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Sam Gendel & Antonia Cytrynowicz: LIVE A LITTLE

2022 / Psychic Hotline
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偶発的計画性がもたらす不穏なファンタジー

14 May 2022 | By Shino Okamura

まるで過去、“大衆音楽”という一括りのもとにあらゆる音楽が根っこを共にしていた時代が可視化されて今に蘇っているかのように、ジャズ、R&B、ヒップホップ、フォーク、カントリー、ハウス、アンビエントなどが次々と接続されていく現代。わけてもLAの柔軟な状況は痛快で鮮やかだ。サム・ゲンデルがそうした今のLAから発信される現在のシームレスな状況の象徴的存在の一人になっていることはもはや疑いようのない事実で、昨年だけでも自身のソロ名義作『Fresh Bread』はもちろん、ピノ・パラディーノとブレイク・ミルズの共演作『Notes With Attachments』への参加を筆頭に、日本の笹久保伸、折坂悠太の作品でも客演するなど、ほぼ毎月サムが関わる作品が届けられた。

しかも、一つ一つが異なるスタイル、異なる座組みの作品ながらも、サックス参加の場合は聴けばすぐサムの音とわかるスモーキーで滑らか、細い音も太い音も自在に組み合わせながら、時にリズミックで大胆に、時に笑っているようだったり、泣いているようだったりと表情豊かに様々なパートと絡み合っていく。一定のスキルの上にそうした演奏が成り立っているのは一聴して理解できるものの、サンプラーやエレクトロニクスとコミットさせることで解体するユーモラスな度量のあるプレイヤーであることにも気づかされるだろう。しかもそれを彼は自在にコントロールしながら一つ一つを造形していく。サックス奏者にしてサウンド・クリエイター、プロデューサーであるサム・ゲンデルは、まるで音の立体彫刻家のようでもある。

中でも、1対1のコラボレーション作品ではそうした造形学的指向を持つサム・ゲンデルの姿勢がより露わになる。まもなく共に来日するサム・ウィルクスとの一連の作品などはまさに共同作業と呼ぶにふさわしい。ルイス・コールによるプロジェクトのKNOWER(ノウワー)でベーシストとして関わったことから広く知られるようになったウィルクスと、様々な位相から骨格を組み立てたり崩したりしながらメロディやフレーズという肉付けを与えていくような作業がプロセスごと楽しめる。こちらも去年を代表するコラボの相手の一人で、ギターとエレクトロとを結びつけながら映画やテレビなど映像関係の音楽制作をメインに活動するブラディ・コーハンもそうだが、ゲンデル含めて同じ大学出身という共通点があるのも特徴。“震源地”の一つはおそらくカリフォルニアで最も古い歴史を持つ総合私立大学の、その南カリフォルニア大学(USC)にあるのではないかと思われる。

さて、ここに届いた『LIVE A LITTLE』、そうした様々なサム・ゲンデルのコラボ作品の中ではかなり異質であり、明らかにこれまでと同じアングルで解析できないアルバムと言っていい。同程度のスキルがあり、同感覚で対象物に向き合う緊密かつ気の置けない関係で対等に制作してきたこれまでのコラボ作とは違い、相手は11歳(録音当時)の少女、アントニア・チトリノヴィッチ。サムの作品のアートワークを数多く手がける公私にわたるパートナーでもあるクリエイター/デザイナー/編集者のマルセラ・チトリノヴィッチの妹である。

マルセラもUSCでスクリーンとテレビのライティングにおいて学士を取得。2017年の卒業後はナイキなどの企業のショート・コンテンツを作成するなどの仕事を重ねながらフリーで映像制作をしている。16mmフィルムを得意とする彼女は、1960年代のシネマ・ヴェリテとチェコ・ヌーヴェルヴァーグの影響を受けており、最新テクノロジーとは相反するスタイルと精神で独自のタッチが持ち味だ。サムとは多くの作品で共同制作をしているが、中ではマルセラが監督しサムがサントラを手がけた映画『Valley Fever』、最近だと日本製にこだわるアパレル・メーカーの《Blue Blue Japan》のイメージ・フィルムなどをネット上で観ることができる。

そんなマルセラのかなり歳の離れた妹がアントニア。二人は当然家族ぐるみでつきあう仲だが、ある夏の終わりの午後、LAにあるサムの自宅で思いつくままに制作をしたのだという。作る予定もアイデアもなく、ただ、その瞬間の空気に任せての作業だったため、ほとんどが一回で録音、完全に即興で作られたため収録順もまさにこの10曲の流れの通りとなった。専門的な教育を受けていないものの、姉の活動などを間近で見るなどクリエイティヴな環境に身を置くアントニアは、その場ですべてのメロディと歌詞を自発的に作り上げ、サムがそれに合わせてサックスやギター、曲によってはドラムやシンセも弾きながら最終的に曲として完成させていく。つまり、アントニアの天性の音感、言語能力、創造性と、サムの瞬発力と跳躍力あるミュージシャンシップがこの作品を生み出したと言ってもいいかもしれない。

従って、偶発的な作品ではあるが、構築された作品でもある。計画的偶発性ではなく、偶発的計画性、というべきか。とはいえ、偶発性と構築性がどちらかが前に出ることなく一つのフレームの中で有機的に顔を付き合わせたという意味では、カットアップやフォールドインなどとも違う。加えて、ピュアで舌足らずなアントニアの歌が、子供らしい愛らしさなどではなく、どこか毒牙や不気味さ……少しばかりの終末感を纏っていることがこの作品の空気を決定ずけていることも重要だ。もちろん、アントニアの歌以外の全ての演奏、音制作を担当したサムがそうした禍々しいニュアンスの演奏をそこに与えたからだが、結果、少しルイス・キャロルやスティーヴン・キングの作品を彷彿とさせる音楽作品になっている。不穏な空気を孕んだファンタジーとでも言おうか。キングといえばキューブリックが映画化した『シャイニング』で殺された双子の幼少姉妹が幻影として現れる時の映像が有名だが……あのムードにどことなく近い、と言ってはサムに的外れだと言われるだろうか。あるいは、そのキューブリックの先輩であり、小人、巨人、両性具有者、身体障害者、双子、見世物小屋芸人などを撮影したダイアン・アーバスのモノクロ写真を連想させる、という解釈も……。

サム・ゲンデルの名前で発表された正式なフル・アルバムでは初となる歌もの作品だが、ミア・ドイ・トッドやモーゼス・サムニーらへの客演は別としても、サム・ゲンデルの歌ものアルバムが誕生するならば、こうしたきっかけ、過程しかありえなかったかもしれない。彼のキャリアにおいて、おそらく長きにわたり、圧倒的に異彩を放ち、圧倒的に傑出し続けるだろう1枚だ。(岡村詩野)

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