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「NYだろうとLAだろうと、ヴォーカルを使った曲だろうとエレクトリックだろうとアコースティックだろうと、どんな環境においても僕は変わらずにいる」
来日公演直前
ジュリアス・ロドリゲスが語るエヴァーグリーンの真理

25 November 2024 | By Shino Okamura

3歳からクラシック・ピアノを習い、父親からジョン・コルトレーン、セロニアス・モンク、デューク・エリントンといったアーティストを教わり、そしてジュリアード音楽院に入学、そして現在は《Verve》からアルバムをリリース……という経歴を知ると、ストレートなジャズの領域のミュージシャンのように思われてしまうだろう。実際にピアノ、ドラムなど数々の楽器を操る彼が、ニューヨークの新しい世代のジャズ・アーティストの一人にカウントされているのは全く間違いではない。しかし、エイサップ・ロッキーのツアーに参加したり、ミシェル・ンデゲオチェロ、カッサ・オーヴァーオールらと共演するような柔軟な姿勢や感覚を持った彼は、年々顕在化に拍車がかかるジャズの広大無辺さを東海岸から伝えてきた重要人物の一人だ。というより、ジャズという文脈が、現在のポピュラー音楽がただ大きな枠組みでの「音楽」でしかないという先祖返りしていることを象徴している、ということを体現する一人という言い方をするべきかもしれない。

そんなジュリアス・ロドリゲスは、前作『Let Sound Tell All』をリリースした2022年に拠点をニューヨークからロサンジェルスに移した。今年6月にリリースされたニュー・アルバム『Evergreen』は、まさにロサンジェルスで制作されたもので、共同プロデューサーのティム・アンダーソン(ソランジュ、ビリー・アイリッシュ他)と組み、ゴスペル、フォーク、アンビエント、ブラジル音楽など前作以上に多彩な要素を取り入れているのが特徴だ。オートチューンを用いたヴォーカル曲も含まれており、この曲を歌っているのはなんと……というタネ明かしは以下のインタヴューを読んでもらうとして、いずれにせよ彼にとっても新たな第一歩を歩み出したアルバムと言っていいだろう。まもなく始まる来日公演を前にリオデジャネイロに滞在していたジュリアスをキャッチ、改めて新作について訊いたのでお届けする。アルバム収録曲のいくつかについて秘密を明かしてくれたので、ライヴ前にぜひ読んでもらえればと思う。(インタヴュー・文/岡村詩野  通訳/丸山京子)



Interview with Julius Rodriguez

──前作をリリースした2022年、あなたは故郷のニューヨークを離れ、ロサンジェルスに移っています。なぜ拠点を変えたのでしょうか。ニューヨークを離れてみたかった、あるいは、今回の新作にも参加しているギタリストのネイト・マーセローも拠点としている西海岸一の大都市に魅せられた……など、その理由を聞かせてください。

Julius Rodriguez(以下、J):ちょっと環境を変えたかったんだ。ニューヨークじゃ絶えず何かが起きていて、僕も忙しさに追われ、自分を大切にする時間や余裕すらないような気がしてた。それに比べるとロサンジェルスは、セルフケアを大事にする文化があるし、ニューヨークほど忙しくなく、土地も広々としてて、外に出かけるにしても目的があったりするじゃないか。それに加えて、僕には叶えたいキャリアの目標があって、そのいくつかを達成するにはロサンジェルスで過ごす必要があると思ったんだ。今なら家族とかに縛られたり、ニューヨークにいなきゃならない理由はないので、だったら今、行けるうちに行こうと思った。それに、どうせ旅ばかりの生活で、どこを拠点にしてもあまり関係ないっていうのもあったんでね。

──ロサンジェルスにはルイス・コール、カルロス・ニーニョ、サンダーキャット、サム・ゲンデルなど、ジャズの領域を拡張するような刺激的なミュージシャンが多くいます。

J:ロサンジェルスのシーンも、シカゴやヒューストンやダラス同様、その街ならではのユニークなシーンだというだけさ。もちろん今そこで何が起きていて、どんな人やサウンドが生まれているのか、注目はしていたよ。でもそこに行って自分の目で見ない限り、本当のことはわからない。外からニューヨークのシーンを見るのと一緒さ。“ニューヨークのサウンド”は聴けばわかるし、僕も認識はするけど、実際そこに住んでその生活を体験しないと、ニューヨークでのライフスタイルのどんな要素がそのサウンドを作るのか、本当のところは誰にもつかめないんだ。だからこれまでは「ロサンジェルスはニューヨークからは遠い街のシーンだ」という感じだったけど、それだけでなく、実際に行って、体験して、本当のところを知ってみようと思ったんだよ。

