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Joe Meek & The Blue Men「I Hear a New World」(1960年)

自らの感性にとって超自然的で異形と知覚される存在への違和。そこにいるはずのないものを、どうしても存在しているに違いないと感知する驚き。そのような感情が混乱し生じる、対象への直感的な好奇心こそが“ホラー”だとしよう。その感情は、いま自分がいる世界が唯一の世界ではないのかもしれない、という世界認識の否定もしくは転換を迫るという意味でクリティカルだ。エクスペリメンタル・ポップの始祖、ジョー・ミークはエキゾチカとスペースエイジ双方の感覚を充填したサウンドを従えて、ストレンジなヴォーカル・エフェクトで「私は新しい世界を見た」、「あまりにも奇妙で、あまりにも現実的」と歌をリフレインさせる。米ソ冷戦による核戦争の懸念や宇宙開発競争の進展、それらを大きな背景の一つとしたSF/ホラー/怪獣といった表象文化が急速に拡大した50年代を経て明日、一分、いや一秒後には世界が終わり、変わってしまうかもしれないという現実感覚を引き伸ばしたさきに生まれた、異世界への扉のような歌。(尾野泰幸)

Dead Can Dance「Ocean」(1984年)

理解できないことに対して人は恐怖を感じるが、それは辞書の通り、危害を加えられる可能性があるか無いかの違いかもしれない。恐怖と美しさは紙一重だ。神秘的な現象に対して、人は畏敬の念を抱いたりする。《4AD》のレーベル・カラーを象徴付けた、コクトー・ツインズやデッド・カン・ダンスの厳かな別世界はそれに近いと思う。もっとも、ブレンダン・ペリーは《4AD》サウンドに馴染めなかった理由を「プロデューサーのジョン・フライヤーがLexicon(レキシコン)をたっぷりかけたから」と話している通り、この楽曲の響きはシンセサイザーとは異なる。アイルランドにルーツを持つリサ・ジェラードの震える声、古楽のリズム、刻々と築き上げる空間はまるで権威を孕んだゴシック建築だ。もう一つ「Ocean」と言えば、LUNA SEAの真矢のドラムソロで起用していたのを忘れない。『Sin After Sin』(1993年)で是非観てほしい。(吉澤奈々)

Massive Attack「Karmacoma」(1994年)

indigo la Endの佐藤栄太郎が『POP LIFE: The Podcast』で、椎名林檎「葬列」やゆらゆら帝国「あえて抵抗しない」を怖い曲として言及していた。おどろおどろしい、呪術的なパーカッションの話だ。旋律でも歌詞でもなく、打楽器が空間のなかにどう置かれているのかが、いちばん聴き手の背筋に呼びかける。マッシヴ・アタック「Karmacoma」もその意味で怖い曲だ。何かをじゃらじゃら引きずりながら踏みしめるビート。管楽器は民族音楽的な音階をなぞり、3Dとトリッキーの呟きは夕闇に溶けていく。音像が古い建築の湿度と不穏さを醸し、吐息まじりの声は、インディー・ホラーゲームのような低画質の一人称視点へ聴き手を誘う。ジョナサン・グレイザーによるミュージック・ビデオが『シャイニング』をオマージュするのも当然だ。この曲の恐怖は、音の配置が生むムードにあるのだと思う。(髙橋翔哉)

Michael Jackson「Ghosts」(1996年)

マイケル・ジャクソンとホラーと言えば、「Thriller」のMV/ショート・フィルムが定番ということになるが、いま聴く/観るのであれば、1997年に公開された「Ghosts」がいろんな意味で面白いし、示唆に富んでいる。NYを拠点とするアンダーグラウンドの奇才ラッパー=ビリー・ウッズが昨年出した傑作『GOLLIWOG』をめぐって、「ホラーの多くは、人々が何を恐れているかについての社会批評だと思う」と語っていたが、例えばジョーダン・ピールが映画『ゲット・アウト』において黒人がアメリカで生きる恐怖をホラーを通じて生々しく描き出したように、「Ghosts」もまたアメリカ(というよりも全世界)で“怪物化”されたマイケルが、人々の“恐怖”を逆手に取った作品と言えよう。と、まあ御託はいろいろ並べられるが、そこはマイケルだ。ダンス・シーンがとにかく魅惑的なエンタメに仕上がっている。脚本にはあのスティーヴン・キングも携わる。4分程度のショート・ヴァージョンもあるが、ここはやはりお盆休みを使って、約40分あるショート・フィルムを観てほしい。(二木信)

