ファースト・ソロ・アルバム『This iz…』を振り返って
MILES WORD.がこれまでの歩みを語る
ヒップホップという手に負えない音楽文化にディープにハマることがなければ、出会うことも、酒を酌み交わすことも、熱く語り合うことも一生なかったかもしれないなあ、と感じる人物が自分の身の回りには色々いるのだが、MILES WORD.というラッパーは間違いなくそのひとりである。「ヒップホップは音楽ではない」とよく言われる。ただ、私がここでいましたいのは、四大要素を基盤としたカルチャーとしてのヒップホップとか、ポスト公民権運動としてのヒップホップの政治性とかの話ではない。非音楽的であるがゆえの、逆説的なヒップホップとラップの音楽の面白さの話だ。
なんだか回りくどくなってきたが、要は、MILES WORD.はラップをしていなかったら、ミュージシャンになったり、文化人になったりできる小器用なタイプではなく、ラップしかなかったラッパーなのだ。DJやバンドをバックに、その場を盛り上げるために、とにかく言葉とライムを駆使し、声を張り上げ、全身を使ってアピールし、ときに冗談をまじえながらクラウドを煽る。私はそういう生粋のラッパーをこよなく愛している。MILES WORD.、あるいは彼の相棒のSHEEF THE 3RDとのデュオ、BLAHRMYのライヴを観たことがない人はいますぐにライヴに行ってほしい。ノリや酒の足りていない、おとなしい人々をあんな風に絶頂まで持っていく芸当は誰もができるものではない。
そんな神奈川県藤沢市を拠点とする1988年生まれのラッパーが、昨年7月にファースト・ソロ・アルバム『This iz…』を《DLiP RECORDS》からリリースした。2020年代のプロモーションは、SNSでの拡散力や、アルゴリズムを的確に掴んだり、アテンション・エコノミーを活用したりするメディア戦略など、かつてにも増してアーティストの人生の切り売りが求められる。そこに参入できないと、せっかく作った作品もなかなか認知されない。まさに『This iz…』は、内容が素晴らしいのにもかかわらず、本人も語るように、いまだに思ったように届くべき人に届いていない1枚かもしれない。ということで、リリースから1年越しのインタヴュー記事が公開される。
MILES WORD.はこれまで、本作にも参加したNAGMATICやOlive Oilといったビートメイカーと共作を発表してきた。だから、厳密には“ファースト”ではないものの、セルフ・プロデュースで制作した、約20年にわたるキャリアの集大成と言える1枚だ。まず何より15曲のビート選びがいい。前述した2人に加え、DJ GQ、DJ SCRATCH NICE、KILLER-BONG、Fitz Ambro$e、ILL SUGI、Aaron Choulai、ENDRUN、dj honda、MAHBIEらがビートを制作し、それぞれの曲にドラマがある。KILLER-BONGによるジャズとダブを掛け合わせたブレイクビーツ「Played and Paid」、JJJがミックスを手がけたエモーショナルな「HIGHERR」(ビートはDJ SCRATCH NICE)などがあり、ラストに仙人掌と田我流を迎えた「Prayer」を入れているのは大正解だ。
インタヴューに入る前にもうひとつ、本作は、MILES WORD.が全国を巡りながら人と出会い、曲を作り、関係を育んできたその歩みそのものであり、それは2020年代の国内のインディ・ラップ、あるいはアンダーグラウンド・ヒップホップの重要な記録でもある。では、MILES WORD.の登場です。
(インタヴュー・文/二木信 写真/船津晃一朗)
Interview with MILES WORD.
──『This iz…』のリリースやリリパをやった反響や手応えはどうでした?
MILES WORD.(以下、M):ぶっちゃけた話、自分が思ったほどではなかったっすね。
──ほんと?!
