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「ノルウェー極北の景色を見たとき、この場所から二度と離れたくないと思うくらい感動した」
自信の喪失を音楽への信頼へと変えたベイルートの新作『Hadsel』

10 November 2023 | By Shino Okamura

ベイルート4年ぶりのニュー・アルバムのタイトルは『Hadsel』。ノルウェーはベステローデン地域の最南端に位置する、ハッセル島、ヒン島、ラング島、オーストヴォーグ島の4島から成っている自治体のことだという。ベイルートのザック・コンドンはこの地で新作のインスピレーションを得て、曲を作った。と言っても、そのハッセルがどのあたりなのか全くピンとこないので地図を開いてみると、首都オスロより遥か北部、ノルウェー海側の群島の一部で、緯度だけみるとアイスランドより北に位置している。これは寒そうだ。今回、このインタヴューのために写真をいくつか送ってもらったら、この極寒の地にダウンなどを着込んだコンドンが佇む姿がほとんどで、なんともすごいところに滞在していたんだな、と驚かされた。ただただ、寒々しい海のさざなみだけが映し出された「So Many Plans」のPV(オフィシャル・オーディオ)を観ると、どんなところかがわかる。

前作『Gallipoli』(2019年)はイタリア録音。中世の城塞都市での体験などが生かされた作品だったので、今度はまた随分極端なところで制作のヒントを見つけたものだ、本当にこの人はあちこちに旅をすることで着想を得るノマドのようなミュージシャンだ、とつくづく感じるが、実際はそんな気まぐれな旅人めいた活動をしているわけではなく、必然……例えば今回なら『Gallipoli』のツアーによる疲弊と自信喪失によって辿り着いた土地だったのだという。加えて、ほどなくして見舞われたCOVID-19による世界的ロックダウン……。誰もがコンディションを維持することが厳しかったこの3年の間に、コンドンもまた壁にぶつかり……そこで彼を精神的に支えたのは、自分には結局音楽しかない、“音楽の外”に出ることなど不可能という気づきと決意だった。

ニュー・アルバム『Haadsel』では、彼のメイン楽器であるフレンチ・ホルンの他、バリトン・ウクレレ、ポンプ・オルガン、モジュラー・シンセサイザー、ドラム・マシン、テープ・マシンなどの楽器が使われている。多様な機材を用いるのは割とベイルートの作品においてはスタンダードだが、前作のツアーを最後にバンド・メンバーとは袂を分かってしまったこともあり、今回は全てをコンドンが一人でこなしていて、いみじくも彼の原点であるDIY的なスタイルを思い出させることにもなった。ベイルートの作品が最初に世に放たれてから早15年以上。様々な地域のフォークロア音楽、伝統的な大衆音楽を吸収してきたコンドンの作るメロディは、もはやどことは言い切れない架空の故郷を描いたような不思議なものになっているし、彼自身もそれを心地よいクルーナー・ヴォイスで辿るように歌にしていくことにある種の使命感を……というと大袈裟かもしれないが、一周して世界音楽とさえ呼べる境地になってきているのかもしれない。カエターノ・ヴェローゾ「O Leãozinho」をテナー・ウクレレの弾き語りでカヴァーした昨年3月の動画を観ながら、そんなことを感じている。
(インタヴュー・文︎/岡村詩野 翻訳/塚原圭吾)

カエターノ・ヴェローゾ「O Leãozinho」をカヴァーするザック・コンドン

Interview with Zach Condon

──ニュー・アルバム『Hadsel』を聴きました。とても美しく静謐で、でも情熱的な作品ですね。あなたのセルフ・ライナーノーツによると、2019年のツアーはあなたの喉の具合もあって大部分をキャンセルとなりそこから激しい自信喪失に陥ったそうですが、その体験から何を学んだといえますか。

