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otuyyutoとの邂逅
──ハワイの波、帰る場所、これは俺の人生で、あんたたちのものじゃない

19 October 2026 | By Ikkei Kazama

otuyyutoという人がいる。以下に続くのは彼の、ほとんど初めてとなるロング・インタヴューだ。

簡潔に人物像を書き留めておこう。ハワイ出身、NYやLA、大阪など様々な土地を歩き渡り現在は東京に落ち着いている2000年生まれのラッパー/プロデューサー、それがotuyyutoだ。ただ、“ラッパー/プロデューサー”という肩書きに彼が満足しているわけではない。インタヴューで彼はラップを“楽器のひとつ”として、あくまでツールのように捉えていることを明かしている上、現在の公式プロフィールには“マルチディシプリナリー・アーティスト”とある。

とはいえ、彼の周囲に現在集まっているのは、同年代の(それこそ、紛れもない)ラッパーやプロデューサーたちだ。otuyyutoが日本に滞在するきっかけとなった足立区のクルー=SpiderWebに名古屋のWorldwide SkippaやyougeekといったOMGの面々、さらにフル・アルバム『優人』の客演陣に目を向ければその交友関係が窺えるだろう。

otuyyutoは英語と日本語を織り交ぜながら、フレックスとペインを往復するようなリリックを吐き出す。セルフ・プロデュースによるトラックもその迫力に加担する。溢れ出るイマジネーションの影を追いつつ、その生い立ちや日本のシーンとの距離感について聞いた。
(インタヴュー・文/風間一慶 写真/Momoko Umezaki 協力/下北沢SPREAD)

Interview with otuyyuto

otuyyutoのはじまり

──どうも、はじめまして。

otuyyuto(以下、o):はじめまして。

──このインタヴューはイケザワくん(otuyyutoのマネージャー)からの推薦で、正直話をいただくまではあまり知らなかったんです。ただ、作品を聴いて、「この人にぜひ取材をさせてほしい」と思い立ちまして。だから今日はotuyyutoという人にあくまで話を聞きに来たのであって、国内のシーンのあれこれについては全く知らないというか、そもそも興味がない。

o:うん、俺も自分のことを“日本のラッパー”とは思ってない。日本語はあんまり得意じゃなくて、ラップのセンスを楽器のひとつとして使ってたら、今のシーンに入っちゃったって感じで。

──大凡のバイオグラフィ──小さい頃は大阪にいたとか、そのあとハワイに移ったとか──については去年のニートtokyoで語っていたじゃないですか。今日はそれを踏まえつつ、色々な話を伺いたいなと。まず、最初の音楽体験って覚えてます?

o:親がミュージシャンだったんです。お母さんが日本人で、お父さんが黒人。お母さんはカヴァー・シンガーとしてスナックとかで歌ったりしてたんだけど、10代の時にレーベルと契約するとこまで行ったらしくて。レーベルがピンクと緑の髪型のパンクみたいなヴィジュアル・イメージを提出してきて、それで泣いて帰ったらしい(笑)。それからずっとカヴァー曲ばっかり歌ってる。

──お父さんは?

o:子供の頃から指が折れるくらいピアノの練習をしていて、ホテルとかバーでジャズを弾いたり歌ったりしていたみたい。自分の曲も作って、契約もして、ピアニストとして頑張ってた。倉木麻衣の全国ツアーのピアニストもやってて、大阪ドームまで見に行ったこともある。「わぁ、すごいな」って感じで。で、たぶん血に入ってると思うの。僕が小さい頃はジャズとかR&Bばっかり聴いてて、ラップは全く聴かなかった。

──自分でも演奏は?

o:してた、幼稚園からピアノを弾いてて。パパみたいになりたかった。それでハワイに引っ越してからはピアノをちょっと辞めて、トロンボーンとヴァイオリンで中学校のオーケストラに入ったりして。その時は周りの友達と一緒にラップを聴き始めていたけど、あくまで自分の興味は“音楽”だった。

