時代の空気を寡黙にキャッチしつつも、でもそこに決して添い寝はしないレーベル――それが英国随一の老舗インディーズ《4AD》
~その歴史的魅力を後追い世代の20代ライターが語る
1979年に設立されたイギリスのインディー・レーベルである4ADは、今年2019年で実に40周年の節目を迎える。初期こそバウハウス~ラブ・アンド・ロケッツ、コクトー・ツインズ、デッド・カン・ダンスといった退廃的でゴシック・テイストのアーティストが揃っていて、まるでその美学を強調するかのようにジャケットなどのアート・ワークも統一していたことは、特に古くからあのレーベルの動きを追いかけてきた音楽ファンには知られているところだ。だが、意外にもこのレーベルは、その時代その時代の空気に符号させていくような柔軟性も持ち合わせている。オルタナティヴ・ロック時代の到来を導いたピクシーズや、シューゲイザー~ドリーム・ポップの元祖的バンドの一つのペイル・セインツといったバンドを80年代から90年代にかけてリリースしてきた事実は、4ADの面目躍如といったところだった。
そんな4ADの現在を彩る3組――ディアハンター、ギャング・ギャング・ダンス、エクス:レイが、この1月に揃って来日しパフォーマンスを披露した。そこで、そのショウケース的イベントを参加したライターの高久大輝、加藤孔紀の2名に当日の様子を受けて、現在から見る4ADの魅力を語ってもらったのでお届けしたい。初期や90年代でさえ後追い世代の二人にとって4ADとはどのようなレーベルなのだろうか。
高久大輝×加藤孔紀
(司会、構成:岡村詩野 写真:古渓一道 / Kazumichi Kokei)
――まず、4ADのイベントに参加した感想から聞かせてください。
高久大輝:単純なところだと、ここまでギターの音の大きなライブに行ったのは久しぶりでした。全体の客層は大人っぽい方が多めで落ち着いたフロアだったと思います。中でもギャング・ギャング・ダンス(GGD)を見ているとき感じたのは、ビートによって得る快楽以上にギターやヴォーカルなどの上物に強くエフェクトを掛けたものを爆音で聴いていることによって得られるトリップ感が強いなという印象でした。もちろん太鼓もたくさん散りばめられていたのですが、その後のディアハンターを見てよりそう感じました。
加藤孔紀:ディアハンター、爆音がもたらす快楽久しぶり~! って感じで楽しかったです……なんだけど、実は僕はビートに快楽を感じていた部分も多くて。エクス:レイ、GGD、もしかしたらディアハンターもビートによる楽しさをかなり感じていたんではなかろうかと思っています。エクス:レイはアンビエント、GGDはエキゾチックやハウスおよびエレクトロ、ディアハンターはロックと踊れる要素はバラバラなんですが気付いたら割と体を揺らしていて。なんでかな…と考えてみたんですけど、それってやっぱり近年クラブ・シーンがジャンルで縛りすぎないものが面白いと感じて、そういう場所に自分自身が行っていることもあるなと。昨年末の渋谷《WWW》のイベントに行松陽介さんとHowiee Leeが同じイベントに出ているとかも、そういった例になるのかなと感じてました。
高久:確かにどのステージもドラミングがパワフルでしたね。あと、アンコールというか、最後にみんなが集まってきて即興でプレイするなどレーベルでのショウケースならではのものも見られて満足感も大きかったです。
加藤:あれ、本当に即興な感じが伝わってきて面白かったですね。上音とドラム(パーカッション)が目立っていてベースの存在感は少し物足りなかったかなって思ったので、たぶん打ち合わせとかなかったんでしょうね。そういうところは却って良かったです。
高久:自分のように普段ヒップホップのイベントに足を運ぶ機会の多いリスナーが、今回のイベントにきていたかは微妙なところですけど、ただ、ジャンルを飛び越えて音楽に触れるとても有意義な機会だったんじゃないかと思います。サブスクで様々な音楽をすぐに聴ける環境になったことがこういう時に生きるのかなと。
Gang Gang Dance
Ex:Re
――一つには音からの快楽を実感した、ということ。もう一つはその快楽というのは、種々雑多な状況の中から、つまりある種のカオス、雑種性みたいな感覚がもたらすものではないか、ということですね。4ADは80年代~90年代にかけて、バウハウス、コクトー・ツインズ、ピクシーズなどレーベルを代表するようなアーティスト、バンドを商業的にも成功させてきたUKのインディーズです。その特徴として、一定の美学……欧州的退廃やデカダンスをコンセプトとしたような、一種のアート性高い音楽を提供してきたと思います。そうしたレーベルのこれまでの歴史はどういうところに受け継がれていると感じましたか?
