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倍音と調律の彩りを纏うカノン
──カリ・マローン『All Life Long』

14 April 2024 | By yorosz

スウェーデンの作曲家=カリ・マローンは、2019年にリリースされ、以降のいわゆるオルガン・ドローンの隆盛の端緒となった『The Sacrificial Code』以降、勢いそのままにパリの《GRM Studio》で作曲された『Living Torch』(2022年)、ステファン・オマリーとルーシー・レイルトンの協力の基に演奏される3時間に及ぶ大作『Does Spring Hide Its Joy』(2023年)といった話題作をリリースし、いずれも高い評価を獲得している。現在のドローンやエクスペリメンタルにおける、最も動向から目が離せないアーティストといっても過言ではないだろう。

2024年早々にリリースされた『All Life Long』も、既に多くの方の耳に届いているのではないだろうか。本作には2020〜2023年に作曲された12曲が収録されているのだが、まず注目すべきは『The Sacrificial Code』以来*¹となるオルガンを用いた作品が多数収録されていることだろう。『The Sacrificial Code』は、近年毎年のように話題作がリリースされているオルガン・ドローンの作品の中でも特に高く評価されている一作であり、それと音楽性のうえで多くの共通点を持つ本作も、おそらくはこの文脈で評価される作品となるだろう。

しかしながら、『All Life Long』のオルガン曲と『The Sacrificial Code』には、構造的に近しいながらも若干の違いがあるように感じられる。その差異とは、端的にいえばカノン様式の重用ということになる。カノンは基礎となる旋律を異なるタイミングで重ね合わせる手法で、日本語でいう輪唱(かえるの歌をイメージしていただければわかりやすいかと思う)に近いが、基礎となる旋律のキーや速度を変えて重ねたり、フレーズを逆行させたりといった発展的な方法(いわゆる反行カノンや逆行カノン、拡大カノンなど)も様々に存在している。

バッハの「14のカノン」の構造を視覚化したonishikeitaによる映像作品。カノンの応用的な手法の多彩さが直感的に確認できる。


『The Sacrificial Code』においてもこういったカノン様式はいくつかの楽曲ではっきりと認識できるかたちで用いられてはいるのだが、このアルバムは全体的に音の足取りが非常に遅く、中にはカノンの基礎となる旋律の認識が機能しなくなるほどに一つ一つの音が伸ばされる楽曲もあるため、その印象は(一つの楽曲の中でその全編を貫く持続音が鳴っているわけでも、複数のトーンがその切れ目を認識できない状態で繋がれ帯状のサウンドを形成しているわけでもないにも関わらず)ドローン的と形容しても差し支えのないものとなっていた。

しかし本作『All Life Long』では、音の足取りが適度に軽快な速度となったことで、どの楽曲も(元の旋律をタイミングだけずらして重ね合わせたシンプルなものから、拡張的な技法を用いた複雑なものまでグラデーションはあるものの)旋律の重ね合わせで形作られるカノンであることが認識でき、結果としてドローン的な印象は後退している。

本作においては、音の持続(感)よりも、楽曲の骨組みが持つ厳格な秩序が感じさせる静けさと、それを聴き続けた時にもたらされるまるでフラクタル図形を見つめ続けた時のような攪乱性の相克が独自の味わいを生んでおり、その在り方はオーソドックスなドローン・ミュージックよりも、(バッハのカノンやフーガはもちろんのこと)楽曲の複雑さやアートワークなどによってフラクタルな世界観を作り上げているトゥールやメシュガーといったバンドであったり、バッハや前述のバンドからの影響を語っている近年のYaporigami、ユークリッド・リズムを応用したテクノを作り続けているDon’t DJ*²などのアーティストに近いように思える。



このように本作のオルガン作品は、楽曲構造の面ではカノンという特徴を持っているのだが、一方で、実際にそのサウンドを注意深く聴いていると、音色の細部にドローン・ミュージックに通じる手つきを垣間見ることもできる。