Zach Condon(以下、Z):いくつか厳しい教訓を得たよ。僕が学んだのはつまり、たとえ何かをしようと心の上では選択していたとしても、それが常に、体もその通りに動いてくれるということを意味するわけではない、ということだ。僕はツアーをするためにできてはない、ということを教えられたね。それはずっと前から、自分についてなんとなく知っていたことではあったんだ。これまでツアーで何度も体調を崩したりパンクしたりしてきた。プレッシャーやストレスがかかりすぎていたんだ。僕はよく旅行には行くんだけど、でも物事はゆっくり進める方で、長い時間をかけて場所のことを知っていくことが多い。ツアーはそれとは正反対のものだよ。

──そもそも、どのようないきさつで、わざわざノルウェーの、しかも島であるハッセルに向かったのでしょうか? ベルリンの自宅に戻ることなく、他の町を目指したのは、若い時分にあなたが東欧を中心に旅をしていた体験、柔軟性が活かされたと言えるでしょうか。

Z:都市は大きければ大きいほど回復には向かない場所になる。ベルリンやニューヨークみたいな場所は、ただその街にいるだけで、疲弊させられるし消耗させられる。ニューヨークに住んでいたときなんか、あの頃は冬になると市街地から遠く離れた山小屋に引きこもってたよ。僕はその暗闇が、その雪が、その表の寒さが好きだったし、小屋の中の炎のおかげで守られていて保護されているように感じられた。

正直に言うと、ベルリンのすぐ外にある田舎の場所はほとんど、ちょっと鬱陶しくて古臭い感じがするよ。ソ連(ロシア)的な建築や文化は非人間的な雰囲気を作ってしまった。僕がノルウェーの極北の景色を見る前、たぶん僕はそれにすごく感動するだろうなと思っていたんだけど、実際その直感は正しかった。この場所から二度と離れたくないと思うくらい感動したよ。僕はノルウェー北部に永住する手続きを始めているんだ。

──あなたは温暖な地域……ニュー・メキシコの出身です。2020年1月の最も寒い時期にノルウェーに到着したそうですが、自信を失っている時には故郷や温暖な土地に行きたがる人が多い中、あえて寒い場所を選んだのはなぜだったのでしょうか?

Z:確かにここにいる多くの人から、なんで冬に来ることにしたんだと尋ねられたよ。ここじゃ1月上旬はほとんど真っ暗で、日中のせいぜい数時間に、青みがかった薄明かりが見れるくらいなんだ。これは僕のおかしなところだよ。小さい頃、ひどい不眠症があったんだ。まだたまにある。朝、日が昇ってくるまで全く眠れなかった。初めは、それはすごく恐ろしい、孤独な経験で、本当に苦しかったよ。だんだん歳を重ねていって、最終的に自分のための場所を持つようになると、夜っていうのは僕の友達なんだと思うようになった。一晩中音楽を聴いて楽器を演奏して、昼間は学校に行くふりをして、でも実は親にバレないように近くの公園に行って寝ていた。だから、僕が育ったのは世界で最も日差しの強い国の一つだったわけだけれど、でも僕はほとんど夜の生き物だった。最初のアルバム(『Gulag Orkestar』)はこのフレーズで始まるんだ。”彼らはそれを夜と呼んだ。彼らはそれを夜と呼ぶ。でもそれを僕は僕のものと呼んだ”ってね。

ニュー・メキシコに関するもう一つのよくある勘違いというのは、そこは本当に暑い場所なんだ、というものだ。僕の出身地であるサンタ・フェは、山の極めて高い場所にある(町の標高は7000フィートで、山は14000フィートくらいある)。冬、そこは深い雪が綺麗で、僕は山でスノーボードをしたり雪で遊んだりして育った。夏になると暑くもなるけど、でもニューヨークの方がはるかに暑いし、湿気のせいで1000倍不快だよ。僕は暑いのは本当に無理だ。それが僕が好んでノルウェー北部にいる理由の一つだね!

