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健康のために運動しましょう。バランスのいい食事を心がけましょう。十分な睡眠をとりましょう。そんな正論を耳にするたび、少々うんざりするのは私たちだけでしょうか。そもそも健康であることと、幸せであることは同じなのでしょうか。音楽の歴史を振り返れば、酒や煙草、不摂生をこよなく愛した人たちも少なくありません。一方で、走ること、自転車に乗ること、身体を鍛えること、朗らかに会話を楽しむことが、人生を豊かにしてくれる場合もあるようです。今回TURNでは「ワークアウト、運動、健康」をテーマに、ライター/スタッフが思い思いの一曲を選びました。健康第一! とは限らない? そんな音楽の効能を、どうぞお楽しみください。(編集部)



The Kinks「Have a Cuppa Tea」(1971年)

紅茶は適量を無糖で飲むことで健康に良い効果が期待できる飲み物、ということが世界的に騒がれるようになったのは主に80年代以降のことだ。この曲が作られた70年代初頭はまだ科学的な証明もほぼ一般的ではなく、レイ・デイヴィスはただただ英国人の誇りとユーモアで紅茶を万能薬のように礼賛したということになる。とはいえ、一杯の紅茶こそは不眠症や扁桃炎など病気への対処法であり、人生のあらゆる問題を乗り切るための精神安定剤にもなり得て……と処方箋のように記したここでの歌詞は、レイ・デイヴィスがおばあちゃんから伝授された生きるための知恵。しかも、英国ではあらゆる階級の人が紅茶を飲むと最後に綴ることで、平等、連帯を呼びかけてもいるのがレイ・デイヴィスらしい。一方で、どこか滑稽な健康信仰への皮肉も垣間見えるし、この曲が収録されたキンクス史上最高に英国的なアルバム『Muswell Hillbillies』にはなんといっても「Alcohol」という酒に溺れて人生を破滅させていく男を歌った曲もある。紅茶も酒も人生のスパイスだっつーことで。(岡村詩野)

Hot Butter「Popcorn」(1972年)

できないが真剣なのにやる気がないと先生に言われて体育が嫌いになってから、そのまま運動とは無縁の生活を送っている。もうひとつ覚えているのは、なわとびのときにこの曲が流れていたことだ。原曲は、ペリー&キングスレイで知られるガーション・キングスレイの『Music To Moog By』(1969年)収録曲。同年《MoMA》での「ジャズ・イン・ザ・ガーデン」で、伴奏用テープなしのモーグの生演奏をみたキングスレイはザ・ファースト・モーグ・カルテットを結成。その活動でリメイクした「Popcorn」がヒット。それが同じくニューヨークのインストゥルメンタル・バンド、ホットバターにカバーされ世界中で聞かれるようになった。原曲は、平板さのなかに様々な音が詰められ音響的な試みがあるが、後年のバージョンには音色的な試みがあり、たしかに運動するならこっちだと思う。管理や最大化から離れたところで楽しく運動ができるようになりたい。(佐藤遥)

Orquesta Harlow「Suéltame」(1974年)

ワークアウト用の音楽というと、四つ打ちの曲を思い浮かべがちだが、家でリラックスして身体動かす時には、むしろドラム・ビートがない音楽の方が好きである。ドラム・ビートに頼らず、でも、強靭なリズムがある音楽といえば、サルサだ。ということで、思い浮かんだのはラリー・ハーロウ率いるオーケストラ・ハーロウの「Suéltame」という曲。サルサの興隆期だった1974年の、その名も『Salsa』というアルバムの2曲目だ。

「Suéltame」というのは「放っといて」「束縛しないで」という意味。母親や恋人や兄弟や、周囲の人すべてに向けて、そのメッセージを繰り返すだけの曲だ。ジャズやファンクの影響も取り入れたサルサで、長さが6分以上あるのも良い。ハーロウのピアノ・ソロになる中間部のリズム変化もとても面白い。そういう曲だから、反復運動よりも自由に身体を動かすのに向く。(高橋健太郎)

Marcos Valle「Bicicleta」(1984年)

