“失われた週末”を経て、今
6年ぶりとなるフィービー・ブリジャースの3作目は、まず何よりも“見せ物になった痛み”をどう手放すかという問いから始まっている。ノーフォン方式のポップアップ・ショウ(新作発表前のシークレット・ライヴ)から生まれたこの作品は、パンデミック期の2020年に発表された『Punisher』以降、彼女がグラミー受賞やSZA、テイラー・スウィフト、ポール・マッカートニー、ジャクソン・ブラウンらとの共作を経て、時代の声のひとつに祭り上げられた末に抱えた、ある種の代償を静かに語り直す作業と言ってもいい。三部構成、全16曲というこれまでにない長さを貫く柱は、“私的な喪失を晒すこと”そのものを、もう一度自分の手に取り戻す営みである。
冒頭を飾る「The Outside」では、いつものダブルトラックのヴォーカルがヴォコーダーで歪められ、フェスでのクラウドサーフ、壁を殴る瞬間、父の葬儀で泣く自分、現実から切り離されていく感覚が、断片的な映像のように連なっていく。フォーキーなアコースティック・ギターやマンドリン、ヴァイオリンが、渦を巻くシンセや残響のフィードバックに呑まれていく瞬間、悲しみと混乱がそのまま音の粒として立ち上がる。共同プロデューサーでもあるイーサン・グラスカ、トニー・バーグ、ジャック・アントノフに加え、クリスチャン・リー・ハトソン、マヤ・ホーク、パートナーであるボー・バーナムまで参加者に名を連ねるが、それでも語られる感情の一つひとつはあくまでブリジャース自身のものだ。
物語の軸になるのは三人の男──亡き父、かつての婚約者、そして“Bobby”と呼ばれる新しい相手である。「The Governor’s Waltz」では過去の相手への皮肉と苛立ちが牙を剥き、「Still Standing」には家族にまつわる暗い記憶の影が落ち、表題曲は破棄された婚約をなぞる。先行曲「Lost Boys」は、大人になりきれない男たちへの意外なほど明るい賛歌で、指弾きのギターと軽やかなトランペットが、かの「Kyoto」を思わせる開放感を呼び、彼女史上もっともキャッチーなフックとなって鳴り響く。ゴシップ的な詳細をなぞるだけでは足りない語りの奥行きこそが、彼女の筆致の核である。そうして最後、リプライズで彼女は「私たちはきっと大丈夫」と歌い、悲嘆と破局のあとにわずかな光を差し込ませて幕を引く。
この作品が今このタイミングで放たれたことの意味は大きい。SNSと過剰な自己開示が当たり前になった時代において、彼女はかつてから「弱さを晒すこと」を音楽の中心的な倫理として掲げてきたが、今作はその一歩先──弱さを晒したあとにどう生き延び、どう次の関係へ踏み出すか、という問いへと軸を移している。これはパンデミック後の孤独やSNS的な感情の消費に疲弊した世代……だけではないだろう、彼女より遥かに上の世代である筆者や、逆に彼女の音楽にこれから出会うロウ・ティーンたちにとっても、痛切でありながら救いを含んだ提示になり得る。誰もが一夜にしてスター(炎上)になる一方、足の引っ張り合いでそこからすぐさま引き摺りおろされる、こんなジェットコースターのような日々が一体なにを残すというのか。
もはやフィービー・ブリジャーズという存在の重みは、単なるシンガーソングライターの枠を超えている。ボーイジーニアスとしての活動(本作にもジュリアン・ベイカー、ルーシー・ダッカスが「Lost Boys」に参加)、グラミー受賞歴、世代を越えたコラボレーションの数々、自ら立ち上げた《Saddest Factory》から送り出す同胞たちへのエール……それらすさまじい行動力は、ただただ彼女をインディー・ミュージック全体の感受性を規定するリーダー的存在へと押し上げる結果となった。だからこその本作だ。彼女が何を語り、何を沈黙するか、そのふるまい自体が指針として機能している今、なお個人的な痛みへと降りていく勇気を選んだこの作品は、その重みを引き受けたうえでの往復運動として響く。
そういう意味でも、本作のタイトル『Lost Weekend』が、チャールズ・ジャクソンによる同名小説、及びビリー・ワイルダー監督の映画『失われた週末』(1945年)からとられているのは一つの真理だと思う。数日間の耽溺の末に時間そのものを失ってしまう状態を指す言葉として、ジョン・レノンがヨーコ・オノと別居していた18ヶ月間を形容する際にも使われたこの言葉は、「Moon Song」(『Punisher』)の歌詞でその名を出すほどにジョンの大ファンのフィービーにしてみれば、きっとあまりにもジャストなタイミングだった。ジャクソン、ワイルダー、レノンがアルコールや薬物への耽溺による喪失を綴ったのなら、フィービーは悲嘆や破局による喪失、あるいはSNSで無駄な時間が失われることから自己を取り戻すためのアクションをここに残そうとしたのかもしれない。(岡村詩野)