ドローン・ミュージックでは持続する基音という核があったうえで、そこに倍音の扱いによって差異や表現を加えるのは非常にオーソドックスな手法といえるが、本作のオルガン作品でもフレーズの綾の中を探るように聴いていると、耳に入る音程が、果たして基音の流れとしての旋律の一部なのか、それとも演奏中に音色の装飾として新たに加えられた倍音なのか判断し難い瞬間がそこかしこに潜んでおり、倍音の浮き沈みを音楽表現の根幹とするドローンの思想が、強固な建造物然とした構造の中に、巧妙に織り込まれている印象があるのだ。

このような「基音の流れか、それとも音色の一部としての倍音を聴いているのかわからなくなる感覚」は、ジム・オルークがBandcampで継続的にリリースしているSteamroomの作品群などにも存在するもので、ドローンがもたらす音色への感度の発展的継承と捉えることができないだろうか。



このように構造面でも、音色の面でも、聴き手の意識を幻惑する本作だが、オルガン曲のほとんど(10曲目「Moving Forward」を除くすべて)の末尾において、ドローンという印象に近付くような明らかに長いトーンが鳴らされることにも注目したい。

ここで表れるトーンは構造的に前述のカノンを突き抜けた先に表れるというだけでなく、音色の面でも聴き手を幻惑するような色を持たず、両面でそれまでとコントラストを成すものといえ、それまでのサウンドとは異なる、迷路の出口から差す光のような存在として、聴き手の意識を旅の末に腰を落ち着けるような安住の感覚へと導いてくれる。この見立ては少々ロマンチックに過ぎるかもしれないが、徹底的にポリフォニックに本作にあって、明らかに意図的に長く鳴らされているこれらのトーンには、何らかの意味合いを見出さずにはいられない。少なくとも、このトーンが本作の重要な聴きどころの一つであることはたしかだろう。

ここまで本作のオルガン曲について述べてきたが、加えて本作には彼女の過去の作品にない明確に新しい要素が入っていることにも言及しなければならないだろう。それはオルガン以外の作品、声と、金管五重奏のための作品の存在である。これらは単に新たな編成というだけでなく、声についてはそこで用いられるオルガヌム的構造がオルガンと同じくギリシア語で道具や機関を意味するオルガノン(Organon)を語源としていること、金管楽器のアンサンブルについてはオルガンが様々なタイプのパイプ(管)を組み合わせることによって音色を作り上げるといういわば機械仕掛けの管楽器アンサンブルといえる構造で成り立っていることから、オルガン作品に継続的に取り組んできた彼女の経験の延長線上に自然と表れるものに思える。

これらは編成の面で目新しいものではあるものの、様式はオルガン曲と同じく徹底してカノンであるため、一聴するとその構造的な近さ故、あまり新鮮さはないと感じられるかもしれない。しかしながら、これらの似通った構造の楽曲が、声、オルガン、金管五重奏という異なる編成で、互い違いに並べられた本作の構成から生まれる旨みというものは、たしかにある。そこで重要になるのが調律だ。

Bandcampの作品の解説にもあるが、まず本作のオルガン曲は4つの異なる場所(すなわち異なる楽器)で録音されており、それらは全て(キーは異なったりしているが)ミーントーンで調律されている。ミーントーンの説明はここではごく手短に済ませるが、これはバロック期に鍵盤楽器に多く用いられた調律で、3/2の比率からなる純正五度よりも三度を純正に保つことを優先するため、五度の音程を純正より若干狭めることを特徴としている*³。加えてこの音程の調整によって音階上の音程の配列に多少の歪みが生じ、調によって響きの色合いが微妙に異なることも魅力となっている。このような特徴が本作においては、システマチックな音の歩みに、様々な音楽的情感を付すものとして機能している。例えば「Fastened Maze」においてはA♭とC、G♭とB♭という二つの同間隔(三度)の和音が、前者は調和する(純正音程の)三度として、後者は(ミーントーンのチューニングにも不可避であるウルフの音程を挟むことによって)調和しない三度として響くため*⁴、結果的に規則的なはずの旋律の配置から陰影の異なる音の重なりや、それに伴う息苦しさと開放感の遷移が生まれている。