ブラジリアン・ブギーの名盤『Marcos Valle』(1983年)のヒットを受けてリリースされた1984年のシングル曲。いまやマルコス・ヴァーリの代表曲として知られるフィットネス讃歌「Estrelar」の続編的内容で、1980年代のフィットネス・ブームと結びついた自転車を題材にしたラブソングがこの「Bicicleta」だ。先ごろ日本語訳が刊行されたデヴィッド・バーン『自転車日記』(東辻賢治郎訳)鹿島出版会を読む機会があり、すっかり触発されて、奮発してクロスバイクを購入した。久しぶりに都内を自転車で走りたいなと思ったのに加えて、運動不足の解消とダイエットという目的もあった。勾配の多いエリアを走っているので、良い運動どころか、運動不足の私には激しいトレーニングと化している。地下駐輪場の階段を登る足が重くて上がらない。「Bicicleta」よりもブラック・フラッグ『My War』(1984年)B面のほうがふさわしい。1980年代初頭から半世紀近く自転車を乗り回しているバーンが74歳にもかかわらず今もぴんぴん動き回っているのが腑に落ちた。(鳥居真道)

Павел Oвсянников「К Звездам」(1984年)

ペレストロイカよりも前の時代から、かの地において西側世界のレコードが「非公式」な形で流通・コピーされていたことは、現在では広く知られるところだろう。一方で、ときに──というにはあまりに「日常的」なレベルで──ソ連の国営レーベル《MELODIYA》発のレコードにすら、様々なレベルで西側風=アメリカ風の音楽要素が入り込んでいたのも、紛れもない事実だった。本作『Ритмическая гимнастика(リトミーチェスカヤ・ギムナースチカ=リズミック体操の意)』(1984年)は、同時期に西側世界で一大ブームを巻き起こしていたエアロビクス/フィットネス文化を、共産ソ連式生産体操などの身体文化に結びつけた作品とされる。20世紀の歴史を振り返る時、おそらくディスコ(ビート)こそが、ロックンロールすら到底太刀打ちでいない全世界的=超イデオロギー的な伝播力を持った「ミーム」であったと考える私にとって、まさにこの「大ヒット」レコードの存在は、そうした説の有力な証左の一つとなっている。加えてこのレコードの存在は、フィットネスという文化が、ポストフォーディズム体制における労働/消費主体の身体統御であったと同時に、国家による集団管理の技法でもあったという意味において、あらゆる統治主体にとって好ましい営みであったことも教えてくれるのである。ここでは、パーヴェル・オフシャンニコフ作による文字通りスペーシーな「К Звездам(ク・ズヴョーズダム=星々を目指して)」を推薦しておこう。(柴崎祐二)

Michael Jackson「Jam」(1991年)

いよいよ重い腰を上げてプールに行きはじめた。シンプルに健康のためだ。どうしても夜動くことの多い生活だから。村上春樹は、怠惰や不健康を美徳とするきらいのある日本文学の風潮と距離を取るためにマラソンを始めた、というような話をずいぶん前に何かで読んだことがある。ちょっとニュアンスは違うかもしれないけど。たぶん『走ることについて語るときに僕の語ること』だったか。ともあれ運動や健康的な生活を創作の向上に活かそうという動機があったのだろう。まあ、それほど高尚ではないものの、プールに行くのは似たような動機だ。マラソンやサッカー、バスケでもいんだけど、腰や膝が心配でね。自分はせいぜいマイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソン止まりなので、ヒップホップとバスケ文化について語れるほどの知識などないが、日本のラップとバスケと言えば、TWIGY、ZEEBRA、DEV LARGE「PLAYER’S DELIGHT」、仙人掌「Penetrate」のように、バスケの用語やプレイを比喩に用いて、ラッパーとしての実力を誇示する曲がある。一方、YUKSTA-ILLには、NBAの故コービー・ブライアントに捧げた「TORCH(BLACK MAMBA REMIX)」や、日本のバスケ文化への愛を微に入り細に入り歌った「FAR EAST HOOP DREAM」がある。そうだな、僕が、音楽とスポーツ、ダンスがフィジカルな面で文化的に結びついているんだと意識したのは、ジョーダンが出ているマイケル・ジャクソン「Jam」のMVを観たときだった。あれは大きかった。運動がなければ、スイングはない。そういうことだろう。(二木信)

GREAT3「Golf」(1998年)

