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「彼が書く歌詞がタイムレスなのは言葉が精錬されているからさ」
トリビュート・アルバムを手掛けたラリー・クラインが語るレナード・コーエン、そしてジョニ・ミッチェル

14 October 2022 | By Shino Okamura

レナード・コーエンのトリビュート・アルバムは過去に多くリリースされているがそれらのいくつかは90年代に集中している。例えば、ニック・ケイヴ、R.E.M.、ピクシーズらが参加した『I’m Your Fan(The Songs of Leonard Cohen By) (邦題:僕たちレナード・コーエンの大ファンです)』(1991年)。あるいは、ボノ、ピーター・ガブリエル、エルトン・ジョンらが参加した『Tower Of Song: The Songs Of Leonard Cohen』(1995年)。かたや80年代の英米インディー・バンドが集結した前者、かたやビッグ・ネームが揃った後者……だが、これらはいずれもコーエンの新たな全盛時代の到来を受けて制作されたものだ。そして、当時コーエンはまだ現役アーティストだった。

80年代のコーエンは代表曲「Hallelujah」を収録した『Various Positions(哀しみのダンス)』(1984年)、こちらも人気曲「Tower Of Song」が聴ける『I’m Your Man』(1988年)といった優れたアルバムを彼自身リリースしていて、言葉と声を中心とした簡素なスタイルだったデビュー当時とは異なる、より洗練されたアレンジで聴かせるようになっていた。前述のトリビュート・アルバム2作品のタイトルがこれら80年代のコーエンの作品や収録曲に由来していることからも、50代を迎えてなお新境地を見せていた当時のコーエンの活躍がヴィヴィッドだったということがわかる。ジェフ・バックリィが「Hallelujah」をカヴァーしたのも90年代前半のことだ(尤も、90年代のコーエンは1枚しかアルバムをリリースしていない(『The Future』(1992年))。

だが、今回リリースされた『Here It Is: A Tribute To Leonard Cohen』はアングルがかなり違う。《Blue Note》からリリースされたことからもわかるように、プロデューサーはジャズを主戦場に様々な現場でベーシストとして長きに渡り活躍してきたベテランのラリー・クライン。その彼の音頭取りで、ノラ・ジョーンズ、ピーター・ガブリエル、ビル・フリゼール、グレゴリー・ポーター、ジェイムス・テイラー、イギー・ポップ、メイヴィス・ステイプルズ、ナサニエル・レイトリフといったアーティストらが集められ、ビル・フリゼール、イマニュエル・ウィルキンス、ケヴィン・ヘイズ、スコット・コリー、そしてラリー・ゴールディングスらジャズ・プレイヤーたちがバック・メンバーに起用された。アレンジ自体は曲ごとに様々だが、みな言葉の力に引っ張られ過ぎず、かといって《Blue Note》という看板に従うことなく、自由にコーエンの表現を身体に引き寄せている。目に見えて漆黒のグルーヴこそないが、しなやかな身体性が感じられる12曲はいずれも素晴らしい。中でもポエトリー・リーディング・スタイルで晩年のコーエンの代表曲に挑んだイギー・ポップによる「You Want It Darker」(遺作となった2016年の同名アルバムに収録)は圧巻だ。

ラリー・クラインは、本作について、彼自身プロデュースしたハービー・ハンコックによるジョニ・ミッチェル作品集『River: The Joni Letters』(2007年)と広い意味で似ている、と語っている。そう、クラインはかつてジョニ・ミッチェルの作品を多く手がけてきた。プライヴェートでは結婚していた時期もある。そして、レナード・コーエンとは彼が亡くなる2016年まで公私に渡りつきあいがあったという。カナダ出身の2大シンガー・ソングライターに関わってきたそんなクラインに自らプロデュースした今作について、そしてジョニについても語ってもらった。

(インタビュー・文/岡村詩野 通訳/丸山京子)



