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【未来は懐かしい】
Vol.74
ア・サートゥン・レシオ〜ポストパンクとディスコ、ラテン、ジャズがぶつかり合うところ

15 October 2026 | By Yuji Shibasaki

最近、というかここ数年、いろんな偶然やら何やらが重なって、日本のフュージョンやシティポップ、ニュー・ミュージック〜ロックなどについて書くことが多くなった。そのためか、いつしかその辺りのジャンルの専門家として扱われるようになった感がある(いや、実際専門的に研究しているのは確かだし、その辺りの音楽が大層好きなのは事実なので、そう思われても問題はないのだけれど)。だからだろう、同業者やらミュージシャンの方と世間話をする中で、ふと、「実は自分、昔からパンクが好きで(何なら昔そういうバンドもやっていて)、精神的なシンパシーということでいえばポストパンクが一番しっくりくるんですよ」と言ったりすると、妙に意外がられたりするのだ。

まあ、そうですよねえ、と自分で納得してしまうものの、この際だから言っておきたいと思う。自分は、ポストパンクが一番好き──というか、最も精神的な「近さ」を感じる存在であり続けてきたし、何なら、上で書いたような全然関係なさそうなジャンルを論じる場合でも、常にポストパンクから学んだアプローチ──具体的には、DIYの精神だとか、ジャンル破壊的なハイブリディティ概念だとか、もっと言ってしまえば対抗的な「逆張り」精神だとかを深く内面化した上でそれを行っているつもりなのですよ! と。

まあ、とかなんとか言っても、お前の入り組んだ指向性のことなど知らんわと言われればまさにその通り過ぎるのであって、具体的にポストパンクについて論じるよりも先にゴニョゴニョと口ごもるような心持ちになってしまうのが常なのだけれど、今回は連載という形を借りて、昔から大好きなあるバンドの作品を紹介しつつ、その魅力のありかを見定めてみたいと思う。

ア・サートゥン・レシオは、ヴォーカル担当のサイモン・トッピングと、ギター兼エレクトロニクス担当のピーター・テレルによって英マンチェスターで結成され、1979年に地元《Factory》からレコード・デビューしたバンドである。当初は同郷のジョイ・ディヴィジョンにも通じるようなダークな作風を特徴としていたが、時を経るごとにファンク色を強めていき、名エンジニアのマーティン・ハネットと袂を分かつことになった3枚目のアルバムの『Sextet』からは、アンダーグラウンドなディスコ・ミュージックやラテン、ジャズ等の要素により一層接近していった。その後もメンバーチェンジを重ねながらポストパンクとダンス・ミュージックのシーンを架橋する活動を続け、メジャーの《A&M》などから作品のリリースを続けていった。

そうしたキャリアを経て、1990年代後半には一旦の活動休止状態に至るものの、かのアンドリュー・ウェザオールが自身のコンピレーションアルバムで彼らの楽曲をフックアップしたことを契機に再評価の機運が高まり、2002年には、名門リイシューレーベル《Soul Jazz》からの再発も実現した。こうした流れを受け、バンドはライブ活動を再開し、同時期に盛り上がりを迎えていたディスコパンクの始祖の一組として多くのファンから支持を受けるに至った。更に、2018年に名門《Mute》と契約すると、過去のカタログの再発と並んで新曲の制作にも取り組み、2020年の『ACR Loco』以来、コンスタントな新作アルバムの発表を重ねている。

私が最初に彼らの存在を知ったのは、おそらく、高校時代に、ディスクガイド本『ロック・オルタナティブ パンク・ニューウェイヴ&80’s アルバム・ガイド800』(音楽之友社、1994年)で彼らのセカンド・アルバム『To Each…』のレビューを読んだのがきっかけだったと思う。その内容に興味を持った私は、早速《Creation》傘下の再発レーベル《Rev-Ola》から出ていた輸入盤CDを手に入れ、ダークな中にも不敵な躍動感と熱を秘めたそのサウンドをすっかり気に入ってしまったのだった。当時既に、ポップ・グループやリップ・リグ&パニック、スリッツ、PIL、トーキング・ヘッズらの同時期作には触れていたのだが、ア・サートゥン・レシオは、そうしたポストパンク〜ニュー・ウェイヴの一群を彷彿させつつも、よりクールな魅力を投げかけてくるバンドとして、自分の中で特別な位置を占めることになった。

