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《Now Our Minds Are in LA #7》
「昔のポップ・ミュージックの方が高潔だったと言われがちだけど現代のポップ・ミュージックには別の芸術性があるというだけだ」
2020年最高のポップ・アマルガム=ハロー・フォーエヴァー登場!!

25 September 2020 | By Now Our Minds are in LA / Shino Okamura

2020年最大のハッピー・サプライズであり、最高のポップ・アマルガム! LA郊外で結成され、今や共同体のようにメンバーや仲間が一つの家で暮らすこのハロー・フォーエヴァーというバンドに出会った時、即座にそんな興奮気分に包まれた。今もその思いに一切の迷いはない。今年一番のニューカマーだと感じている。

だが一方で、こんな連中がこの世知辛い音楽産業の中で、あるいは立ち位置や方向性の分断が進む中で、果たしてやっていけるのだろうか? 時代からの乖離という隙間に落っこってしまわないだろうか? といった危惧もないわけではなかった。ビートルズ、ビーチ・ボーイズはもちろんのこと、ラヴ、ヴァン・ダイク・パークス、ニルソン、ゾンビーズとコリン・ブランストーン、トッド・ラングレン、XTC、オリヴィア・トレマー・コントロール、ニュートラル・ミルク・ホテル、デヴェンドラ・バンハート、アリエル・ピンク、アニマル・コレクティヴ、フリート・フォクシーズ、マック・デマルコ、フォクシジェン……ハロー・フォーエヴァーの音楽の背後に伺える先輩たちの姿は枚挙にいとまがない。だが、それらがチラつけばチラつくほど、「ひねくれポップ」などというテキトーな言い方で愛でられて終わりになりはしないか、現代に背を向けて逆行する非現実的なバンドとして面白がられるだけになりはしないか……そんな思いが頭をもたげてしまったのも事実だった。

けれど、最初自主制作で発表され、あの《Rough Trade》から正式にワールドワイドでリリースされることになったファースト・アルバム『Whatever It Is』を繰り返し聴く中で確信した。このバンドは時代を逆行するどころか、時代を俯瞰しながら現代に対峙する強烈な批評性に根ざしている。清白で邪気のないポップ・アルバムには違いないが、カウンター・カルチャーのスタンスから、ポップ・カルチャーであることの意味、そこへの挑戦を仕掛けようとしているバンドであることもうっすらと伺える。近年のヒップホップやR&Bの作品の音作りへの踏み込みやアプローチが感じられる曲も少なくない。

先月、彼らが暮らすLA郊外はトパンガの自宅から中継されたインスタライヴは、数々のカヴァー曲まで次々に披露したりして確かに気のおけない雰囲気に包まれたホームパーティー感があった。だが、そうしたコミュニティとしての音楽の楽しさを追求する傍ら、彼らはしたたかにポップ・ミュージックが築いてきた歴史の表裏、功罪を理解した上で自分たちの道を進もうとしている。それは果たして趣味人などとは程遠いものだ。リーダーでソングライター、ヴォーカリストのサム・ジョセフに話を聞いた。
(インタビュー・文/岡村詩野)

Interview with Sam Joseph

——カリフォルニアのトパンガが拠点で、今もみんな同じ家に暮らしているそうですね。いつ、どのような経緯で結成されたのでしょうか? 

Sam Joseph(以下、S):ああ、バンドのみんなとは、学校が同じだったり、ライヴで知り合ったり……LA界隈で仲間になんったんだ。エコー・パークやダウンタウンLAなど、主にロサンゼルスの東側だね。サンタクルーズの瞑想コミュニティで出会ったメンバーも1人いるよ。だから色々な所から集まっている。当時、僕とドラマーのアンディーは音楽をたくさん作っていて、既にファースト『Whatever It Is』の制作が始まっていた。そこから全ての要素が集まったという感じなんだ。まるで奇跡みたいにね。バンドメンバーのみんなが一度に色々な所から来てくれたんだ。

 

――写真を見ると7人組のようですが、アルバムの曲ごとのクレジットを見ると、2人で録音したものもあれば6人のものもある…といった具合にメンバー構成にかなり流動があるようにも思えます。あなた以外の現在の正式メンバーの名前とその楽器パートを教えてください。