Interview with Larry Klein


──今回のトリビュート・アルバムを企画した理由、経緯をおしえてください。

Larry Klein(以下、L):レナードが亡くなって5年、いやもう6年になるのかな。その間、彼との友情や、彼とのやりとりを懐かしく思い出しては、それこそ毎日、彼のことを考える日々だったんだ。誰にも人生にはそんな存在がいると思う。(体は)亡くなっても(魂は)去らず、僕らの周りで漂っている。僕にとってレナードはそんな存在だ。彼が書いた曲のことを考えたり、他のアーティストと彼の曲をカヴァーしたり……。そんなことを続けているうちに徐々に思うようになったんだ。僕がすべきことは、一度彼の曲の中に自分がどっぷりと浸かり、これまでとは違う、新しさを持ち込むことなのではないか。そして一種の組曲のようなアルバムを作る…。そうやって、自分の中にアイデアが形作られて行った。それを《Blue Note》のドン・ウォズに持ちかけて話したところ、気に入ってもらえたというわけさ。コンセプトという意味では、今回のアルバムは(ハービー・ハンコックがジョニ・ミッチェルの作品をとりあげた)『River: The Joni Letters』(2007年)と、広い意味で似ている部分があるのかもしれない。経緯はそんな感じさ。

──あなたとレナードが最初に会ったのはいつ、何がきっかけでしたか?

L:初めて会ったのはジョニと僕の結婚式でだ。会ってすぐ、彼のことが好きになってしまった。レナードっていうのは素晴らしい詩人で、学識はあるし、エレガントだ。そのくせ本当におかしな人なんだよ。僕の所にやって来て「ラリー、君の結婚式は僕が出席した中でもお気に入りの結婚式だ」と言うのさ。こりゃ、何かオチがあるなと勘ぐりながら「なぜそう思うんだい、レナード?」と聞いた。すると「座ってる席の隣に山盛りキャビアのボウルがあったから、全部食ってやった」と言うんだよ。

──(笑)。

L:その瞬間、彼のことが大好きになった。もちろんそれまでにも、彼の音楽やソングライティングのことは知っていたけれど、本当に彼のソングラティングの奥深さに感銘を受けるようになったのは、それから何年もかけてさ。そうやってゆっくりとだが、友人と呼べる間柄になっていったんだ。レナードが亡くなる前の最後の10〜15年間は、かなり親しい友人だったと言える。

──お二人を結びつけていたのはどういう感覚だったと言えますか? そういったユーモアのセンスも大きそうですが……。

L:ああ、それも一つさ。彼はあらゆる部分でおもしろい人だった。僕はいろんなアイデアをもらうというか……彼と話をしたあとは、いつも刺激が自分の中に残る気がした。

──『River – The Joni Letters』の話が出ましたが、そこにはレナードも参加していましたね。その時のレナードのレコーディングの様子、ハービー・ハンコックとレナードの交流の雰囲気など教えてください。

L:あれは、レナードと一緒にスタジオに入ってのセッションではなかったんだ。どうやったかというと、ハービーと僕とで「Jungle Line」を選んだ。そしてレナードに歌詞を朗読してもらい、その朗読をもとにハービーがピアノを弾くというコンセプトを立てた。なので、ハービーとレナード二人が一緒にスタジオに入るのではなく、レナードの言葉で朗読してもらった歌詞を、僕がトラックにした。「これならハービーがやりたいことをやれるんじゃないか」。そう僕の頭の中で思える余白を持たせてね。そこにハービーは演奏をしたんだ。とても上手く行ったと思うし、美しい仕上がりになったよ。僕にとってはハービーも大切な友人であり、ハービーの音楽センスも十分に理解している。レナードを加えたヴァージョンが先にあり、そこにハービーの演奏が加えられたことで、素晴らしい曲になったんだと思う。

──実際、レナードは詩人としてキャリアをスタートさせていますが、あなたはあえてそこをデフォルメせず、今作でメロディメーカー、コンポーザー、あくまで音を奏でる者としての側面を強調しているように思えます。あなたから見て、レナードの作品におけるコンポーズ面、サウンド面、アレンジ面の素晴らしさはどういうところにあると考えますか?

