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音楽映画の海 Vol.3
『エルトン・ジョン:Never Too Late』
エルトンの人生を浮き彫りにするドキュメンタリーとフィクションの思わぬ相乗効果

25 March 2025 | By Kentaro Takahashi

連載第2回のボブ・ディランの伝記映画『名もなき者』についての記事は反響が大きかった。個人的にとりわけ感慨深かったのは、大先輩と言える音楽関係者にたくさん褒めてもらえたことだった。

実を言うと、僕はボブ・ディランについてはさして詳しくない。自分は乗り遅れた世代である、という感覚をずっと持っている。僕がポップ・ミュージックに興味を持ち、レコードを買い始めた1970年ぐらいには、ボブ・ディランはオートバイ事故以後の療養・隠遁生活に入っていて、メディア上では目立たなかった。ビートルズやローリング・ストーンズのようにラジオから頻繁に曲が流れてくるアーティストでもなかった。

大学に進み、音楽系のサークルに加入すると、3年上の先輩がボブ・ディランの『Blonde On Blonde』の話をしょっちゅうしていた。ロビー・ロバートソンのようなギターを弾くその先輩には絶大な影響を受けたが、『Blonde On Blonde』は聴いてみても、正直、よく分からなかった。これは上の世代の人達が影響を受けた音楽なんだろう、と思って、終わってしまった。

ディランズ・チルドレンと言えるようなシンガー・ソングライター達の音楽はたくさん聴いた。ザ・バーズの一員だったジーン・クラークは歌い方からしてディランの強い影響下にあるが、僕はディランよりもジーン・クラークの歌が好きだった。ディランのバック・バンドから発したザ・バンドの音楽には絶大な影響を受けた。それでも、ディランの音楽との間には埋めがたい距離が残った。初来日公演から観ている。何枚か聴き込んだアルバムもあったりする。だが、今もって自分はまだ追いつけていない、という感覚が脱けない。

そんな僕が、60年代のディランをよく知る先輩達にも刺さる論考が書けたというのは嬉しい驚きだった。映画『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』について、僕があのような視点を持つことができたのは、ディラン登場以前のアメリカのフォーク・シーン、とりわけ1930年代からのアラン・ロマックスとピート・シーガーの活動についてのリサーチを進めていたことが大きいかもしれない。ボブ・ディランのファンではなかったから書けたと言ってもいいと思う。

ところで、僕が1970年頃に最初に大ファンになったシンガー・ソングライターは誰だったかというと、これはエルトン・ジョンである。意外に思う人もいるかもしれないが、アメリカではなくイギリスのシンガー・ソングライター、ギターではなくピアノを弾くシンガー・ソングライターだったのだ。1970年にリリースされたエルトン・ジョンのセカンド・アルバム『Elton John(僕の歌は君の歌)』が僕が初めて買ったシンガー・ソングライターのアルバムだった。冒頭に「Your Song(僕の歌は君の歌)」を収録した名盤中の名盤だ。「Your Song」の歌詞の日本語訳を読んで、歌というのはこんなことを語れるんだ、と衝撃を受けた。そこから僕はシンガー・ソングライターへの興味への膨らませ、ニール・ヤングやジェイムズ・テイラーやジョニ・ミッチェルの音楽にも出会うことになる。

昨年暮れに《Disney+(ディズニープラス)》で公開された『エルトン・ジョン:Never Too Late』はそのエルトン・ジョンのドキュメンタリー映画だ。エルトンは2022年11月20日のロサンジェルスの《Dodger Stadium》公演をもって、ライヴ・パフォーマンスを封印した。『エルトン・ジョン:Never Too Late』はその最終公演に至るまでのエルトンのラスト・ツアーを追いながら、エルトンの自身の言葉、過去の映像、時にはアニメーションを使った再現シーンなどを織り込んで、エルトン・ジョンの波乱に満ちた半生を描き出す。

ミュージシャンの伝記映画はドキュメンタリーとフィクションに大別されるが、エルトン・ジョンの場合は2019年に公開されたデクスター・フレッチャー監督による『ロケットマン』というフィクション版の伝記映画があった。主演はイギリスの俳優、タロン・エガートン。劇中のエルトンの曲もタロンが歌っていて、これがなかなかのクォリティーだった。

