エッセイ
“Only Yesterday”
Sen Morimotoの抱えた終わらない葛藤を追って
ライヴも少しずつ開催されるようになった昨年の9月にSen Morimotoが3年ぶりとなるジャパン・ツアーを行なった。彼は京都生まれ、シカゴ在住、ジャズとヒップホップに跨った音楽性を持った様々な楽器の演奏家でもあるアーティストで、特に《88rising》とのコラボレーションによって世界中から注目を浴びた人物だ。だが彼は派手な露出を頻繁に行うわけではなく、自らのペースで音楽の創作、そして表現を信頼する仲間たちと共に続けていくことに静かにこだわり、そこに喜びを見出してきたように見える。
Sen Morimotoのこういった着実な歩みは、新自由主義的な生き方がほとんど是とされ、常に拡大/加速を要請する資本主義がベースにある現代において、皮肉混じりに“マイペース”と呼ばれても仕方ないのかもしれない。しかし、コロナ禍を迎えて以降、パンデミック前のツアーライフを振り返り、その過酷さがいかに常軌を逸したものだったのかを語るミュージシャンは少なくないし、アーティストであるか否かに関係なく、こういった現状を疑問視する声は日増しに大きくなっていっているように感じる。とすればSen Morimotoの“マイペース”は、今の世界で何かを創り表現する上で、あるいはそれを楽しむ上で、いや、そもそも生きる上で、重要なヒントを与えてくれるものになるのではないだろうか。
今回、Sen Morimotoのジャパン・ツアーにツアー・マネージャーとして帯同した(つまりSenの信頼する仲間のひとりである)フォトグラファー/ライター/ヴィデオグラファーの菊地佑樹に写真と文章、そして映像作品を寄せてもらった。ちなみに映像作品には、Senがツアー中にサプライズで披露していた、七尾旅人 × やけのはら「Rollin’ Rollin’」をカヴァーをベースに、Sly & The Family Stone「If You Want Me To Stay」の一部を引用しマッシュアップした特別な楽曲がツアー中の様々なシーンと共に収められている。おそらくこれらの中には前述したように今を生きるヒントだけでなく、その反面にある、“マイペース”な活動を貫くことの難しさやそこにある葛藤も存分に含まれているはずだ。この世界で、音楽業界で、Sen Morimotoが何を感じ、考え、選び、行動しているのか。この写真と文章、映像を通して感じることができると思う。
(TURN編集部 高久大輝)
Sen Morimoto – Rollin’ Rollin’(Video by Yuki Kikuchi)
Only Yesterday
羽田空港でセンと再会した時は嬉しさと戸惑いが混同して奇妙な気分だった。僕はツアーへのモティヴェーションも、英語の話し方も、三年ぶりに会う友人にどんな顔で何から話したらいいのかも忘れてしまっていた。センも同じ気持ちを抱いていたのかもしれない。僕たちは再会を喜びつつもどこかぎこちないままハイエースに乗り込んだ。
「コロナになって一番最初にやったことは散髪だった。長い髪を手入れするのにうんざりしてね。バリカンで頭を丸めたら、長髪の時よりも短髪の方が髪の手入れをしなきゃいけなくてめんどくさかった」
幡ヶ谷のホテルに向かう道中、肩まで伸びきった髪のセンの些細な一言に、コロナによって膨大な時間が奪われたことを改めて思い知らされた。センも僕もこれを受け入れるのが怖かったんだと思う。それでもセンの穏やかな表情や声色に触れていると、センを含めた彼のバンドメンバーと遊んだり、センのお父さんも交え皆んなで鍋をしたことなど、三年前にセンが来日していた時の楽しかった思い出の数々がフラッシュバックして、コロナ中もセンが元気でいたことや、またこうして再会できたことを何よりも嬉しく思った。センがロックダウン中の話を止めて、最近の取り組みや、新しいアルバムのこと、今回のツアーについて話し始めると、戸惑いが少しづつ期待に変わって、ふたたび後部座席を振り返ると、あの時の景色が広がっていた。
翌朝、渋谷まで散歩しているあいだ、センは自身の生い立ちや、音楽活動を始めた当初のこと、音楽仲間のナムディ・オグボンナやグレン・カーランと共同運営する《Sooper Records》について、彼らを含めた音楽仲間たちがどれだけ素晴らしい人物かなどさまざまな話を聞かせてくれた。
「寿司レストランで働いていた時期があったんだ。モンゴリアンのオーナーは仕事に対して凄く厳しかったけど、僕の活動を応援してくれて、そのレストランで初めてのライヴをやらせて貰った。ヒップホップに傾倒していた当時の僕は世の中のあり方に対して怒り狂ってた。でも同時にたくさんの人のサポートを受けてもいたんだ」
マサチューセッツに住んでいた頃、学校でセンが唯一のアジアン・アメリカンだったり、シカゴに移住後は暫く友達が出来ず、家からアルバイトを往復する日々を送っていたなど、アジア・アメリカンとしての葛藤や社会生活における孤独がいつしか怒りや戸惑いに変わっていったという話を聞いて、音楽活動を始めたことによってシカゴの音楽コミュニティーへと導かれ、そこでの出会いや経験が彼をミュージシャンとしてだけでなく人としても大きく成長させたんだろうと想像した。