L:今回のアルバムに収めたレナードの曲のヴァージョンは、オリジナル以上に、歌詞や詩の周りに、色々な音があると思う。でもそうすることで、音が詩の妨げになってはいけないというのが、何よりも僕の意図したことだ。今回のミュージシャンたちは、僕が選びに選び抜いたミュージシャンたちだったが、その彼らにも何度となく伝え、強調した点──それは詩のアンダースコアとなる音楽を奏でてほしいということだ。なので、レナードのヴァージョンに比べると、音楽的に“動きが活発”なのは間違いないのだが、その動きはあくまでも印象派的に、理解を助けるためのものに過ぎない。決して、詩の妨げ、詩のじゃまにならないものであると願っているよ。そうならないことが僕にとってとても重要なことだったのでね。音楽的に色々な動きがある中でも、詩が力強く語りかけてくる、そんなものであってほしかったんだ。

──レナードのコンポーズ面、サウンド面をどう評価されていますか?

L:大好きだよ。そのシンプルさが何より好きだね。シンプルな中にとどめられる彼の(コンポーザーとしての)才能は詩と見事にフィットする。加えて、今回のようなプロジェクトではそのシンプルさが上手く作用した。今回起用したのは皆、ジャズに精通した、ジャズが原点にありながらも、ジャズやジャンルを超えて考えるミュージシャンたちばかりだ。レナードの曲には余白があり、音楽的にシンプルな構造。そうなるとミュージシャンたちはその中に彫刻を作り出すことが許される。しかも有機的にね。

──シンガーやバック・メンバーたちも素晴らしい顔ぶればかりですね。どのようにラインナップを決めたのか教えてください。

L:皆、僕が大好きな声ということさ。ただ、この手のアルバムには普通のアルバムの時とは違う性質があって、いくらこちらが「このアーティストを使いたい」と思っても、相手の都合がつかなかったり、なんらかの事情で実現できないこともある。ただ、今回は本当に幸運なことに、僕がこの「組曲」的なアルバムを作る上で、どうしても参加してほしかったほとんどのアーティストが快諾してくれた。もし、彼ら彼女らに共通項があるとすれば、全員、僕が好きな声、ということだよ。ミュージシャンに関しては、ジャズの基本を持ちながらも、音楽への考え方がジャズを超えている者。そして自分の技術を証明するためではなく、音楽という要素を用いて何かを描き出せる、真の意味で熟達のレベルに達している者。そして言葉をちゃんと「聴ける」ミュージシャンだ。それが今回は何よりも重要なことだった。詩、歌詞に込められた詩をちゃんと聴くことができることがね。

──レナードのトリビュート・アルバムは過去に何作か制作されていますし、そもそもカヴァー曲が非常に多いアーティストです。それら多様なカヴァーは一通り聴いてこられたのでしょうか? 

L:もちろんそれらは知ってはいるし、トリビュート・アルバムのどれかで演奏したこともあるよ、確か。アルバム名は忘れたが、ジャン・アーデンというカナダ人のシンガーの曲でベースを弾いた。(※『Tower Of Song』(95年)収録の「It If Be Your Will」) だが、今作を作るにあたって、過去のトリビュート・コレクションを聴き返すことはなかったし、それらとどう差をつけようとか、コントラストをつけようといったことは考えていない。どうやってレナードの曲に新しく取り組むべきかは、先ほども言ったように、僕の頭の中にはすでにアイデアがあったんでね。

──ジョニ・ミッチェルやボブ・ディランら多くの優れた“詩人”たちとも仕事を重ねてきたあなたから見て、「レナードの言葉」にはどのような魅力があると思いますか?

L:彼の言葉を束ね、それを歌詞にする方法は100%オリジナルだ。今、君が名前を挙げたボブ・ディランもジョニも、レナードも……彼らが詩と戯れるレベルは、まるでオリュンポスの神々のようだよ。ボブ・ディランはかつて「レナードが書くのは曲ではなく、祈りだ」と言ったけれども、本当に曲によっては祈りのように聞こえる。彼が書く歌詞がタイムレスなのは、言葉が精錬されているからなのさ。

──お伺いしにくいのですが……今回、もし可能だったら、ジョニ・ミッチェルに声をかけましたか?

