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そのアングルで捉えるもの
──2020年代のNasによる二つの連作を聴き解く

23 September 2023 | By Tatsuki Ichikawa

ストイックに、しかし軸はブレない。90年代のいわゆる“ゴールデンエラ”から活躍する現役ラッパーの中でも、ナズはとりわけ多作のアーティストと、まず言うことが出来るだろう。あまりにも有名なクラシックにしてデビュー・アルバム『Illmatic』(1994年)から、実に17枚、特に2020年代に入ってからはさらにハイペースに、すでに6枚ものスタジオ・アルバムをリリースしている。ニューヨークの帝王はこの30年弱、ハードワークなキャリアを歩んでいるらしい。

何よりも示したいのは、多くの作品に溢れたナズの視点には、キャリアを通して一貫性があること。そして、近年の6作品が、二つの道に分かれている連作であるということだ。

まず後者の事実を字面だけ並べてみると、『King’s Disease』(2020年)『King’s Disease II』(2021年)『King’s Disease III』(2022年)と『Magic』(2021年)『Magic 2』(2023年)『Magic 3』(2023年)ということになる。忙しなく生み出される彼のレコードにはそれぞれ通ずるカラーが存在するが、ここではもう少し詳しく見ていきたい。

最初に、ナズの作品の特徴を一つ挙げるとするのであれば、それは人々が行き交い、多種多様の生活が集合する“街”というジャングル(彼の場合はクイーンズだった)に野放しのカメラを放り込み、記録したような生の視点だろう。

例えば『Illmatic』をヒップホップの歴史に燦然と輝く音楽的な神話として認めるには、その描写と、それらを一つのストーリーとして繋げる、オーセンティックで統一感のあるサウンドに耳を傾けなければならない。荒れたブロックに住む少年の眼差しは、このアルバムではある種のカメラになる。サウンドは、当時の東海岸を代表するDJプレミア、ラージ・プロフェッサー、Qティップ、ピート・ロックという複数の先達によって紡がれているが、今聴いても美しいほどにソリッドな印象を受ける。統一感と一連の流れは厳密に、しかし落ち着きを保っており、ローアングルのカメラが捉えるものを流れるように見せる。ナズの作品は度々“映画的”という表現を用いて評価されるが、物語的な構成以上に、アングルの定まったその語り口において、ナズの作品は真に映画的なのではないだろうか。

ここを始発点として、ナズは各ディケイドを駆け抜けた。連続するフッドの物語(『Stillmatic』〔2001年〕)、傷心(『God’s Son』〔2002年〕)、リレーションシップの自省(『Life Is Good』〔2012年〕)。

さらに、カニエ・ウエストと組んだ鮮烈なアルバム『NASIR』(2018年)は、フッドに根差すナズ的なテーマを、壮厳で人工的なサウンドに乗せて作り上げた異色作で、加えて作品のモチーフやメッセージを視覚化するようなショートフィルムも公開。まさにコンセプチュアルな、しかし明確にナズらしいプロジェクトでもあった。

ナズは“見せる”ことにこだわる。彼は自らの見ている世界を、作品を通じて詳細に、一貫したアングルで見せてくれているだろう。そこには、呼んでもいないのに横から口を挟んでくる、不必要な他者もいなければ、汚いものを隠して存在しない美しいものを語ろうとする、口だけの空想もない。あるのは触れるもののみ。感じられるもののみ。それは、6枚のアルバムをリリースしたここ3〜4年のナズも例外ではない。


王の病

まず把握しておきたいのはヒットボーイ(Hit-Boy)の存在だ。トラヴィス・スコットの代表曲の一つである「SICKO MODE」など派手なトラックを手がける一方で、ビッグ・ショーンやベニー・ザ・ブッチャーとの仕事、もしくはドム・ケネディとのプロジェクト『Courtesy of Half-a-Mil』を聴くと分かる通り、ある程度は、重量感のあるドラムループの正統的なブーンバップの色をベースにしつつ、どこかモダンな柔軟性や、メロディへの意識と音空間に隙間を残すようなトラックを得意とする、現代的なヒットメイカーと呼ぶことができるだろう。彼の守備範囲は幅広いが、その視点に倣うのであれば、トラップ全盛以降の若きヒップホップ・リスナーの耳に、最も心地良い形でブーンバップをアップデートし、届けているプロデューサーの1人とも言えるかもしれない。その適応力の高さと多くのパターンの兼ね備え方には恐れ入る。