──実際にロサンジェルスに引っ越されて、生活のベースを築いていく中で、具体的にどのような気づきがありましたか。クラブやヴェニューなどに足を運んだり、交流を深めたりする中から、どのような発見があったのでしょうか。

J:ああ、行ってみて気づいたのは、この地のミュージシャンもニューヨークとはまた違う意味で、ユニークであることを恐れない人たちだね。どちらが良い悪いじゃないんだけど、ニューヨークだとクラブやジャズ・セッションに行くと、誰もがプレッシャーと緊張感を持って演奏してる。でもロサンジェルスの人は家で過ごす時間が長いし、もっとリラックスした環境でのジャム・セッションが多くて、誰かの家に集まって楽しく演奏したり、新しいギアで実験するスペースもあるし、家で練習する時間もある。ニューヨークではなかなかそういう機会ってなかったことだ。それがシーンそのもののサウンドの違いを作ってるんだと思う。

──となると、ニュー・アルバムは引っ越してから作った曲が中心なのでしょうか。

J:半々かな。ロサンジェルスに引っ越す前に書いた曲、曲として完成してたけどまだ録音してなかった曲、録音してあった曲、ロサンジェルスに来てから書いた曲、その場でインプロヴァイズした曲……と色々だ。

──引っ越してから曲作りに方法やプロセスに変化もあったのですか。

J:変化というよりは進化かな。それまでは、ピアノ、ベース、ドラムなど、手にした楽器で浮かんだアイディアを弾いたり、気にいるアイディアが見つかるまで弾くかして、それを発展させ、ボイスメモに録音していた。数ヶ月後、それが300くらいたまったところで聴き返し、「これは」と思うものを選んでさらに発展させ、バンドの意見を取り入れながらライヴで試す。その中でうまく行くものもあれば、行かないものもあるし、メンバーの誰かの提案でアレンジが加わったり、たまたまのミスが「逆に今のは良かったな」ということになったり。ところがロサンジェルスに来てからは、スタジオ環境で過ごす時間が増えたので、いろんなことを心配する代わりに、スタジオの様々なツールで実験する機会が増えたんだ。心配っていうのは、頭の中で「この音を出すにはどうすればいいか?」「どうすれば違う音になるか?」「ここを遅くしたら……速くしたら……音を加えたら……質感を変えたら……。どんな効果でそれを実現できるか?」といったことだ。

──スタジオで他のミュージシャンたちを加えて、という?

J:そういうのもあったし、僕一人のことも、プロデューサーと一緒のこともあった。楽器や音楽論は知らなくても、コンピューターやAbletonやプロトゥールを操れる人間たちも。結果的に、そういったツールを楽器のように使って曲を作ったんだ。

──例えば、ミシェル・ンデゲオチェロとの共作曲「Run To It」はどのようなタイミングで、どのように制作したのですか。LAに移ってからですか。

J:ああ。でも実はニューヨーク時代に一度書いていた曲でね。ギグで、ミシェルのベースを入れて演奏したこともある。でも途中、書き終わっていないセクションがあった。その時にミシェルが弾いたのがすごく良かったんで、それをそのまま曲の一部にしたということ。

──ちなみに「Run To It」には“The CP Song”というサブ・タイトルもついています。CPとは何を意味するのですか。

J:内輪ネタなんで、読者のみんなの想像力に任せるよ。

──……誰かのイニシャルか何かですか。前作には、20歳で亡くなった俳優のキャメロン・ボイスに捧げた「Elegy(For Cam)」という曲もありました。

J:ああ、でもこれは違うんだ。OK、じゃあ少しヒントを教えるね。アフリカン・アメリカン・カルチャーでは、“Colored People Time”……略して“CP Time”っていう言い方をするんだ。誰かが遅刻してる時も「彼らはCP Timeで動いてるから」みたいな言い方をする。カラー・ピープルは時間にルーズだという一種の皮肉なんだ。

──なるほど! それをミシェル・ンデゲオチェロとの共作曲のタイトルにつけるというのはなかなか興味深いですね。ネイト・マーセローとの共作曲も多くあります。これらは当然、LAに移ってからですよね?