S:アンディー・ヒメネズはドラムを演奏していて、サミュエル・ジョセフ……つまり僕がギターを弾いて、歌っている。リーナ・ケイも歌ってギターを弾いている。ジョーイ・ブリッグズがベース、モリー・ピーズはシンガーの1人。アナンド・ダーシーもシンガーの1人。ウチは歌い手がいっぱいいるんだ(笑)。ジャロン・クレスピーはキーボードやピアノやギターを演奏して歌っている。流動性に関しては、ライブの時はこのメンバーでやるけれど、アルバムに参加しているのは、このメンバー全員と、他の友人たちもいて、僕たちの音楽の一部を成す人たちや、ビデオグラファーやカメラマン、デザイナーなどプロジェクト全体の一部を成す人たちとで、より大きな集団になる。だから形式としてはとてもオープンな感じなんだ。『Whatever It Is』の以降の新曲もいくつかできていて、それにはライヴのメンバー全員が参加しているし、今、手掛けている新作はさらにコラボラティヴでメンバーのラインナップがさらに完全なものになっているよ。ライヴでは参加していなかった人の多くが新作で参加しているよ。チェロやトロンボーンといったオーケストラの楽器を演奏する人などがね。

――トパンガはLAの西側に位置する、自然が豊かな場所として知られていて、トパンガ・キャニオンや州立公園が有名ですよね。そうした環境に活動の拠点を置いていることが、あなたがたの音楽性にどのような影響を与えていると思いますか?

S:それは個人的にはとても重要なことだと感じているよ。メンバーの多くがこの家に一緒に住んでいるしね。まあ、モリーは結婚していて、結婚生活を大切にしたいからバンドとは一緒に住まないで別のところに住んでいるけれど。みんな、グループのみんなの近くにいたいと思ってここにやってきた。それ以前、僕はロサンゼルスのかなり離れた郊外の田舎町に住んでいた。今と似た環境で、僕はそういう穏やかな、シンプルな空間に慣れてしまっていた。そういう環境だと、気を紛らわすものがなくて僕たちは明確になれると思うんだ。例えば街の騒音や密度と言った、自分の背景にある、抑え込んでしまっているような、小さな事でさえ僕にとっては厄介に感じることもあるから。だからトパンガにいるということは、そういう意味でちょうど良い環境だと思っている。それに近くに近隣住民がいないから、僕たちが音楽をどんなにうるさく演奏しても、どんなに夜遅くまで演奏しても、毎晩でも、毎日でも、演奏しても構わないんだ。それはとても恵まれていることだと思う。この場所が特別なもう1つの理由は、(窓の後ろを指して)今は雲に隠れて見えないけれど、ロサンゼルスの近くにサンタカタリナ島という島がある。僕が子供の頃、そこのサマーキャンプに行っていたんだ。僕が初めて作曲した曲もそこで作った。初めてギターを弾いた場所もそこなんだ。僕たちのスタジオから、僕がキャンプに行っていたその場所、それらのことが起こった場所が見える。だから今回のアルバムを作っている時も、その島のその場所を見て、あそこが僕のスタート地点だったなと思いを馳せることができた。とても抽象的な話だけど、僕にとっては深い意味を持つことなんだ。

――あなたは生まれもLAなのですか?

S:そう、生まれも育ちも。LA以外の場所に移った時も何度かあったけれど、人生の大半をLAで過ごしてきたよ。僕とアンディーは幼馴染で、僕の母は、アンディーが通っていた、サウスベイにあるビーチ沿いの学校の副校長だったんだ。音楽を始めたのはかなり小さい頃で、僕を音楽に触れさせてくれた家族にはとても感謝しているよ。僕の母親は、昔、熱狂的なビートルズのファンでね。ビートルズの初期の60年代くらいの7インチをよく聴いていて、ビートルズが《エド・サリバン・ショー》に出演した時も母親は実際に観に行ってたらしいよ。彼女はニューヨークに住んでいて、当時12歳だった。クレイジーな話なんだけど、《エド・サリバン・ショー》のチケットを買ったと思って収録の列に並んだら、そのチケットが偽物だったらしくてね。そこで僕の祖父が警察官を装って、彼女をこっそりとステージに入れてあげたんだってさ。だから彼女はビートルズが初めて「Yesterday」をライヴで披露したところを観ることができたってわけ。その時の《エド・サリバン・ショー》の録画を見れば、観客に彼女が映っているよ(笑)。そういう母親の元、僕はサウスベイで育った。サウスベイはビーチ・ボーイズの出身地でもあるんだ。僕の家は、ウィルソン兄弟が幼少時代に住んでいた家の近くにあったし、僕が通っていた学校もウィルソン兄弟と同じ学校だった。僕はビーチ・ボーイズの音楽に直接的な影響を受けているし、それに加えて、同じような環境で育ったという影響もあると思う。こういう環境で育ったことから、似たような感じの創造性が生まれるんだと思うよ。

――楽器を手にしたのも早かったのですか?

