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【未来は懐かしい】
Vol.48
蘇る黄金期カントポップ
サザンオールスターズの大ヒット・カヴァーを収めた「歌神」の代表作

15 April 2024 | By Yuji Shibasaki

このところ、1990年代の香港産広東語ポップス(カントポップ)に、静かな、けれど熱い注目が注がれている。なぜだろうか。その理由はいくつか考えられる。一つは、2022年に刊行された『アジア都市音楽ディスクガイド』(DUブックス)に象徴されるような、かねてからのレコード・ブームとも連動したアジア各地産の過去音源への関心の高まりがある。1980年代後半から1990年代中頃のカントポップ黄金時代に制作されたレコードやCDが、驚くような高値で取引される状況は、いまだ収まる気配がない。

また、1990年代の香港映画に革新をもたらし、ここ日本でも多くのファンを抱えるウォン・カーウァイ(王家衛)の初期~中期作品が4Kレストア版としてリバイバル上映され、非リアルタイム世代のファンからそのウェルメイド極まりない映像世界に大きな支持が集まっている状況も、少なからずこうした流れを加速してきたように思う。中でも、彼の作品の出演俳優であるフェイ・ウォンのアーティスト活動に対する再評価には劇的なものがある。同時代のポップスやオルタナロック等の要素を巧みに取り入れた彼女の過去作品がここへきてにわかに新たなリスナーを魅了し、《ユニバーサル・ミュージック》からのアナログ再発企画も好評をもって迎えられている。

そんな中、1990年代カントポップ界の「四大天王」の一角として知られる大スター、ジャッキー・チュン(張學友)の過去作2枚が、同じく<ユニバーサル・ミュージック>から国内盤LPとして再登場した(今月17日にも、他3作が第2弾リイシュー作品としてリリースされる)。ここに紹介する『情不禁(抑えきれない心)』は1991年にリリースされた通算17枚目のアルバムで、1985年のデビュー以来コンスタントに作品を重ねてきた彼が全中華圏で大ブレイクするきっかけとなった楽曲「每天愛你多一些」(A-3)を収めるヒット作だ。歌手および映画俳優として破竹の勢いで活動を繰り広げる当時の彼の気概がみなぎる傑作で、ジャッキー・チュン自身も自らの代表作として太鼓判を押すアルバムである。そのものズバリ「歌神」という異名をとる彼だけあって、なによりも歌声の素晴らしさに魅了される。ジェントルでいながら感情を強く爆発させる伸びやかなその歌声は、(よくある表現になってしまうのを恐れずにいえば)聴くものの心へ直接語りかけるような親密さを湛えている。

中華圏では知らぬものはいないと言われる上述のメガヒット曲「每天愛你多一些」だが、一聴してもらえればすぐに分かる通り、サザンオールスターズの「真夏の果実」を広東語でカヴァーしたものだ。彼はここで、日本でも国民的なヒット曲として知られる同曲を、情感いっぱいに歌い上げている。その朴訥とした味わいはオリジナルとは一味異なる儚さと切なさを感じさせるもので、歌手としてのジャッキー・チュンの卓越した個性が表れた名カヴァーといえる。

本アルバムは、他にもカヴァー曲が目白押しだ。A-1「情不禁」は安全地帯「Lonely Far」、A-2「任性」は矢沢永吉の「DIAMOND MOON」、A-4「馬路英雄」はイギリスのハードロック・バンド、マグナムの「Rockin’ Chair」、A-5「再愛上你」はハワイ出身のシンガー・ソングライター、グレン・メデイロスの「Me-U=Blue」、B-1「如沒有你」はラテン・ポップ・シンガー、フリオ・イグレシアスの「抱きしめて(アブラザメ)」、B-2「早已離開我」は台湾のハーレム・ユー(庾澄慶)の「想念你」、B-3「小姐,貴姓?」は、アメリカのユニット、ウォズ (ノット・ウォズ)の「How The Heart Behaves」、B-5「緣盡情未了」はフランスのピエール・コッソとアメリカのニッカ・コスタのデュオによる「Don’t Cry」のカヴァーとなっており、オリジナルはB-4「冰冷的手」のみとなっている。

「ほとんどがカヴァーで占められているアルバムがなぜ代表作とされているの?」と思われる読者もいるだろうが、実をいえば、この時期のカントポップ界において、こうしたカヴァー攻勢というのはイレギュラーというはよりもむしろ常道、王道の手法だった。香港音楽界では1960年代から外国語曲のカヴァーが盛んで、1980年代からは更に増加していった。中でも日本の歌謡曲やニュー・ミュージックのカヴァーは無数に存在し、1980年リリースのアラン・タム(譚詠麟)「忘不了您」(五輪真弓「恋人よ」)や、1983年のアニタ・ムイ(梅艷芳)「赤的疑惑」(山口百恵「赤い疑惑」)、1984年のレスリー・チャン(張國榮)「Monica」(吉川晃司「モニカ」)、1989年のプリシラ・チャン(陳慧嫻)「千千闕歌」(近藤真彦「夕焼けの歌」)、1991年のレオン・ライ(黎明)「Oh!夜」(小田和正「Oh! Yeah!」)、1993年のハッケン・リー(李克勤)「紅白」(大事MANブラザーズバンド「それが大事」)などをはじめとして多くのヒット曲があるし、非著名曲まで含めれば、それこそ数え切れないほどの量に及ぶだろう。本作『情不禁』も、まさしくこうした流れのもとに制作された作品であった。

