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映画『SAYONARA AMERICA』
〜豊かな空想が育んだ叫ばない音楽としてのアメリカ〜

15 November 2021 | By Shino Okamura

今、この文章に辿りついてくれた方で、1944年公開のアメリカ映画『脱出(To Have And Have Not)』を観たことがあるという人はどれだけいるだろうか。現在、配信などで結構簡単に視聴できるフィルム・ノアールの一つだが、ハンフリー・ボガートとローレン・バコールという後に夫婦になって多くの共演を重ねていく(1946年の『三つ数えろ』など)二人が出演したこの作品、ヘミングウェイの原作をもとにした直接的な物語の展開とは別に、ぜひともホテルのカフェのピアノ弾きの姿に注目していただきたい。ボガートの出演作といえば、同じようにカフェ(バー)のピアノ弾きが大きなカギを握っている『カサブランカ』が有名だが、鍵盤を叩きながら歌うピアノマンの存在感ではこの『脱出』の方に軍配をあげたくなる。というのも、ここでピアノ弾きを演じているのがホーギー・カーマイケルだからだ。

そして劇中、“クリケット”と名乗るピアノ弾きのカーマイケルが披露している曲の一つが「香港ブルース」。そう、細野晴臣が『泰安洋行』(1976年)でとりあげているカヴァーの一つで、もちろん作曲家、歌手、ピアニスト、そして晩年は俳優としても活躍したカーマイケルが1939年に最初に発表した曲だ。カーマイケルは生前何度かこの曲を吹き込んでいて、特に1945年、つまり『脱出』の公開の翌年に録音されたヴァージョンがよく知られている。自身のピアノはもちろん、バンジョーやヴァイオリンも一緒に録音したユーモラスなタッチが特徴的で、『脱出』でのシーンをそのまま再現したような演奏と言えるだろう。

細野晴臣はもはやすっかり身体に馴染んでいるであろうこの曲を、近年のライヴのセットリストにも積極的に加えているが、『泰安洋行』でのヴァージョン同様、カーマイケルのオリジナル(少なくとも1945年録音版)よりゆったりした、そして、一足先にとりあげていたマーティン・デニーによるカヴァー(1957年の『Exotica』収録)よりもヒューマンな風合いで演奏している。それは今年リリースされた、2019年のLA公演収録のライヴ・アルバム『あめりか / Hosono Haruomi Live in US 2019』でも堪能することができるし、何よりこのドキュメント映画『SAYONARA AMERICA』のハイライトの一つと断言できる。いや、「北京ダック」〜「香港ブルース」〜「SPORTS MEN」と続く中盤の一角こそは(実際のライヴでは「北京ダック」と「香港ブルース」の間にカルメン・ミランダやアンドリュー・シスターズなどで知られる「South American Way」を披露している)、アメリカの文化と(アメリカにとっての)異国の文化とのイマジネイティヴな交歓の上にこそ細野晴臣の存在があることを伝える、本作の最重要たる場面だと言っていい。

映画『SAYONARA AMERICA』は、ソロ初となるアメリカ公演──2019年5月28日、29日のニューヨークは《Gramercy Theater》での模様と、6月3日のロサンジェルスは《Mayan Theater》でのパフォーマンスから抜粋、まとめた細野の最新ドキュメンタリー。監督は同じ細野のデビュー50周年記念で制作された映画『NO SMOKING』(2019年)の佐渡岳利になる。現地の音楽メディアでも大きくとりあげられたこのツアーでは、お馴染みの高田漣、伊賀航、伊藤大地、野村卓史がバックを担当。NY公演にはショーン・レノンや本田ゆかがDJで出演、LA公演にはマック・デマルコがゲストとして登場した。このドキュメント映画はそのUSツアーでの演奏シーンを中心に、入場を待つ様々な世代のオーディエンスへのインタビュー、楽屋でのリラックスした様子(ヴァン・ダイク・パークスやジョン・セバスチャンも駆けつけている)、アメリカや日本でのオフショットなども交えて構成。さらには、このツアーからたった1年で世界がガラリと変わってしまったことを受け、コロナ禍以降の複雑な心境を若きバック・メンバーたちと語らうラジオ収録の場面なども加えられている。「僕も孤独だ。さよならアメリカ、さよならニッポン。こんなことが続くはずもないよな」。劇中挿入されたこうした細野自身のナレーションが胸に重く響く。「音楽は自由だ」「僕は自由が好き」……つまりはコロナ禍を挟んだ現在の細野の目線から捉えられているのが一つのポイントだ。

しかしながら、そこで考えるのは、果たして、USツアーの1年後にこうしてコロナで分断されてしまった状況が、こと創作においては“不自由”なのかどうか? である。無論、経済的にはダメージだらけだし、一般社会で働く人々はもちろんのこと、細野ら音楽家たちがツアーができない、ライヴができなくなってしまったことに対しても、ただただ慮る気持ちでしかない。だが、それでも思う。少なくとも細野の音楽は、そもそも情報がほとんどない、よくわからない、簡単にその場所に行けるわけでもない、ただ想像、空想するしかなかった戦後の時代を知っている彼だからこそ生まれたものではないのか? と。そういう細野の音楽だから、アメリカのオーディエンスたちも魅了されているのではないのか? とも。