S:ああ、楽器に関しては、今までに色々な楽器を演奏してきたよ。オーケストラやマーチングバンドではチューバを演奏していたし、オーケストラの演奏者だったということは僕たちのサウンドのアレンジ部分に影響として表れていると思う。それからサウスベイは、パンクやDIY音楽が根付いている地域でもあるんだ。ブラック・フラッグや《SST》のバンドの多くもサウスベイ出身。だから、この辺の若い人たちの間では気軽にバンドを組むというユース・カルチャーが自然に出来上がっていて、みんながそれをやっている。僕たちが今やっている音楽のスタイルとは全く違うスタイルだけど、友達と一緒に自分たちで音楽を作って、それを一つのライフスタイルとして自分たちを信じてやっていくというカルチャーの中で育ったということは大きな影響になっていると思う。サウスベイではそういうことをやっていた人が、僕の先代で本当にたくさんいたから。その中の多くは僕と同じ高校に通っていた。僕たちよりもずっと前にという意味だけどね。

 

――では、バンド活動を始めたのも早かったと。

S:ところがヘンなもんで、僕はギターをずっと弾きたくて、それを最初に手にするべきだったと思うんだけど、両親はある種の音楽に対してはサポートしてくれたものの、僕が曲を作ったり、バンド活動をすることにはあまりいい顔をしなかったんだ。だからなかなかギターを弾かせてもらえなかった。最初はレコーダーみたいなもので少し遊んだりしていたけれど、ちゃんと弾いた楽器で初めてのものはピアノだったね。それにヴォーカル。最初に買ったレコードは何だったかなあ。確かボーイズ・II・メンのアルバムだったと思う。それよりも前に持っていた記憶のあるレコードは、ビーチ・ボーイズのグレイテスト・ヒッツだった。CDが家にあって僕はよくそれを聴いていた。あともう1つ『Golden Oldies』みたいなタイトルのオールディーズのコンピレーションがあって、それからビートルズのレコードも全て家にあった。CDとヴァイナルの両方であったね。ええと……あと、質問は何だったっけ?(笑)

――(笑)では、最初に観たライヴは覚えていますか?

S:ああ! 初めて行ったのは、ウィアード・アル・ヤンコビックのライヴだよ(笑)。12歳の時だった。それが初めてのライヴと言っていいのか分からないけれど、彼のパフォーマンスは最高だよ。ただ、まあ、それはカウントしないで初めて自主的に行ったライヴとなると、地元のバンド、アクアバッツのライヴだったね。激情型のスカバンドで、クレイジーな衣装を着て、寸劇をやったりしていた。カリフォルニア南部のローカル・バンドだよ。彼らのライヴというよりも、その空間にあったコミュニティーの感じに僕は魅了された。お互いが一緒にいることだけで幸せを感じている人たちの集まりというものは僕にとって新鮮だった。共通の趣味があってそれに情熱を感じている人たちの集まり。アクアバッツのライヴからはその感覚が面白いってことを知ったね。他人とこういう風につながることができるんだ、と思ってそれが僕にとっては衝撃的だった。ティーンエイジャーの頃は疎外感を感じる時もあるから。だからその体験は大きかった。それ以来、僕はできる限り多くのライヴに行くようにして、できる限り多くのライヴで演奏するようにした。そのシーンを自分でも育むようにした。コミュニティーという感覚は、ハロー・フォーエヴァーの大きな一面でもあるんだ。バンドも観客も全ての人が繋がっているんだという感覚だね。まあ、そんなわけで、僕とアンディーは色々なバンドを組んでは抜けたりしていてね。『Whatever It Is』は僕が初めて作ってリリースしようとしたアルバムだなんだけど、それまでは紆余曲折があったってわけ。僕は少し完璧主義者なところがあるのかもしれなくて、今までに録音はしてきたんだけど、なかなか完成できないというところがあったんだ。だからこれが本当に一番最初のアルバムなんだよ。子供の頃も真剣に音楽を作っていたんだけど、最終的に形としてまとまることはなかったね。

――その間に様々な音楽の洗礼を受けているとは思いますが、この『Whatever It Is』の成分となっているのはどのような音楽だと分析しますか?

