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映画『ザ・キラー』
完璧なリズムと不完全な揺らぎの中で

12 December 2023 | By Tatsuki Ichikawa

男は、もぬけの殻になった《WeWork》のオフィスで、向かいの建物に獲物が現れるのをじっと待っている。男は孤独な仕事人で、完璧な準備とルーティンをこなしながら待機する。しかし物事は計画通りにはいかない。

フランスのグラフィック・ノベルを原作とした映画『ザ・キラー』は、デヴィッド・フィンチャーの《Netflix》オリジナル映画の2作目。『マインドハンター』(2017年〜2019年)という完成しなかったシリーズ(当初5シーズン予定だったこの作品は2シーズンで打ち切りとなっている)や、途中で手元を離れたと言われている『ハウス・オブ・カード 野望の階段』(2013年〜2018年)などを含めると、フィンチャーと《Netflix》の付き合いは長いが、その中でも、いやもしかしたら全フィルモグラフィの中でも、最も一直線なストーリーラインと言えるかもしれない。本作においてフィンチャー映画における不思議な時間感覚や過去への執着は希薄である。

それは例えば、『ソーシャル・ネットワーク』(2010年)の冒頭で、あっちこっちに話を早口で飛ばしていた主人公の語りのように、現在と過去が行き来する構成(これは『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』(2008年)『ゴーン・ガール』(2014年)『Mank/マンク』(2020年)にも見られる)であり、『ゲーム』(1997年)や『ファイト・クラブ』(1999年)における、主人公に影を落とす父親という過去の影響であり、『ゾディアック』(2007年)や『ドラゴン・タトゥーの女』(2011年)における猟奇殺人事件という過去にハマっていく人間たちである。あるいは『パニック・ルーム』(2002年)が新生活を始める主人公の部屋に、様々な過去が介入してくる作品であったように、フィンチャー作品では多くの場合において過去の影響を無視できない。

つまり本作は、『セブン』(1995年)以来の脚本アンドリュー・ケヴィン・ウォーカーとの正式なタッグによる、一方通行の映画なのである。もし本作があと1時間長ければ、仕事を請け負う以前を描いていたであろう。そこも含めて、『ザ・キラー』は非常にソリッドで抑制された映画である。

音響編集の点でフィンチャーが完璧なリズムを構築しているのはいつも通りだ。すっかりお馴染みになったトレント・レズナーとアッティカス・ロスによるスコアも、主張を抑え映画に溶け込むという、劇伴としてこれ以上ないほど理想的な働きをしている。音は時に途切れ、時に次のシーンにかぶさり、時に過剰になり、そして時に抑えられる。それはまるで環境音のように鳴るスコアも然りである。

Netflix映画『ザ・キラー』独占配信中
The Killer. (Featured) Michael Fassbender as an assassin in The Killer. Cr. Netflix ©2023

一直線なストーリーラインを語る完璧なリズム。無駄を省いたかっちりとした映画なのか。しかし、それだけではない。本作は数々の揺らぎにも溢れている。

まず、カメラワークの揺らぎである。これはフィックスの画面を特徴とする、フィンチャーの映画の中では異例の揺らぎの多さである。例えば、室内での格闘場面での、画面の揺れは、かつてのドン・シーゲルの映画が人を殴る瞬間に手持ちカメラに切り替わることにも似ているが、ここまで画面にブレを収めたことが今まであっただろうか。画面の揺らぎは、活劇性を高めると同時に、逸脱の映画であることも示している。

主人公のセリフは少ないがその代わりメランコリックな心の声、独白が全編通して紡がれる。その様は、フィンチャー自身が参照として挙げているジャン=ピエール・メルヴィルの映画というよりも、マーティン・スコセッシの『救命士(原題:Bringing Out the Dead)』(1999年)のような映画を思い出すような淡々とした語りだ(かたや救う者、かたや葬る者ではあるが)。この語りは、終始一貫した物言いに見えて、それが思うように遂行されない滑稽さも映している。彼なりのルール、美学を明らかにした上での、行き当たりばったりのトラブルと、それによる心境の揺らぎを描く。

数々の揺らぎをおさめるこの映画の主人公が愛聴しているのはザ・スミス。モリッシーの憂鬱で孤独な歌を、主人公は心を落ち着かせるために聴いているという。孤独な仕事人が安らぎを得るまでの話として、ファーストカットと対になるようなラストカットで幕を閉じるが、そのエンディングを締めくくるのは「There Is a Light That Never Goes Out」。全編にわたるザ・スミスの皮肉な使われ方は、画面の違和感を高めると同時に、結局は孤独と愛に安住する“凡人”の物語であることも裏打ちしている。いや、冒頭で流れる「Well I Wonder」から、こうなることは定められていたのかもしれない。平凡で、影響を与えない、大衆の一部として生き残ってしまうこと。カメラワークや鳴る音楽、完璧主義が揺らぐことの違和感が、緻密にその予感を高めている。(市川タツキ)

Text By Tatsuki Ichikawa


Netflix映画『ザ・キラー』

Netflixにて独占配信中

https://www.netflix.com/
一部劇場にて公開中
監督:デヴィッド・フィンチャー
出演:マイケル・ファスベンダー、ティルダ・スウィントン

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