自らの歴史からの逃走
新作である『Nothing』リリース以前、つまりニコラス・ジャーとデイヴ・ハリントンの二人体制で作り上げた『Psychic』(2013年)や『Spiral』(2021年)において、ダークサイドのサウンドの核になっていたのは彼らの経験だったと思う。たとえば、『Psychic』にはジャーの『Space Is Only Noise』(2011年)における、ミニマル・テクノ、ヒップホップ、アフリカン・ジャズ、ラウンジ・ポップといった異なるジャンルの精巧なコラージュが反映されている。また、『Psychic』から8年後に突如リリースされた『Spiral』からは、アブストラクトなジャズをダーク・アンビエント的発想で解釈した 、ジャーの『Cenizas』(2020年)の残響が聞こえてくるし、ハリントンが自身が率いるジャズ・グループ=デイヴ・ハリントン・グループの 『Pure Imagination, No Country』(2019年)で垣間見せた、エレクトリック期のマイルス・デイヴィスやグレイトフル・デッド、ピンク・フロイドを参照したような即興性も感じることができる。
だが、今作『Nothing』には、彼らがこれまで積み重ねてきたこうした歴史から逃げ去ろうとする意思、つまりは自らを歴史化することを拒絶する意思があるように思える。もっと端的に言えば、ダークサイドというバンドのサウンドの固定化を拒むという意思だ。その意思は、即興性に力点を置いた『Spiral』からもほのかに漂っていたが、本作で一層顕著になっている。そして、彼らが自らの歴史から逃走線を引くことを可能にしたのは、新しいバンド・メンバーとして加入したトラカエル・エスパルザの存在である。
ロサンゼルス出身のエスパルザは、ジャズ・ドラマーとして研鑽を積んだのち、コロンビア大学で数学と音楽を、ニューヨーク大学で音楽テクノロジーを学んだというセッション・プレイヤー。ハリントンが過去に所属したバンドのアームズや前述のデイヴ・ハリントン・グループ、さらにはジャーの2012年のツアー・アンサンブルにも参加しており、ハリントンとジャーにとって旧知の間柄と言えるメンバーだ。彼のドラミングは、数学を音楽に応用するというアイディアを礎にした理知的な演奏を得意としつつも、そこから鮮やかに逸脱するダイナミックさも兼ね備えている。そんな彼のドラミングが、ダークサイドが新しい世界へと羽ばたく入り口となったのだ。
そして、それを象徴するのが4曲目の「Graucha Max」だろう。60年代のブルーズを想起させながらノイジーに荒れ狂うハリントンのギターやジャーのフリーキーなヴォーカリゼーションにも注目だが、それらの間を疾走するエスパルザのドラムは、クラウトロックからEBM、終いにはハウスへとビートを変形させ、攻撃的と表現したくなるグルーヴを生み出している。また、ジョン・レノンの「Imagine」を引用した「Hell suite, Pt.I」では、音数を絞りながら自由連想のようにドラム・スティックを操り、「Imagine all the people / Living in hell / Doesn’t take much(地獄に住むすべての人々を想像するのはそれほど難しいことではない)」という痛烈な詞を際立たせているのも素晴らしい。攻撃性とリリカルさが背中合わせになったようなこの2曲は、ますます混沌とする現代社会に対する怒りを見事に表現しており、彼らの表現の幅がさらに拡張していることに気付かされるだろう。そして何よりも、彼らのサウンド・パレットが新しく生まれ変わっていることを如実に感じることができる。
ダークサイドという場所はこれまで、ジャーとハリントンがそれぞれ培ってきた経験をバンドとして表現するところだったといえる。だが、エスパルザを加えた三人は今作で、経験や先入観を排除したところ(それを無=『Nothing』ということもできるだろう)からスタートすることで、ダークサイドを新しいサウンドを生み出せる場へと変化させた。以前ジャーはダークサイドを「休みの日にやるバンド」だと言っていたが、復帰作の『Spiral』を経たこの『Nothing』で、そうした心境も変わっているかもしれない。願わくば、これからもダークサイドとしてずっと活動を継続し、我々をあっと言わせるようなサウンドを奏でてほしい──というのは筆者のわがままだろうか。(坂本哲哉)
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