S:ビートルズ、ビーチ・ボーイズはもちろんだけど、僕たちは色々な種類の音楽を聴いてきたんだ。ブラック・ミュージックやジャズもね……チェット・ベイカー、アレサ・フランクリン、スティーヴィー・ワンダー、モーズ・アリソン、ファラオ・サンダース……。アフリカや中南米の音楽だって聴いているよ。今のアメリカはBlack Lives Matterのムーヴメントがあるから、僕たちが今まで黒人のミュージシャン達からどれだけ学んできたかということを、特に認識しなければいけないと思う。アメリカの音楽全ては黒人ミュージシャン達の影響を受けてきていると思うからね。その伝統に感謝しなければいけないよ。黒人ミュージシャン達が生み出してきた独創的なスタイルがなければ、今のアメリカにある音楽は存在しないと思う。ビートルズやビーチ・ボーイズといった白人ミュージシャン達を通して生まれた音楽も、元々はブラック・ミュージックとして始まったものだから。あとは……ジョニ・ミッチェル、ジュディ・シルなども大好き。学校でも色々な音楽を学んだよ。カリフォルニア芸術大学の音楽プログラムを専攻していた人もバンドには何人かいて、色々な音楽のスタイルを学んでいた。僕はクラシックと北インドとガーナの音楽を学んでいた。ハロー・フォーエヴァーの音楽にはそういう影響も入り込んでいるよ。あとは……ああそうそう、フォー・フレッシュメンも好きだな。ビーチ・ボーイズを経由して知ったんだけど、ああいうヴォーカル・ミュージックや和声の音楽も好き……ああ、ものすごく長い答えになってしまったね!(笑) それから、僕は日本人のアーティストでトクマルシューゴの大ファンで、僕とアンディーが以前やっていた別のバンドの音楽は彼の音楽に強い影響を受けていたし、僕たちの最近の音楽にも彼の影響が少し表れていると思う。それからダーティー・プロジェクターズやアニマル・コレクティヴ、フリート・フォクシーズといったインディー・バンドにももちろん大きな影響を受けているし、彼らの音楽的な先輩筋にあたるオリヴィア・トレマー・コントロールも大好き。あのアセンズのシーン全体が良いよね。ニュートラル・ミルク・ホテルやオブ・モントリオールとかもあのシーン自体大好きだな。


9月16日に公開された新曲「I’m Feeling it」。予定されているセカンド・アルバムからの先行曲になる予定。


――バンドで曲を作っているのはあなた一人なのですか?

S:今は僕が曲を書いていることが多いね。でもバンド・メンバー同士でコラボレーションする頻度がどんどん多くなっていっている。僕が曲を書くのではなくて、曲が自然に自らを書くように仕向けている。多くの場合、作曲をしているのではなくて、僕は他のことをしていたり、ただギターを弾いているだけだったりする。言葉やメロディーがぼんやりと浮かんで、そうやって曲が始まる。メロディーが生まれたら、そのメロディーを追うようにコードを弾く。そして曲が行きたい方向に行かせるのさ。『Whatever It Is』では、僕のそういうプロセスとの関係性を自分自身が発見するという経験だった。自分が何をすべきかが分かって、とてもエキサイティングだった。その体験に喜びを感じたらから、このアルバムにはエキサイティングな感じがあるんだと思う。そのプロセスを祝福し、音楽を祝福していたから。最近できた新しいシングルは、もう少し感情面において多様な内容になっている。メロディーの聴き方が分かってからは、自分がどういう気持ちなのかを汲み取るということも分かってきたし、それを周りの人たちや彼らの置かれている状況に対する器のようなものとして機能させられるということが分かった。今、僕たちは数多くの文化的な傷を負いながら生きている。日常の些細なことにもね。新しく書いた曲も、シンプルな日常的な物事から始まるけれど、そこに含まれる深い感情を露わにしていっている。別れを告げる悲しい曲や、困難に直面している曲など。現在、僕たちは困難な状況にいるから。そういう内容の音楽が新曲には多いかな。あと、それから、今話していた好きな音楽だけど、僕たちは古い音楽も好きだけど、ヒップホップにも大きな影響を受けているんだ。僕はブロックハンプトンや、J・ディラ、スラム・ヴィレッジやドミニク・ファイクの大ファン。タイラー・ザ・クリエイターやチャイルディッシュ・ガンビーノも好き。僕たちの音楽にその影響は聴こえないかもしれないけれどね。あ、あともう一人大切な人を忘れていたよ。ヴァン・ダイク・パークス! 彼の講義に実際に参加する機会が何年か前にあってね、彼はその時、彼自身が手がけた60年代の音楽を演奏してくれたんだ。あれは最高だったな〜。

