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追悼・特別寄稿
トム・ヴァーレインとエレクトリック・ギター

04 March 2023 | By Douglas McCombs

トム・ヴァーレインはエレクトリック・ギターに興味を持っていなかったと言われている。彼が最初に興味を持ったのはサクソフォーンとピアノであり、エレクトリック・ギターは目的達成のためのよりイージーな手段に過ぎなかった。尊敬する人の功績を考えるとき、決断のいくつかはその人がティーンエイジャーの頃になされたものだということを忘れがちである。ヴァーレインがギターを弾くことを決めたのはティーンエイジャーの頃で、私たちはその決断から恩恵を受けている。彼は、いつかはサクソフォーンで仕事を続けようとさえ思っていたかもしれない。多分、彼はそう思ったことがあるだろう。私にとって明白なのは、彼がエレクトリック・ギターを愛し、エレクトリック・ギターをプレイすることを愛していたということだ。

多種多様な方法によってエレクトリック・ギターの能力を使いこなし、その可能性を拡げていることからも、ヴァーレインがエレクトリック・ギターを愛していたと、私にはわかる。彼はエレクトリック・ギターの個人的な言語を開発し、彼の曲の歌詞が暗示していることの多くを説明し、反映させている。それは、スケールやハーモニーの構造と関係するものもあるが、多くは、遊び心を持とうとすること、そしてどんなサウンドが出せるか実験してみるということに関係している。



テレヴィジョンのレコード『Marquee Moon』(1977年のファースト・アルバム)を発見したとき、私はレコードを聴き始めてまだ1年ほどしか経ってなく、バンドのライヴを見たこともなかった。ディーヴォ(Devo)からスタートし、徐々に他のバンドを知るようになり、同じような緩やかなムーヴメントに属していると理解するようになった。これらのバンドの多くが慣習を打ち破ろうとしていて、その一環としてブルースのスケールを弾かない、ギターソロを弾かないということがあることを、私はよく理解していなかった。もちろん、ブルース・ロックの構造を演奏するバンドやギター・ソロを演奏するバンドもいたが、それを認識したり、『Marquee Moon』のすべての曲にギター・ソロがあることや、それどころかギター・ソロが本当に何であるかを知るための前例は私には無かった。ベースがギターと違うということも、どんな音がするのかも、私は知らなかった。

なので、これらの楽器がどのように組み合わさってロック・ミュージックを作っているのかを理解するには、これらのレコードを何度も何度も聴くことからだった。結果的に『Marquee Moon』は最も重要な作品となった。

トム・ヴァーレインは、慣習を受け入れると同時に慣習を打ち破る。彼はシンプルな構造の中に複雑な構造を置き、見慣れたものでありながら、隠れた衝動や驚きがあるものを構築し、既知と未知を混ぜ合わせて、リスナーに毎回新しいものを提供する。「Friction」という曲(『Marquee Moon』収録)の真ん中ぐらいのギターソロは、摩擦(friction)が実際にどのような音かをギターに翻案しているかのように聴こえる。この曲のアウトロに繋がるギター・ソロは、ほかのギター・プレイヤーがかつて誰も連ねようとしなかった、流動しながら尖っている音符の連なりだし、いままでテープに残されたロック・ギターの中で、おそらく最も刺激的な15秒間だ。意図的なのかただの偶然の出来事にすぎないのか、どちらにせよヴァーレインはこのようなことをよくやっている。意図的なようにも思える。「Guiding Light」という曲(『Marquee Moon』収録)では、滝のように次々と聴こえてくるギターとシンバル/アルペジオとクラッシュで、歌詞の「Darling, Darling」「Do we part like the seas?」「The roaring shells…」「The drifting of the leaves…」という歌詞を引き立てる。このような描写的なギター・プレイの例は、3枚のテレヴィジョンのアルバムとヴァーレインのソロ作品を通して、時には強調された形で、時には遠回しに、現れ続ける。

70年代の終わりにはテレヴィジョンは活動を休止し、トム・ヴァーレインは自身の名義で90年代まで続く6枚のアルバムをリリースしはじめた。彼の曲の構成は進化し続け、時には繊細に、時には残忍主義者のように、しかし常に、パズルのピースをつなぎ合わせる、彼の特徴となるポイント(point)や対位法的手法(counterpoint)があった。ギターの質感のヴォキャブラリーはアルバムごとに飛躍的に増え、きらめくハーモニクス、ドラマチックな音量の増減、滝のように次々と駆け抜けていくアルペジオの音、耳にこびりついて離れないトリルや不規則な音程の上下など、これらをすべて、繋ぎとして、または曲のメイン・リフやコード構成へ対位法的に使用したり、しばしば歌詞を引き立たせるために狙ったりするようになった。