──ノルウェーの新聞《Bladet Vesterålen》に掲載されたあなたのインタヴュー記事を読みました。深い雪に覆われた家の中にピアノや機材が置かれていて、とてもロマンティックで暖かい、でも厳しい環境の中に身を置いていたんだな、と感慨深くなりました。ハッセルのホテルなど一時的に滞在するのではなく、家を借りて、2ヶ月ほど住むにあたって、そこに機材を持ち込んで楽曲を制作、録音することを最初から想定していたのでしょうか? また、ハッセルでの毎日の暮らしはどのような感じだったのか、詳しく教えてください。

Z:元々、たくさん音楽を作ろうということではなかったんだ。僕は自分が第一にリラックスを必要としていると思っていた。でも、家を探していたとき、このハッセルの小屋にはポンプ・オルガン、これは僕のお気に入りの楽器の一つだけど、があることがわかった。気がつくと、僕はレコード1枚分を作るのに十分なだけの機材を詰め込んでいたんだ。それは意識的に選び取られた選択ですらなくて、むしろ抗い得ない一つの衝動だった。色々な意味で思うことだけれど、僕は意識的に選択することを中断していて、そこに到着するまで、ある種の自動操縦状態に陥ってたんだろうね。そこでは大体、小屋近くの素晴らしい景色を見つくそうと思って日中の僅かな時間に外を歩き回って、それから暗くなると小屋に戻ってきて暖炉に火を灯して、作曲したりモジュラー・シンセサイザーで音を試してみたりして、大体そういう感じで過ごしていたよ。

予想外だったのはここにいてたくさんの人に出会えたことだよ(僕は今はノルウェーに戻ってきている)。結局、近所の人たちとか、それ以外には教会のオルガニストとその家族と友達になったんだ。そうやって僕は教会のオルガンを使えるようになったわけだよ。でも旅行が終わりに向かうにつれて、最初はぽつぽつとした個別の出来事として始まったのが、やがて一つの絶え間ない流れになっていって、近所の人たちみんなと集まったり、その人たちとディナーやお茶をしたり、音楽やハッセル……ノルウェー北部の歴史について話し合ったり、そういうふうになっていたんだ。それはすごく勉強になったし、僕はここにいる人たちは信じられないくらい地に足のついた、温かい人たちだと気づいたよ。彼らは本当に僕を助けてくれて、僕が魚やフィッシュ・ケーキが不足しないようにしてくれたんだ。

ハッセルでポンプ・オルガンを演奏するザック・コンドン

──傷心していたあなたがハッセルで過ごした2ヶ月ほどの間に、あなた自身はそうやって曲を作ること、作業をすることでセルフ・セラピーのようにまた自信を取り戻すことができたのですね。例えば先行曲「So Many Plans」はどのような流れで誕生したのでしょうか。

Z:音楽は僕の人生にとって最も重要なものだったし、今もそうだよ。僕は音楽の外に出たら本当にうまく機能しなくなるんだ、正直に言うとね。僕はこの天職を見つけられてよかったよ。10代の頃は音楽が僕を動かす唯一の支えだったし、それはこのアルバムでも変わらない。僕の人生は100回はバラバラに崩れ落ちた気がしているけど、でも音楽は働き続けてくれた。音楽を作っているときは他の全てを忘れることができるし、作曲中は自分が世界の中に居場所を持てている気がする。色々なことがあったけど、僕が人生で本当に望んでいたことっていうのは、そういうことができることなんだと思ったよ。

「So Many Plans」に対するリアクションは驚かされるよ。僕の音楽に関心を向ける人はいなくなってしまったんじゃないかと不安だったんだけど……。本当にそうだったとしても僕はやめたりしないだろうけど、あんなに多くの人がリアクションをしてくれたのは安心したし感動したね。それはまるで水面下で動いているもの、何か僕の意識していないもの、それが他の人にも共鳴していたように思えて、嬉しかった。

──あなたは近年はベルリンに暮らしているとのことですが、ハッセルで過ごした2ヶ月の間に世界はCOVID-19でロックダウンとなりました。ベルリンに戻ってからの作業の流れ、展開、完成まではどのような流れだったのですか。