M:自分としては渾身の一撃だったから、空振りとまでは行かないんですけど、インディペンデントでやってる自分の宣伝の限界も感じましたね。もうちょっと反応が欲しかった。
──でも出してから現場の反響はあったんじゃないですか? リリパもいろいろありましたし(2025年12月13日の『BLAQLIST』 at 渋谷《clubasia》や2026年2月1日の江ノ島《OPPA-LA》『Shake Emotional』でのMILES WORD SP LONG SET LIVE 2026など)。
M:う~ん、まぁまぁっすね。ははははは(笑)。「ちゃんと人、来るかな~?」とか不安要素も多かったですけど、リリパはほんとうに良かったです。
──自分も渾身のアルバムだと思いますよ。MILES WORD.の名刺代わりの作品というか。
M:すべてを出し切りましたね。めちゃくちゃ作り込んで作品を作るのはとうぶんいいなって思いました(笑)。完璧を求めて細かいところまで徹底的にやったので。たとえば、ヴォーカルのポップ・ノイズが全部気になり出したりして、ミックスにかなり時間をかけて。ミックスは、昔からやってもらっているTan-booさんに頼みましたけど、途中から「聴く人はそこまで気にならないと思うよ」と言われるぐらい俺がこだわって。
──「もうそこはいじらなくてよくない?」みたいな。
M:そうっす。それでも「いや、何分何秒のここをもうちょいキレイにしてもらえますか?」って食い下がって(笑)。そのモードに入っちゃいましたね。ファースト・ソロ・アルバムって打ち出しだったし、けっこう力んでいましたね。
──これまでビートメイカーとの共作という形を取ってきましたよね。NAGMATIC & MILES WORD『INPOSSHIBLE』(2014年)にしても、Olive Oilとの『Word Of Words』(2016年)や『BELL』(2018年)も。
M:そうっすね。NAGMATICとの作品がファーストと言えなくもないけど、いま挙げてくれた作品はビートメイカーとの共作ですからね。Marco Polo & Toraeとかアルケミスト(The Alchemist)とラッパーの誰かの共作とかあるじゃないですか。ああいうのを意識していましたね。
──だから、今回こそがファースト・ソロ・アルバムだと。意識した作品とかあります?
M:やっぱりナズの『Illmatic』(1994年)は頭のどこかに絶対あったはずですね。クレジットやプロデューサーの並びを見てまずアガるアルバムを作りたかったんです。ラス(Russ)ってラッパーの赤いジャケのアルバム『Chomp 2』(2021年)もそう。
カメラマンの船津(以下、F):ナインス・ワンダー(9th Wonder)も参加しているアルバムですか?
M:そうそう。ラスのアルバムは、ビートメイカーもフィーチャリングもめちゃ渋い。
──客演からもMILES WORD.の活動の幅が見えます。たとえば、JAGGLAといっしょに曲をやっているのも面白い。ジャパニーズマゲニーズ名義の「Born Fire」(2024年)に、DUSTY HUKSYと紅桜とともに参加していますけど。
M:ありますね。
──JAGGLAとの共演曲「Nyte Time」はOlive Oilのビートですよね。
M:OLIVEさんの『No.00』(2023年)に入ってたインストですね。そのビートで俺が勝手に書いて、Oliveさんに「書いたんすけど、どうすか?」みたいな感じですね。で、1ヴァース、1フックぐらいで止まっていたデモをJAGGLAに聴かせたら、「これ、良いね」って感じになったんで、「じゃあ、JAGGLA、2ヴァース目を書いてよ」っていう流れですね。それから、俺がその続きをさらに書いて。
──JAGGLAとは古い付き合いですか?
M:JAGGLAは同い年で昔から存在は知っていたけど、曲やる関係ではなかったんですよ。それこそマゲニーズとの曲に誘ってくれてからですね、距離が縮まったのは。俺もJAGGLAはカッコイイと思っていたし、いっしょに遊んだりして、こいつと曲やりたいなってなりましたね。
──寅さんへのオマージュがあったりしてね。これは誰のアイディアだったんですか?
M:俺っすね。寅さんオマージュはBLAHRMYのアルバムにも、CHOUJIとやったアルバム『俺成』(2022年)にも入っていますね。ここ5、6年ぐらい、コロナぐらいからっすかね、寅さんにハマった時期があって。映画の声を曲のなかに入れたりするのは昔からやっているけど、最近は寅さんに行きがちになっていますね。
──MILES WORD.的に寅さんの人物や映画『男はつらいよ』の素敵なところは?