――そうした先達から精神的に得たもの、学んだものはどういう側面だったりしますか?

S:ファンとしてこれらのアーティストたちに感じるのは、畏敬の念だと思う。それはとても完全なもので、完結した世界観があるから、その美意識を経験したリスナーは、まるで自分自身でなくなったような感覚になる。音楽の感情やアレンジや、メロディーや歌詞や、その全てかもしれないけれど、そういう要素がとても強烈でリアルだからその世界観へと超越できる。音楽を通してそういう変換ができるというのはリスナーにとっての癒しとなる。それがたとえ傷ついているような空間へリスナーを連れて行ったとしても、喜びを感じられるような空間に連れて行ったとしてもね。どんな音楽にも、そういう「うわー」と感じられて、その音楽の中に即座に存在できるということがすごいと思うんだ。僕は限られたパレットの中で育ってきた。オールディーズやオーケストラ音楽の認識はあったけれど、僕たちはサウスベイで育ち、とてもシンプルな音楽を演奏するカルチャーに育まれてきた。シンプルということはそれはそれで最高なんだけれど、今、挙げられたアーティストたちを聴くことで、より多様なスタイルの音楽に触れ、より多様な器楽編成法やメロディーやコード変更などを知ることによって、僕は貴重な体験をした。僕はそれに気づくのが比較的遅かったと思う。その体験には感謝しているし、僕の世界を広げてくれたインターネットにも感謝している。僕に歴史や偉人たちを教えてくれて、他に素晴らしいアーティストがたくさんいることが分かる事で自分を謙虚にしてくれる。そういうことは僕たちバンドの旅路にとってとても大切なことだと思うよ。

――あなた方の作品は、確かに今名前が出たような多くのアーティストの要素……というより、それらのアーティストたちに出会った自分たちの躍動と情熱がそのまま表出されたような印象もあります。

S:そう、だからって曲作りやアレンジの面でそうした先輩たちを参考にはしないってことなんだ。考えるということをしないからね。それだけが唯一のルール。とにかく自然な流れに任せて、音楽に耳を傾ける。あと自由にしていないことと言ったら、今、僕たちが作っているアルバムの音の部分だね。そこに関しては、音を客観的に捉えて扱っていこうと思っている。僕たちは大好きなプロデューサーのダニー・ホラと作業しているんだけど、ダニーもバンドの一部みたいな感じだよ。ファースト・アルバムの音はあまり意図的に作ってこなかったけれど、次の作品は音の部分をもっと探求したいと思っている。でもソングライティングやアレンジの部分に関しては完全に直感的にやっているよ。他の音楽と比較したりすると、僕にとってはやりにくくなってしまうからね。僕たちは、他のアートに囲まれている、土に生えている花のようなものだ。僕たちの音楽は僕たちを通して自然に生まれてくるもんだからね。

――ハロー・フォーエヴァーの音楽は、サウンド面をなぞって継承しているものではなく、ポップ・カルチャーに対する明確な思想・哲学そのものを継承しているように感じます。想像を飛躍させたり、時間軸を捻ったりすることで聴き手をタイムレス、エリアレスに誘うような……。そんなあなたがカウンターの位置からポップ・カルチャー、ポップ・ミュージックに惹かれる理由、創作するのはそもそもなぜなのでしょうか? 