その後、《Factory》時代の各作をはじめ彼らのディスコグラフィーを辿っていくうち、一番の愛聴盤となったのが、1982年リリースのサード・アルバム『Sextet』だった。同作は、タイトル通りメンバーを増強した6人組体制で制作された作品で、上述のように、ファンク度を増しながら、ディスコ、ラテン、アフロポップ、ジャズ等の要素を大胆に取り込んだ内容となっている。そのサウンドは、ESGに代表される米NYの《99 Records》周辺や同時期のアンダーグラウンド・ディスコ文化とも連動するようなもので、実際に、前作『To Each…』のレコーディングで訪れたNYでの音楽的体験が多大なインスピレーション源となっていた。また、ドラム担当のドナルド・ジョンソンの叩き出すビートや、マーティン・モスクロップとサイモン・トッピングによるトランペットの音、各種のパーカッションの多用は、かねてからイギリスのクラブ・シーンに根付くジャズ・ファンクの系譜と絡み合うようなところもあり、一般にイメージされるポストパンクの範疇を超えて、ごくハイブリッドな音楽性が具現化されていた。加えて、本作のみですぐに脱退してしまったヴォーカリスト=ティリーことマーサ・ティルソンのか細く清廉としたヴォーカルも実に魅力的で、ジャンル拡散的な印象に大きく寄与している。

こうした音楽的な「転向」に関して、当時のジャーナリズムからは批判的に評されることも少なくなかったというが、現在の観点からすれば、まさにそのようなラジカルな折衷の探求にこそ、彼等一流のポストパンク精神──興味の赴くままに展開するジャンル破壊的なハイブリディティーが刻まれていたのだと擁護することができるだろうし、だからこそ2000年代以後の大々的な再評価がもたらされたのだと考えることもできるだろう。

今回紹介するアルバム『The Joy Of Sextet』は、その記念碑的な傑作『Sextet』の新装盤である。だが、その内容は一般的なストレート・リイシューとは大きく異なっており、各曲に新ミックスが施されたうえ、一部曲が同時期の12インチ収録曲の新ミックス・ヴァージョンに差し替えられるなど、オリジナルとは質の異なる「新ヴァージョン」と称するのが適当な内容となっている。

新たなミックスを手掛けたのは、かねてよりバンドの制作パートナーを務めてきたUKのプロデューサー=ザ・エンペラー・マシーンことアンディ・ミーチャムだ。ミーチャム自身が寄せたライナーノーツによれば、今回彼は、オリジナルのテープに遡り、新たにフェーダーを操作しながら別ミックスを行っていったという。エフェクトの多くを現代のプラグインで再現しながら、一部の欠落したソースを再現するために、手弾きで演奏し直した部分もあるそうだ。また、オリジナル収録の「Rialto」の代わりに収められた「Waterline」では、大胆なダブワイズも試みており、ほとんどリミックスの領域に足を踏み入れている瞬間も少なくない。

こうした操作は、定評あるオリジナル版『Sextet』の内容を脱構築するようでいながらも、同時に、あくまで現在の始点からそのダンス・ミュージック的なアタック感を補強し、音像の濃淡をくっきりとさせながら整然とした響きを導き出す結果となっており、いわば、再評価後の審美眼に寄り添ったヴァージョンとして、個人的にはかなり好ましく聴くことができた。ひょっとすると、今回のヴァージョンを通じて初めてア・サートゥン・レシオの音楽に触れるという向きにとっては、やや混沌としたところが残るオリジナル盤のサウンドよりも、こちらの方がとっつきやすく感じられるかもしれない。

それにしても、改めて感心させられ、なおかつ興奮させられてしまうのは、ここで聴ける音が、全くもってフレッシュさを失っていないということだ……などと、こういう表現は、過去の音楽に対する再評価の言説としてもはやクリシェになり尽くした感もあるが、本来ならば、ア・サートゥン・レシオのような存在のためにとっておくべきものだったのかもしれない。なるほど、今世紀に入ってからのポップ・ミュージックのトレンドを辿っていけば、彼等の音楽が、時々のシーン動向や審美眼の変化に沿って称賛されてきたというのは、いかにも当然のように感じられるし、いままさに、そうした「同時代性」の観点からここに刻まれたサウンドを面白がってみることは可能だろう。だが、何よりもラジカルな折衷志向に駆動されたポストパンク精神にあてられてきた私としては、そうした表層上のトレンドとの一時的な共鳴という次元を超えて、ここにはやはり、より根源的なレベルで現在の私たちに訴えかけてくる何かが蔵されているように思うのだった。

改めていえば、私がポストパンクの多様な──ときに無鉄砲とすらいえるほどに多様な──実践と、それを突き動かしていたエートスに心を奪われ続けているのは、上に述べたようなラジカルな音楽的破壊と再構築行為への絶対的な信頼感が、まさに揺るぎないものとして多くのレコードのそこかしこに刻み込まれているからなのだ。あれとこれをごつごつとつなぎ合わせ、その(ときに異様な)造形物をできるだけ速く、鋭く、連続的に投擲すること。そこには、ざらついたエレガンスと磨き上げられた逸脱が、音楽的肉体のよじれと対抗的な知性の奔出が、いつまでも色褪せないどころか、それらが決定的に世の中に不足していくにしたがって余計に輝きを増すものとして、くっきりと映し出されているのだ。ア・サートゥン・レシオの音楽には、まさにそのような「ポストパンク的」としかいいようのないアンビバレンスが、考えうるもっとも鮮やかな形で滲み出しているのである。(柴崎祐二)

Text By Yuji Shibasaki


A Certain Ratio

『A Joy Of Sextet』


2026年 / Mute


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