M:寅さんの素敵なところですか。それはやっぱり恋が絶対に実らないってとこですね。全50作あって、たまに実りそうになるけど、実らない。
F:浅丘ルリ子の回ですね。
M:そう。リリーの回ね。
──めちゃ観てる(笑)。
F:沖縄の回とかも泣けるんですよね。
M:あと、しばらくいなくなって家に帰ってきたときに、家族が「寅ちゃん」って言って迎える感じとかが愛らしいっすね。
──男の生き様的な部分も含めて?
M:そうっすね。寅さんはたぶん、男じゃないと成り立たないんじゃないですか? 俺、ライヴで他の土地に行った帰りの新幹線でよく観るんですよ。ライヴしたあとのすごい疲れた状態で。寅さんほどじゃないですけど、自分もライヴであちこち行って、延泊して、2、3週間ぐらいいて、曲作ったり遊んだりして帰ってくるみたいなことをけっこうやってたんで。言ったらそれも旅じゃないですか。
──MILES WORD.には、全国各地、津々浦々を転々としながら出会った人らとジョイントして曲を作っているイメージがありますね。
M:そうっすね、それが愉しいって思ってやっていますね。
──ところで、今回はセルフ・プロデュースですか?
M:基本そうですね。すべてを自分でやりました。ビートメイカーとふたりで作ると、「曲順どうしようか?」とかいろんな相談も自然にできるけど、今回は違いましたから。エグゼクティヴ・プロデューサーもいなかったし、自分のことは自分でやるしかなかった。しばらくちょっとやりたくないっすね。
──そこに戻ってくるんだ(笑)。
M:はははは(笑)。
──どれぐらいの時間をかけて作ったんですか?
M:1、2年ぐらいとかですかね。でも、その前にすでに1ヴァースとサビだけできている、みたいな曲が何曲かあって。最初はそうした未発表の曲に新曲を加えたミックステープを作ろうかなとも考えたんですけど、それからまたソロでアルバムを作るのは大変だなとかいろいろ考えた結果、アルバムにしようと。そこがスタートっすね。
──リリックの書き方も昔といまでは変わりました?
M:ラップも20年近くやっていて、同じようなフロウやリリックを使っているなと感じるときもあるんです。それで、リリックを書くのにちょっと時間かかるようになったかもしれないですね。これまでと違う工夫をしたいから。ぱっと思いつくのは、dj hondaさんとの「My Flexx」がそうですね。最後のアウトロのちょっと歌っぽい部分とか。「Last Sunset(feat. MSP)」のサビも最初は自分で書いて歌ってみたんですよ。でも何か違うなと思って、シンガーに歌ってもらったんです。ガラッと変わったわけじゃないけど、いままでと違ったアプローチはありますね。
──そういうアイディアを出したり、トライしてみたり、それも自己プロデュースですよね。
M:そもそもプロデューサーにディレクションされた経験もあまりないですからね。
──でも、Olive Oilとの共作では、Olive Oilのそう易々とラップできないようなビートをもらってやることがすでに向こうからのディレクションのような気もしますけど。
M:それ自体がたぶんもうディレクションっすね。Oliveさんビートだとぜんぜん違ったフロウが出てくるようなことが多いかもしれないですね。
──2016年に、Olive Oilとの最初の作品『Word Of Words』を作った経験はラッパーのキャリアにとっては大きかった?