──聴いていたものって覚えてます?

o:んー、一番覚えてるのはiPod touchを買ってもらった時に最初に入れた『トロン・レガシー』(2010年)っていう映画の音楽で。

──ダフト・パンクの。

o:そうそう、あとはカニエ(Ye)を聴いてた。『Late Registration』(2005年)と『Graduation』(2007年)。今もずっと聴いてる、俺のアイドル(笑)。

──ただ、その頃はまだラップしていない。

o:そう。高校でジャズ・バンドに入ったり、NYのジュリアード(音楽院)を目指してたりしたんだよね。ただ鬱病になって全部やめちゃった。『17』(2025年)ってアルバムはそれを後から理解するために作ったんだけど、その時は色んなことが重なったんだよね。「なんかいっぺんに来るやん?」みたいな。住んでたマンションが火事になって、消火で全部水浸しになったり、バスケも頑張ってたのに手首折っちゃったり。あと私立の高校で勉強も頑張ってたから……真面目すぎて、爆発しちゃって。それで何ヶ月か学校に行けなかった。2週間くらい休んでた感覚だったけど、最近ママに聞いたら「何ヶ月も休んでたよ?」って(笑)。

──その時期が丸ごとトラウマというか。

o:ご飯もしばらく食べれなかったし、友達のママが来て俺をトイレに運んだりしてた。それで音楽も一旦やってなかったんだけど、カメラを持ち始めたタイミングで「フォトグラファーになりたい」って思って。で、高校を卒業をしてハワイから一番遠いNYに行った。なんか、その時の自分がめっちゃ弱く感じて、自信をつけてどうにか強くなりたかったんだよね。それでピエール・ボーンっていうプロデューサーとラッキーっていうラッパーのフォトグラファーになったの。

──えっ、いきなり?

o:そうそう、一瞬だけ。ステージの写真とか撮ってた。それで自信もついたんだけど、飽きたら次は映像を作るようになって。で、映像のために音楽が必要になって、選曲する延長で自分でも音楽を作るようになった。ただ映像もまた飽きて、俺の人生そんなのばっか(笑)。

──ラップを自分ではじめたのもNYにいた時?

o:そう。映像に飽きた後にヤバい鬱を経験して、1週間ぐらい家の中にずっといたんだよね。それでBandLabを使って、自分でラップを作って。めっちゃエクスペリメンタル・ラップっていうか、声を出したくても誰も喋る人いないから、ラップで声を出す……みたいな。それで1週間くらいで作品を作り終わって、「楽しいからもっとやってみよう」って思えて。今もそんな感じっていうか、セラピーみたいな。

──その時の趣味もエクスペリメンタル・ラップに傾倒していたんですか?

o:まぁカニエもエクスペリメンタルな時あるし、ジェイペグマフィアとか、タイラー・ザ・クリエイターの「IGOR」のイントロとか、あと2016年くらいのプレイボーイ・カルティとか、全部ヤバくて。トラップ系じゃないのが好き。

──レイジにハマったりは?

o:いや、あんま聴いてない。よく(レイジっぽい音と)言われるんだけど、ピンときてなくて。たぶんベースの音が似てるのかな?

──それは意外。じゃあ10代の終わりごろから20代のはじめはNYの家でひたすらラップを録っていたという。

o:うん。やることがなくて、一日中YouTubeとかでビートを探して、一日で4曲くらいパパパっと作って。スキルを習得して技を覚えるっていうか、自分の声が好きになるまで続ける筋トレみたいな。

仲間との出会いと葛藤

──なるほど。それで日本にまた戻ってくると。

o:そう、2023年に大学を卒業して。そのあと、春に出した「YUTO FLOW」で日本のリスナーが初めてついてくれた。vystっていう俺のバックDJは最初に拡散してくれた人で、お寺の前で踊ってる動画とかを挙げてて(笑)。