そもそも、当時のカントポップの世界においてなぜこれほどまでにカヴァー曲が連発されたのだろうか。一つには、古くから国際的な文化・経済交流の拠点となってきた香港および同地メディア産業にまつわる地政学的、文化的な背景があったと推察されるが、それにも増して、限られた人口ゆえにおのずから音楽制作者/作曲者の数が慢性的に不足していたという状況を主な理由として指摘できるだろう。また、1980年代にシングル盤が市場から消えアルバム中心のリリース形態になったこと、1982年に地元テレビ局TVBで開始された新人コンテストが評判を呼び、新人歌手にあてがう楽曲の需要が増したことも理由に挙げられる。それに加え、沢田研二、西城秀樹、安全地帯、松田聖子、中森明菜等の日本のアーティストが香港で熱い支持を得て大規模公演を成功させていく状況も、日本産楽曲への関心の高まりへ当然ながら大きく寄与していただろう。

こうした日本オリジナル楽曲をカヴァーする動きは、1990年前後にピークを迎えるが、1993年頃から急速に下火になっていく。そのきっかけとなったのが、この年の6月末、香港のロック・バンド、BEYONDのリーダーであるウォン・カークイが、日本のバラエティ番組の収録中に起こった事故で亡くなるという痛ましい出来事だった。BEYONDは、その事件の二年前、商業主義に走りオリジナリティを軽視する香港の音楽産業に愛想を尽かし、日本に進出していた。彼の死は、そうした活動の末に起きた悲劇だった。これを期に、香港国内の若手アーティストのオリジナリティを育成するキャンペーンがメディアを巻き込んで展開されることとなった。音楽制作現場においても、台湾の音楽業界とより一層太いパイプを築いたり、新世代のシンガー・ソングライターを重用したりと、外国語曲のカヴァーに頼らない体制が構築されていったのだ。

そうした真摯な問いかけから始まった「脱外国語カヴァー」の運動が、その後の香港音楽界に大きな変化をもたらし、豊かな成果を挙げていったことは論をまたない。一方で、それ以前のカヴァー曲全盛時代が一様にとるにたらないものであったかといえば、もちろんそうとは言い切れない。

ジャッキー・チュンは、1998年に、日本の雑誌『ポップ・アジア』のインタビューに応え、次のように述べている。

「(筆者注:取材当時の香港音楽シーンについて)カバー曲は非常にまれになってきているね。そこで出てきた問題が、香港は非常にちっぽけな場所でクリエイターの数にも限りがあるし、作られるオリジナル楽曲の数はそんなに多いはずがない。それが実際に楽曲の質や選択の幅にも影響を与えてる。これはあまり好ましい現象ではない、と個人的には思ってる。以前はいろいろなスタイルの楽曲があったでしょ。それが今は少なくなった、範囲が狭くなったと感じてる。退化したかって? 創作力から言えば進歩したんじゃないかな。でも純粋に歌唱のテクニックや多元化の面に限って言えば、もしかしたら以前よりも遅れていると言えるかもしれないね。ここに来て、みんなが何か違ったものを追い求めようとしていることはあると思う」
 ──『ポップ・アジア』編集部=編『アジア・ポップス・パラダイス』(講談社 2000年)P.44-45(聞き手:石井恒)より

なるほど、これもまた「歌神」らしい、冷静でながら裏腹に強い自信を感じさせる発言だ。この言葉の通り、本作『情不禁』のスタイル的な多面性、歌唱の充実ぶりには目をみはものがあるし、黄金時代のカントポップへの贔屓目を自覚しつつもなお当時の作品に魅了されてしまう私自身の実感を裏付けてくれるようでもある。

歌唱に限らず、各カヴァー楽曲に聴かれるアイデアに満ちたアレンジもやはり素晴らしい。先述した「每天愛你多一些」の優しげな編曲をはじめ、オリジナルを知っているからこそより味わい深く響くトラックも少なくない。「再愛上你」や「早已離開我」などは、AORやシティポップのリバイバルを通過した昨今のリスニング感覚にもフィットする極上のメロウネスを聴かせてくれるし、当時一斉を風靡していたニュージャックスウィング風のオケが光る「小姐,貴姓?」も、今こそ面白く聴ける(DJでプレイできる)ものだろう。

ここに刻まれた様々な試みは、現代の東アジアにおいて、あるトレンドがどのように受容され、ローカルな環境へと混交され、昇華されていったのか(あるいは、その後の展開をどのように準備することになったのか)ということへの関心も強く焚きつける。

そうやって考えていくなら、後の香港変換を経て同地がたどった激動の歴史を知る現在のリスナーにとって、カントポップの黄金時代を振り返るという行為は、ただその輝かしいサウンドに身を浸すだけに留まるはずはないということがわかるだろう。むしろ、様々な、ときにシリアスな視点をも呼び起こすかもしれない。諸外国との文化的交渉の只中において、カントポップの担い手たちが、いや、現代の香港の人々がどのようにそのアイデンティティを紡ぎ出し育もうとしてきたのかを知ることは、ただ黄金時代を懐かしむだけの回顧的な営みとは無縁だ。それは、ここ日本の音楽リスナーも当然無関係ではいられない、地政学的・歴史的背景の中で展開されるポップミュージックの巨大なダイナミズムを再検分することへも誘ってくれるのだ。(柴崎祐二)

Text By Yuji Shibasaki


張学友(Jacky Cheung)

『情不禁(抑えきれない心)』


2024年 / Universal Music Japan(アナログ・レコード)


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