M:OliveさんとPOPYさんっていう兄弟との出会いが分岐点にはなりましたね。福岡に滞在しながら、初めて音楽とかアートでメシ食ってる人の生活を間近で見た経験だったんで。もちろんやらない日もあるんでしょうけど、Oliveさんが毎日曲を作ったり、音楽をやったりしていて、そのことに感銘を受けて。それまでの俺は、書きたいときに書けばいいっていうマインドだったから。
──自分よりキャリアのあるラッパーの共作と言えば、後半に田我流、仙人掌との「Prayer」がありますね。こういう曲が最後の方に入っているのもアルバムの構成をちゃんと考えた結果なんだろうなと感じました。
M:田我流と仙人掌との「Prayer」は、俺のヴァースだけ最初に入ってたんです。で、あるとき田さんが藤沢に来て、俺らのヤサに何泊かして曲を作ろうっていう合宿があって。田さんの「VIBE」(feat. MILES WORD.、丸、SHEEF THE 3RD、DJ BUNTA」)っていう曲もそのとき作って。2、3日いっしょにいましたね。そのタイミングで「最近こんなの作ってるんですよ」って車で聴かせたのが「Prayer」の原型。そしたら、田さんが「ラ~ララララ♪ タラ~♪」みたいな感じで歌い出して。「それ、めっちゃ良いっすね。いまから録っていいっすか?」みたいな。「このサビがあればこの曲は行ける!」って感じでした。そのときに田さんが、「仙人掌にヴァースをやってもらうのはどう?」って提案してくれて、すぐに仙人掌さんに連絡して、仙人掌さんにも後日ヤサでRECしてもらって。
──そうやって曲が完成していく過程は臨場感がありますね。曲を聴いても、3人が意識を共有したうえで作っているのが伝わってきましたよ。
M:俺のなかでは「Again」っていう曲だったんですよ。「成功」と「何度でも」を掛けて、「A Gain」と「again」ってラップしてる。だけど、仙人掌さんが、「『Prayer』って曲名はどう?」って提案してくれて。だから、「VIBE」と「Prayer」は同じ時期にできた曲です。
──2022年のPOP YOURSの田我流のライヴで「VIBE」はやりましたよね。どうでした?
M:俺らは1曲やるだけなんで、歌詞を飛ばさないようにしようって感じですね(笑)。いい経験をさせてもらいましたね。
──「HIGHERR」のScratch NiceビートのミックスはJJJで、ネタもJJJの「Beautiful Mind」と同じですよね?
M:それは偶然中の偶然。あの曲は、4、5年前に書いていて、ビートはScratch Niceが2020年に出した『Hear Sum U Like』って言うビートテープに入ってる。人のビートで「あ、これ良いな」みたいのがあると書いたりする。それでScratch Niceに会ったときに、「あの曲で書いたからちょっと聴いてもらっていいすか?」って聴かせたら、「めちゃヤバイやん! シングル出そうや!」って言ってくれて。そこからまた2年ぐらいかかったけど、そのあいだに、JJJにミックスしてもらって、仕上がってはいた。ただ先にJJJの「Beautiful Mind」が出て、聴いてみたら同じネタだった(笑)。俺が狙ってやったみたいになったら気まずいと思いながらも、せっかく作った曲だしリリースしましたね。
──でも結果的にはJJJがミックスしていい曲になったし、良かったですね。
M:ほんとにそう。だから、俺は曲をけっこう寝かすタイプなわけです。わざわざ寝かしてるわけじゃないんだけど、曲を書いて満足しちゃう。
──リリースってまた別の動きですからね。
M:そうなんすよ。
──ところで、MILES WORD.のこれまでのキャリアについても聞きたいです。
M:ラップする前のただのヘッズの時期がもちろんあって。俺の2個上がDINARY DELTA FORCE。中学校の先輩なんですよ。同級生にJUNYA FIRE(プロ・スケーター)ってヤツがいて、RHYME BOYAの弟で。俺が中学生ぐらいのときに、JUNYAが、「NITRO(NITRO MICROPHONE UNDERGROUND)がヤバい」とか「兄ちゃんたちがラップやってる」って言ってきて。だから、まずDINARYが身近な憧れだった。俺は87年の代なんですけど、88年生まれですね。
──海外のラップやヒップホップは何を聴いていました?
M:当時エミネムが流行ってて、映画館に『8 Mile』観に行ったり、2パックとかビギー(ノトーリアス・B.I.G.)聴いてるやつがいたり。その時点ではラップをしようとかそういう感じではなかったし、ヒップホップを聴かなくなる時期もありましたし。中学生って多感な時期じゃないですか。だから、他のことに興味が行ったりして、普通にミスチルを聴いてるようなときもあったし。それからまたヒップホップに戻って来てBUDDHA BRANDとかウータンを聴くようになったりして。
──音楽は好きだった?
M:音楽はまあ好きだったと思いますね。ミスチルもヤバイじゃないですか。
──ミスチル、何が好き?
M:「ミスチル、何が好き?」って言われたらけっこう難しいっすけどね(笑)。
──俺ぐらいの世代だと「CROSS ROAD」とか「innocent world」がほぼドンピシャ。
M:「CROSS ROAD」はたしかに、ちょっと古めのやつですね。
──ちょっと古め(笑)。MILES WORD.の世代だと「口笛」とかなんじゃないですか?