で、俺が日本に旅行で行ったタイミングで、vystから「MV撮ろうぜ」って言われて。大阪に住んでた時の団地に行って、ふたりで「涙」っていう曲のヴィデオを撮った。それからまた日本に戻って来たタイミングで初めてライヴに出た。それがYeYanの原宿のパーティーで、SpiderWebとかLil Mafuyuとかとも会って、「なんかこれ、普通じゃないな」みたいな。

──いきなり今の仲間たちと出会った。

o:しかもその時は元カノと別れて、NYでも仕事探せなくて……ただ、自分でビートを作ってラップをして、しかも応援してくれる人も日本にいる。「ずっとこういう感じが欲しかったんだな」ってそこで気づいた。で、一旦ハワイに帰って『17』を作って、そのあと大阪のおばあちゃんの家に住むようになった、みたいな。

──YeYanのパーティーがそれだけ強烈だったという。

o:うん、本当にvystのおかげ。初めてのライヴで、スタイリングとかまで手伝ってくれたし。それまでも日本には戻りたかったけど、ライヴで自分のことなんか誰も知らんのに一緒に歌ってくれてて。そこにいたみんなも「帰ってきてや!」とか「待ってるぜ!」って。泣くわ(笑)。実際にLil Mafuyuが去年の4月に大阪のライヴに呼んでくれたり、名古屋のライヴにもブッキングされたりした。

──名古屋のOMGの面々との交流もそこから?

o:いや、たまたま。ハワイに去年の5月までいたんだけど、その時にjellyyと曲作ってて、その繋がりで(Worldwide)Skippaとも作りたいと思ってたんだよね。で、YeYanのツアーで名古屋に行った時、朝6時にエアビーから出て帰ろうとしたら(Sad Kid)Yazとyou geekがソファに座ってて、「あ、otuyyutoさんですよね! よく聴いてます!」って挨拶してくれた(笑)。その時はあんまり知らなかったけど、帰りの新幹線で聴いたらカッコよかったから、2日後に「一緒にやりましょう」って伝えた。そのあとにSkippaとも実際に作れた。

──ここまでの話から、日本語ラップのプレイヤーとは個別に仲良くなっているけども、必ずしも楽曲やライヴに影響を受けたわけではないというか。曲より、まず人に惚れている。

o:うん。アメリカに日本のラップって届かないから、千葉雄喜以外(笑)。ニートtokyoでインタヴューしてくれたJinmenusagiのことも知らなかったし、「SEEDAが直接オススメしてくれたんです」ってスタッフの人が教えてくれたけど「SEEDAって誰? SNSありますか?」って感じで。あとから彼女にそれを話して「あぁ、ヤバい!」みたいな(笑)。そのくらい何も知らなかったから、『優人』では逆に日本で知り合った人にみんな出てもらった。lymphとかksr:3とか、仲が良いっていうか、最初に会った優しい人たち。だけど……あっ、これずっと言いたかったこと。『優人』を聴いて、みんな勘違いしたと思うの。

──というと?

o:アルバムの前半がトラップなんだけど、あれは「俺はこんなのも作れるぜ」って見せたかったからで。悲しい曲ばっかり作ってたから、俺(笑)。それでいきなり日本語でラップしはじめたから、「ついに来たぞ」って感じでハードなトラップを作ったんだよね。

だけど、それでシーンに入りすぎたっていうか。みんなハードな曲しか聴いてくれない。後半の曲の方が自分らしいのに、前半ばっか聴かれてる。

──意図せぬ格好の自己紹介になってしまったというか。

o:そう。アーティストとしてハードな曲も作れるけど、悲しい曲も作れるし、ポップなやつも歌える曲も作れるのにって。だからジーンズのアルバム(『DiSTRESSED JEANS』)を作った。自分のためのアルバムだから客演もいないし、ミックスもプロデュースも全部自分でやった。整理のためにね。

