンドを知ったのはそこまで古くなく、2019年のその前作『Bismillah』が最初。“アッラーの名のもとに”を意味するイスラムの文言“バスマラ”をタイトルにつけていて興味を持ったのがきっかけだ。“バスマラ”が現地では“ビスミッラー”と発音することは、クイーンの「Bohemian Rhapsody」を聴いたことがある人なら誰でも気づくことだが、実際には宗教的、政治的な信条を匂わせるタイトルほどには主義主張を音に込めているわけでもなく、むしろラウンジ感の強い作品であることに少々肩透かしを食らった。収録されている「Memory Box」などは70年代のニュー・ソウル〜ディスコのスタイルを踏襲したダンス・ポップで、それ以外も快楽性を求めたような心地良いタッチの、でもサイケデリックで怪しい風合いを伝える内容になっていた。

その時に少し調べたところ、彼らは初期は“Gypsy Jazz”を標榜しており、キャバレー音楽、サイケデリック・ロック、ボサ・ノヴァ、アシッド・フォークなどの影響を受けていることを知った。残念ながらファースト・アルバム『Sinema』(2011年)を含む最初の4枚のアルバムは現在聴くことがやや困難だが、『Bismilah』に至るまでについては『Portrait of a Time 2010 – 2016』という初期音源集である程度の様子を掴むことができる。気まぐれなまでにサイケデリックでラウンジでアシッドなことをやっているヘンなバンドという印象の初期作品は、そのロウ・ファイな音作り(意図的なのか、環境的にそうせざるを得なかったのかは不明だが)であることも相まってどことなく憎めない佇まいと持ち味を伝えていた。その初期作品集を出したフランスのレーベル《Panache》から引き続き2019年にリリースされたのが『Bismilah』だ。数曲をパリで録音したこのアルバムをひっさげてヨーロッパやオーストラリアにもおもむき、それまではインド国内を中心に話題を集めていた彼らはじわじわと世界規模で知られるようになっていった。

そういうわけで、この『BETA』は2020年にボツ楽曲を集めたという企画盤『Happy Holidays』を間に挟んで届けられた『Bismilah』以来となるオリジナル・アルバムなのだが、いやはや、これは大化けした、と叫ばずにはいられない。決定打とも言えるアルバムが届いてしまった。繰り返すが、このアルバムはすごい。すごく面白い。最高だ。

と、ここまで読んでくれた方ならなんとなく気づいているだろうが、このバンドは、100%以上の怪しさ、200%以上の得体の知れなさ……そして、この言葉を使うのもためらわれるが、それらを持ってしても表現しにくい緩いB級センスを持ったレア・グルーヴ的な連中だ。JATAYU、The F16sといった近年のインドのインディー・バンドとも少し違うし、例えが少し古くなるが、ニッティン・ソウニーやタルヴィン・シン、エイジアン・ダブ・ファウンデーションのようなUKエイジアンの影響も、まあ、ほとんど感じさせない。なんというか、奇妙でおかしなインド人たち、という以外の褒め言葉は受け付けないよ、とさえ言われているような飄々とした風合いが強烈な爆発力を身につけることに成功、ますますそうした独自の領域の足場を固めたと言ってもいいだろう。

そう思わせる大きな理由の一つは、Suryakant Sawhneyのヴォーカル・スタイルだ。今作はこれまで以上に曲調の幅が広く、しかも録音がかなりリッチ(彼らにしてみれば、だが)になっていることもあり、ストリングスやホーン類をふんだんに取り入れた、ヴォーカル・ミュージックとさえ言えるゴージャスでロマンティックなアレンジが、Suryakantのうっとりするような歌声を鮮やかに彩っている。英語詞ということもあって、スコット・ウォーカーあたりを思い出させるそのクルーナー・ヴォイスは到底出自がインドであることを感じさせるものではなく、例えば今作の8曲目「Seed」の軽やかなオールド・タイミー・ジャズ・スタイルでは朗々とその麗しい喉をたっぷりと披露。お得意のニュー・ソウル調のダンス・グルーヴ・ナンバー、ジャズ〜フュージョン・タッチの洒落た曲、トロピカリズモ時代のブラジル音楽をお手本にしたような曲、ノー・ウェイヴ時代を思わせる曲など多様なスタイルに全て対応しているのには驚かされる。その多くが風呂場のエコーのように深いリバーブが効果を発揮していて、ある意味、Suryakantの歌の表現力を活かすために作られたかのようだ。

もちろん、地元インドのパンジャブ地方のフォークをベースにしたようなポップなものもあるし、そもそも18世紀の古いコテージで曲を作ったり録音したものもあるという。聞けば、今回のアルバムからSuryakantだけではなく他のメンバーもソングライティングに関わるようになったそうで、ヒンディー語で“息子”を意味する『BETA』というタイトルも、メンバーのKaran Singhが父親になったことにちなんでつけられた。Suryakantは10代の時に父親を亡くしているのだそうで、あるいは、連想される父親像のようなものがSuryakantの包容力あるクルーナー・ヴォイスの底力を引き出したのかもしれない。いずれにせよ、牧歌的なまでにブライトでおおらか、でも艶やかで煌びやかな、めくるめくピーター・キャット・レコーディング・カンパニーの世界へようこそ! なのである。(岡村詩野)


※フィジカルのリリースは10月以降

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