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テーム・インパラの新作『The Slow Rush』に迫る!
「未来」でも「過去」でもない。「いま・ここ」で。

07 March 2020 | By Yasuyuki Ono

コーチェラのヘッドライナーを勤めるという極めて象徴的な出来事を経て、名実ともにワールド・クラスのビッグ・バンドへとのし上がったテーム・インパラの最新作『The Slow Rush』が届いた。バンドのフロント・マンであり、本作をほぼ一人で手掛けたケヴィン・パーカーは、チャート的にも、批評的にも成功を収めた前作『Current』発表後、カニエ・ウェスト、リアーナ、マーク・ロンソン、トラヴィス・スコットといったビッグ・スターの作品群へと参加。本作のリリースに先立っては、《ビルボード》にて、2010年代を席巻したプロデューサー、マックス・マーティンへの憧憬を語った。そんな彼が持つ、大文字のポップ・ミュージックへの気概と野心で本作は満たされているといってよいだろう。

そして、彼は本作を通貫するテーマを「時間の流れ」であると語る。やおら、再生ボタンを押すと、一曲目「One more year」からミディアム・テンポで、浮遊感のあるシンセサイザーの音が流れ出す。その中に深く、深く沈み込んでいく。すると、ザラついて少しぼやけた映像が、音の中を揺蕩う私の脳裏に浮かびあがる。映し出されているのは、記憶に刻まれた在りし日の友人の、家族の、恋人の姿。昔住んでいた街の、家の風景。ああ、あの頃はよかった。まだ、希望が、夢が、そこかしこにあった。そんな(多くは虚構でしかない)ノスタルジーに満ちた世界に私は誘いこまれ、耽溺していく。

我を取り戻したとして、眼前に叩きつけられるのは、停滞し先行き不透明な経済。新自由主義を背景とした福祉の適用範囲縮小と、自己責任論の蔓延により終わりなくシームレスに絡み合いながら私たちを縛り付ける自己啓発と労働。大量の人口移動/縮小によるコミュニティ断裂の感覚だ。いくら前を向いても進歩と成功に彩られた世界は到来せず、自らの居場所があった暖かで豊かなコミュニティは成就しない。そのような「生きづらさ」が蔓延する中で、極めてリアルで心を鷲掴みにする感覚として生まれ出たのが、未来への可能性と希望に満ちていたと思える「過去」への憧憬である。未来が崩れ去り、「時代遅れになった」世界で、私たちは安直な快楽にほだされて、もう取り戻せない記憶の中の「過去」に飛び込んでしまいたくなる。

一聴すれば、本作ではヴェイパーウェイブ的にさえ聴こえるノスタルジックな意匠をまとったサウンドが次々と耳に飛び込んでくる。ニューエイジ、マッドチェスター、シンセ・ポップ、80’sディスコがごちゃ混ぜにされたようなトリッピーで、浮遊感のある音像。その中をふわふわと泳ぐように進むヴォコーダーと強いリヴァーブ加工がなされたケヴィン・パーカーのファルセット・ボーカルが、僕らを記憶の中のあの時代に連れ出して行く。多層的に重ねられた音に隙間はなく、僕らをつかんで離さない。抜け出せない。これが、2020年のサイケデリア?僕らにはもう過去しかない?

違う。いや、違うと信じたい。これは、現実から逃避するための音楽ではない。前作『Currents』で展開した、エレクトロニカ、ディスコ・ビートの導入はさらに推し進められ、サイケデリックなサウンド・テクスチャーを軸としつつ、ギターの輪郭をゆがませ、溶け出させることでサウンド・プロダクションにおける存在感が後退する。そこに、ビートとシンセサイザー、リヴァーブ・ボーカルがとろけるように、だがくっきりとした肉感を持って私たちの体を包んでいく。あえて言い切るならば、ロック・バンドのサウンドを束縛してきたギターという楽器を主軸とすることなく、ロック・バンドが生み出せるサウンドの最適解を模索するように足元を踏み固めながら、手探りを続けている。そのような気概と、挑戦心がこの作品にはある。ディストピアンな未来と過去との間に引き裂かれながら、テーム・インパラは「いま・ここ」で真摯にただ音を鳴らし続けている。

『The Slow Rush(ゆっくりと急ぐ)』という本作のタイトルに象徴的に示されているように、自らを縛り付ける「時間」という概念自体を捻じ曲げ、脱臼させ、「未来」でも「過去」でもない、もう一つの行く先を模索するという姿勢が本作の「時間の流れ」というテーマの一部を構成しているだろう。ただし、本作ではその問いへの単純明快な答えは用意されていないし、そもそもの唯一解はきっとまだない。「僕らは境界線上にいる/苦しみと歓喜のうねりに挟まれて/そして僕は時間が/まるで列車のように 速度を上げて過ぎ去るのを見た」(「Borderline」)。そうケヴィン・パーカーは歌いながら、未来と過去に挟まれて行く先を見失いながらも「未来」や「過去」というイデオロギーの檻に囚われず、「いま・ここ」から別の世界への希望を模索し、手探りを続けていくのだ。(尾野泰幸)

Photo By Neil Krug


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Text By Yasuyuki Ono

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