──アルバムと並行して、ハワイに帰ったタイミングで作るミックステープ集『Y LIFE』も継続的に出してますよね。

o:帰るというか、んー。ハワイにも色んな人がいるから、結局どこにいるのかわからなくなる時もあって。俺が学校に行ってた時は黒人として扱われていたし、NYに行った時はチャイニーズとして扱われたり……かといって、日本語は話せるけど、漢字も読めないし敬語も使えないし、仕事もやりづらい。わかりにくい人生だよね、難しい。

──その難しさがラップとして出ていると。ただ、そのラップやビートのスタイル自体も頻繁に変わるという。

o:そう。何を作るかもわかんないし、興味もコロコロ変わるし。アーティストだったら、続けていると「そういう音の人」って決められるじゃないですか? それも違うっていうか。

──ラップの上でのゲームではなく、さっき言ってたような“筋トレ”が重要で。例えば『Y LIFE 3』の「KANSAI」や「OTOKO」ではアーティストとしての成功が歌われているけど、あくまで自分の生活に興味があって、他との比較にあまり目が向いていないようにも聴こえたというか。

o:そう、結局自分のために作ってるし。「売れたい」とか「人気になりたい」みたいなことでも色んなニュアンスがあって、今の自分にとっては普通に生活を続けられることが一番嬉しいというか。

──「俺の方がすごい」という意識があるというよりは、むしろ「自分は他のラッパーとは別物である」という感覚が強いようにも感じて。上じゃなくて、単に“別物”なだけというか。

o:そう、だから説明が難しい。「OTOKO」の「ただのラッパーじゃない、見た目そうだけど」ってのは自分にとってはコンプレックスでもあって。自分の人生のストーリーを全部話しても、それを本当に理解してくれる人はなかなかいない。だから「ラッパーじゃない」って自分を定義することで、自分を守っているのかもしれない。かといって、自分から「俺はこうなんだ」って声高に主張したくはない。アートっていうのは、受け手がそれぞれ自分の解釈で受け取ってこそ面白いものだと思うから。本当に俺のことを知りたければ、ライヴに来て見てほしいし、直接会話をすればわかるはず。

「これは俺の人生で、あんたたちのものじゃない」

──「わかってほしい」という切実な気持ちが根底にある。

o:うん。ジーンズのアルバム(『DiSTRESSED JEANS』)で一番伝えたかったのも、「俺のことが誰にもわからない」という感覚なんだよね。『Y LIFE』もそうで、ハワイにいても日本にいても、俺はどこかで「勘違いされている」と感じる。それが自分のせいなのかどうかもわからないけれど、とにかく全部がわかりにくくて、ごちゃごちゃしているんだよね。

──『Y LIFE 2』が出た時のコメントにもありましたね。「ハワイはいつも自分をリセットできる場所。でも同時に、長くいると苦しくなる場所でもある」と。

o:あぁ、やっぱりあの家は……鬱を経験した場所だからね。その苦しみが作品に出るから、戻る意味はあるんだけど、精神的にはすごく疲れる。今はもうあまり帰っていないし、帰れるけれど帰らないようにしている。キャリア的にも進むべきだと思っているし、ママとも……最近はちょっと会いにくい。本当は去年ハワイに戻る予定だったけど、ライヴのあとに勝手に残るって決めて、それがママの決めたことに対してはじめてリスクのある選択をした経験だったんだよね。

──親への反抗というか。

o:そうそう。ママからすれば、子供が突然いなくなったみたいで焦っただろうし、その時はすごい喧嘩をした。曲にも書いたけど、結果的にアメリカから持ち込んでいた鬱の薬も、自然とやめることができた。でも、そんな俺をお母さんは「狂っている」と言ったから、少し距離を置こうと思って。まだまだ子供だけど、家を出て自分で生きていく覚悟を決めたからね。

それに、パパとママの離婚もそうだけど、家族の中で親が抱える難しさをずっと見てきたし。パパを悪く言うつもりはないけれど……そういうトラウマがついて回るような感覚があるし、家の中には複雑な空気がある。だから、俺は立ち止まれない。

