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Meg Lui: Instant Validation

2026 / Asthmatic Kitty
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真の充足を求めて

28 September 2026 | By Shino Okamura

4月に先行リリースされた「Dreams」に驚かされた人も多いだろう。クランベリーズのあの代表曲のカヴァーだ。メロディこそ原曲を残しているが、アトモスフェリックでまさしくドリーミーで、後半になるとヴァースから原曲のコード進行を離れ、馴染みのあるメロディの下に予測しにくい和声を置くようになっている。かつて、フェイ・ウォンが歌った、自身も出演した映画『恋する惑星』(ウォン・カーウァイ監督)の主題歌「夢中人」は、原曲の疾走感そのままながら広東語の風合いが新鮮な空気を運びいれたカヴァーだったが、このメグ・ルイのヴァージョンはもはや別曲と言ってもいい。

その「Dreams」の制作を全面的にバックアップしたのがスフィアン・スティーヴンスである。そもそも《Asthmatic Kitty》からのリリース作品の多くに、レーベル運営に深く関わるスフィアンが参加したりしているわけだが、このメグ・ルイに対してはとりわけ力を入れているのではないか。「Dreams」を含むこのファースト・アルバムを聴いて、そう確信した。

とはいえ、このメグ・ルイは突然現れた新人ではない。むしろかなり長く音楽活動を継続させてきたキャリアの持ち主だ。北カリフォルニア出身で、2015年からニューヨーク州に拠点を置くようになったシンガー・ソングライター。8歳の頃、日記に書いた言葉を曲にし始め、父親にもらった小型テープレコーダーを持ってクローゼットの中で歌っていたことが最初の音楽制作体験だった。高校時代にギターを本格的に始めて、オーケストラではチェロを、さらに女子だけのロック・バンドでは70年代のクラシック・ロックのカヴァーをやるなど10代はかなり模索していたという。その後、ソングライターを志してボストンのバークリー音楽大学へ進学。ただしあと1年弱というところで、これ以上借金を増やせないという経済的理由から退学せざるを得ないこととなり、そのまま今度はニューヨークに向かい、教師の仕事などをやりながら、DIYシーンの中で音楽家としてかなり長く活動することになった。現在はキャッツキルに暮らしているという。

そうした中で、友人を介して知り合ったのがスフィアンだった。スフィアン自身も数年前からキャッツキルに移り、自身のスタジオを構えるようになっていた。そこで、既にたまっていた10年分もの彼女のデモ音源を発展させることを目標に、時間をかけて友人として作業を進めていく。その間に、スフィアン・スティーヴンス『Javelin』(2023年)、サム・エヴィアン『Plunge』(2024年)などの作品にバック・ヴォーカルで参加した。中でも、以前からスフィアンのファンだったというジョン・レジェンドにスフィアンがプロデューサーとして指名され、メグも主要コーラス陣の一人として参加することになった子ども向けアルバム『My Favorite Dream』(2024年)はとても印象深い。ジョンの妻であるクリッシー・タイゲンと子どもたちもフィーチュアされた「L-O-V-E」は、メグのパートナーでもあるキーナン・オメーラ、ハナ・コーエンといった、キャッツキルでのミュージシャン仲間も加わったアルバムにおいても屈指の1曲だ。

そういうわけで、他者の作品に長く声を貸してきた人が、ようやく自分の名前を前に出す日が訪れた。これはエンジニアリングも楽器演奏の多くもスフィアンが担った、満を持してのデビュー・アルバムなのである。

ゆっくりとバンド・サウンドが立ち上るスケールの大きなバラード「Gone Girl」がアルバムの方向性を瞬時に伝える。カギとなるのはレイヤーのように重なっていく幾重ものコーラスと、奥行きを伝えるその立体的な音処理だ。『Javelin』でメグ自身が担っていた役割を反転させたかのように、今度は彼女の声が中心に立ち、スフィアンやハンナ・コーエンらの声がその周囲を取り巻く様子は伝えるが、ただいなたいハーモニックなアメリカン・ロック・スタイルに着地させず、大胆にオーケストレートされたスタジオ・ワークの成果を見せているのがいい。

メグ自身、「これまではアメリカーナやインディー・ロックの型に収まろうとして、いつも平板に感じていた」と自覚していたそうで、その型から逸脱することを目指し、スフィアンの手を借りて様々な音を何層にも重ねていった。叔母に捧げた「Elvis Queen」は、もともと緩やかでセンチメンタルな曲だったが、テンポを上げたフォーク・ロックへと変貌させ、自分自身も含めた複数名のおり重なるコーラスで淡いレイヤーをつけていく。結果、追悼の歌を祝祭へ反転させるこの発想はいかにもスフィアン的だが、同時にメグの陽性な資質を正しく引き出すこととなった。

一聴するとカントリー・ロック風味のあるいなたいギター・ロックで、曲によってはワクサハッチーあたりを思い出させるし、さらに遡ってシェリル・クロウ、ボニー・レイットあたりを源流とする流れがそこにあるようにも思える。けれど、スフィアンらしい緻密な音響設計が、アメリカーナとして聴いていると、気がつけば変な場所へ誘っていく。サム・エヴィアンのアルト・サックスやオリヴィエ・マンションのヴァイオリンとヴィオラが、装飾というより差し色として機能し、メグの温かく力強い声の輪郭をかえってくっきりと浮かび上がらせるのも、スフィアンの手による効果なのかもしれない。メグのオールド・スクールなアメリカーナの資質と、スフィアンの異常に細密で奔放なアレンジ感覚がぶつかったことで、ウィアードな作品になった、というわけか。

それゆえに、これだけスフィアンの手が隅々まで及んでいれば、スフィアンの新作をメグ・ルイが歌っているように聴こえる瞬間があるのも避けがたい事実だ。だが、アルバム・タイトルおよびタイトル曲の歌詞が、メグとスフィアンの濃密で対等な協働によって本作が成立していることを証明する。スフィアンが『The Ascension』(2020年)収録の「Video Game」で歌ったテーマを少し思い出してみよう──ビデオゲームはやりたくない、操り人形になりたくない──それはテクノロジー依存への警告とも思えるメッセージだった。そして、メグが本作のタイトル曲……「すぐそこにある承認」「即席の承認」とでもいうような表現で伝えようとしていたのも6年前のスフィアンの警鐘とアングルはほぼ同じだ。メグは、SNSを開けば、誰かからの反応によって瞬時に自分の存在を肯定してもらえるものの、その手軽な承認を求め続けるほど、かえって自分自身の価値を見失っていく、その危機感に頭を悩ませる。

それを踏まえた上で結論を帰着させるとするなら、これはより軽やかに、生活者の目線に立っているアルバムだ。三つの仕事を掛け持ちしながら作られたというこのアルバムには、「何かを作ることは気持ちのいい作業、だから好きなものを作ればいい」という姿勢が貫かれている。それは、即座の承認を求める時代への、柔らかだが確かな返答だ。制作終盤に妊娠がわかったというメグにとって、本作は文字通り新しい章の始まりでもあるのだろう。次作では、この豪奢な音響の中から、彼女自身の骨格がさらに鮮明に浮かび上がってくることを期待していたい。(岡村詩野)



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