Nick Cave & The Bad Seeds「Song of Joy」(1996年)

高校生のときの話。レコ屋でレコードをパタパタしていたら、バースデイ・パーティーの『Prayers on Fire』を発見した。お、ミッシェル・ガン・エレファントにも影響を与えたという、高速カッティングでお馴染みのバンドではないか! すぐさまレジに持っていった。

家に帰り、レコードを袋から取り出して、ジャケットをまじまじと眺めてみる。なにやら不穏なムードが漂っておるな。針を落としてみる。おどろおどろしい音楽に面食らった。こ、こわい……。

そのとき私はようやく悟った。バースデイ・パーティーとウェディング・プレゼントを混同していたのだと。今よりもウブで感受性が繊細だったから、それから『Prayers on Fire』を長らく聴けずにいた。これが私とニック・ケイヴとの出会いである。

ニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズは、1996年に『Murder Ballads』を発表している。タイトルのとおり、殺人にまつわるバラッドを集めた作品だ。

オープニング・トラックの「Song of Joy」は、宿を求めて家のドアを叩いた男が、家族を惨殺され、犯人はいまだ捕まっていないという身の上話を始める歌だ。曲が進むにつれて、「つか、こいつが殺人犯じゃね?」という疑惑が浮かぶ。つまり、次のターゲットは聞き手自身というわけだ。なんともヒヤッとさせられる歌である。(鳥居真道)

Dr. Dre「Murder Ink」(1999年)

コテコテのホラーコアだけではなく、ホラー映画の引用やサンプリングをしたラップ・ミュージックは様々ある。自分が真っ先にその代表として思いつくのはやはりこの曲だ。アルバム『2001』に収録されたこの曲でドクター・ドレーがサンプリングしたのはジョン・カーペンター監督作『ハロウィン』。自身もミュージシャンとして活動するカーペンター本人が手がけたメイン・テーマを活かし、不穏なトラックを作り出している。かつてDJ ポールやジューシー・Jもサンプリングしたこのネタを、ドクター・ドレーは原曲の冷ややかで浮遊感のあるテクスチャーを生かしながら、オリジナルなものに昇華。殺人鬼の恐怖を描いたカーペンターの映画と音楽にリスペクトを捧げたドレーだが、後にカーペンターのホラー映画へ出演し、ヒロイックな活躍を見せたのはアイス・キューブの方だった、という後日談付きの名曲。(市川タツキ)

Fleet Foxes「White Winter Hymnal」(2008年)

近年、各地の民話や伝承をモチーフにしたフォーク・ホラーがブームになっているが、口承で何かを伝えるという形式上、フォークロアにはしばしば何かぞっとするものが宿っている。フリート・フォクシーズの輝かしいデビュー作のファースト・シングルだったこの曲は彼らの清廉なイメージを決定づけ、現在に至るまで代表曲ではあるが、聴けば聴くほどに不穏さが漂ってくる。童謡のような素朴な輪唱で描かれるのは、ある雪の風景。コートに赤いマフラーを巻いた一団がいる。振り返るとあなたがいて、そしてマイケルは倒れて白い雪を夏の苺のように染めるだろう……。それだけの歌なのに、そこには鮮やかに死のイメージが挿しこまれている。赤く染まった雪。それは、夏と冬の対比もあって生と死が交わる瞬間を絵画的に切り取ったものと言えるだろう。ただしマイケルは実際に《倒れた》のではなくて、《倒れるだろう》と語られている。つまり不吉な想像なのだ。何より重要なのは、この歌が温かく美しく響いていること。死にまつわる情景には、何かこう、ひとを惹きつけてやまない陶酔的な魅力がある。(木津毅)

Childish Gambino「III. Telegraph Ave. (“Oakland” by Lloyd)」(2013年)