終演後のインタビューで「僕の人生の中で一番“アメリカ”を感じた。まるでノーマン・ロックウェルの絵を見たよう」と話した、ある若者のコメントが実に的を射ている。“本場”のリアルなアメリカ音楽を知りたければ、何も細野晴臣を聴く必要はない。細野の作品で描かれるアメリカは、リアルな風景とはおそらく異なる、そして実際の歴史とも齟齬がある、空想のアメリカだ。間違いもあればズレもあるだろう。でも、それがいい。そこに細野の音楽の面白さがあることを私たちは、そしてライヴに足を運んだアメリカのリスナーたちもきっとよく知っている。本来はエレクトロニックに作られたはずがカントリー&ウエスタン調にアレンジされた「SPORTS MEN」。小粋で洒脱なこの曲でのアンサンブルに盛大な拍手喝采が送られる場面が、何より空想の産物たる細野の音楽への賞賛を物語る。

無論、細野自身はアメリカ音楽の歴史や手法をしっかり学んできたことだろう。けれど、学んだところでどうにもならないこと、現地のマナーに忠実になればいいというものではないということ、大衆音楽の醍醐味は本来そんな座学の上だけにあるものではないことをおそらく身をもって理解しているに違いない。劇中、細野は「GHQが様々なアメリカのカルチャーを日本に持ち込んだ。もちろん資本主義もね(笑)」とか(それに対して客席から「Sorry!!」と声が飛ぶシーンも)、「アメリカの古い音楽に感謝するためここに来ました」といった話を曲間にしている。もちろんそれは素直な気持ちなのだろうが、同時に、アメリカ(と欧州)でも東アジアや南米など“異国”の文化(音楽)への憧憬や想像から“豊かな誤解”が生まれ、その交歓の上に今の自分があると告げているようにも見えた。なぜホーギー・カーマイケルは“香港”をモチーフにした曲を作ったのか、なぜマーティン・デニーはエキゾチシズムという美学の元にその曲をとりあげたのか。細野による「香港ブルース」のカヴァーもまた、そんな学術的・歴史的な問いにスクエアな回答を用意することがいかに野暮であるかを伝えている。

この映画は、細野晴臣という音楽家のパフォーマンスを通じて描かれた“戦前〜戦後のアメリカ大衆文化へのリスペクト”たる側面を確かに持ってはいる。劇中にはベティ・ブープなどのアニメーションから、映画『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(1956年)の1シーン、日本に上陸したGHQの映像、そして、それこそホーギー・カーマイケルの演奏映像なども挿入。戦後“輸入”されたそれらアメリカの様々な文化に細野が多大な影響を受けたこと、ここで披露されているオリジナル曲やカヴァー曲がそこから生まれたことを表出させることによって、“古き良きアメリカ”に敬意を表する結果ともなっている。だが、この映画の(演奏の)舞台はアメリカであっても、細野の音楽の舞台はアメリカではない。空想のアメリカなる場所だ。ホーギー・カーマイケルが香港を思い描いて作った曲が、決してリアルな香港ではないように、そして、リアルではない香港の歌だからこそおもしろいと感じるように、細野の歌うアメリカも、わからないことだらけの想像の産物だから自由で洒落ている。

そもそもなぜ細野はボソボソと呟くように歌うのか。わからないことだらけだから静かに歌う……のかどうかはわからないが、細野の作品に通底しているその“叫ばない音楽”の真理は、口や喉や肺から思い切り声を出すより、想像力でメロディや言葉を奏でていくことに筋肉を使っているからではないか、と筆者は勝手に考えている。“さよならニッポン”を取り除いたこの映画『SAYONARA AMERICA』というタイトルからは、次またいつアメリカを訪問できるのかわからない、そんなやるせない思いも確かに窺うことができるだろう。だが、きっと大丈夫だ。想像と空想はどんな時代にも越境する。1972年、ヴァン・ダイク・パークスがスタジオに来てカリプソをやったりしたセッションから、はっぴいえんどの「さよならアメリカ さよならニッポン」が生まれたように。この映画を観た筆者は、今、そんなちょっとオプティミスティックな未来を感じている。

ところで、冒頭で触れた映画『脱出』の原題は、“To Have and Have Not”=「持つと持たぬと」。一見すると、持つ者(富める者)と持たぬ者(貧しき者)の関係性を描いてはいるが、実は「持つ」と思えた者が「持たぬ」者であったことやその逆転を表出させている。「持つ」を「物資的な豊かさ」と、「持たぬ」を「精神的な豊かさ」に置き換えてみるととても興味深い。ホーギー・カーマイケル演じるクリケットは劇中でそんな「持つと持たぬ」の関係を冷静に見届けているかのようだ。そんな『脱出』の主人公の名前は「“ハリー”・モーガン」。細野はそんな小さな偶然に気づいているだろうか。 (岡村詩野)

Text By Shino Okamura


『SAYONARA AMERICA』

2021年11月12日(金)シネスイッチ銀座、シネクイント、大阪ステーションシティシネマ他 全国順次公開

出演・音楽:細野晴臣
監督:佐渡岳利
プロデューサー:飯田雅裕
制作プロダクション:NHKエンタープライズ
企画:朝日新聞
配給:ギャガ
©2021 “HARUOMI HOSONO SAYONARA AMERICA” FILM PARTNERS ARTWORK TOWA TEI & TOMOO GOKITA

公式サイト

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