『エルトン・ジョン:Never Too Late』は内容的にはその『ロケットマン』とも多く重なるエルトンのストーリーを綴っていく。しかし、『ロケットマン』は幻想的な展開もする、ミュージカル仕立ての映画だった。ファンタジーと言ってもいい。対して、このドキュメンタリーは生々しく、凄惨ですらある。エルトン自身が告白する成功の裏側にあった彼の人生。エルトンは私生活では愛に恵まれなかった。ゲイであることを自覚するのにも時間がかかり、苦悩する時期が続いた。「Your Song」のような珠玉のラヴ・ソングを歌い、世界的な注目を集めても、彼自身は恋人を持ったこともなかった。セックスの経験もなかったのだ。

アルバム『Elton John』はイギリスではさして売れなかったが、アメリカ・ツアーを敢行し、ロサンジェルスの《Troubadour》公演を成功させてから、エルトンは成功の階段を昇っていく。サンフランシスコ公演の後に、初めて恋人を得る。それが長年、エルトンのマネージャーを務めることになるジョン・リードだった。

しかし、リードとの関係もたやすいものではなかった。映画の中ではリードの不義や暴力が語られたりもする。もちろん、ドキュメンタリーと言っても、エルトン側の視点に立つものだから、リードの側からすれば反論もあることかもしれない。ここまで悪く描かれるリードは故人なのかと思いきや、調べてみたら存命だった。

当時のエルトンを僕は目撃している。1971年10月の来日公演だ。それは僕が初めて観たシンガー・ソングライターのコンサートだった。ベースのディー・マーレイ、ドラムスのナイジェル・オルソンとのトリオ編成で、最高の演奏だった。この日本公演は2023年になって思いがけずライヴ・アルバム化されたが、聴くと思い出が蘇る。しかし、当時のエルトンがこんな人生を生きていたとは、高校生になったばかりの僕には思いも寄らなかった。いや、僕だけでなく、エルトン・ジョンという天才の出現に心踊らせていた世界中のファンがそうだったろう。

数年でスーパースターに昇りつめたエルトンは巨大な富を手にする。ドラッグもセックスも幾らでも手に入るようになった。最初の成功のピークは2日間で11万人の動員記録を打ち立てた1975年10月のロサンジェルスの《Dodger Stadium》公演。エルトンが2022年のラスト・ツアーの最終公演にドジャース・スタジアムを選んだのも、それが理由である。だが、1975年の《Dodger Stadium》の前日、実はエルトンは自殺を図り、プールで溺死し損なっている。エルトンは病院に運ばれた翌日に、スタジアム・コンサートをこなしたのだ。

再び《Dodger Stadium》をめざすラスト・ツアーの中で、エルトンが語り続ける、凄まじいまでの過去のセックス・ドラッグ&ロンリネス。現在の彼はそれらと縁を切り、愛する人と2人の子供とともに暮らし、セクシュアル・マイノリティーの権利保護の活動にも熱心に取り組んでる。エルトンがすべてを赤裸々に語ろうとするのは、たぶん、それがその活動にも資すると考えているからなのだろう。

2022年の《Dodger Stadium》のコンサートは先に、別の映像作品として発表されている。やはり《Disney+》で公開されている『エルトン・ジョン・ライヴ:Farewell from Dodger Stadium』だ。ナイジェル・オルスン、デイヴィ・ジョンストン、レイ・クーパーらが長年、活動を共にしてきたミュージシャン達とともに、キャリアの集大成とも言えるステージを展開する様は圧巻で、エルトンが音楽仲間には恵まれてきたことを印象付ける。数々の名曲を共作してきたソングライティング・パートナー、バーニー・トーピンとステージで抱き合うシーンも感動的だ。これは『エルトン・ジョン:Never Too Late』のクライマックスにも配置されている。

バーニーとの出会いがすべてだった。作曲家志望の青年が意を決して、初めてオーディションを受けた時に、審査したA&Rがじゃあ、この作詞家と曲を作ってみろと、無造作に選び出した作詞家がバーニー・トーピンだったという奇跡。それがなければ、エルトン・ジョンというアーティストは存在しなかったし、「Your Song」や「Tiny Dancer」や「Goodbye Yellow Brick Load」といった名曲も生まれることはなかった。

エルトンとバーニーは意気投合し、音楽について語りあい、いつも一緒に行動する無二の親友となる。バーニーはエルトンの実家に転がり込み、エルトンとバーニーは同じ部屋で二段ベッドで寝起きするようになった。エルトンが下の段、バーニーが上の段。しかし、ある夜、エルトンはバーニーに告白してしまう。「I Love You」と。

アニメーションで綴られる『エルトン・ジョン:Never Too Late』のこのシーンは身も蓋もない。バーニーはエルトンに「病院に行け」と告げる。エルトンは何も言えず、ベッドの下段で凍りつく。