Z:中国から来たこの病気については、僕もノルウェーにいたあの冬の頃、2020年の1月、2月には、いろいろ聞こえてきてはいたよ。近くのLofotenでは中国から多くの観光客が来てるということで心配している人はいたけど、僕としては大して気にしてなかった。3月の3日か4日にドイツに戻ったんだけど、ベルリンに降り立つや、街は本当に静かになっていった。何か奇妙なものが空気の中にあったよ。そこから一週間ほどして、ロックダウンが始まった。正直に言えば怖かった。でも最終的にはその平穏と、生活がシンプルかつすっきりしたものになっていく感覚をありがたく思うようになった。僕にとって、アルバムを完成させることはすごく理にかなったことだったよ。僕はベルリンの極東にあるビルの屋根裏部屋に、今のスタジオを構えることができた。夜通し、同じ楽器を何度も使って作業した。 主にバリトン・ウクレレ、ポンプ・オルガン、モジュラー・シンセサイザー、そしてフレンチ・ホルン。作業は年内に終わらせることができた。しかし、僕が気づいたのは、何千枚ものアルバムがリリースされているということだった。普通ならツアーで忙しいミュージシャンがみんな、スタジオで音楽を作るのに時間を費やしていたんだ。僕はアルバムのリリースを一旦待つことに決めて、一年かそれくらいアルバムを完璧にミックスすることに努めたんだけど、でもそれは困難で厄介な仕事だった。僕はトランス状態みたいになりながらアルバムを作ったから、それは信じられないくらい濃密ではあったんだけど、ずさんでもあったんだ。それをきれいに整えて、意味を持たせるのには時間がかかったよ。

──レーベル・コピーによると、アルバムにはあなた以外のミュージシャンやバンド・メンバーが全く参加していません。ロックダウンという状況がそうさせたのかもしれませんが、結果としてあなたの原点であるDIY的なスタンスに立ち返ることになったようにも思えます。こうした原点回帰的な作りになったことは、今のあなたにどのようなプラスをもたらしたと思いますか。

Z:ノルウェーでレコーディングを始めたとき、僕はちょうどツアー・バンドを無期限で終了させる、という残酷な経験をしたばかりだった。僕のプロジェクトに多くの時間と労力を費やしてくれたミュージシャンたちを、大した成果もなしに故郷に送り返すのは最悪だったよ。ちょっとしたトラウマにもなったし、みんなを失望させてしまったように思えた。こういうことが起こるのは初めてじゃなかったからファンをみんな失望させてしまったようにも感じた。僕は本当に次のレコーディングはただ自分だけのためにやりたかったし、そして自分だけで、他の誰も関わらないようなかたちでやりたかった。あるとしてもただ、多分ドラマーはニック・ペトリーにパーカッションのパートをやってもらうかな、とかそういう計画しかなかった。でも、そう、ロックダウンのせいでそれすらも不可能になった。僕はそれをお告げとして受け取ったよ、完全にソロ・プロジェクトとしてやるべきだ、というね。

ここ何年も、慣れない楽器を演奏するために周りのバンドを頼ることが増え始めていたし、よく知らない機材を扱ってくれるプロデューサーを雇ったりもし始めていた。僕は自分の本当の実力を最大限理解するために、自分を試す時が来たんだと思ったよ。

──今作にもユニークな楽器が多く使われています。さきほど名前を出してくれたクラシカルなポンプ・オルガン、バルトン・ウクレレといった普段我々がなかなか見る機会のない楽器から、お馴染みのフレンチ・ホルン、あるいはドラム・マシン、テープ・マシン、モジュラー・シンセサイザーなどなど……電子楽器もヴィンテージなものが多く使用されたようですね。これらの楽器類を一人でこなすことで、改めてどのような発見がありましたか。

Z:僕はこれまでずっと、古いアナログのシンセサイザーに魅力を感じてきた。ほとんどの人がそれには固有の精神と音が宿っていると言うだろうし、僕もそう思う。僕は全てのデジタルなものを拒絶する完全な原理主義者ではないんだけど、でも全てがデジタルな音の中では、失われてしまうものが多くある、とは僕は思うよ。僕たちはアコースティックの楽器が持っている音色や独特の感じをデジタルで再現することはできないし、そんなことをする理由もない。