J:ああ。例えば「Around The World」は途中のフリーなサックスのセクションまでは全部完成してて、それ以降が出来てなかったんだ。スタジオにやって来たネイトは曲を聴くなり、ギター・サンプラー・シンセサイザーをセットアップし、曲に合わせていろんな音を試し始めた。そして例のセクションを僕らに演奏させ、それをマイクで録音してサンプラーに取り込み、ギターを通して操作した。ギターで1音弾くたびにサウンド・ファイルのピッチが上下するんで、そこからあのクレイジーな“do-do-do-do-do”みたいな音が生まれたんだ。さらに、最後の部分ではうんと低くゆっくりキーを変え、新しいセクションを作り出した。それは曲のエンディングで使っているよ。今ライヴでやる時は、さらにリズムが加わり、さらに発展している。つまり録音を終えた後も曲は進化し続けているってこと。ネイトとの制作はたいていそんなふうに彼が曲を聴き、色んなアイディアをキャンバスに描くように加え、僕が「このテクスチャーがいいね」「この音の色が好きだ」と選び、リアレンジするという感じさ。

──共同プロデュースしているティム・アンダーソンとはどういういきさつで作業をすることになったのですか。

J:ティムがギタリストだった I’m A Robot というバンドは人気TVドラマ『SUITS』の音楽を手がけていたんだ。ソランジュやビリー・アイリッシュ、ホールジー、バンクスみたいなポップスやR&Bものでは結構知られたプロデューサーだ。アンビエント音楽でも実績があるので、ネイト・マーセローを知ってたのはその繋がりなんだと思う。ティムはジャズの大ファンで知識もあるんで、初めて会った時はマハヴィシュヌ・オーケストラやハービー・ハンコックやジャズ・フュージョンの話で大いに意気投合したよ。彼が僕の音楽のバックグラウンドやルーツを理解してくれてると感じるのも、そのせいさ。それだけでなく、その音楽をさらに引き上げる知識やツールを彼は持っている。僕は、それをよりプロデュースされたサウンドや、即興的な広がりのある音楽へと持っていきたいと思ってるんだ。ティムの年齢は……40代半ばだと思う。

──ノース・ハリウッドのスタジオで制作をしたそうですが、そのスタジオはどういう環境の、どのような特性のあるスタジオだったのですか。

J:ああ、ティムのスタジオでね、あのスタジオで録音したのはとても影響が大きかったよ。ティムのスタジオは大きなスタジオ・コンプレックス(複合スタジオ施設)の一つなんで、僕らがいる時だけでも向かいのスタジオにはブラッドポップがいたし、ピンク・パンサレス、A.G.クックとかもいたんで「あれは誰?どんな音楽だろう?ちょっと見に行ってみよう」とチェックしたりね。それが自分たちのサウンドにも影響を与えたりもした。家みたいにくつろげるスペースが持てたのはとても大きかったよ。昔からジャズのレコーディングでは1~2日、3~4日スタジオに入ってすべてを終わらせるのが通常だ。でもティムはスタジオを年中いつでも使えたので、好きな時に行って作業ができたし、「時間が足りるか」とか「追加料金は?」という心配も無用だった。フルタイムのエンジニアはスタジオを熟知してたので、彼女に言えばすぐに注文を聞いてくれた。環境を変えなくて良いというのがとても重要だったよ。食事に行くレストランも含めて、とても居心地よく過ごせたんだ。そういうところもニューヨークとロサンジェルスのライフスタイルの違いと言えるね。

──今作は楽曲そのものが非常に多様で多彩で、スタイルもかなり幅が広いと感じました。ゴスペル、フォーク、アンビエント、ブラジル音楽などこれまでにはあまり表出されていなかった要素も散見されます。これは結果としてあなたの引き出しが開いたということでしょうか。それとも割と意図的に多様なアルバムにしようという思いがあったのでしょうか。