このカリフォルニア出身のプロデューサーは多くのアーティストの耳を納得させたが、言うまでもなくナズも例外ではなかった。2020年代の彼のハードワークは、このプロデューサーと共に進んでいく。では、なぜ彼らは組んだのか。もしもあなたが、どこかソウルフルなヒットボーイのサウンドに、内省的な奥行きを感じ取ったとしたら、一つの考えにたどり着くことが出来るだろう。それが今のナズの気分であると。

“王の病”と題される『King’s Disease』シリーズの第1作目は、思いのほか華やかな作品である。《Def Jam》脱退後初のアルバムであるこの作品は、プロデュースにヒットボーイ、その他、多くの客演を呼んだ盛大なレコードだった。ナズの多くのアルバム作品に見られるソリッドな感覚からは外れるとも言えるかもしれない。それはチャーリー・ウィルソンのメロディが、陽的なアンダーソン・パークの助演が、リル・ダークのハードでスムースなラップが証明しているように、各曲のムードは様々に変わりながら、土地のサウンドとして作品が統一されることがないからだ。それは何かに染まることを知らないヒットボーイのグラデーションを証明するものでもある。

一方で、ナズがこのシリーズで試みているのは、現在地からの回想である。いわば自省のシリーズと言えるだろう。長大でボリューミーな『King’s Disease』は一年毎にリリースされた三部作で、それも不思議なことに、作品を重ねていくごとに、アルバムとしてソリッドにまとまっていく。ソウルフルな一作目はタイムリーなブラック・ライヴス・マターへの言及や、リレーションシップの主題が目立つ作品でもあるが、「Full Circle」におけるAZ、フォクシー・ブラウン、コーメガ、そしてアウトロのドクター・ドレーの参加は、The Firmのリユニオンとしても、妙なタイムスリップ感を醸した。続く『King’s Disease II』においては「Death Row East」で、90年代の2パックの確執について回想。『King’s Disease III』に至ると、作品としては3部作の中で最も“個”の色が強く、業界内のこと以上に、メジャー・デビューする前のクイーンズでの生活を回想もしている。いずれにしても、このシリーズの特徴を一つ挙げるとするのであればタイムスリップ感覚だ。もちろん彼は現在、王座に腰を落ち着けている。視点は回想という体を崩さない。

この態度はいかにもヴェテラン・ラッパーらしい、特に意外性のない方向にも映るかもしれない。しかし、ナズの描くレトリックと直接的な物言いは健在であり、彼の視点は常に明確なのである。どの角度で、どの位置で物事を捉えるか。それはまるで王の病の根源を探っていくかのように。

ここに至るまでの道程を1人の男が回想する。そこに少しの寄り道やユーモア、もっと言えば自由があることに豊かさを感じる。ただただハードにも、感傷的にもなりかねないような『King’s Disease』においてその役割を大きく果たすのがヒットボーイのサウンドなのは言うまでもないだろう。壮大な連作は、個の記憶に、作品を重ねていくごとに向き合っていくことによって、病を少しでも治癒しようとするのだ。



タネも仕掛けもないこと

『King’s Disease』シリーズがヴェテラン・ラッパーらしい視点で、濃厚にまとめ上げた作品であるとするのならば、『Magic』シリーズにこそかつてのナズ的なアングルを見出すことができるのではないだろうか。

『Magic』と題されたこのアルバムは、『King’s Disease』と比べてもタイトでシャープな印象を受ける。その様相は決して華やかではなく、世界は色褪せて見える。『Magic』は醜い現実にわざわざ色を塗って美化することはない。タネも仕掛けもない、目の前の現実を捉えるのみなのである。

実際に、ここでも全体を担うヒットボーイのサウンドはオーセンティックに纏まり、派手さのない落ち着いたムードで統一されている。勿論、例えば「Wave Gods」におけるSuper Lover Cee & Casanova Rud「Girls I Got ‘Em Locked」のサンプリングに始まるトラックの引力はある種の高揚を湛えているが、全体にはローで骨太なテンションが持続している。『Magic』は皮肉にも、虚飾を剥がしながら我々に現実の不自由さを突きつけてくるのだ。

「無敵なのは時間/2番目にインターネット、そして3番目はこのライムだ」
(「Speechless」)

2020年代のナズはヴェテラン・ラッパーらしく時間の流れを意識していたが、その上で『Magic』においては目の前の現実世界への諦念の眼差しがうかがえる。例えば「Ugly」に見られる彼の鬱憤に注目してみるといい。暴力とエゴに塗れた外の世界を醜いと言いながら、その現実を見る(見せる)ことをやめない。最終曲「Dedicated」では、目を覚まさせるようなビートスイッチの上で、自らの表現にトリックがないことを強調する。自らのラップとキャリアに対する自信は揺るがないが、同時に抗えないものの重さを受け止めてもいる。