これらの80年代のアルバムには、もう一つ新たなタイプの楽曲が時折登場する。インストゥルメンタル曲のようなものに、歌や囁き、チャントなどの言葉やフレーズが少し混ざっているような曲である。「The Blue Robe」(1981年のセカンド・アルバム『Dreamtime』収録曲)や「Bomb」(1987年の5作目となるアルバム『Flash Light』収録曲)などはその良い例だ。1992年、ヴァーレインは全曲インストゥルメンタルのアルバム『Warm and Cool』を発表した。

『Warm and Cool』では、ヴァーレインの楽曲に対する通常のアプローチにいくつかの重要な変化が見られた。彼が自分の音楽でメインストリームに到達することをあきらめ、自分だけのために何かをしたいと思うようになったのだと考える人たちもいた。テレヴィジョンが(『Warm and Cool』がリリースされた年に)新しいアルバムを作ったので、そのために彼が持っていた慣習に従った曲のアイディアを使ったのかもしれない。理由はともかく、『Warm and Cool』はヴァーレインの他の作品とは全く異なるフィーリングを持っている。このアルバムでは、リズム・セクションが非常にゆったりしているか、あるいは全くない状態で、そぎ落とされた楽曲のアレンジがなされている。長い音符が伸び、他の静かな音符が背景に現れる余地を残している。ドラマーとの完全な即興デュエットの曲もある。ある曲はヴァース/コーラスの構造を持っており、ある曲はモードに基づいて、または部分的に即興で作られたように思える。しかし、すべての曲は、レコーディングで捉えることができなくはないが非常に難しい、非常に巧みなので楽々とこなしているように見えながら意図的になされた、カジュアルなムードを持っている。ほとんど不可能なことだ。

このレコードは、私がインスピレーションを求めるために何か静かなものを探していた時にやって来た。トム・ヴァーレインのすべての録音作品は私にインスピレーションを与えてくれたが、『Warm and Cool』は私がそれを必要としていたまさにその時にやって来たものだった。私はそれを受け入れ、その当時から今に至るまで、何度も何度も繰り返し聴いて来た。完璧なアルバム。多分これ以上完璧なアルバムは『Marquee Moon』だけだろう。私の見立てでは。ありがとう、トム・ヴァーレイン。 あなたがギターを弾いているのを見られる次の瞬間をいつも楽しみにしていました……。
(文/ダグラス・マッコームズ 翻訳/Sawawo(Pot-pourri) 協力/荻原孝文、Thrill Jockey Photo/Stefano Giovannini)




<後記>
テレヴィジョンの中心人物としての活動で知られたヴォーカリスト/ギタリストであるトム・ヴァーレインが1月28日に死去した。享年73。2010年代以降、オリジナル・アルバムのリリースはなかったが、2010年にはギタリストのジミー・リップを従えてソロで来日、2013年5月にはテレヴィジョンとしても来日公演を実現させていた(下北沢《GARDEN》での公演にはマサカーで時を同じくして来日中だった同世代のチャールズ・ヘイワードも出演)。

今回、トータスのダグラス・マッコームズにそのトム・ヴァーレインについて執筆してもらった理由を少し書いておきたい。昨年10月の《Pitchfork》の記事“18 Musicians on Their Favorite Albums of the ’90s”でダグラスはトム・ヴァーレインの1992年のソロ・アルバム『Warm and Cool』を挙げていたから。「書けるかわからないけどトライしてみるよ」と快諾し、素晴らしいテキストを執筆してくれたダグラスには心から感謝する。なお、ダグラスは昨年、初となるフルネーム名義でのアルバム『VMAK<KOMBZ<<< DUGLAS<<6NDR7<<<』をリリースしているのでぜひこちらも聴いてほしいと思う。

以下、トム・ヴァーレインのギターに魅了され続けた筆者の駄文も記しておく。トム・ヴァーレインは1949年ニュージャージー出身。10代からの友人だったリチャード・ヘル、ビリー・フィッカらとニューヨークで本格的に音楽活動を始め、1972年に結成したネオン・ボーイズを前身にテレヴィジョンへと発展させた。70年代にはアルバム『Marquee Moon』(1977年)、『Adventure』(1978年)をリリース。ロバート・メイプルソープによるフォトがカヴァーを飾る『Marquee Moon』はもとより僅か1年で届けられたセカンド『Adventure』も今なお高い評価を誇っている(ジャケットの“黒と赤”はスタンダールを連想させる)。本名はトーマス・ミラーだが、フランスの詩人、ヴェルレーヌに倣って“ヴァーレイン”と名乗るようになった……とか、“ドアーズがかつて所属していたから”テレヴィジョンは《Elektra》と契約した……とか、1978年8月“満月の夜に、モビー・グレイプを思い浮かべて”解散……といった数々のロマンティックなエピソードもファンの間で知られており、70年代の一時期にパティ・スミスと恋愛関係にあったことも有名。いわんや、ニューヨーク・パンク云々という紹介は結局死ぬまで彼の枕詞としてついてまわることとなった。