モジュラー・シンセサイザーには、結局のところ二つの目的に役立つ。一つはパーカッションとしての役割だ。僕は60年代、70年代のアナログのドラム・マシンが大好きで、だからよくそれを使って曲を作っているんだ。ドラムとピアノを同時に演奏することはできないわけだからね、たとえば。それで僕は結局モジュラー・シンセを使うようになって、それによってアナログ・ドラム的な独特の音を作り出すようになって、そして音作りに没頭するようになった。そうすれば自分がドラム・マシンだけでは行けない場所に行けることがわかったし、もっと自由に新しい感覚を生み出せるようになった。

二つ目はコード進行に密な音の壁を作ることだね。「Stokmarknes」みたいな曲では、シンセのコードに含まれているすべてのヴォイスに、それぞれ個別の[1]ディチューニングを施すのに何時間も費やしたよ。そうすることで、演奏中の全てのボイスが、それぞれ他のヴォイスとは違うタイミングで音程が揺れ動くから、通常のキーボードでは得られない、うねるような予測不可能なサウンドと密度を生み出すことができたんだ。 この作業を経て、僕は本当に音と音作りを身近なものにできたよ。


[1]音程を微調整して、意図的に調律をずらすこと


──歌詞については、あなたが自信を失っていた時の思いが多く綴られています。タイトル・トラック「Hadsel」では、あなたが今ここから逃げ出そうとしている思い、最愛の人の胸の中に逃げ込みたい思いなどが美しく描かれていますが、「oar」と「horn」の韻を踏むなど、リリックとしての完成度は素晴らしく高く、しかもとても洒脱な表現になっていて魅力的です。ただ、感情に任せて言葉を羅列するのではなく、「oar」や「horn」などノルウェーらしい情景が浮かぶようなワードを用いるセンスには脱帽しますが、今作においてリリックを書くことに何か変化はあったと感じますか?

 

Z:僕は歌詞を書くのはいつも嫌なんだ。それはアレンジやコード進行やメロディーの自由さ、楽しさに比べれば、歯を抜くようなものに感じられるよ。このアルバムでは、僕は自分に何の制約もルールも課さなかった。歌詞はその場で即興で作って、そのままにしておいたのが多かった。問題が起きてそれをどうにかしようとヴォーカルをやり直すと、いつも結局インスピレーションに欠ける部分が出てきて、曲が台無しになってしまうんだ。このアルバムには何のフィルターも設けていなくて、僕が録音ボタンを押した瞬間に浮かんだイメージそのままなんだ。やったとして微調整くらいで、あとはそこにあるがままを受け入れるように自分に言い聞かせた。その時は、とにかく内面のいろいろと格闘していたから、それでなんとか少しだけでもそれを流暢に伝えられる方法を学び取ったんだと思うね。その地域から得たイメージはその時も頭の片隅にはあったよ。

歌詞は何があっても最初に浮かんだそのままが曲に残っているんだ。例えば「The Tern」は、アルバムが完成してやっと歌詞を書き出してみたら、ほとんど狂気じゃないかと僕は気づいた。絶えざる反復、そしてほんの少しの変化だけで自分を貶めていく。これは閉ざされたドアの向こうで起きている思考のプロセスをよく表現したものなんじゃないかと思うよ。

──とはいえ、逃げ出したい思いが綴られつつも、アルバムを聴き進めていくうちに、徐々にそれが氷解していっているのではないか? と思えるようにもなります。最後の曲「Regulatory」の最後、「the old lies are born again / the old life is born again…」という一文には、ほんの少し希望を感じることもできます。実際に今作を作りながら、そして、作り終えてみて、「もう大丈夫だ」というような手応えを掴むことはできましたか。