チャイルディッシュ・ガンビーノが2013年にリリースしたアルバム『Because the Internet』は、私のオール・タイム・ベスト10枚に入るほど好きな作品だ。まず、2013年という年自体が、私にとってスペシャルだった。同年に『Acid Rap』でブレイクしたチャンス・ザ・ラッパー、『Sail Out』を発表したジェネイ・アイコは当時のラッパーたちから引っ張りだこで(2人は『Because the Internet』にも参加)、他のラッパーたちも次々と名盤を出し、時代との一体感を感じていたように思う。「III. Telegraph Ave. (“Oakland” by Lloyd)」のMV(YouTubeには非公式版がアップされている)は、ハワイのカウアイ島を舞台に、島を楽しむガンビーノとジェネイ・アイコが映し出され、最後タコのモンスターにガンビーノが姿を変え人を食べる、という不思議なエンディングのストーリーだ。2012年〜2016年のヒップホップは、ミレニアル世代の人生のサウンドトラックとも言える(厳密には私はその世代ではないが)。Spotifyで音楽を聞き、YouTubeでショーン・シーのリアクション動画を見て、青い鳥がアイコンだったTwitterに感想を書いたり、こんなようなことがただ楽しかった。ホラーといえば、未知の生き物や心霊よりも、国会やホワイトハウスにいる一部の人間たちが、今の私にとって一番のホラーである。(島岡奈央)

Oneohtrix Point Never「Still Life」(2013年)

幼い頃からホラー表象に取り憑かれてきた者として、蝋管に始まる録音と再生を前提にした音楽はすべてホラーである、と言いたい。なにせ、目の前にいない人間が奏でた音が聴けるのだから、奇妙極まりない。電子楽器の登場以降は、機械上でバーチャルに奏でられた音すら再生できるようになった。“レコード”は常に過去の痕跡だ。録音された音楽は霊と同じだ。ここでマーク・フィッシャーの憑在論に倣うなら、ザ・フォールやザ・ケアテイカーやベリアルを挙げることも可能だろう。けれど、私が音楽を聴いてほんとうに恐ろしい経験をしたのは、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー「Still Life (Betamale)」のヴィデオが発表された直後、それを見たときのこと。もちろん、それは、「人はここまで露悪的になれるのか」と慄然としたあの映像に因るところも大きい。記憶が浸食されているため、この曲を聴くたびにあの画を思いだしてしまう。しかし、音もじゅうぶん怖い。3分11秒からの展開はどうだ。「お願いだからもうやめてくれ!」と叫びだしたくなる。音楽におけるホラー表現のひとつの極みだと思う。(天野龍太郎)

ミツメ「ふやけた友達」(2018年)

毎年夏に放送されていた『怪奇特集!!!あなたの知らない世界』に怯える昭和の小学生で、友達の家で夜中にプレイした『弟切草』が怖すぎて家に帰れなくなった平成の中学生だった私。いつの頃からか、おばけの類いを怖いとは思わない令和のおじさんとなった。恐怖とは、恐怖の形をして現れるわけではないということを知ったからだろう。

ミツメの音楽は一見すると爽やかで穏やかなのに、デヴィッド・リンチの映画のように、その風景の裏側には“あなたの知らない世界”がぴったりと張りついている感じがする。本当に怖いのは、当たり前のような顔をしてそこにある世界の裂け目だ。この曲も、海水浴に行った夏の日を歌っているようだけど、なんでふやけるほど水の中にいるの?なんで友達だけふやけてるの?とか考えだすと、違う世界が顔を覗かせてくる。ちなみに本曲のカップリング曲の「セダン」は夜明けに友達の車を一人で運転している男の歌。なんで友達の車を運転してるの?と考えてみるのも夏っぽくておすすめです!(ドリーミー刑事)

Jerskin Fendrix「Black Hair」(2019年)

夏といえば怪談、黒髪である。いまやすっかりヨルゴス・ランティモスのお抱え作曲家として、映画界でも注目を集めているロンドンの才人ジャースキン・フェンドリックスだが、彼はそれ以前にも映画に影響を受けた曲を書いている。それがこの「Black Hair」だ。シューベルトの『冬の旅』を冠したファースト・アルバム『Winterreise』に収録された、奇妙にも夏の気配を帯びたこの曲は、小林正樹のオムニバス映画『怪談』(1965年、原作:小泉八雲)の中の一編「黒髪」がインスピレーションになっている。そこから彼は「後悔の黒い念に飲み込まれる」という着想を得たのだ。重苦しいエレクトロニクス・サウンドとけたたましい光のノイズに包まれたこの曲を聞くと、現実がズレていく瞬間のひんやりとした空気を感じられるような気がしてくる(それは彼が音楽を手がけた映画に通じる感覚でもあるだろう)。夏の夜、青白い光に照らされた画面の中に躍る「怪談」の文字、それを見て僕は長い黒髪を連想する。テレビの中からはい出てくる貞子の髪の毛、腫れ上がった目をしたお岩さんの髪、柳の下で揺れる黒髪はあちらとこちらの境界を示しているのかもしれない。(Casanova.S)