加藤:これまでの4AD作品のアートワークを見返してみたんですが、アーティストによって違いはあるものの退廃的な雰囲気を受け継いでいる部分があると思います。初期80年代当時からどのアートワークも統一された美学のようなものを伝えていたと思うんですけど、今もそれは感じさせますよね。
高久:自分の中での4ADのこれまでのイメージの代表はピクシーズで。廃退的なギター・ロックという。そして今の4ADのアーティストをみるとSOHNなどはロックの枠組みの中にはいない。でも、ダークな雰囲気は持ち合わせている。今の4ADは過去のコンセプトに明確というイメージよりは緩やかに繋がりを持ちながらも制限されていない印象です。
――退廃的でダークネスを纏っているという点で共通点があるのでは? と。では、現在所属のアーティストで例をあげてみると、そのダークネスというのはどういう部分を抽出、象徴していると感じますか? 対社会? 対自己?……それこそ今回来日した3アクトがそれぞれ持つ、その闇の部分が向けられているのはどこだと思いますか?
加藤:80年代ってR&B系のブラック・ミュージック・アーティストが商業的成功を納めて大スターになるパターンがわかりやすく顕在化した時代だと思うんです。
――それはマイケル・ジャクソンを筆頭に、という意味ですか?
加藤:そうです。もちろんマイケルが人気を獲得していく過程でそういうことは必然的に行われていたと思っています。でも、その後、ニルヴァーナが出てきたあたりからそのマイケルなどのR&B系スーパースターへのカウンターのような図式になりましたよね。でも、そうやってヒーローの席をとってかわったグランジが盛り上がった背景には、今度はピクシーズのようなバンドの存在があったと思うんです。
――メジャーの価値観に対するカウンター、そこから新たな時代を作る系譜という存在意義がピクシーズにあったということですね。
加藤:80年代当時はマジョリティを武器とするアーティストが顔を全面に出して一線で活躍していた。でも、4AD勢は明らかにそうしたマジョリティと同じ表現をしないという美学があった。そうしたスタンスがアイデンティティとなり、90年代にはその美学をよりカウンター目線で表現するグランジ勢が頂点になっていったわけですけど、でも、そうしたスタンスはしっかりと闇の表現をしていたと思うんです。その闇の部分が持ちうる強さのようなものを4ADははるか昔から主張していたのではないかと。でも例えば、現在所属のアーティストで言えばGGDなんかはそういう部分があって、アートワークというより音楽性から考えた時にも、今の一線にはないオルタナティブな音楽に傾倒している。要は4ADとしての表現は時代とともに変わりつつも、マイノリティな表現をしている精神性=闇は一貫している部分じゃないかと思うんです。
高久:今のメインストリームにあるものは比較的、政治や差別などの社会的な闇に塗れていると思うのですが、4ADのイベントで来日したような今日のアクトは社会的なものよりも個人的な闇を写していたのではないかと思います。それは人種的、あるいは経済的なマジョリティであったとしても閉塞感や孤独も……それはもちろん同じではないですけど……やっぱり持っている。そして今の時代に置いてそうした個人的な闇を伝える働きかけはもっと力を持ってくるのではないかと思うんです。例えば我々日本人は人種的にはアジア人であってもその文脈を持っていない、あるいは切り離されてしまっている部分がある。そういった文脈から外れてしまった……それこそ加藤さんの言うようにインディーと呼ぶこともできるかもしれませんが、疎外感を持っている個人に対して作用するような音ではないかと思います。
――なるほど。確かにディアハンターのブラッドフォード・コックスなどは活動初期から個としての目線からそのマイノリティを作品に反映させていました。ただ、マイノリティの持つ孤独や寂寞とい主調でいうと、フランク・オーシャンのような表現者も昨今のR&B、ヒップホップ勢にはいる。でも、ブラッドフォードのようなアーティストが作品に表す疎外感にはまた別のアングルがあるということですか?