社命とあらば人殺し以外のあらゆる仕事に手を染めてきたと言っても過言ではないプロのサラリーマンとしての私だが、ゴルフだけは別だ。クラブをやるからと迫る上司を「左利きなんで」と右手で箸を持ちながらかわし、「親の遺言で」とまだ生きている親を亡きものにしてまで、この大人の必修科目から逃げ続けてきた。上司とマラソン大会に出たことはあるのに、なぜゴルフだけはダメなのか。わからない。とにかく、あの芝生に足を踏み入れた瞬間、自分の中のロックが終わる気がするんだ……。というわけで、出世も覚束ない俺は今夜も膝を抱えてGREAT3の名曲「Golf」を聴いている。デビュー当初のオルタナAOR/グランジ・ソフトロック路線と、シカゴ音響派に傾倒するゼロ年代以降の作品との間に生み落とされた傑作『WITHOUT ONION』に収録された一曲。純文学的な青年の初心を苦悩の渦へと引き摺り込む、セイレーンのようなメロディ。その甘い魔力が、一生大人になんかならなくてもいい、なっちゃダメだと囁いて、俺のイノセンスをたらし込む。(ドリーミー刑事)

Kraftwerk「Tour de France Étape 1」(2003年)

たとえば、ただ歩くにしても音楽を聴くときに重要なのがBPM。個人的な理想は歩くリズムと同期する120弱。なので、「Super Ball」「オセロ」「Ginger」「酔ひもせず」で始まるTOMOOの『TWO MOON』は最高にウォーキングに適したアルバムです。私は中学と高校の6年間陸上部で走っていたので、もっぱら運動といえば走ることと筋トレなのですが、当時はBGMなしの無音。働きはじめてからたまに走るときはいろいろな音楽を聴いていたものの、選曲がとにかくムズい。ランニングに合う音楽が見つからない。さまざまな音楽を試すなか、ようやく辿りついたのがクラフトワーク『Tour de France』の前半部です。BPMは140くらい。コロナ禍の頃に走っていた際、これがランニングにぴったり合うことを発見したときは最高にアガりました(作品のテーマからいって「そりゃ合うだろ」という感じではありますが)。クラフトワーク・ランニング、これを読んだ方はぜひ一度試してみてください。超爽快です。ちなみに、ここ数年はランニングからめっきり遠ざかっており、柳樂光隆さんや三原勇希さんの影響で「また走りたいな」という気持ちを抱えているだけなので、これを機に再開したいと思います。(天野龍太郎)

Alter Ego「Rocker(Josh Wink Remix) 」(2005年)

スポーツにはまったく縁がない私(昔、地元のフットサル・チームのテーマ・ソングのトラックを作ったことはあります。後援が求人誌なので、完成品を聴いたら知らない人の声で「Yo! 働こう♪働こうぜ♪」というラップが乗っていました)ですが、ジョギングくらいはします。その時のBGMでよく聴くのがこの「Rocker(Josh Wink Remix)」。近年、改めて注目されている2000年代のエレクトロクラッシュですが、かのムーヴメントを象徴する感電必至の大アンセム。このリミックス・ヴァージョンは9分と長尺ですが、このテンポ(BPM130)に合わせてひたすら歩いていると、原曲のメイン・リフが6分過ぎてようやく出てきて、それがちょうど体が暖まってきた頃合いと重なってブチ上がるんですな。これを1分休憩挟みながら3回聴いて1セット30分のジョギングを、私は“アシッド・ウォーク”(アシッド・フォークに非ず)と呼んでおり、気づいたら訳のわからない路地に辿り着いています。(Kotetsu Shoichiro)

The Game, 50 Cent「Hate It Or Love It」(2005年)