Z:正確ではないよ。もう少し複雑なのかもしれない。僕は問題やハンディキャップを抱えていて、それが僕の人生を必要以上に複雑なものにしている。僕には家族がいて、その家族全員がある程度深刻な精神的な問題に苦しんでいるんだ。物事は混沌としているだろうけど、僕はそれを受け入れられるし、前に進んでいける。“The old lies”というのは希望を持って進んでいくための妄想そのものでもあり、そして裏目が出た時には僕を苦しめるものでもある。

──あなたは今作におけるノルウェー滞在に限らず、前作『Gallipoli』ではニューヨーク、ベルリン、南イタリアなど様々な土地を訪ね歩いた末に完成させるなど、いわば放浪詩人のようなミュージシャンです。土地土地を訪ねながら音楽制作をしていくことは、あなたにとってどのような意味を持つのでしょうか?

Z:僕は畏怖や不思議の感覚に触れる機会を探す必要があるんだ。僕の心は新しいものを探し求めるところがちょっとあって、そしてそれは大きな欠点を持っている。物事にすぐに退屈して気分が沈んでしまうし、そしてコンスタントに面白いものを入れ続けないと生き返ってこられない。それは健康的なあり方ではないし、もっとシンプルな欲望を持っていればと思うこともあるんだけど、でもそれはそういうものなんだ。僕はいつも強い好奇心で、何かより深いものを目覚めさせてくれるものを探しているんだ。

──キャリアを重ねるごとに、人間は落ち着いて「終の住処」を求める傾向にあります。今後、一つの場所に帰着することは考えられますか? それともこれからまだまだどうなるか自分でもわからなかったりしますか?

Z:ベルリンは僕の中では実は、どちらかというと短期間にするつもりだったんだ。実を言うと僕はベルリンに多くの人々が行き交っているということが嫌いで……というのもそれは地域の人々にとって有害だと思うんだよ。そういう通り過ぎていく人たちは、その場所の持っている素晴らしい歴史と文化に対して全然リスペクトを払っていないことが多いし、興味があることといえばクラブで遊ぶことと、自分たちは国外居住者なんだと考えることぐらいしかないように思える。僕は今、ベルリンに7年住んで、言語的なスキルは基本的には身につけたよ。もしもその観光客と国外居住者から持ち込まれ続ける文化がないんだったら、もっと長くそこにいたいと思ったかもしれない。でも、大きめの計画というと、本当に大して考えてはいないんだ。今僕はノルウェー北部に移住しつつあって、そこで平穏を見つけることができたらとは思う。でも自分の過去を振り返ってみると、その平穏が維持できたらラッキーだろうなと思うよ。でも大きな都市から出るのはいいことだと思うね。僕が思うに、大きな都市にはここ最近ある種の狂気があって、そこには自己中心的な価値観が根付いていて、そして凡庸で一過性のものを神格化してしまう、そういう種類の狂気がある。

──尤も、決して「根なし草」ではなく、あなたの音楽家としての柱はあなたの作品にあると感じます。世界中あちこちを訪ねて行っても、絶対になくなることはないあなたの「ルーツ」とは、どういうものだと言えますか? 音楽家としての面、人間としての面、それぞれでおしえてください。

Z:音楽そのものがそのルーツなんだと、ある程度は思うよ。そうでなければ迷子になってしまう! 僕はいつも開かれていようとはしているし、訪れてきた場所のそれぞれの歴史と伝統にはリスペクトを払おうとしている。ここ最近、世界を旅行している多くの人たちっていうのは、旅行に行くことによって、その経験をある種のバッジか何かみたいに袖につけてひけらかそうとしているふうにしか思えないんだ。僕はそんなことを成し遂げたとして大したことだとは思わないし、それは大量の観光によって場所を疲弊させる傾向にあるように思う。でもそう……僕は「根なし草」だろうね、本当に、僕の唯一堅牢な「レーゾンデートル」(存在理由)の外ではね。


<了>

Text By Shino Okamura

Translation By Keigo Tsukahara


Beirut

『Hadsel』

LABEL : Pompei / Inpartmaint
RELEASE DATE : 2023.11.10
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Tower Records / HMV / Amazon/ Apple Music


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