Review

Kali Uchis: ORQUÍDEAS

2024 / Geffen
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バービーというよりはハーレイ・クインかもしれない

13 February 2024 | By Shoya Takahashi

要するに自分は10曲目「Muñekita」のような、どこまでも奔放なビートやフロウに対して上がってしまうのだと思う。昨年8月に先行リリースされていたときにも聴いていたはずなのだが、個々の楽曲のエッジは、アルバム『ORQUÍDEAS』として聴いたときに一層際立つものだ。

カリ・ウチスはアルバムリリースごとに静かな覚醒を重ね、前作『Red Moon In Venus』(2023年)のころには、どこかスピリチュアルでヘルシーなソウルを生み出していた。ウェルメイドという、肯定とも否定ともとれる狡いキーワードも出しておこうか。音楽性は非常にエクレクティックなものでありながら、アルバムはひとつのムードに貫かれていた。

『ORQUÍDEAS』はもっと歪な作品だ。彼女の初期の作品を思わせるボレロ(「Te Mata」)からバチャータ(「Dame Beso // Muévete」)まで、エクレクティックというか、もう、音楽的テイストの継ぎ目をあえて生かしたような作品。確かに今回も、大いにウェルメイドではあるのだ。しかしその中に意図して残された「襞」のようなものがある。どんなに滑らかな金属製品だって、鋭く不恰好なバリをとるところから始まるように、彼女と多くのプロデューサーによる本作の初期デモもおそらく、つぎはぎだらけの粗くラフなものだっただろう。

本作の特色を挙げるとするならば、これまでのアルバム以上に、スペイン語がリリックを占める割合が増えたことだろうか。『Sin Miedo (del Amor y Otros Demonios) ∞』(2020年)でも英語まじりのスペイン語歌唱が、オールドスクールなラテン・ポップに馴染んでいた。しかし『ORQUÍDEAS』はもっとスペイン語が前面に据えられ、サブリミナル的に挿入される英語詞も、かなりスペイン語訛りの感触を残したものであることに気づく。

「Muñekita」は、ロザリアのミーム化した「BIZCOCHITO」(ゲーム『Nextbot』に登場する、ロザリアの歪められた顔を見た?)を思わせる、レゲトンというかneoperreo。飛び道具的な音色のシンセのスタッカートが耳を引くけど、きっとこれはAfropianoの影響下にもあるビート。「ガーターガーターダレムネキーター」(ねこちゃん、ねこちゃん、おいでよベイビードール)と歌うウチスの声や、「チキチキチャカチャカチキチキチャカチャカチ、カリウーチス」とビートとの共振を聴かせるThe King of DembowことEl Alfaのフロウが、粘っこく耳を刺激する。彼女がこれほどに、スムースさから離れた音を出してくるとは。

キックもスネアも音色やBPMを何パターンにも変えつつ、チャッ!と響く。舌先を上の歯茎の付け根につけた状態から、勢いよく息を吸ったり吐いたりしてみてほしい。同様のスネアやキックに似た音がチャッ!と聞こえないだろうか? つまりASMRやビートボックスにも似た、身体的な快楽性を伴うビートだと説明したい。そしてその快楽性は、ウチスが巻き舌をパーカッション代わりにプルルルルルッと鳴らすイントロから、すでにテーゼとして示されている。

身体的な魅力と自己肯定感とを兼ね備えたパワフルな女性を「Muñekita(ベイビードール)」と喩える感覚は、紛れもなく『バービー』へのアンサーと言えるだろう(シングル版アートワークの、ピンク色に塗られた車をみよ)。しかしアルバム全体を通して俯瞰すると必ずしも、ニッキー・ミナージュの『Pink Friday 2』がそうであったような、『バービー』へのアンサー・アルバムとは思わない。むしろ力強くも甘美なリリックたちは、同じくマーゴット・ロビーが演じた、『ザ・スーサイド・スクワッド』の激しくもロマンティストなハーレイ・クインのようではないか。「誰もが金と名声を求める/表面上の愛情/でも彼女は穏やかさを求める、彼女の魂を傷つけないで」、「泣いて乾いた目/でも彼女は諦めない、痛くても微笑むんだ」(「Igual Que Un Angel (with Peso Pluma)」)、「ベッドが空っぽなのを見て泣いた?」(「Perdiste」)、「普通じゃないって言われるけど間違ってるって/私にはわかるんだ」(「No Hav Ley Parte 2」)。退屈な束縛から暴力的な衝動に解放されたハーレイが、華やかな吹雪や花々で彩られていたのを覚えている? 前作『Red Venus In Venus』のテーマの一つが解放であったことも思い出そう。

本作もまた解放感をまとったアルバムである。甘美な安心の中に拘泥していたスムースな前作と比べて、はるかにダンサブルなサウンドもそれを示している。レゲトンや、amapianoやAfropianoの要素だけではなく、ボレロにバチャータも含めて、幅広い意味でダンサブルな音楽は、確かに歪だが外側へと開けたものでもある。ダニエル・シーザーも手がけるSir Dylanがプロデュースした、80年代風の艶やかなダンスポップ「Igual Que Un Angel」や、El GuinchoやTainyそしてジャム・シティ(!)と豪華プロデュース陣が参加したハウス・チューン「No Hav Ley Parte 2」にしてもそう。

キャリアを重ねるごとにゲストやプロデューサーを幅広く招いていることや、スペイン語の歌唱や訛りを多く聴かせることもまた、当然彼女の解放のあらわれと言ってもいいだろう。ダンサブルなトラックたちにウチスや共演者は、しばしば歌詞にすらならない歌声を、伸びやかに聴かせる。まるで仲間と気の置けないパーティーに、私たちを誘いかけてるみたいに。(髙橋翔哉)


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