ジム通いはおろか、ランニングすらしていない、健康的とは到底言い難い生活をしている自分が、ワークアウト・ソングを選ぶというのは少々気が引けるけど、今、ダンベルを持ち上げたりジョギングをしたりするのだとしたら聴くのはザ・ゲームかもしれない。いや、先日出した新作は正直イマイチな出来だと思うけど、彼のラップ力の衰えなさはすごい、とさすがに自分も思いますよ。全く弛んでなんかない。そもそも悪役プロレスラーのように、いや、ある種通り魔的に他人に喧嘩をふっかけていたゼロ年代のラップ・ゲームを駆け抜けただけある。ということで、そのあとドクター・ドレーを巡ってバチバチになる50セントと組んだこの曲を。貧困と荒れた環境から抜け出す、という何千とあるようなヒップホップ・チューンだが、当時のザ・ゲームと50セントのハングリー精神全開の掛け合いが体を鼓舞し、トランプス「Rubber Band」をサンプリングしたクール&ドレーの清涼感のあるトラックがその暑苦しさを調節。何度聴いたって隙のない曲の一つ! 『Documentary』(2005年)や『Doctor’s Advocate』(2006年)が、最大のエネルギー補給源の一つであることは言わずもがな、ジャケットに映る彼の筋肉に触発されることも必至だろう。(市川タツキ)

ASIAN KUNG-FU GENERATION「新世紀のラブソング」(2010年)

大学まで野球部に所属してきたが、練習をするグラウンドで流れる曲も、マスメディアがフィーチャーする曲も、試合会場で流れる応援歌も、あらゆる音楽が集団の団結と感情を昂らせるために機能していた。それとはまるで対極に、後藤正文(彼も高校まで野球部だった)はこの楽曲で「あの日僕がセカンドフライを上手に捕ったとして/それで今も抱えている後悔はなくなるのかな/15年経ってもまだ捨てられない僕がいて/生活は続く 生活は続く」とラップ調に歌唱する。スタンドとベンチからの大きな声援がかき消え、太陽光が降り注ぐ灼熱のグラウンドが一気に凍てつくようなメタで冷静な視点。団結も情熱も関係なく、まるで自分一人しかグラウンドにいないかのよう。自分のもとへと飛んできたフライをキャッチしようとする野球のありふれた一場面を、もう戻れない過去への諦念を滲ませつつ、いまの不確実で荒涼とした生の経験へと繋ぐ跳躍が、楽曲に強いリアリティと切迫感を与えている。いまもテレビ画面のなかで全力で動き回る高校球児の姿をみるたびに、この歌が頭のなかで流れはじめる。(尾野泰幸)

Disclosure「Latch」(2012年)

ディスクロージャーの来日ライブがあれば必ず足を運ぶし、レコードも買うようにしている。2人のプレイスタイルもとてもクールかつシンプルで、毎度感銘を受ける特別な存在だ。しかし、フィットネスクラブで彼らの「Latch」は、過去のメガヒット・ダンスチューンとして扱われ、しっかりとからだを動かすためのBGMでしかない。ワークアウトをする人々は、自身の肉体改善に興味を注いでいるからだ。また、過去技術仕事で関わったギャル向けのプリクラの筐体で、アーティスト・ロゴがオマージュされたスタンプまであった。要するに、流行した色物扱いである。シャッフルビートがダンスチューンで使われる斬新さ、サム・スミスの熱い歌声、細やかな音の一つ一つ、一途な歌詞、ひいては彼らの活動に思いを馳せることなんて論外だ。音楽への愛着や過去の記憶が結びつくせいで、私の心だけがいつも路頭に迷い、単純な筋肉痛に悩まされている。(ぽっぷ)

The Killers「Tyson vs Douglas」(2017年)

プロのスポーツ選手で、過去にいじめの被害にあっていた人は少なくない。似たような理由で私もキックボクシングを少しだけ習っていたこともあり、内藤大助、亀田興毅、田口良一らのプロボクサーがいじめを語る記事は今でも目に留まる。ザ・キラーズの「Tyson vs Douglas」は、1990年に東京ドームで行われた世界ヘビー級統一王者のマイク・タイソンが、当時ほぼ無名状態のジェームズ・“バスター”・ダグラスに敗れた場面から着想を得ている。イントロではローファイなラジオ音声が流れ、80年代風のねちっこいランニングベースや、スパークリングのように弾けるシンセの効果音に気持ちが昂る。特にコーラス前のコード進行で、Asus4を挟むドラマチックさといったら! まるで試合の23日前に母親を亡くし、勝利を誓っていたダグラスの会心の一撃のようだ。いじめとは少し異なるかもしれないが、喪失の真っ只中でも立ち上がる姿に勇気をもらう。(吉澤奈々)