でも誰にでもオープンで人をジャッジせず、周りに対してもサポーティブであり続け、人との出会いや繋がりを大切にするセンの優しい人柄があってこそ、彼を取り巻く環境が形成されたんだとも思った。
三年前、まだ出会って二日目なのに、仕事でトラブルが起こり落ち込んでいた時、誰よりも先にそれに気付き声を掛けてくれたのがセンだったし、コロナになって真っ先に連絡をくれたのもセンだった。
売り上げのためではなくセン自身がそうしたいと自ら物販に立ち、お客さん一人一人に感謝の気持ちを伝えていた姿も印象に残っている。そんなセンの人情深さや思いやりは、音楽業界に置いて希有だと思うし、一緒にいて本当に居心地が良い。
その後も会話は弾み、お婆ちゃんに送って貰っていた『デスノート』や『スラムダンク』の漫画を読んで日本語を覚えていた話や、庶民的なご飯が一番好きだという話を聞いて、センに対して更に親しみを覚えた。
名古屋のライヴハウス《K.D JAPON》は素晴らしい会場だった。内装は木造で天井が高く小さな劇場・舞台のようで、無造作に散らばったテーブルと椅子がアットホームな雰囲気を醸し出しているものの、建物の真上を通る電車の走行音が響くとカオスなアートスペースに様変わりする。センも僕もすぐにここを気に入った。
プロジェクターの不具合で映像がスクリーンに映し出されない問題が起きたけど、PAも担当するオーナーさんの協力のおかげで無事に解決。その後はすべてが順調に進むかのように思われたけど、ライヴを目前にして急にセンがそわそわしだした。「水買ってこようか?」ソロのライヴが久しいことが原因らしい。心配になった僕がそう聞くと「テキーラってあるかな?」普段の落ち着いた様子からは想像出来ない緊張したセンの姿が意外で驚いた。バー・カウンターで購入したテキーラを渡すとセンはそれを一気飲み。
ミュージシャンから見える景色と、オーディエンスから見える景色がどれだけ違うか分からない。ただ完璧にこなせば良いライヴかっていうとそうじゃない時もあるからライヴは面白いと思う。でも僕がそう呑気に考えているあいだ、演奏するミュージシャンは一人ではなく何十人、何百人もの期待に応えなくちゃいけないプレッシャーと闘っている。そんな苦悩を近くで垣間見るとライヴを苦しく思うこともある。でもいつも彼らはそれを打ち砕き楽しいものへと消化させる。その度に僕は近くにいるはずの彼らを遠くに感じて、悔しくて嬉しい気持ちになる。
「Sections」でセンが雄叫びをあげると張り詰めた緊張が一気に解き放たれた。センの表情に余裕が生まれ、オーディエンスに笑みがこぼれると、ステージのないフロア・ライヴ特有の一体感が生まれた。
十歳の時に始めたサックスを基盤にして作られたファースト・アルバム『Cannonball!』と、サックスをほとんど休ませギターやシンセなどを多用したセカンド・アルバム『Sen Morimoto』の楽曲が程よくミックスされたセンのライヴは、軽快だけど繊細で、アルバムでは淡々とした印象も受けるラップは力強く、サックスからシンセへのメロウな流れから、打ち込みとラップで畳み掛ける展開がドラマティックで、僕は気づくと写真を撮ることを忘れて踊っていた。
余所の国に比べホスピタリティーが整う日本だとしても時にツアーは平坦で過酷だ。蓄積された疲労から移動中の車内で喋り続ける余裕はなくなっていくし、ひとたま会場入りすればイベントが終わるまでそれぞれがやるべきことに徹さなければいけない。
だからセンとの個人的な思い出の多くは、食事を済ませた後、それぞれの部屋に戻るまえのホテルの喫煙所で作られた。
大阪の夜、センはライヴに遊びにきてくれたセンのお母さんと彼女のマサチューセッツ時代の古い友人について話してくれた。ずっと働いていた看護の仕事を定年退職し、現在は日本中を旅しているセンのお母さんと、単身でアメリカに渡りマッサージ師になったセンのお父さんの話を聞いて、センの興味心や冒険心は彼らから受け継がれたんだろうと思った。
時に真面目で、時にうんとくだらない話に終始した、最就寝する前の一服が目的だったこの時間が、いつしか過酷なツアーの心のよりどころのようなものになっていた。
ツアーも山場を迎えた、新潟出発を控えた東京の夜。お互い酷く疲れているはずなのに、いつものようにホテルの喫煙所でタバコに火をつけた僕たちは、明日の出発時刻がうんと早いことも忘れ、音楽業界についてや、そこで生きていくことについて語り合った。
大事なのは情熱や創造性で執着じゃないと語るセンも僕と同じように、今のような状況がいつまで続くか分からない恐怖を打ち明けてくれたことは意外だった。
「一人ではどうしようも出来ない。だから身の回りのことを、人たちを大事にしたい」
タバコを消し部屋に戻る前、センはいつも僕がツアーマネージャーとしてここまで彼にしてきたことへの感謝を述べてくれた。
たまに自分がどうしてこの活動を続けているんだろうと思うことがある。周りと比較してダメな自分に落ち込んだりして。でもその度に、それでもここに留まり続けてきた情熱と創造性に執着してきた人たちのおかげで、自分がここに留まり続けていることに気づかされる。
センとのツアーは責任感や過酷さよりも、自分が好きなことに打ち込んでいることや、音楽が人生にもたらすことの意味を改めて教えてくれた。
「ありがとう」
感謝したいのは僕の方です。
(写真・文・映像/菊地佑樹)
Text By Yuki Kikuchi