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Fred again..: ten days

2024 / Atlantic
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日常の中にダンスを見つける

26 October 2024 | By Tatsuki Ichikawa

ダンスと日常の関係性について、考えを巡らすことは少なくない。例えば、昔のミュージカル映画は、歌って踊るシーンと役者が普通に演技をするシーンを区切ることなくつなげていたが、最近のミュージカル映画は、前者のシーンを「妄想」や「空想」として、つまり非現実として処理してしまうものが多いように感じる。

いや、もっと現代的に、ダンスフロアと日常の関係性を考えてみよう。ダンスフロアを非日常的の空間と捉え、日常という現実と棲み分けてしまう人は多いのではないだろうか。ダンスフロアに行って自分を解放するのは好きだ。だが、それはあくまで現実世界の束の間の休息。この時間は永遠に続くことないし、何よりも日常生活で歌って踊っているわけにはいかない。手足を抑えて行儀良く、常識的な考えを携えて。何よりも自分らしさを抑え、わきまえて。それが現実世界と非現実世界の違いなのだ。

しかし、そこを反転させる考えこそ、資本主義リアリズムからの逃走の可能性でもあるのではないだろうか。つまり、日常の中にダンスフロアは存在し、“環境”を黙って引き受け、受け入れてしまう私たちの中に宿る逃避願望は、現実に手にすることができるという希望。そしてそういう希望は、「現実的に」という言葉で日常と非日常を棲み分けてしまう平凡で怠惰なものの前に現れれば、嫉妬心さえそれに宿してしまうほどの輝きを放つ。

ことわっておくと、フレッド・アゲインのニュー・アルバム『ten days』は、いかにもクラブライクな、人々が跳ねて踊るようなダンス・ミュージック集ではない。本作は、いかにも彼らしく、機械的なアンビエント・ミュージックの内省を、温もりを感じる音色とサウンドスケープで見せる音源集であり、踊れるグルーヴを時に内包しつつも、“部屋で聴ける”ダンス・アルバムとして仕上がっている。

彼自身は上流階級の出身で、文化資本の高く、若くしてアンビエント・ミュージックの巨匠、ブライアン・イーノに見出されるという明確なバックグランドを持っている。そもそもダンス・ミュージックやアンビエント・ミュージックにそこまで明るいとは言えない私が、彼にはっきり興味を抱いたのはUKのギャングスタ・ラッパー、Headie Oneと出したコラボ・ミックステープ『GANG』(2020年)だった。Headie Oneのストリートの日常を綴るリリカルなラップに、フレッド・アゲインによる内省と浮遊感がもたらされた本作は、クラブ・ミュージックやアンビエント・ミュージックを“空間性”、つまり場所についての音楽として、人種差別や格差社会を背景とするギャングの生活に結びつけていた。階級社会を前提とする環境からの脱出の不可能性のようなものが暗く影を落とすイギリスのストリートで、フレッド・アゲインの与えたある種の浮遊感が、他の音楽で感じ取れるよりもよほどエモーショナルなものであることは必然だろう。

その後、彼個人としては、複数のコラボレーションを実現させながらも、もっとパーソナルな方向へと向かっていった(間に『USB』のようなクラブライクな暗さを感じるハウス・アルバムはあるが)。コロナ禍から発表した連作『Actual Life』シリーズは、本作『ten days』へ連なるような作品であり、彼が音楽でしようとしていること(日記的なコンセプト、記憶装置としてダンス・ミュージックにおけるサンプリングを機能させること)を十分に理解できる作品群だろう。言ってしまえば本作はそれ以上でも以下でもない。

これはリリースから何回か聞いてみて思うことだが、『ten days』はある10日間の物語であること、細かいインタールードを挟みながら展開していくことによって、そのコンセプトを理性的に再現しているが、『GANG』のような新鮮で切実な驚きは無く、ここ数年自らが取り組んでいるプロジェクトをただ洗練させたものとも言える。彼のムーディーで些細な日常をダンス・ミュージック集として表現する本作の在り方は、今まで彼の作品を聞いてきたものにとって特に食いつくようなものではないかも知れないが、それでも彼の、日常と非日常(とされるものや感覚)を棲み分けない姿勢には共感するし、連帯したい。日常の中にダンスを見つけ、またはダンスを日常のものとして捉える。日常と非日常(現実と虚構と言い換えできるかも知れない)を棲み分けたがる人間が多い中で、こういった感覚は大切にして行きたい。

例えば、Obongjayarが参加している「adore U」やJozzyとJim Legxacyが参加している「ten」など、単曲としてグルーヴ感に優れているものや、スノー・アレグラ「Time」をサンプリングした「peace u need」など、耳を引く場面も多くある。特に、全体に楽観的すぎる気がするものの、最終曲「backseat」のロマンチックさも忘れ難い。繰り返されるザ・ジャパニーズ・ハウス「Sunshine Baby」の歌詞は、美しく儚く鳴る──結局いつもこうなるんだ──。

物事の不自由さや有限性を受け入れ過ぎてしまっている(決して慣れているわけではないと思うのだ)中で、予測不能で快楽的で、平等なグルーヴを味わえる場所や時間が現実にあること、そこを現実と認識することは決してナンセンスで子供じみた行為ではない。場所や時間に思いを馳せながら、浮遊感を携えるフレッド・アゲインの音楽は、日常の中にダンスを見つけることのできる、ささやかなオアシスとさえ言えるだろう。(市川タツキ)

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