──なるほど。それが『Y LIFE 3』では赤裸々にラップされてると。

o:うん。去年から「This is my life, not yours(これは俺の人生で、あんたたちのものじゃない)」っていうのをプロデューサー・タグとして入れてて、『Y LIFE 3』ではフックとしても使った。マジで、そう言わざるを得ない意味があったんだよね。ママから色々言われるたびに「俺の人生じゃね?」って(笑)。愛してるけど、うるさい。

──『Y LIFE 3』にはフレックスとペインが混在していて、それはやっぱりYeからの影響なのかもって。

o:小さい頃から聴きすぎたんだよね、たぶん(笑)。

──(笑)。フレックスの象徴としては、エルメスが何度も登場していて。

o:実は、ママがハワイのエルメスの伝説的なセールス・パーソンで。

──えっ?

o:今も働いているんだけど、世界中の店舗の中でもトップクラスの成績で、“GOAT”って呼ばれているみたい。

──すごい(笑)。

o:だからエルメスはただのモチーフじゃなくて、俺の人生に深く根ざしているっていうか。そんな感じで、全部の作品がそうなんだけど、リリックもトラックも全ての要素をちゃんと考えて作ってる。アルバムの流れとかミックスとかも意図的っていうか、適当に作ったものをただ乗せているわけじゃない。

──だからこそのセルフ・プロデュースというか。

o:疲れるけど、それが自分を整理する方法っていうかね。一人で全部抱え込むのは大変だよ、全部自分でやるなんてスティーヴィー・ワンダーくらいしかいないんじゃない?

ただ、自分の中で完結させたいっていうのはエゴで、一人で作っていくとおかしくなっちゃうから、最近は色んな人とも作りたいっていうか。今の仲間たちとはこれからも作品を作っていきたいし、俺自身がラッパーとしてマイクを握るだけじゃなくて、いつかもっと監督みたいな立ち位置で、死ぬほど音楽が好きな人たちを集めて作品をディレクションしたいとも思ってる。『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』(2010年)みたいに、みんなの才能を繋げて一つの大きな作品を作り上げるっていうか。

──ラッパーとしてではなく、プロデューサーとして参加するっていう。

o:そう。ラップはただの楽器で、技のひとつに過ぎないっていうか。マイケル・ジャクソンだってラップができるけど、誰も“ラッパー”という枠で語らないよね。俺もラップができる一人のミュージシャンでありたい。それに、最近はパソコンを使わないで、アナログ・シンセだけで音楽をやりたいとも思ってて。パソコンの画面を見ていても音楽を感じられなくなってきているというか、キーボードを弾いて、子供の頃に戻るような感覚でやりたい。

──それって子供の頃にお父さんに憧れてピアノを弾いていた時期に戻っているというか、原点回帰に近いというか。

o:たしかに。それもちゃんと意味があるのかも(笑)。戻ってばっかり。だからこそ、みんなにもう一回ちゃんと聴いてほしいっていう気持ちが常にあるんだよね。『Y LIFE 3』のアウトロに波の音を入れているのも、単に「ハワイかな?」と思わせるだけじゃなくて、人生の波とか、口座残高の波とか、シーンの中の波とか、いろんなニュアンスを込めている。

──次に控えている作品の構想は?

o:まだ全然わからないな。今作ってるのはマジで“筋トレ”って感じ。俺には一年を通じて気分の波があって、冬になると鬱っぽくなるし、夏はアクティヴに遊んでる。その季節や気分のパターンで、音楽のスタイルも自然と変わるんだよね。夏はトラップ系が多い(笑)。今はそうやって自分の人生を経験しながら、それを曲に落とし込んでいる。さっき言った“波”と同じで、今は引いているかもしれないけど、また次の波は必ずやってくるはずだし。

<了>

 

Text By Ikkei Kazama

Photo By Momoko Umezaki


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RELEASE DATE : 2026.10.14
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