J:今、君が挙げた様々な音楽の影響は常に僕の中にあったものだし、これまで僕がやりたかったことの一部だと思う。それをこれまで以上に広げ、深められたのが今回のアルバムだ。そうなったのは、必ずしもジャズ・シーンをベースにしていない人たちとの仕事だったことと、それぞれが自分らしい自然体で参加できるコラボレーションだったおかげだ。「よし、ジャズの曲にしよう」とか、「ジャズのアルバムを作ろう」と意識するのではなく、純粋に「音楽を作ろう」と取り組んだ。それがなんであれ、自分たちらしい音を追求しようというのが、この作品の核なんだ。特定のカテゴリーや音空間の中に押し込めることなく、アイディアを自由に表現するということさ。

──あなたはジュリアードで学び、NYのジャズ・シーンの新世代を代表する存在のような評価をされてきていますが、私はもっとハイブリッドな感覚を持った音楽家だと思ってきました。ジャズという領域で高く評価される一方、そこだけに安住したくないという思いはどの程度あったのでしょうか。あるいは、最初からハイブリッドな感覚で活動をしていたのでしょうか。

J:常にハイブリッドな感覚は持ち続けていたと思う。自分がジャズ以外の他の音楽にも興味があることに気づいたあとも、ジャズとそれ以外を隔てる壁があるとは思ってなかった。僕がやりたいのは音楽。なにかを諦めて、新しいものを追いかけるわけでも、違うことをしようとしてるわけでもない。ただ、自分が良いと思うもの、楽しめるもの、人が楽しんでくれるものをやろうとしてるだけ。自分のアイデンティティを見つけようとしてるだけで、壁を作ろう、壁から逃れようとしてるわけじゃないよ。確かに、壁を壊そうとはしてる。でもその壁は元々自分には存在しなかった。壁は他の誰かが作ったものだ。「彼はこういう曲、こういうスタイルで弾くから、ジャズ・ミュージシャンだ」といった決めつけさ。僕はその一方で教会でも演奏するし、エイサップ・ロッキーとツアーしたり、ヴィンス・ギルとカントリー・レコードも作る。同じ一日の中で、それだけのことが出来るんだ。僕にとってスタイル間に分け隔てはなく、全て同じ世界の中にあるものなんだ。

──今作はその思いを結実させた集大成だ、と。

J:ああ、間違いなく。でも集大成とまでは言わないよ。まだこれは始まりだし、進むべき道の先は長い。でも確実にジャンルの境を曖昧にして、音楽そのものだけに焦点を当て、壁を打ち破る大きな一歩になったと思う。

──ところで「Road Rage」にはジェイ・アドラーというヴォーカリストが参加しています。オートチューンを用いていますが、このヴォーカリストはどういう方なのですか。

J:ああ……これも内輪ネタなんだ。ジェイは“内側から調達された”とだけ言っておく。それでわかる人はわかるかな。

──あなた自身なんですね! それはつまり匿名性を持たせかったということですか。

J:そう、できる限り。

──それでオートチューンなんですね。正体不明な人物が歌うことの意味とはどういうところにありますか。

J:恥ずかしいわけじゃないんだ。どう言えば、失礼じゃない言い方になるかな……。ただ、特定のナラティヴを自分がコントロールしたかったんだ。名前の下に置かれると、その名前に付随する先入観や意味合いがついてしまうし、そこに関わるすべての当事者が、それに対して自分の意見を持つことになる。でもこの曲はジェイ・アドラーが自分自身でいるべき曲なのであって、ジェイ・アドラーは誰にも、何にも縛られることなく、ジェイ・アドラーであり続けたいと思っているんだ。

──ジェイ・アドラーはどこからとった名前なんですか。

J:Adlherは僕のミドルネームであり、父親の名前。Jayは(Julius)の)J。でもあの曲に関して強調したいのは、すごくクールで、自然で、自信のコラボレーションだったということ。曲を書いたマディ・セント・ジョンはアルバムのエンジニアを手がけた女性で、ソングライターでもあるんだ。ネイトと僕と彼女とで作業していた時、ある曲の一部が長くなりすぎてしまい「これはアルバムからはカットしよう」と言ってたんだ。すると彼女がそれを家に持ち帰り、いわゆるソングライティングのスタイルで、歌詞とメロディをインストゥルメンタルのビートに乗せて、曲にしてくれたんだ。彼女から聴かされた曲を聴いて、あまりに素晴らしくて驚いてしまった。で、色々とあって、ジェイ・アドラーが”説得され”歌うことになったので(笑)、僕は曲を書きあげ、残りのすべての楽器を弾き、友人のデクラン・マイヤーズがベースを弾いた。ちなみにデクランはSZAのベーシストさ。