Richard Dawson「Jogging」(2019年)

運動は身体だけでなく精神の健康にもよいという。まあ、そうなんだろう。ニューカッスル出身の稀代のストーリーテラーであるリチャード・ドーソンは、エフェクト・ヴォイスとハード・ロックのテイストを混ぜたおかしなギター・チューンで、不安をなだめるために医者のアドバイスでジョギングに励む人物に成り代わって歌う。《自分が被害妄想に陥っているのはわかっている》。だけどその人物の鬱は、社会が確実に悪くなっている実感から来ているのだ。たとえば、そう、近所のクルド人移民の家のガラスが割られているのに、警察が対処しないこと。町の雰囲気が日に日に悪くなっていること。ジョギングを続けていれば、はたしてその不安は解消されるのだろうか? わからないが、少なくともドーソンは素っ頓狂なファルセットで《誰か、私がロンドンマラソンを走るためのスポンサーになってくれませんか?》と唐突に問いかける。痛ましいユーモア……それでもここでは、庶民が絶望に飲みこまれないためのささやかな抵抗としての運動が立ちあがる。(木津毅)

Sorry 「There’s So Many People That Want To Be Loved」(2022年)

スポーツの日。果たして散歩はスポーツに入るのだろうか? スポーツはなんだか違う気がするけれど運動ではある気がする。運動とスポーツの違いとは? 競技性の有無? だけど運動会はどうなんだ? 散歩しながらそんなことを考える日々。セカンド・アルバムの先行シングルだったソーリーの「There’s So Many People That Want To Be Loved」は異様に散歩に合う(ソーリー史上で一番好きな曲かもしれない)。「愛されたいと願う人がいる」と歌うアーシャ・ローレンツの観察眼は、切り替わる街の景色の中に存在する哀しさを見出している。MVよろしく、もはやごっこ遊びのように、影響されて10月の街を歩くと少し肌寒く感じる。「耐えられないほどじゃないけれど」と心に冬がやってくることを伝える曲は、やはりこの季節の散歩道のための曲なのかもしれない。とにもかくにも街を歩いていると無性にこの曲が聴きたくなる。(Casanova.S)

Kordhell「Murder in My Mind」(2022年)

この曲を聴いて「あ、これは」となったあなたは、ショート動画のヘヴィー・ユーザーですね? 最近、インスタのターゲット広告の影響で自重トレーニングをやっている。フォンク(phonk)の脳筋めいた4つ打ちは、歩いたりトレーニングしたりするリズムによく合う。フォンクはラップ・ミュージックを背景にもつ音楽ジャンル。カーレースやウェイトリフティングの動画BGMとして広まり、「Murder in My Mind」は100万本以上の動画に使われている。この匿名的なムーヴメントの代表格のひとりであるKordhellの正体は、英国のブラック・メタル・バンド=アナール・ナスラック(Anaal Nathrakh)の共同創設者で、フォンクは「自分の音楽に近く聞こえた」と本人は語っている。わたしはジャスティスやスクリレックスを通してメタルを聴けるようになったし、その道筋には共感を覚える。その後フォンクはファンキ・ブラジレイロと混交して姿を変えたが、ムードは受け継がれている。(髙橋翔哉)

Arsenal Mikebe「Boiller Omukka」(2024年)

一定のリズムのビートが反復されると、聴き手は次の刻みを予測できるようになり、それに合わせて身体を音楽に参与させられるようになる。多くのワークアウト用プレイリストにテクノやEDMが入っているのは、反復による没入が運動時の集中力を高める働きを持つからだろう。本楽曲も同様の効果が期待できる構造であるが、オーソドックスなワークアウト・テクノとは少々性質が異なっている。Arsenal Mikebeは《Nyege Nyege Tapes》に所属するパーカッション・アンサンブルであり、ウガンダに伝統的に伝わるポリリズミックな儀礼音楽を演奏するグループだ。単純な四つ打ちと比較して彼らのポリリズムは一見乗りにくいが、その拍の骨格とズレ方を掴んで身体を馴染ませれば、四つ打ちより寧ろ強烈にトランシーな没入を得られる。また、彼らのダンス・ミュージックには電子音が一切含まれていない。人力の重い打撃音が作り出すグルーヴと歌詞を持たない歌には身体性があり、肉体的な揺らぎは聴き手の身体と共振する。(raqm)