続いて、声によって奏でられる作品については、ピタゴラス音律が用いられている。ピタゴラス音律は3/2の比率を重ね掛けしていくことで各音程を算出する、西洋でも特に古くから用いられている音律であり、グレゴリオ聖歌もこの音律で歌われる。この音律では五度と四度の音程のみが純正と見做され、三度は純正の比率から大きくずれた不協和な音程となってしまうことも特徴である。本作の1曲目「Passage Through the Spheres」は、このピタゴラス音律における純正音程である四度や五度で旋律が重ねられる簡素な構造となっており、これはカノンであると同時に、男声のみによって歌われる単旋律のグレゴリオ聖歌が発展したかたちであるオルガヌムの典型とも捉えられる。四度と五度という簡素な音程の重なりによって立ち表れる透明かつ静謐な音響空間は、平均律に馴染んだ私たちの耳にはどこか厳かさを持って響き、新鮮さも感じられるが、それだけでなく、これがアルバムの冒頭に配置されていることで、本作には西洋の調律の歴史を追うという側面があることも暗に示されているように思われる。

そしてもう一つの新たな編成である金管五重奏(トランペット2本、トロンボーン、バストロンボーン、ホルン)においては、筆者の調べた限りで恐縮ではあるが、おおよそ平均律に近い音程が用いられているように聴こえる(少なくともミーントーンやピタゴラス音律でないことはたしかである)。調律の特性によるものか判断が難しいところだが、この編成ではカノンの各声部の動きが認識しやすく、音楽全体の印象が明瞭で明るいものに感じられるのが興味深い。

このように本作では、異なる調律に基づく、異なる楽器編成による楽曲が収録されており、更にそれらが互い違いのような順番で配置されているため、楽曲が変わる毎に調律の移り変わりによる繊細な印象の変化を味わうことができる設計となっている(「All Life Long」がオルガンと声で、「No Sun to Burn」がオルガンと金管五重奏で、編曲を変えて再演されるのも、調律の機微を味わうための配慮だろう)。カノンという様式に貫かれながらも、本作がオルガン作品のみでまとめられた『The Sacrificial Code』に比して各段に彩りや開放感を感じさせるのは、単に新たな編成が試みられてるというだけでなく、調律のバリエーションにも因るものと思われる。

以上、ここまで楽曲構造、音色、調律の面から検討してきたように、本作は彼女が長年試みているオルガンを用いたカノンを根幹に、ドローンとの関りや調律の探求、新たな編成への挑戦などが巧みに絡み合った作品となっており、聴けば聴くほどに、各楽曲の共通項と差異、そこから覗く探求の足跡への気付きが生まれる。筆者も本稿に取りかかった段階では想定していなかった様々な疑問が、作品を聴き込み筆を進めていくうえで次々に生まれ、その深みに感嘆した次第だ。『All Life Long』という決意めいたタイトルは無論自身に向けてのものであろうが、それを聴く側にとっても、本作は相応の長い時間をかけて、じっくりと接することを要請するものだろう。それに応える価値はあるはずだ。過去の作品がそうであったように。(よろすず)


*¹ 正確には2020年にセルフリリースで『Studies for Organ』というオルガン作品がリリースされているのだが、この作品の録音時期は2017~2018年であり、『The Sacrificial Code』の前にあたる。

*² Don’t DJ:円を描いて(https://www.ableton.com/ja/blog/dont-dj-moving-in-circles/

*³ 本稿では調律の仕組みについて藤枝守『響きの考古学』を参考とした。

*⁴ この曲の調律は、筆者が調べた限りではあるが、ウルフの音程を五度圏のF#とC#の間に配置したミーントーンと推測される(そのうえで、A=434Hzあたりとなるように、全ての音程が若干下がっている)。

Text By yorosz


Kali Malone

『All Life Long』

LABEL : Ideologic Organ
RELEASE DATE : 2024.2.9
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Tower Records / HMV / Apple Music


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