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Fennesz: Mosaic

2024 / P-VINE / Touch / Fairwood
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存在を潤す音楽

24 February 2025 | By Shun Fushimi

フェネス『Mosaic』を聴いていると、私は存在していることの歓びを思い出す。大げさに響く言葉かもしれないけど、そのように感じている。

音楽に詳しくなくても、1962年にオーストリアで生まれた電子音楽家クリスチャン・フェネスがどういう作家か知らない人にも、この音楽を聴いてほしい。そう思って、今この文章を書いている。挫折感と倦怠感と疲労感がぐちゃぐちゃに混じった、人にうまく伝えることもできないどうしようもなく干からびた感情に対して、『Mosaic』は救いのような潤いとして浸透するはずだから。歌のない電子音楽に馴染みのない人にとっても、柔らかく力強い歓びとなる音だから。

仕事場から定時で自宅まで帰るまでの道のりが、何故だか私にはひどくつまらないと感じられる。別に嫌なことがあったわけでもないのに。

同僚に挨拶をしてフロアを出て、エレベーターに乗り、途中階から入ってくる人を眺めながら下まで降りる。すっかり暗くなった道は人気が少ない。信号で止まることに苛立ちを覚えながら、苛立っている自分の気の短さにも苛立ちながら、緩いカーブになった街路樹をひたすら歩いていく。右横を車が通り過ぎ、向かいの道沿いには大きな病院が建っている。高層マンションを通り過ぎたところで、左に曲がる。公園の横の狭い歩道を通り、国道沿いの信号を渡り、国道に対して斜めに走る路線の駅に着く。2階のプラットフォームまで階段を登り、白昼色のライトに照らされながら電車を待つ。何百回、何千回と、繰り返した道筋。

このような道筋を、乗り気のしない事務作業のように歩いていく。何故こんなに味気ないのかわからないまま、得体の知れない挫折の感覚を抱く。なにもできないまま、今日も一日が終わった。そんな言葉を、強制的に抱え込まされているような時間。抜け出す術も知らない時間。

フェネス『Mosaic』を聴くのは、そんな半強制的な無感覚の時においてだ。風鈴にも似た軽い音と共に、フィルターをかけたような音が響き、霧のようにあたりに広がる。その音の流れに耳を傾けるうちに、あらゆる外側の存在に注意が向く。冬になって葉をすべて失った欅の木の、縦長な枝の広がり。太い欅の幹の根元で揺れる、カムロザサの細長い葉の群れ。冬の風はやや落ち着いて、厚めのネックウォーマーと、音の広がりに包まれた首元が暖かい。髪の薄くなった中年の男性が駅の橙の椅子に座っている。長い髪をクリムゾンレッドに染めた若い男性と、頭一つ分背の低い幼い顔の女性が目の前を通り過ぎる。2人して黒いパーカーと太めの灰色のデニムを着ている仲睦まじい彼らは、たしか昨日も見かけたはずだ。そんな風に、目に映るもの、体に触れるものに、感覚は導かれる。麻痺していた心が目覚める。

『Mosaic』に収録された楽曲は、たしかに変化しているのに、どの変化もとてもささやかに思える。気づいたら風景が変わっていて、気づいたら別の曲に移っている。5分、6分、あるいは9分ある曲も、周りのあらゆる存在を感じていると、いつの間にか過ぎている。このアルバムは、時間を感じさせない。瞬きにも似た43分。その、複数の音が織り込まれた時に包まれている間、得体の知れない挫折は、得体の知れない歓びに交換される。何が起きても、何が起きなくても、あらゆる存在は喜ばしい。今は確かで、少し経てば不確かになってしまうであろうそうした感情を知ることで、私は挫折への愛すらも知る。

どうしようもなく干からびた感情の中にいるすべての人に、フェネスの『Mosaic』を推薦したい。どんな表現よりも、この音楽は心の肌を潤すから。(伏見瞬)

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