高久:そう感じます。ディアハンターも現在もヒップホップの中心地であるアトランタのバンドで黒人音楽とは切り離せない場所で生まれていますが、彼らはそこに直接的にアプローチしたというよりは白人が内在化したロックというものを通してそこに接続していると思います。それはある種の逆コンプレックスというか、白人というマジョリティでありながらも黒人音楽、ひいてはマイノリティへの憧れがある。あるいはそんな人種や性別などの枠組みとは別のところで感じる疎外感ではないかと思うんです。
加藤:ディアハンターについては同感です。ただ不思議なのは彼らが初期はアンビエント的なアプローチをとって、近年ロック的なサウンドに回帰してきている。例えば、それはベイルートにも似たようなことを感じていて。彼は初期はいわゆるワールド・ミュージック的なアプローチが多かったですが、アメリカの(白人的)ポップ・ミュージック的なものに回帰する節がある。両者ともマイノリティに憧れがありつつも、やっぱりマジョリティというものへの憧れも併せ持っているのかと感じる時があるんです。または、ヒップホップのような黒人を起源とする音楽を目の当たりにしたからこそ自身のアイデンティティを見つめ直した結果なのかもしれないですけど…。
Deerhunter
高久:しかし4ADというレーベルにはザ・ナショナルのようなポリティカルで、なおかつセールス面でも大きな成功を収めているバンドもいますから一概に言い切ることは難しいですよね。
加藤:確かにザ・ナショナルの存在を考えた時に4ADを何か一つの括りで言い切ることは難しい。ただレーベル側がザ・ナショナルを聴いてセールス的に大成功するという感覚ではなかった気もしていて。4ADはセールス的なアプローチってどう考えているんだろうかって疑問が生まれてきました。
高久:これだけ歴史の長いレーベルなのでどれだけ売れるかの嗅覚は持っていると思うんですが、コンセプトがはっきりしていた80年代~90年代と比べて現在はどこまでセールス的な成功を目指しているのかは見えにくいですね。
――ザ・ナショナルには結構多面的なアイデンティティがあると思うんですよ。オハイオという地方出身という側面……これは“中央”に対する反発意識として今も間違いなく機能している。彼らがBrasslandというインディー・レーベルを運営していることとも無関係ではない。でも一方で、世代・時代関係ないスタイルで聴かせるオーセンティックなロック・バンドという側面……これはインディーの閉鎖的になりがちな意識を捨て去ることの大義を伝えてくれる。それから、主にデスナー兄弟ですがフォークロアから近現代音楽まで音楽史を見据える学究的な側面もある……そういう意味では4ADの歴史を受け継ぎながらも、今日、その枠組みをいくつかの方向へと広げる大きな役割を果たしている重要バンドはザ・ナショナルじゃないかと思います。
では、疎外感やメジャーの価値観に対するカウンターを、4ADの旧作だとどのあたりの作品にそういった部分を感じますか?
加藤:旧作だとディス・モータル・コイルの『It’ll End In Tears』(1984年)に疎外感、孤独感みたいなものを感じます。ティム・バックリィの「Song To The Siren」のカバー、原曲では力強く歌われているけれど、ディス・モータル・コイルのフィルターを通すとそれは優しくて、大洋の中で一人佇む歌詞の情景と相まって、広い世界の中に存在していることの寂しさを感じます。孤独なことを憂いているだけというよりは、寂しさの感情にこういう表現があるんだと提案しているようにも思えました。「Fyt」とかも実験的で今聴いても発見があるなと。過去、現在、未来に地続きであって、80年代当時だけに捉われていない表現になっていたように感じます。
高久:自分はこれぞ4AD! という方も多いと思うデッド・カン・ダンス(DCD)の『Spleen and Ideal』(1985年)にそういった部分を感じました。それこそ、これまで話したことの始まりは当時のヨーロッパにあった廃退的な雰囲気と似ているのではないかと考えることもできるなと思います。今の時代にフィールし切れない、他に何か心が動くものを作る必要がある! という気持ちに端を発しているのかもなぁと。そして、改めてしっかりと聴いてみるとすごくフレッシュに感じたのも面白かったです。
――では、そういった4ADの武器でもあってきたマイノリティからのカウンターとしてのエネルギーを、今のこのレーベルの作品群のどのあたりに受け継がれていると感じますか?
加藤:グライムス『Halfaxa』(2010年)、『Visions』(2012年)には共通しているものがあると感じます。ディス・モータル・コイルに感じた時代と逆行するようなアプローチがあるのかもしれないなと。情報化社会で色んな事柄を整理できるようになった00年代に彼女の音楽は整理されていない、そんなアプローチで色んな要素を詰め込んでいると感じます。社会に情報が溢れたから整理できないのではなく、あえて整理しないで詰め込んで構築している。そのカテゴライズできない世界観がすごく孤独にも見えて共通する部分だと感じます。
高久:自分はライブを観たからというのもあるかもしれませんが、ディアハンターのアルバム『Microcastle』(2008年)です。内省的で、ガレージやアンビエントといった様々なサウンドがパッケージされているんですけど、散らかっているのもあってか明確な軸というか心の真ん中がすっぽり抜けているような感覚になるんです。「自分には何も無い」というところから“何か”を求めて探求して行くようなところはそれこそDCDの耽美な表現の中にあるものと共通しているのかもしれないなと。