Madonna「Danceteria」(2026年)

「Everybody get up and dance」と、「Dancetria」のコーラスでマドンナは煽る。本楽曲収録の最新作『CONFESSSIONS Ⅱ』は、2005年リリースのアルバム『Confessions On A Dance Floor』のフォロー・アップ作品であり、ダンスフロアとその住人たちに捧げられた音楽集だ。その中でも、彼女が世に出るきっかけを作ったDJのマーク・カミンズと出会った場所であり、“マドンナ史”の始まりを告げたクラブ《Danceteria》での一夜を回顧するこの曲は、まさにマドンナにしか体現できない一曲と言っていい。1982年、パーティーにはバスキアやキース・ヘリング、ナイル・ロジャースにデヴィッド・バーンらが顔を出し、彼女の親愛なる友人マーティン・バーゴインや、ニューヨークの名だたるナイトクラブでドアマンを務めていたハウィ・モンタウグらも夜の街を行き交う。その光景は、AIが再生成した“懐かしのあの頃”のショート動画ではない。クイーン・オブ・ポップへと変貌を遂げる前の、若き女性が生きた日常だった。

「さあ、ここからパーティーが始まる/顔を寄せ合い、周りには大勢の人/熱気はどんどん高まって、汗が滴り落ちる/みんなが見てる/でも私は気にしない」。外の世界に身体を投げやって、明日のことは忘れて、ただフロアで踊り明かす。それは決して若者の特権などではない。時が経ち、68歳になったマドンナが見つかるのは、今でもステージの上だ。当時のダウンタウンの熱気は、まだ彼女の体内で冷めることなく生きている。(島岡奈央)

Summer Eye「徒歩」(2026年)

そういえば、Summer Eyeがリリースした「徒歩」のテンポがやたら早くて少し笑ってしまった。いわゆるワークアウト系のプレイリストではBPM120前後が多い印象だが、BPM170はありそうなブレイクビーツで疾走していく、徒歩なのに! 本人の「ジャングルは確かに早いのだけど、半分の速さにも感じることができる」というコメントを参考に、天気の良い休日に高揚する気持ちが先走りながら、ワークアウトなんてストイックそうな言葉に縁がないのでマイペースに散歩する。心と身体、それぞれのリズムのまま、自分なりに歩く。これに限らずだがSummer Eyeの曲は「ビタミンみたいな音楽」に聞こえて、自分(あるいはみんな)に今足りないのはヘルシーさなんじゃないだろうかと教えてくれる(前回リリースしたタイトルは「栄養」だ)。健やかな身体と幸せのヴァイブスは、適切な栄養、適度な徒歩から。「どこまでも行けそう どこまで行けそう どこまでも」。(寺尾錬)

Savvy「Slap Me Again」(2026年)

スポーツとは関係ないのだが、最近になって、やっと自分の健康と胃腸の働きが深く関わっていることがわかった。そこから無理やり紐付けるようだが、“UK Poo”と呼ばれる、今夏の英国における音楽的トレンドをご存知だろうか。基本的にはラップなのだが、共通しているのは、ぎこちないフロー、率直でほとんど韻を踏んでいない歌詞、DIY風の映像、それから英国的なジョーク──つまり“Poo”、うんち──が軸にあることだ。そして、どうやらそのトレンド(ミームと呼んだ方がいいかもしれないが)が、罵詈雑言が飛び交いギスギスとした、あるいは広告で埋め尽くされたソーシャル・メディアで一部のユーザーのタイムラインに癒しを運んでいるようなのである。言い換えるなら“Poo”は、心の健康にも一役買っているのだ。今回選んだのはそんなUK Pooを代表する1曲。言っておくと、別に良くはない。素人っぽさがミソだ。(高久大輝)

Text By Ryutaro AmanoHaruka SatoShoya TakahashiNana YoshizawaTatsuki IchikawaMasamichi ToriiNao ShimaokaRen TeraoCasanova.SShin FutatsugiKotetsu ShoichiropopraqmKentaro TakahashiDreamy DekaTsuyoshi KizuShino OkamuraYuji ShibasakiDaiki TakakuYasuyuki Ono

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