L:そりゃあ、彼女に何か歌ってもらえたら嬉しかったよ。でも……いつの日か、彼女が歌うってこともあるかもしれないね。

──ええ。先ごろ、《Newport Folk Fest》で大復活を遂げたのを私たちは目撃しましたものね。

L:ああ! 彼女に参加してもらえてたらよかったけど、今回は不可能だった。

──でも今、色々な形で若いリスナーが彼女に注目していること、ここにきて彼女の存在と評価がさらに高まっていることについて、どのように感じていますか? ジョニとは今もコンタクトをとっていると思いますが……。

L:ああ、彼女と連絡はとっているよ。素晴らしいことだと思う。こうして彼女のこれまでの作品が認められ、高く評価されるのは重要なことだし、彼女ほど、長年にわたって、力を尽くしてきた人──しかもあのレベルでそれをやってきた人の正当性が認められることに意義があると思う。今まで以上に、誰もが音楽を手軽にリリースできる世の中だからこそ、本当の意味でトップにいる人たちの存在は大きいわけで。彼女が、そういった音楽を作っているアーティストたちからも正しく評価されていることが、とても重要なんだと思う。

──もう少し、ジョニに関して聞いていいですか?

L:もちろん。

──あなたがジョニのアルバムに参加したのは『Wild Things Run Fast』(1982年)が最初で、その後『Dog Eat Dog』(1985年)ではプロデューサーとしても作業をするようになっています。彼女の才能の何があなたに火をつけたと思いますか?

L:彼女からは本当にたくさんのことを学んだ。でも僕が彼女をプロデュースしたのではなく、彼女のアルバムのプロダクションに関しては、すべて彼女と一緒に作業をしたんだ。そこから教えられたというか、学んだんだ。自分では計り知れないくらいのことをね。ジョニに会う前から、プロデュース業をトライしてみたいという思いを持ち、やり始めてはいたんだが、彼女のアルバムを一緒に作ることが最大の学びになった。常に面白く、常に大変で、アルバム作りということに関する僕の考えを形成する上では重要な経験になったよ。アルバム制作における様々な状況に、どう対処するか……といったことを含めてね。

──あなた自身はジャンルとジャンルの間を埋めるような、領域を横断するようなハイブリッドな音楽家です。そして、今、そういう感覚を持つ若いミュージシャンが増えています。特にジャズやヒップホップの領域には魅力的なアーティストが多数登場しています。サンダーキャット、フライング・ロータス……。

L:うむうむ。

──それからサム・ゲンデルのような……。

L:ああ、知ってるよ。

──それら若い世代のアーティストであなたが今お気に入りの、共演してみたい、プロデュースしてみたい人がいたら教えてください。

L:大勢いすぎて、誰とは挙げられないが、今、名前の挙がったアーティストの音楽はどれもとても大好きだよ。誰をプロデュースしたいか、ということに関しては……今はこうやって大勢のミュージシャンやアーティストに参加してもらい、本当に満足のいくアルバムを完成させたばかりなので、それを消化しているところだ(笑)。でも、面白いなと思えるアーティストやグループは大勢いるよ。例えばハイエイタス・カイヨーテとか。君が名前を挙げたサム・ゲンデルがやっていることも大好きだ。彼らを僕がプロデュースするというのは、また別の話なのでなんとも言えないが、興味あるアーティストは大勢いるよ。

──あなたはプロデューサーとして、映画音楽などを手がけるコンポーザーとして、あるいはもちろんベーシストとして多数の作品に関わっていますが、ソロのリーダー作というのは意外にもありません。完全なソロ名義作品を作りたいと思ったことはないのでしょうか?

L:そう言えば今まではなかったね。将来いつの日かやろうと思うのかもしれないが……大抵、僕はアルバム制作の裏方にいる人間なので、表に出ることはない。なので、こうやって今作のためのインタビューを受けるのも、これまであまりやったことのない、初めての経験なんだ。でも、もしかしたら、いつの日かやってみてもいいね。

──まだオファーはありませんか?

L:まだないね(笑)。


<了>

 

Text By Shino Okamura

Photo By Alan Shaffer

Interpretation By Kyoko Maruyama


Various Artists

Here It Is: A Tribute To Leonard Cohen

LABEL : Blue Note / Universal Music
RELEASE DATE : 2022.10.14


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