加藤:グライムスは昨年のジャネル・モネイの『Dirty Computer』にも参加していました。二人は兼ねてから親交がある。二人に共通していることは、多くのことに魅かれすぎるが故に自身を定めない……定義しないことだと思う。今後ますます多くの価値観が入り混じる世の中において人間の道筋を提示していく存在になっていくんじゃないかと思う。それはLGBTにQ(クイア)が付け加えられたことに寄り添うものでもあると思う。あとはレモン・ツィッグスの次作が楽しみです。
高久:グライムスはサブカルにもすごく造詣が深いらしく、今、ヒップホップもそうですがオタク・カルチャーというか日本のアニメを観て育った世代が非常に多いようでポスト・マローンもそういった発言をしていたり、先日来日したレイ・シュリマーやデンゼル・カリーもインスタグラムのアイコンが日本のアニメや漫画のものになっていたりするくらいなんです。ただアニメや漫画はもちろん例外は多々ありますが結構ステレオタイプな男性・女性像が下敷きになっているものも多く、それから影響を受けているとどうしても今のMe too等の動きにフィールしずらいのかなと感じたりするんです。だからグライムスにはそういった層を巻き込むことのできるアイコンとしての存在感も期待してしまいますね。あとはやはりザ・ナショナルの今後の動きもどうなるのか。前作『Sleep Well Beast』ですごくポリティカルなロックを鳴らした彼らがその後何をどう表現するのかはたくさんの人が注目していると思います。
懐の深さを実感したレーベル・ショウケース
レポート:加藤孔紀 写真:古渓一道 / Kazumichi Kokei
1月23日、渋谷o-eastで4ADのレーベル40周年を記念したショウケースが開催された。長い歴史をもつレーベルのアニバーサリーでは4ADがあらゆる音楽性を受け入れてきた歴史とその最新を体感することができるイベントだった。
オレンジ色の照明が幾重にも射し込む、Daughterのエレナ・トンラのソロ・プロジェクト、エクス:レイは新譜から「The Dazzer」を披露。重ためのビートを奏でるドラム、ギターには音がつぶれてしまうくらいの歪みが安定と不安定の境を行き来する絶妙な響きを聞かせる。エレナ自身の歌声はDaughterと異なりリバーブやディレイは控えめ。穏やかさがある一方、あえて理路整然にさせ過ぎず、肉体的な表現が優先されていた。自然のように動的で移り変わりを感じさせるライブが印象的で、次に観るときはまた違うものに変化しているのかもしれないと期待させてくれるステージだった。
ロマを思わるような白い装束に身を包んだリジー・ボウガツォスが登場し、ギャング・ギャング・ダンスのパフォーマンスはスタート。リジーはコンガなどのパーカッションに囲まれ時折プレイ、サンプリングされた音源はエキゾチックなものからエレクトロニックなものまで。長尺で演奏されていく楽曲群はDJプレイを聴いている感覚にも近かった。それらの要素が結実し特に光ったのは「Adult Goth」だ。会場全体に響くリジーの歌声とメロディラインはインド音楽も思わせ、エレクトロやテクノといった電子音と融合していく。それらを乗せたビートに思わず体を揺らし、彼らの音楽で長く踊っていたいという欲求がどんどんと掻き立てられた。
ふと、横のスペースに目を移すと専属のPAらしき女性が踊っていた。終始ブースで身体を揺らしながら作業を行う姿が印象的だったのは、こういった状況を初めて目にしたからかもしれない。PAもメンバーの一人であり、音を作り出す役割を担っているということを感じた瞬間でもあった。もしかしたら、これも4ADならではなのかもしれないと想像した。
転換の際はレーベル代表のサイモン・ハリデーがDJを行う。ブレイクビーツ系からビースティ・ボーイズまでもをプレイ、オールドスクールな選曲に彼自身の指向とキャリアを振り返っているような印象も受け、アニバーサリーに相応しい選曲だった。
暗転しディアハンターのステージが始まると今回一番の歓声が飛び交い、歓声以上にバンドの演奏が轟音で始まったことに驚いた。一曲目「Lake Somerset」からバンドのテンションは最高潮。二曲目以降は新作から複数の楽曲を披露。途中、機材の不調でブラッドフォード・コックスがサウンドを気にするような場面もあったが、「What Happens to People」はじめとする新曲はブラッドフォードの甘美な歌声、バンドの心地よいビートで彼らのポップミュージックを観客に共有した。一方で、前作以前のノイズ・ギターを中心とする楽曲も演奏されたことで、彼らのキャリアにあるコントラストを表現する十分なセットリストとなっていた。
アンコールでは、全バンドが登壇。ブラッドフォードが急にカウントダウンを始め「ハッピーニューイヤー!」と叫んだことに、そのクレイジーでラブリーな人柄に、はにかんだ瞬間も。全バンドがステージに上がり即興でセッション、ジャムを披露するのを見ていたら、こうも異なる音楽性のミュージシャンが一つのレーベルに集う、その4ADの懐の広さのようなものを感じ、一人のリスナーとして様々な音楽を聴く機会がもたらされていることに感謝と嬉しさを感じずにはいられなかった。(加藤孔紀)
■4AD Official Site
https://4ad.com/
■Beatink内レーベル情報
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