どうしようもなくやっかいかつかげがえのないわたし
まず『わたしは何を言っていますか?』というアルバム・タイトルに面くらってしまう。いや作品って、あなたが言いたいことを伝えるものなんじゃありませんでしたっけ……? そもそもkiss the gamblerというあまく危険な香りが漂う名前なのに、ハスラー感がまったくない佇まいと小学生のように朗々とした歌声というのも、(もうすっかり慣れてしまったけど)よく考えるとだいぶおかしい。
フィジカルの入手が困難となるほどの反響を呼んだ前作『黙想』は、こうしたポップ・ミュージックの定型からはみ出んばかりの爛漫さと、メロディーメーカーとしての端正な資質、多彩な引き出しとのせめぎ合いが、異形にして珠玉のピアノ・ポップへと昇華した作品だった。
谷口雄をプロデューサーとして迎え、本康秀が主宰する《雷音レコード》からのリリースとなったこのセカンド・アルバムは、彼女にとっては窮屈すぎるかもしれない、私たちのポップスに対する固定観念を完全に更新してしまった感がある。絵の具をたっぷりと含ませた太い筆でキャンパスいっぱいに、その伸びやかなパーソナリティを表現したような。もちろん非凡なメロディー・センスは本作においても如何なく発揮されているのだけれども、それは既存のポップスとの融和を図るためのものではなく、彼女の喜怒哀楽(あるいはそこからはみ出した何か)を羽ばたかせるためだけにある。さとうもか、東郷清丸という同時代の才気あふれるシンガーソングライターを支える厚海義朗と河合宏知のリズム隊をはじめとしたサポート・ミュージシャンの演奏も、彼女が跳躍するために必要な地面を踏み固めるような演奏に徹しているようである。
以前読んだインタヴューによると彼女はUSインディーロック/ポップの影響を受けているとのことだが、音楽性はもとより、自分がやりたいことを思いっきり深く掘った先にこそ新しいポップネスがある、という彼の地のアティチュードも正しく継承しているように思われる。子供の頃から大人になった今に至るまでの、すべての大切なことを歌に焼き付けんとする彼女独特の、貪欲とも言うべきアングルは、年齢や性別、音楽に対する知識や嗜好を超えて、等しく聴き手の心の深くに飛び込んでくる普遍性がある。個人的な例えになってしまうが、ティーンエイジャーの娘の親である私にとってこの作品は、自分がもう忘れてしまった繊細な感情や違和感を教えてくれる手紙のように受け止めたし、娘の世代にとっての彼女は、誰も言ってくれなかった感情の代弁者ということになるだろう。それと同時に、個人を基点に家族、社会、人生そのものを歌にしていく彼女の作風は、これまでの女性アーティストが無意識/意識的に引き受けてきたジェンダーロールをも飛び越えて、2010年代以降の新しいフェミニズムとの緩やかな連関も感じさせる。極めてモダンな眼差しを持った作家であることも付け加えておかなければならない。
そんなことを考えながら、再び一曲目の「ばねもち」に戻る。最初はその奔放なエネルギーに圧倒されてしまったが、どうしようもなくやっかいかつかげがえのない自分の生き様と、社会のステレオタイプな眼差しの関係性が、イマジナリーな生物(?)である「ばねもち」を介して立体的に描かれていることに気付く。そしてあまりに唐突な問いのようにも思えた『私は何を言っていますか?』というタイトルの意味深さを考えてしまうのである。(ドリーミー刑事)
※上記フィジカル購入リンクはアナログ・レコード