そんなテレヴィジョン時代の活動は確かに今なお鮮烈だが、トムはソロになってからも素晴らしい作品を数多く残している。ソロに転じてからもジャズマスターを自在に操るギタリストとしての力量は群を抜いており、テレヴィジョンの看板ギタリストだったリチャード・ロイドと双璧をなすセンスの持ち主であることは多くのミュージシャンたちがこれまでに証言してきた。筆者も1987年、トムにとっての最初の来日公演でその事実をつくづく痛感させられた一人で、その時は最新アルバム『Flash Light』(1987年)をひっさげてのジャパン・ツアーだったが、『Tom Verlaine』(1979年)、『Dreamtime』(1981年)、『Words from the Front』(1982年)、『Cover』(1984年)と、それ以前のソロ作品で聞かせていた様々なギター・プレイの断片がさりげなく繰り出されるパフォーマンスにすっかり打ちのめされてしまった。

それだけに、『The Wonder』(1990年)を経た1992年、テレヴィジョンが唐突に再結成され、ニュー・アルバム『Television』までがリリースされたのは少し肩透かしだった。なぜなら、『Television』と同じ1992年にトムは『Warm and Cool』というインストのソロ・アルバムを発表しており、テレヴィジョン再結成アルバムより先にそちらを聴いていた筆者には遥かにヴィヴィッドに感じたからだ。今改めて聴くと『Television』は決して悪いアルバムではない。けれど、『Warm and Cool』はテレヴィジョンの盟友のドラマー、ビリー・フィッカと、ベーシストでトムが信頼していたエンジニアでもあるPatrick A. Derivazとの3ピースでレコーディングされたもので(「Harley Quinn」のみフレッド・スミスとジェイ・ディー・ドゥーティーとの録音)、トムの弾くドローン調のギターがドラムとベースに絡みながら空間に漂ったり、ビリー・フィッカらしいドラム・ロールの上でメランコリックなギター・フレーズが波を打ったりするような研ぎ澄まされたギター・アルバムとして当時としてはかなり攻めた作品だったと言える。自身の特徴的なあのひきつったような歌や言葉を伴わない寡黙なセッションは、初めてテレヴィジョンを聴いた時のような緊張感をこちらに投げかけ、トムはこれからこういうことをやりたいんだろう、と思うが最後、テレヴィジョンの再結成(アルバム)にはほとんど興味を持てなくなり、1992年に実現した来日公演にも一応足を運んだものの、一番いいところであるはずの「Marquee Moon」のイントロのギターを間違って(?)やり直しするというハプニングに落胆させられてしまった。そこから筆者は“テレヴィジョンを再結成させたトム・ヴァーレイン”への興味を失ってしまい、でも一方で、“『Warm and Cool』以降のトム・ヴァーレイン”にはそれまでにはない愛着を感じるようになっていった。ただし、実際にトムが次のソロ・アルバムを発表するまで実に10年以上の月日が流れることになるのだが……。

そして2006年、トムはシカゴの《Thrill Jockey》から『Songs and Other Things』と『Around』の2作品を同時リリース。その前年(2005年)、オリジナルは《Rhykodisc》から出ていた『Warm and Cool』をリイシューした《Thrill Jockey》としてはトムの新作を発売するというのは自然な流れだったのだろうが、実際に2作品とも『Warm and Cool』からの継続性を感じさせる内容で、後者はインスト作だがビリー・フィッカ、Patrick A. Derivaz、フレッド・スミス、ジミー・リップらが分かれて参加していることから、『Warm and Cool』の路線をトム自身時間をかけて育てていこうとしていたことがわかる。また、ポストロックや音響系といった言葉のもと、トータスやガスター・デル・ソルらが新しい時代を切り開いた後に、その源流の一つにトム・ヴァーレインがいたことを改めて伝えたような会心のリリース作品でもあり、さあ、ここからトム本来の新たなチャレンジがようやく始まる、とワクワクさせられたのを今も忘れていない(蛇足ながら、2000年代の《Thrill Jockey》はデヴィッド・バーンによるサントラ『Lead Us Not Into Temptation – Music From The Film Young Adam』(2003年)をリリースするなど十把一絡げにニューヨーク・パンクとされたアーティストたちの“現在地”を再定義させる重要な働きをしている)。結果としてこの2作品を最後にトムのオリジナル・スタジオ録音アルバムがリリースされることはなかったが、『Warm And Cool』、そして『Songs and Other Things』と『Around』という、約15年ほどの時間は空いているし、途中企画盤のリリースはあったものの、形の上では連続となったこの3作品が歴史を継承しながらも次の世代へとバトンパスをし続けるソロ・アーティストとしてのトム・ヴァーレインであると筆者個人は認識している。そう感じていただけに、今回、トムの“継承者”でもあるトータスのダグラス・マッコームズに執筆してもらえて本当に良かった。(岡村詩野)

Text By Douglas McCombs


Tom Verlaine

Warm And Cool

LABEL : Rykodisc(Original / 1992年)No longer available
          : Thrill Jockey(Reissue / 2005年)No longer available



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【REVIEW】
Douglas McCombs
『VMAK<KOMBZ<<< DUGLAS<<6NDR7<<<』
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