Review

Felicia Sjögren: HULDA

2023 / Self-released
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「停止」と「推進」の狭間で

30 January 2024 | By yorosz
家は取り残された、見捨てられてしまった。生命が消え去った以上、もはやそれは干からびた塩粒のこびりつく、砂丘の中の一枚の貝殻も同然だった。長々しい夜がそこに住みついたようだった。いろいろとかじっては弄ぶすきま風や、手探りするような湿った海風が、結局勝利をおさめたのだ。
ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』(御輿哲也 訳、岩波文庫)、265p

スウェーデン・ストックホルム生まれ、音と映像を扱うアーティストとしてショートフィルムなどを制作しながら環境活動家としての顔も持つFelicia Sjögrenが、そのキャリアで初めてリリースした録音作品。Kali Malone『The Sacrificial Code』のリリースされた2019年以降特に盛り上がりを見せ、毎年何らかの注目すべき作品がリリースされているオルガン・ドローン/オルガン・エクスペリメンタルの流れにおいて、2023年は耳を引く作品の数が際立って多い一年であったが、本作はその中でも特筆すべき新鋭による一作といえるだろう。リリースは2023年5月のため、発表からやや時間の経過した作品ではあるが、この年を象徴する一作として、このタイミングで紹介させていただきたい。

Felicia Sjögrenは現在はスウェーデン最大の島であるゴットランド島に在住し、ここ数年はこの島の様々な環境と関わりながら(おそらくアーティスト・イン・レジデンスのようなかたちで)制作を行っている。これまでにゴットランド島沖のStora Karlsö島にある洞窟でのインスタレーション『Stora Förvar』や、ゴットランド島のSödra Hällarnaという自然保護区内にある残響が凄まじい地下壕でのインスタレーション『HIMLAKROPP / CELESTIAL BODY』などを制作し、本作『HULDA』も、島のヴェンゲという村で1870年から1925年まで活動していたオルガン製作者Alfred Cedergrenによるリード・オルガンを用いた作品となっている。

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Alfred Cedergrenのオルガンが収蔵されている木造チャペル内部の様子。足踏み式の小型のものなどいくつものオルガンが収蔵されているようだが、本作で用いられたのは写真における右から2番目、側面が映っている一際大きいサイズのリード・オルガンだと思われる。

また本作のタイトルである『HULDA』は、Cedergrenが活動していた時期にこの村に暮らしていた少女Hulda Veström(1897年生まれ)に由来している。彼女は1912年、14歳の時に、先にアメリカに移住していた父の元を訪ねるために、同じくHuldaという名を持つ叔母のHulda Klasénと共にタイタニック号へ乗船し、不運にも命を落とすこととなる。その悲運を悼んでのことだろう、チャペルには二人のHuldaの写真が飾られており、Feliciaはそこからこの成り行きを知り、これらのオルガン曲を彼女に¹ 、そして100年後の時空に生きる10代の少女Huldaに捧げることにした。

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写真中央に写るのがHulda Veström。彼女についてはTitanic wikiにも記載がある(https://titanic.fandom.com/wiki/Hulda_Veström)。

本作は内容/作風としては、リード・オルガンの様々な特性を駆使したドローン的な作曲作品集とひとまずいってしまっていいだろう。そしてその文脈において本作は、同じく2023年にリリースされたいくつもの注目作(例えばBrendan Glasson『”The Reality of People” and Other Works for Reed Organ』、loscil // lawrence english『Colours Of Air』、Mille Helt Haarder『Voix C​é​leste』など)と並び立つだけでなく、同郷スウェーデンのアーティストたちが奇しくも2019年に連なって発表した作品群(Kali Malone『The Sacrificial Code』やEllen Arkbro『CHORDS』、Maria W Horn『Epistasis』)やその翌年に発表されたFUJI​|​|​|​|​|​||​|​|​|​|​TA『iki』などの、既に高い評価が決定付けられた傑作にも比肩し得る一作に思える。

スウェル・ペダルを効果的に用いたと思われる魔術的な音色の重なりに魅了される「Mother Tongue」に始まり、半音が柔らかく衝突しうなる導入部から調性的な安定へと導かれる中で様々な旋律が聴こえてくる「Blackthorn」、EとA、Bの持続に対するFの抜き差しというシンプルな構造でありながら高音域を多用した音作りの妙(冒頭からなる笙のような音色の美しさ!)によって前後の曲との鮮やかなコントラストを描き出す「City of Angels」、オルガンの最低音付近の音程を複数ぶつけたと思われ最早明確な音程の聴き取りが不可能な混濁した響きの塊と化したヘヴィー・ドローンの「Terram」、そして前曲に続く音色の重厚さを持ちつつも崩れたカノンを思わせるフレーズの連なりの中で音色が煌びやかで荘厳なものへと伸びていく「Exis」、という5曲は、オルガンの音色と音域の幅をシンプルな構造の中でしっかりと活かしきるものとなっており、ある構造、特徴を備えた楽器に向けてのおあつらえたる「器楽曲」として清々しいほどの美しさや強度を感じさせる。