──オートチューンでは判断が難しいですが、こうして直接話をしていると、あなたはとてもいい声の持ち主だと思います。もっと歌っていいのではないですか。

J:ありがとう。あとは歌う曲を探さなきゃならないってことだね。僕自身はリリシストだったことはないので、他のソングライターとコラボレートできればと思うよ。特にロサンジェルスには一流のソングライターたちが大勢いるからね。

──ヴォーカルといえば、最後の曲「Champion’s Call」にはジョージア・アン・マルドロウが歌で参加しています。ヴォーカルをフィーチュアした曲は最初から歌を意識して作っているのでしょうか。それとも後から歌を入れたくなるような流れなのでしょうか。

J:この曲に関しては後から入れようと決めたよ。ピアノのパートは大昔……2018~2019年くらいに書いていたんだ。スマホのボイスメモにずっと残してあった。アルバムの制作を始め「他に曲はないのか?」と聞かれたので「何年も前に書いて、そのままにしてある曲があるよ」とあれを出してきて、アコースティックピアノで録音し、色んなドラムで実験した。逆回転させたり、ドラムシンセを入れたり。Blue Giantのベーシストであるジャーメイン・ポールがアップライトベースを弾いてくれて、メロディも書いてくれた。それでもまだ完成しなかったので「他に誰を入れよう?」と思っていた時にジョージアがやってきてくれた。彼女はたった一度曲を聴いただけで「OK、ちょっとやらせて」と言うと、あのパートすべてを1~2テイクで歌にしてくれたんだ。彼女がその場で感じ、彼女の中から生まれたことをね。ジョージアとはこれまでも少しだけ仕事をしたことがあるんだけど、彼女はセットリストを一切用意しない。その時も「僕は君のファンだから、レパートリーはどれも知っているけど、どの曲をやる予定?」と聞いたら、笑って「私はセットリストは用意しない。ステージに上がった時の気分で決める」と言われた。この曲の時もそうだった。彼女は一度聴いて感じたアイディアを、そのまま歌にした。それを使って僕らが曲の形に作り上げたんだ。

──歌や声を入れる上でリファレンスにした楽曲や歌い手はありましたか。

J:特にそういうのはなかったよ。その部分を、歌う人なりの解釈や表現ができる余地を残しておくのが好きなんだ。もし僕が具体的なイメージを持ってしまったら、僕はそればかりを探してしまうだろうし、完全にその通りにならなければ、他の誰かがもたらしてくれる可能性やアイディアに心を閉ざしてしまうかもしれない。

──こうした多様性ある今作に対して、Evergreenというタイトルをつけたのはどういう意味をそこに与えようとしたからなのでしょうか。

J:制作中、Evergreenという言葉を何度も目にしたんだ。僕らがいたスタジオのパートナー・スタジオが《Evergreen》という名前だったり、Evergreenという大きなロゴが描かれたトラックを目にしたり。それで「Evergreenってどういう意味だ?」と思い、定義を調べたら「Evergreen(常緑樹)とはその葉がすべての季節を通じて、機能を保ち続ける植物のこと」だと出てきた。「これって、まさに僕が音楽でやりたいことじゃないか」と思ったんだ。どんなスタイルやジャンル、状況であっても、演奏する音楽の中に僕というvoice(自分らしさ、主張)を表現したい。ニューヨークだろうと、ロサンジェルスだろうと、ヴォーカルを使った曲だろうと、エレクトリックだろうとアコースティックだろうと、どんな環境においても僕、そして僕のvoiceは変わらずにいること、それがEvergreenの意味することさ。


<了>



ジュリアス・ロドリゲス来日公演情報
2024年12月2日(月)、12月3日(火)、12月4日(水)
[1st.show] open 5:00pm / start 6:00pm
[2nd.show] open 7:45pm / start 8:30pm
丸の内 COTTON CLUB
https://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/sp/artists/juliusrodriguez/

 

Text By Shino Okamura

Photo By atibaphoto

Interpretation By Kyoko Maruyama


Julius Rodriguez

『Evergreen』

購入はこちらから
https://www.universal-music.co.jp/julius-rodriguez/discography/

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