M:「口笛」とかそうかもしれないです。DINARYも中学のときより、高校生になってからさらに深く聴き出したと思いますね。
──ラップをはじめたきっかけは?
M:いちばんのきっかけは2005年のUMBですね。スペシャの放送を友達がヴィデオに録画して、それを借りて観て、ものすごい衝撃を受けた。DVDが出たときに手に入れて、めちゃくちゃ観たっすよ。MC漢はもちろんヤバかったし、カルデラビスタもすごかった。
──その時代だ。
M:Candleとカルデラビスタの1回戦とかヤバかったです。2005、6年の話をしたら、もうめちゃくちゃあるっす。翌年末にUMBの決勝がチッタ(川崎《CLUB CITTA’》)であったじゃないですか。FORKが優勝した年で。
──FORKとHIDADDYの伝説の再々延長があった年だ。俺も観に行きましたよ。あのバトルを観たとき、MCバトルやフリースタイルがネクスト・レヴェルに行ったなと、衝撃的だった。
M:俺、最前列で観てたっすよ。そのときすでにラップというかフリースタイルはしていましたね。最初はライヴっていうよりバトルに出てたっすね。UMBの予選とか、当時のアンダー20のMCバトルとかに。それこそ初めて出たバトルの2回戦でHIDADDYに当たって勝ったんすよ。
──そうなんだ(笑)。
M:それで決勝まで行って負けたんですけど、まだ18、19歳で若かったし、「俺はラップで行けるな」ってたぶん思ったんですよね。
──そうなんですね。
M:それで、高校のときの友達の宙チートとDRAGON ONEってヤツらとBlack Ignition Center(その他のメンバーにyackやILL SUGI)ってチームを組みました。地元で「JUNYAの友達のあいつ、ラップやってるらしいよ」みたいな話が流れたんじゃないですかね。DINARYのイベントとかにも遊びに行ったりしていたからいろんな人と仲良くもなっていたので。で、DINARYのライヴのときに、「ちょっとワン・ヴァース蹴ってみなよ」って誘われてやったこともありましたね。
──SHEEF THE 3RDとBLAHRMYを始めたのはいつ?
M:もうちょい先ですね。DINARYと関わるようになって来て、SHEEFとも関わりができて。SHEEFがいまの《DLiP》のマネージャーの井出と組んでいたクルーが解散したあとに組むことになったんです。
──そうなんですね。もう10年以上前だけど、SORAが池袋の《BED》で主催していた『Refugee Market』でBLAHRMYのライヴを観たときの衝撃は忘れられないですね、いまだに。こんなカッコいい2MCいるんだって思った。とにかくでかい音と、その音へのラップのハメ方がもう音響実験だった。
M:俺らがメソッド・マン&レッドマンとかM.O.P.とか、そういう2MCを追っかけていたからですよ。めっちゃ影響受けたっすね。ヤツらのライヴとかめちゃ観ました。ヴァースやって、フックがあって、ヴァースやるっていう以上のことを2MCでやるとしたら掛け合いだった。それを突き詰めていた時期がありましたね。
──今年はこれからどんな予定ですか?
M:今年は《DLiP》のアルバムを出したいですね。何年も前から作ろうって言っていて、いまに至っている感じなんです。
──《DLiP》はいま何人ぐらい?
M:だいたい20人ぐらいじゃないですか。プレイヤーだけでも15人ぐらいいて、スケーター・チームのDUBB DEEPの人たちも合わせたら20人はこえると思う。この歳になってこれだけの人数がいるクルーも他にいないと思うし、それは強みだと思う。
──そんなにいるんですね。それはすごい。《DLiP》のアルバム制作については載せても大丈夫そうですか?
M:みんなをけしかける意味でもいいかなと(笑)。いろんなラッパーがごちゃ混ぜでヴァースのRECが進んでいますね。今年はそれをリリースしたいですね。
<了>
Text By Shin Futatsugi
Photo By Koichiro Funatsu
MILES WORD.
『This iz…』
LABEL : DLiP RECORDS
RELEASE DATE : 2025.07.15
配信リンク
https://big-up.style/SbSBhxy0BF
