鞄のなかの秘密の手紙のように、そっと隠しもたれるべきレコード
アイルランド、ゴールウェイ州の静かな村=Cornamonaで育ったマリア・サマーヴィル(Maria Somerville)。彼女の「きらめき」と名付けられた新作は、名前の通り、このほぼ純白な(ホワイト)世界(社会)に、真のキラキラをもたらしてくれるだろう。夢は夢のまま、種明かしのないままに。安物のカッターを工夫なく振り回すことをもって暴力となすような、拙いサーカズムはやめて。
石灰岩や花崗岩の地質、山、湖、海、野原に囲まれた故郷。マリアにとって、父や村人たちの何気ない言葉が人生の語り部だった。「湖の南側で光っていたら雨が降っている」、「電線がブーンと鳴ったら雨が降っている」──漁師だった父の天候の知恵や、丘に手押し車で芝をまいた秘密の散歩道の記憶は、彼女の世界のすべてだった。Grouperやマイ・ブラッディ・ヴァレンタインに影響を受けつつ、幼少期から親しんだシネイド・オコナーのヴァース – コーラスの構造に従わない楽曲は、彼女の音楽への入り口となった。インタヴューでは、音楽以上に故郷の自然や天候への愛着が溢れ、彼女が内面化した風景が言葉となってこぼれ落ちてしまう。
そんな情報を知らなくても、アルバム『Luster』の音楽は、凡庸な言い方をすれば、そんな自然や天候を音にしたように雄大で、聴きながら立ち尽くすようにぼうっとする。あるいは、透明で、まるで昼下がりのまどろみのようなドリームポップ・サウンド。マリアの歌声は、天国とも地獄ともつかぬ幽玄の世界からの囁きに似て、シンプルだが忘我の境地ともとれる言葉をつなげていく。「だから私は取り戻そうとする/それはまた遠くへ行ってしまった/あなたの投影」(「Projections」)、「時が経つにつれて/洞窟の内と外を泳ぎながら巡る」(「Garden」)。アルバムはひと続きのエーテルにように広がり、リヴァーブの効いたスネアドラムがかろうじて起伏を生んでいる。
「Garden」では、フィールドレコーディングと思しき「ざわめく」ノイズがシューゲイズの深みをもち、夜行性のスロウコアと表現できるスネアの響きが足元をやっと照らしてくれる灯りのような安心感を添える。「Spring」は、ティルザのすでに忘れられかけている名作『trip9love…???』を思い出すヴォーカルのフィルタリングと、マッドチェスター風のダンスビートが奇妙に交錯。「Stonefly」のギターはアタック感を消失し、マリアの珍しく起伏に富んだ歌声を神聖な光で縁取る。「Violet」は、水が弾けるような、あるいは金属板を叩くように響くギターと、過剰なディレイの泡立つビートがエクストリームで、耳を心地よくはしゃがせる。「Halo」では、プレート系リヴァーブのギターとヴォーカルが溶け合い、エンヤばりのケルティックな優美さで聴く者の寿命を延ばす。
ドリームポップとタグづけられる音楽でこれほど心を揺さぶられたのは久しぶりだ。昨年のシガレッツ・アフター・セックス(Cigarettes After Sex)『X’s』は確かに出色だったが、その前は? 一時期《フジロック》のラインナップがその手のアクトばかりになっていた2010年代後半を思い返しても、『Luster』の存在感は別格。ドリームポップは、2010年代をとおして他のジャンルを貪欲に取り込みつつもいくつかのスタイルに収斂し、特定のクラスターや界隈を囲い込むことによって一時の流行を手にした一方で、それゆえに限界を迎えた感があった。だからこそ『Luster』の、アルバムをとおして上に挙げたようにさまざまなテクスチャーを試みながら、mbv『loveless』のように一つの世界観を描くことに成功したマリアの才能は大きい。アイルランドの辺境から現れた彼女が、徐々に勢力図を書き換えることを無責任にも期待する。
さて最後に、『Luster』は、この真白に塗られた録音物は、日常の中に、たとえば鞄のなかの重要な書類や秘密の手紙のように、そっと隠しもたれるべきレコードだと主張したい。『ジークアクス』で主人公たちをみちびく“キラキラ”や“ララ音”のように。わたしたちが望む日常を、より明るく高い場所へと導いてくれるという、ただ願いだけがここにある。(髙橋翔哉)
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