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【未来は懐かしい】
Vol.49
フォークと、ロックと、「ひとり」
──大久保一久が1974 年に残した自主制作レコード

15 May 2024 | By Yuji Shibasaki

1950年広島県呉市に生まれた大久保一久は、吉田拓郎が「村長」を務めていたことでも知られるフォーク・サークル《広島フォーク村》の一員として音楽活動をスタートさせた。1971年には、“ににんがし”としてシングル「すばらしい世界/知らない街で」を自主制作。同作は、B面曲で盟友・吉田拓郎が作詞作曲とリードギターを担当していることもあって、かねてより拓郎マニアの間で幻の存在として珍重されてきた。

その頃の大久保は、東京の昭和大学薬学部に所属しており、薬剤師の資格を得るために勉学に励みながら音楽活動を送っていた。1973年にはバンド“猫”へ参加し、サード・アルバム 『猫・あなたへ』(同年)と、4枚目のアルバム『猫・エピローグ』(1975年)の一部曲で作曲やヴォーカルを担当するなど、グループ後期の活動へ大きく貢献した。右の4作目をもって“猫”は解散してしまうが、その後、元かぐや姫の伊勢正三と“風”を結成し、1970年代後半のフォーク〜ニューミュージック・シーンを代表するデュオとして大きな成功を収めていく。1979年に“風”が解散した後にはソロアーティストとして数作を発表するが、残念ながら大きなセールスを挙げることもなく1983年に音楽活動を休止、以後薬剤師として薬局へ勤務する。しかし、1990年には一夜限りの“風”再結成が実現。その後も断続的に活動を行っていたが、2008年、コンサートのリハーサル中に倒れ病院へと緊急搬送される。以来療養を続けるも脳梗塞を患い、2021年9月、急性心臓疾患で帰らぬ人となった。

本作『Heavy Way』は、1974年、大久保自身の大学卒業と薬剤師資格取得を記念し、上述のシングルに続いてバンド“ににんがし”名義で自主制作した作品である。長年、日本のフォークロックの隠れた逸品としてマニアの間で聴き継がれてきた同作だが、今年はじめ、イギリスのレーベル《Time Capsule》発のコンピレーション・アルバム『Nippon Acid Folk 1970-1980』へ、同作収録の「ひとりぼっち」が収められたことから、国外からもにわかに関心が寄せらるようになった。今回紹介する再発LPも、同じ《Time Capsule》から、最新マスタリングを施しアートワークを刷新した上でリリースされたものだ。

一聴してわかるのが、やや叙情派フォーク色の濃い“猫”での作風と比べて、明確な洋楽ロック、とくに同時代のウェストコーストロックやシンガーソングライター寄りの志向が息づいているということだ。後の“風”時代にも、(今でいう)シティポップ〜AOR的な路線を推し進め、その後のソロ作でも洗練されたサウンドを聴かせていた彼だが、そうした音楽性へとアプローチする以前に、どのようなサウンドを志向していたのかがはっきりとわかる内容となっている。もちろん、はっぴいえんどやはちみつぱいなど、日本語ロックの先駆者を例に出すまでもなく、この時代にそうした音楽を実践しようとした例はいくつか見つかるわけだが、本作のアプローチの射程の広さ・深度は、右の二組にも決して引けを取らない出色のものだといえる。

最大の参照元は、ニール・ヤングだ。(バッファロー・スプリングフィールドを経由した上での)はっぴいえんどや遠藤賢司への影響はいうに及ばず、ニール・ヤングの音楽は、この時代のフォークロック系アーティストに決して小さくない影響を与えてきたわけが、本作において“ににんがし”の面々は、作曲や演奏の端々において、単なるオマージュという以上の豊かな消化ぶりを聴かせている。具体的に言えば、「雨上がり」は「アウト・オン・ザ・ウィークエンド」を、「なつ」は「アイ・アム・ア・チャイルド」を、「ちかんの詩」は「ダウン・バイ・ザ・リバー」や「サザン・マン」を直接的に想起させる。また、メンバーの三上和幸が弾くリードギターにも、ニール・ヤングのトーン、フレーズをかなり熱心に研究した跡がある。

もちろん、本作の魅力はそうした点にとどまるものではない。デヴィッド・クロスビーやトム・ラッシュ、ティム・バックリィなどに通じるような浮遊感を帯びたコードワークやアレンジは、いわゆる「アシッド・フォーク」のファンにも強くアピールするだろうし、ジャグバンド風の「せまい僕の部屋で」や、ブルースロック調の「おらが村の村長さん」など、その音楽性はかなりのバラエティに富んでいる。また、大久保自身による歌詞も、後のメジャー作品で聴かせたものとはやや異なり、若者らしいピュアさと孤独感を湛えたものだ。フォークからニューミュージックへと移り変わっていく時代にあって、政治の季節が遠のいていく風景の中に生きたものならではの実体的感覚が、そこここに覗いている。

こうした親密性、もっといえばプライベート性のようなものは、まさしくこの時代のフォークロック系作品の多くにも通じる味わいだが、本作は、大久保自身の繊細な、決して巧みとはいい難いハイトーン・ヴォーカルもあいまって、より一層深遠へ地点へと達し得ていると感じる。有り体にいえば、数あるメジャー産のフォーク〜ニューミュージックでは味わうことのできないインディでDIYな手触りこそが、このレコードの最大の魅力だろう(その点、今回の再発にあたりバンドのユーモラスな面を伝える隠しトラック的な小曲B-5「ふろく」と「・・・・・・・・・・・・・・・」がオミットされてしまったのはいかにも惜しいのであるが)。

加えて、ローファイ気味の録音やミックスも、そうしたプライベートな印象に拍車をかけているし、実際に、クレジット欄を参考に録音やディレクションに関わった人名を調べてみると、どうやら大久保の学生時代の友人達がこぞって協力しているらしいことがわかる。

1970年代前半の東京。将来を夢見る若者たちが寄り集まり、自分たちのため、ひょっとすると手に取ってくれるかもしれない未だ会わぬ人のために、好きな音楽を誰に気兼ねするでもなく手作りした記録。制作したそばから全世界に向けて即座に音楽を発信することが可能になって久しい現代からすると、その営みはあまりにささやかだ。しかし、だからこそ今もなおそれぞれの「ひとり」の心を捉えてやまないのだろう。(柴崎祐二)

Text By Yuji Shibasaki


ににんがし

『Heavy Way』


2024年 / Time Capsule(アナログ・レコード)


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