ミツメ「ゴーストダンス」(2019年)

例えば『Backrooms』に充満するリミナル・スペース的な恐怖感を郊外や田園部にスライドさせた場合、そのルックは『Ghosts』のトヤマタクロウによるジャケット写真のようなものになるのではないだろうか。樹木と雑草が整然と生い茂っているだけなのに、「だけ」の勝手口から誰かが見ている。何かわからないけど何かがいて何か見ている。まさに「ゴーストダンス」と名付けられた一曲では「子供の頃は見えていたこととか/あれほど焦がれていた願いでさえ忘れて」と歌われ、その不在の感覚は直接的なノスタルジーと接続される。そして抑制的なアルペジオ、チャイムのような鍵盤、音のレイヤーを可視化できるほどに分離させたミキシング、アンビエンス。ミツメの元々有していたミニマリズムが、ミニマリズム以上の根源的なエモーションへとリーチした(してしまった)決定的瞬間。(風間一慶)

Bob Dylan「Murder Most Foul」(2020年)

ひとつの国の記憶そのものを呑み込もうとする、途方もない企てである。始まりは暗い一日の到来を告げる淡々とした語りだ。そこから車列は静かに進み、次の瞬間には取り返しのつかない出来事が起きてしまう。それは、この曲のシングルのジャケット写真で描かれたジョン・F・ケネディの死。全体を貫くのは、寡黙なピアノの一音一音であり、ほとんど旋律と呼べぬほど削ぎ落とされた歌……それは朗読のようなしわがれたディランの声の連なりが、17分近くの時間をかけてゆっくりと聴く者の内側に沈み込んでいく。語り手の声は感情を抑えているのに、その奥底には喪失と怒りが渦巻き、多数のミュージシャンたちの名前や出来事が亡霊のように呼び出されていく様は、歌というより弔いの儀式に近い。歴史と個人の記憶が重なり合う瞬間、そこに宿るのは懐古ではなく、抗いようのない畏怖そのものだ。ディランは初期から「The Lonesome Death of Hattie Carroll」や「The Ballad of Hollis Brown」などの血生臭いバラッドを歌ってきた。けれど、コロナ禍に“最も卑劣な殺人”として発表したこの曲は、音楽が到達しうる、人間がもたらす恐怖の極限の形だと思う。(岡村詩野)

Viola Klein「We (Another Part)」(2020年)

昨年の夏に私、扁桃炎で3日だけ入院しました。入院先が調布の大学病院で、検索すると、そこが『鬼太郎』の水木しげるが最期に看取られた病院であることが判明。長年、氏を敬愛する私は、期せずして「聖地巡礼」ならぬ「聖地入院」を果たしたのであります。

水木しげるは、自身が南方を訪ねた際に自ら録音した、現地住民たちの儀式の音楽を好んで聴いていたそうです。それとレゲエもお気に入りだったとか。このことを知ってから私は、パーカッションがチャカポコと鳴り、空間を歪めるようなダブ処理がなされた音楽に「お化け音楽」の霊性を感じるようになりました。

食品まつりさんやYPYさんなんかはかなり「お化け音楽」アンテナが反応しますね。フランスのフロイド・ダブもなかなか「お化け」だし、リカルド・ヴィラロボスなど全曲そうですね。選んだ曲はドイツ・ケルンのDJヴィオラ・クラインのトラックで、非常に「お化け音楽」的です。(Shoichiro Kotetsu)



Yikii「The Light of Anglerfish 提灯鮟鱇」(2022年)