そしてそれらの楽曲が連なることで生まれる「祈り」のニュアンスもまた見事なものだ。本作は既に触れたように楽曲ごとにオルガンの何かしらの特性を引き出す意図が感じられ、それ故にサウンドからはオルガンの構造的課題ともいえる音量や音色の硬直性の活用、そしてところどころでそれを克服する工夫(特に1曲目に顕著)が聴こえてくる。

オルガンの音色の硬直性、それがもたらす時間の「停止」感は、海の底に沈んだままとなっている船の存在をストレートに想起させるが、一方でその硬直性に抗う側面(例えば1曲目には船体を飲み込んだ波の動きを描写するような、と同時にそれに飲まれた多くの魂に対する慈愛の色を感じさせる柔らかい響きの浮き沈みがあり、4曲目の中盤以降では低い風の音のような唸りが、海底にこだまする有象無象の騒音² や船体への招かれざる客――例えば違法な遺品回収者³ ――の訪問といった未だ途切れぬ文明の影を、もしくは海底の水の流れ⁴ や、沈んだ船体を徐々に蝕むバクテリア⁵ の蠢きを示唆するか如く、意味深に左右へ徘徊する)は海面から海底までの、そして海底に至ってからも流れ続ける時間の在り様を想像させるように働き、時間の「停止」と「推進」のニュアンスがせめぎ合う、アンビヴァレントな聴き心地が生まれている。

アンビエントやドローン・ミュージックの広い射程で本作を捉えようとするなら、先行する作品としてタイタニック号に関連したギャヴィン・ブライアーズ『The Sinking Of The Titanic』やブライアン・イーノ『The Ship』⁶ 、他にもメアリー・セレスト号をテーマとしたナース・ウィズ・ウーンド『Salt Marie Celeste』や自然推進潜水艦ベン・フランクリン号をモチーフとしたMathieu Ruhlmann + Celer『Mesoscaphe』などが想起されるところだが、本作のこのような聴き心地はそれらのどれとも異なる、しっかりとした独自性のあるものといえるだろう。そして意味深な唸りを超えた地点、アルバムのラスト「Exis」にて、重厚かつ堂々と鳴らされる白鍵の響きが、「停止」と「推進」の狭間でいつかこの場に戻ってくる(かもしれない)魂を待ち続けるような「祈り」の時間へと、聴者の意識を導くのだ。

オルガンに向かう音楽家が100年前の少女に不意に出会い、手を差し伸べたように、きっとこの音は今も、忘却の砂の中から埋もれた存在を救いあげる「何か」を呼ぶ声として、どこかで静かに鳴り続けていることだろう。

羽が一枚落ちてきて、天びんの皿を下に傾けてしまったら、家全体は奈落の底に沈み、忘却の砂の上に横たわることになったに違いない。しかし、何かある力が働こうとしていた ー それは、自分の役割をはっきりとは意識していない何か、横目でにらみつけ、よろめき歩く何か、ものものしい儀式やいかめしい詠唱とは全く無縁に仕事にとりかかる何か、だった。
ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』(御輿哲也 訳、岩波文庫), 268p

(よろすず)


¹ bandcampのキャプションには100年後の少女Huldaへの献辞のみが記されているが、こちらのinstagramの投稿にHulda Veströmへ捧げる旨が記されている。
https://www.instagram.com/p/CgPkDb7jWlC/?img_index=1

² 海底は静かな世界であるように想像してしまうところだが、音を伝える物質(=媒質)としての液体は非常に高性能であるため、そこは四方八方からさまざまな音が交錯するフィールドであるようだ。そしてそこにこだまする騒音の主要因がコンテナ船であるというのもまた意味深である。
https://www.audio-technica.co.jp/always-listening/articles/deepsea-sound/

³ タイタニック号の内部に残された遺品については、「タイタニック国際保護条約」によって回収行為が違法とされているようだが、一方で船についての引き上げ権などを持つRMSタイタニック社が既に多くの遺品を引き上げ管理しており、そこに法的な論争があるようだ。

⁴ 「NHK for School 海底を流れる深層海流」
https://www2.nhk.or.jp/school/watch/clip/?das_id=D0005402539_00000

⁵ Wikipedia「タイタニック(客船)」より “現在のタイタニックは鉄を消費するバクテリアによりすでに鉄材の20パーセントが酸化し、2100年ごろまでに自重に耐え切れず崩壊する見込みである。”
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF_(%E5%AE%A2%E8%88%B9

⁶ この作品については《ele-king》のこちらのレビューが素晴らしい。
https://www.ele-king.net/review/album/005153/


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