バーニーとエルトンはたくさんの名曲を生み出したが、袂を分かつていた時期も長い。バーニー以外の作詞家と組んだエルトンは低迷した。そんなバーニーとエルトンが最終公演の《Dodger Stadium》のステージで抱き合う。このシーンは僕にとっては人ごとではなかった。だって、2人が出会っていなかったら、僕が「Your Song」に出会うこともなく、レコードの魅力やシンガー・ソングライターの魅力に取り憑かれることもなかったかもしれない。まったく違う人生を歩んでいたかもしれないのだから。人生の不思議。人と人の出会いや繋がりの不思議。『エルトン・ジョン:Never Too Late』というドキュメンタリーは、それを鮮やかに描き出している。

そんなドキュメンタリーを観ることができたことには、思わぬ効果もあった。フィクション版の映画『ロケットマン』がそれで色褪せて見えたかというと、むしろ逆で、このエピソードは『ロケットマン』ではどう描かれてだろうか?と再見してみると、これが面白いのだ。史実(事実)とは異なるストーリーに仕立てた意味があらためて見えてきたりもする。

例えば、先述のエルトンがバーニーに愛の告白をしてしまうシーンも『ロケットマン』では違った描き方をされている。そこでは「I Love You」というのはエルトンではなくて、バーニーなのだ。バーニーはエルトンのゲイとして告白を自分にはそんな気はないと受け流す。しかし、その後に「I Love You」と付け加えて、友情を保とうとする。『エルトン・ジョン:Never Too Late』の二段ベッドのシーンの悲しさ、惨めさとは対照的な温かみのある描き方になっているのは、デクスター・フレッチャー監督の優しさに思えてくる。

名曲「Tiny Dancer」の使われるシーンも面白い。LAの《Troubadour》公演の後、エルトンとバーニーはママス&パパスのママ・キャス・エリオットの家のパーティーに招かれる。これは実際にあった出来事のようで、エルトンの自伝『Me: Elton John』の中にもその記述がある。パーティーにはジョニ・ミッチェルもCSN&Yの面々も揃っていたという。ただし、時期的には《Troubadour》公演から何年か後のようだ。「Tiny Dancer」という曲も4作目の『Mad Man Across The Water』収録だから、時期的に合わないのだが、なぜ、そのパーティーのシーンで「Tiny Dancer」が使われるかというと、そこでバーニーが恋人を見つけるからだ。「Tiny Dancer」の詩はバーニーがダンサーだった自分の恋人について書いている。『ロケットマン』ではバーニーが恋人を見つける様を遠くから観察しているエルトンがそれを歌う。ああ、ミュージカル映画らしい曲の配置だったのだと思えて、胸に沁みてくる。

「Goodbye Yellow Brick Road」の使い方も然り。『ロケットマン』ではバーニーがそれを歌うシーンがある。なぜかといえば、バーニーからエルトンに当てた別れの歌として、「Goodbye Yellow Brick Road」は書かれたからだ。エルトンはそれを歌って、自身の代表作となる大ヒットにしたが、実はその歌詞は最愛のバーニーからの絶縁状だった。そのことの意味が『エルトン・ジョン:Never Too Late』を観て、もう一度『ロケットマン』を観たことで、ぐさぐさと刺さってくるようになった。ドキュメンタリーとフィクションの相乗効果である。これは予期していなかった。

ちなみに、エルトンはライヴ活動は封印したものの、ミュージシャンとしては引退していない。『エルトン・ジョン:Never Too Late』のためにブランディ・カーライルとのコラボレーションによる新曲「Never Too Late」を作り上げ、そのまま2人でアルバム制作にも進んでいるようだ。エルトン・ジョンというアーティストについて知るには今からでも遅くないし、それには格好のドキュメンタリーがあり、フィクション映画もある。新作の予習の意味でも、観ておくのがオススメだ。(高橋健太郎)



Text By Kentaro Takahashi


『エルトン・ジョン:Never Too Late』

Disney+(ディズニープラス)独占配信中

監督 : R・J・カトラー、デヴィッド・ファーニシュ
出演 : エルトン・ジョン、バーニー・トーピン、ジョン・レノン、デュア・リパ
配給 : Disney+(ディズニープラス)
©Disney and its related entities
公式サイト
https://www.disneyplus.com/ja-jp/browse/entity-f599cc14-3c89-4827-826e-66cc82f3e8ec


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