続く『Magic 2』は、前作と比べると、いささか浮ついたビートが並びながらも、それ以上にアイロニカルな表現と引用に塗れた作品と言えるかもしれない。ブギ・ダウン・プロダクションズやエリックB.&ラキムへの言及は、自らの音楽的なリスペクトを孕みながらも、複合的な意味を持たせているし、最初から最後まで、このアルバムがある種のマジックショーであることをリスナーに意識させるような作りになっている。長年ビーフ状態にあった同郷の50セントの参加など、ファンにとってはキャッチーな要素も見られるが、ナズが本作に刻んでいるものは少し回りくどく、複雑に聞こえるのも事実だ。あるいはこれがこの世界への諦念を超えたナズのスタンスなのだろうか。

そして先日、ナズの50歳の誕生日にリリースされた最新作『Magic 3』は、ヒットボーイとのプロジェクトを一区切りさせる作品であるという。1曲目「Fever」は50歳になった自分を祝福し、現在のスタンスを宣言するような曲になっている。ここで『Illmatic』収録の「Represent」のコーラスを再び鳴らしているのは、本作が自己批評に溢れた作品であることも証明しているようだ。『Magic 3』はメタファーと抽象的な表現が顕著だったシリーズの中で、最もストレートでピュアな作品であると言えるだろう。

一方で、ヒットボーイのサウンドは『Magic』シリーズのカラーをベースにしつつ、より一層ソウルフルに、メロディーを重宝し、少し煌びやかさを湛えているようだ。『Magic』シリーズの特徴である憂鬱と諦念は、一つの区切りに相応しく、いささか姿を変えている。それは美化とは違う、まさに暗闇に光が照らされるようなイメージとでも言おうか。

『Magic 3』はそのカラーと世界に対するシリアスな視座はそのままに、ただしそこに少しの光が差し込むような作品になっており、それらが両立することを、鮮やかに証明しているように聞こえる。それこそがナズの作品であると、自ら宣言するように。

中でも、彼らしいのは「Based On True Events」と続く「Based On True Events, Pt.2」だろう。アルバムの中でも、彼の饒舌なストーリーテリングが久々に堪能できるような、リレーションシップについての曲であり、同時に、そのレトリックからジャングルの様子が垣間見えるような曲にもなっている。ユーモアとシリアスを注ぎ込み、流れるような言葉の中で、リアリスティックな世界の見方を、地上にカメラを下ろすその位置を、彼は変えていない。

現在進行形の世界の現状を、あるいは自らの見てきた景色を、正直に見せること。人種差別、資本主義リアリズム、SNSの振る舞い。『Magic』シリーズに含まれる社会的な命題は、言うに及ばず、この世界の命題でもある。『King’s Disease』シリーズがドラマティックな劇であるとしたら、『Magic』シリーズは、ラディカルなドキュメントと言うべきだろう。彼の見ていることを見ること。それは真にリアルな表現と言えるのかもしれない。

世界は地続きと言える。当然『Illmatic』や『It Was Written』(1996年)のゲットーにも、打ちひしがれ葛藤する個人の姿があったし、例えば、コンピ盤『The Lost Tapes』(2002年)に収録されている「My Way」やアルバム『Hip Hop Is Dead』(2006年)のコンセプトに埋もれたノスタルジーは逃避的なものではなく、発表当時の世界に対するナズなりの批評であった。環境と個人、ゲットーとエンターテイメント業界、現在の我々の生活とナズの見ている世界。全てが地続きであること、影響しあっていることをナズの作品は思い知らせてくれる。ハイペースな二つの連作は、これまでのナズの作品に見られたような、そんな感覚を前提とする、極めて一貫した作品なのである。

力作とも言っていいような濃密な連作だが、そのような忙しないペースの中で、走りがてらに置いて行かれたような、そんな呆気なさのようなものすら同時に感じさせることが、何よりも驚くべきことではないだろうか。そして、そんな呆気なく放り出されたアウトプットにこそ、正直な、この世界の真実とかろうじて呼べるものが捉えられているとするのであれば、それは、変わりゆく世界の中で変わらない彼の音楽を聴き続ける、十分な理由になるだろう。(市川タツキ)


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Text By Tatsuki Ichikawa

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