S:いい質問だね。僕たちはこの惑星にこのタイミングで存在している。僕たちのバンドが、周りに何もないような辺鄙な場所で生活しているように、みんな、それぞれのやり方があるだろう? それと同時に僕たちはこの瞬間というものを受け継いで、同じ瞬間を一緒に生きている。カウンター・カルチャーの音楽シーンを出身とする僕が、ポップ・カルチャーを受け入れるのは少し難しいことだった。でもポップ・カルチャーは僕たちの身の回りに存在し、誰もが体験することだ。僕たちが崇めるポップ・ミュージックを作るには、実際のところ、かなり高いレベルの芸術性が要求されているんだ。そのレベルに達することができるようにと僕たちも頑張っている。さっきは挙げなかったけれど、ビヨンセやテイラー・スイフトなどのメジャーなアーティストのような音楽を作るには、他の人たちが共感できるような意識や感性が必要になってくる。昔のポップ・ミュージックの方が高潔だったと言われがちだけど、現代のポップ・ミュージックには別の芸術性があるというだけだと思う。サウンドも大事だけど、カルチャーというものも大部分を占めている。現代のポップアイコンには明確なキャラクターがあって、そのアイデンティティを音楽を通して伝えている。チャイルディッシュ・ガンビーノなど最近のヒップホップ・アーティストたちはそれをとても上手にやっていると思う。タイラー・ザ・クリエイターもそういう意味で僕は特に好きだね。音楽に自分のイメージやアイデンティティを織り込んでいる。それはアンディ・ウォーホルがやっていたことに似ているよ。ポップ・カルチャーとは関係ないストーリーを音楽に組み込むことももちろん可能だ。だからアイデンティティを構築することが必ずしもポップ・ミュージックの一部だとは言わないけれど、僕はポップ・ミュージックのその一面には興味があるね。

――では、感覚ではなくスタンスとしてポップ・ミュージックから学べるのはどういうところだと考えますか?

S:シンプルな言葉で作曲するという感性だと思う。僕らの新しいシングルからはその感性が感じられると思う。僕たちはさらにそっちの方向へと進んだから。シンプルな言葉に、大きな感情、大まかな感じ。それからアレンジメントに関してもポップ・ミュージックやポップの歴史から影響を受けているね。各セクションを少しずつ変えたり、自由な器楽編成法といった現代ポップの手法はもっと評価されても良いと思う。最近はサンプリングやソフトウェアを使ってはいるけれど、まだアレンジにはとても凝っていてとても複雑なものばかりだし、各曲専用に考えられて作られている。僕たちはバンドだからある一定の器楽編成法を用いるけど、アルバム制作のアプローチとしては、オーケストレーションを重要視しているし、それはポップミュージックの一面と言えると思う。それはある意味、ジャズの一面でもあるんだけどね。

――さきほどから何度もビーチ・ボーイズの名前が出ましたが、彼らにシンパシーを感じる一面には、ウエストコースト・ポップ・ミュージックの歴史に対する認識も含まれているのではないかと感じます。西海岸の音楽の歴史の中に今度はハロー・フォーエヴァーもいるという事実をどう意識していますか? 一定のリスペクトはもとより、反面教師的な自覚もありますか?

S:それは難しい質問だね。僕は確かにアメリカ西海岸のポップ音楽や、アメリカ西海岸のパンク音楽、それにチェット・ベイカーなどアメリカ西海岸のジャズ音楽を継承してきてはいるけど、反面教師という部分もたくさんあるんだ。それは西洋の歴史全般について言えると思う(笑)。芸術作品という点に関してウエストコーストのポップ・アーティストたちの音楽は素晴らしかった。ただ様々な理由から彼らは問題ある人たちでもあった。僕はそういう人にはなりたくない。そこに関連づけられたくはない。不平等や女性蔑視、人種差別は、ポップ・カルチャーやカルチャー全般、そして音楽業界の一部であり、それが現在も続いている。僕は自分の音楽を通してその部分は賛同したくないよ。自分が演奏する音楽について、どのような影響があり、何を象徴しているのかというのを意識して考えていかないといけないと思う。そうすることによって、音楽に付随している音楽以外のそういった問題的な要素や感覚をなくしていく手助けができれば良いと思う。でも僕はウエストコースト・ポップ・ミュージックに囲まれて育ったし、このサウンドが大好きなんだ。ただ、思うのは、現代において特権を持つ人たち全てにとっての大きな課題はそれだっていうこと。特権というものをどのように継承し、正しく使い、不当なことをなくしていけば良いのかということを考えなければいけないと思っているよ。


<了>


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Hello Forever

Whatever It Is

LABEL : Rough Trade / Beatink
RELEASE DATE : 2020.09.25


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Text By Now Our Minds are in LAShino Okamura

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