どのような音が人間に恐怖を与えるのか、どのようなホラー表現が美的に感じられるのか。我々が自らの認識と調和しない不可知の存在に恐怖を覚えるのは間違いない。だが作品の鑑賞で恐怖を楽しむ状況においては、既存のホラー的表象の類型、即ち人々が怖いと感じるものとして社会的に共有されたイメージが恐怖の美を生み出しているケースが殆どだろう。今にも消えそうなか細い少女の声、接近した二和音、調律のずれた楽器、ノイズ。そして闇の中の怪異や少女の幽霊を想起させるアートワーク。中国を拠点とする実験作家のYikiiは、怖さを演出するモチーフの断片を繋ぎ合わせ、現実から逸脱した独自の世界観を構築している。「The Light of Anglerfish 提灯鮟鱇」では、得体のしれない存在の気配が静かに背筋を凍らせるダーク・アンビエントから、インダストリアル・ノイズが鬼気迫るパニックを引き起こす悪夢へと展開していく。ファンタジーの恐怖はエセリアルな美しさを放っている。(raqm)

RJ Pasin「Tourist」(2024年)

InstagramでとあるSF漫画のアカウントをフォローしており、投稿を読んでいるのだが、そこでは必ずと言っていいほどこの曲がBGMとして流れている。

作者のRJ Pasinは、ニューヨークを拠点に活動し、総ストリーミング再生数が10億回を突破するほどの人気音楽プロデューサーだ。普段の彼はトラップやメタルコア、ジャージー・ドリルにデスコア、ハイパーポップといったジャンルがメインである。それらの方が直接的にホラー映画やゲームとの親和性が高いはずだ。

しかし、この「Tourist」という曲は違う。2本のギターが重なり合って奏でられる、哀愁を帯びた16小節のリフ。それが1オクターブずつ高低を行き来しながら、4回繰り返される。最後はリバーブとサスティンと共に、ふっと消えていく。

1分半にも満たないこのミニマルな旋律がノスタルジーを強制的に引き出し、中毒性を生んだ結果、この1曲だけでわずか2年のうちに1000万回以上の再生数を叩き出している。この現象そのものが、なかなかのホラーではないか。(ぽっぷ)

Japanese Breakfast「Orlando in Love」(2025年)

映画「ちいかわ」はホラー、という話題で持ちきりの今夏ですが(原作の島篇をリアタイしていた私だけでしょうか)、このちいかわに登場する“セイレーン”は現代でしばしば好まれる表象だと思う。美しい歌声で誘惑し船乗りを海に引き摺り込むギリシャ神話の怪物で、卑近な例ではスターバックスのロゴだが、クリストファー・ノーランの『オデュッセイア』にもこの逸話が登場するらしい。さておき、セイレーン繋がりのホラー、ということで思い出したのがこの曲。作家のジョン・チーヴァーが引用した未完(68.5篇で止まっている)の叙事詩を元ネタに、“叙事詩を完成させた(「Writes 69 cantoes」)オーランドが、海から上がってきた理想的な美しい女性の姿(セイレーン)に引き込まれて溺れ死んでしまう”という寓話を描く。“完璧や理想を求める者は、それにこそ足元を掬われる”という教訓になっていて、ミシェルの愛らしい歌声とブレイク・ミルズと共作した甘美で素朴な室内楽バラッド風のサウンドが、あっけないその男の最期になんとも言えない後味を残す。完璧な理想などしょせん幻想、この世には存在しないものだと、肝に銘じておきたいところだ。(井草七海)

Ghost Dubs「Midnight」(2025年)

ときおり、私にとっては音楽を聴くこと自体が、ゴーストに触れることと同義のように感じる。つまり、音楽を聴くこととは、私にとって日常のなかで無視してしまった物事の価値を知ることであり、誰かの声にならない声を聞き取ることであり、少しばかり大げさに言うなら、都市開発をはじめとした、大文字の未来を人々が欲望するなかで、失われた何か(ゴースト)に触れることでもある。ゴースト・ダブスがこの曲で鳴らすのは、のっそりと、それでいてインダストリアルなダブ・サウンドだ。そこには、音楽がそうした思念をリスナーに媒介する方法であることを主張するかのように、「こうしている今も重要な何かを見逃しているのではないか?」という予感が張り付いている気がする。真夜中、手元のグラスで氷がカラリと爽やかな音を響かせるそのとき、本当にすべてがうまくいっていると信じられるだろうか。そんな考えに、今日も囚われている。(高久大輝)


Text By Ryutaro AmanoShoya TakahashiNana YoshizawaTatsuki IchikawaIkkei KazamaMasamichi ToriiNao ShimaokaCasanova.SShin FutatsugiKotetsu ShoichiropopraqmDreamy DekaTsuyoshi KizuShino OkamuraNami IgusaDaiki TakakuYasuyuki Ono

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