Review

Los Thuthanaka: Wak’a

2026 / self-released
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アイマラの混沌たるエピック

29 April 2026 | By raqm

昨年、《Pitchfork》のレヴューにおいて近年でも有数の高得点を獲得し、更に年間ベストにおいても1位に選出されたセルフタイトルのデビュー・アルバムによってセンセーショナルな登場を果たしたLos Thuthanakaであるが、その評価は唐突なものではない。先ず前提として、Los Thuthanakaはボリビアのアンデス先住民であるアイマラ人をルーツに持ち、アメリカで活動するきょうだいであるJoshua Chuquimia CramptonとElysia Cramptonによるユニットだ。Joshua Chuquimia Cramptonはギタリストであり、2020年からソロでアンデス音楽を取り入れたロック作品をリリースしている。Elysia Cramptonは主に実験的な電子音楽の領域で高く評価されてきたアーティストで、複数の名義を持つが最初のE&Eのリリースは2008年まで遡る。クィア文化やポストコロニアリズムに根ざした重厚なサウンド・コラージュ音楽であるエピック・コラージュというジャンルにおいて、間違いなく最重要の人物である。《Pitchfork》も『American Drift』(2015年)の時点で高く評価しており、Chuquimamani-Condori名義の『DJ E』(2023年)は2020年代前半ベスト・アルバムの9位にランクインしていた。


ファースト・アルバム『Los Thuthanaka』(2025年)は、2人の音楽性がまさに融合した作品であった。アンデスの伝統的な舞踊のリズムを軸に、ノイジーなギターサウンドとコラージュが共存して展開していく。過剰で混沌としたアヴァンギャルドな音楽、というようなイメージがあるかもしれないが、構造としては比較的シンプルな性質を持つ。アンデス舞踊の一拍の長さが均一でないリズムが執拗にループされ、そこに徐々に体を乗せてグルーヴに巻き込まれていくダンス・ミュージックである。踊れる上にローファイでヘヴィなロックでもあるという点は、《Pitchfork》が紹介するような音楽を好むリスナーにとってある種の親しみやすさであり、エクスペリメンタルを聴く層の外側にも波及する一因となったと考えられる。

新作EP『Wak’a』も基本的にはその路線を継承する作品だが、勿論差異もある。先ず、『Los Thuthanaka』が8曲60分という楽曲としてもアルバム全体としても長尺の作品であったのに対し、『Wak’a』はEPであり3曲18分しかない。ファースト・アルバムは長い時間をかけて同じフレーズを反復することによって快楽性を誘導していく作品であった。『Wak’a』にも反復があるが、その短さ故に前作と異なった感触を持っている。Elysia Cramtonは20分から30分程度のアルバムが多く、60分という収録時間は実は例外的であり、以前から瞬間的な爆発力を持った短尺の構成は巧みであった。今作は、前作のように刺々しいギターノイズが最前面に現れ、音を切断してリズムを作っていくパートがあまり見られず、ギターがより持続的に広がりを持った響きで電子音やコラージュの中に埋もれていくようなサウンド。余白を作ってノリを生み出すのではなく、凄絶な轟音が空間を覆い尽くすように鳴動し、混濁したカオスによる支配が強まっている。よりギターの顕現が希少でよりエピック・コラージュ色の強いChuquimamani-Condori『DJ E』と、『Los Thuthanaka』の間に位置する作品と言えるだろう。


Elysia Cramtonは、アンデスの伝統音楽だけでなく、コロンビア沿岸部起源のクンビアやアンゴラ起源のバティーダ、拠点であるアメリカ文化やキリスト教を意識した作品もリリースしてきたが、特にChuquimamani-Condori名義になって以降はアイマラ人としてのアイデンティティの表現に重点を置いている。そもそもアンデス音楽とはどのようなものなのだろうか。ラテンアメリカには主にコロンブス以降に入植したヨーロッパ人、奴隷として連れてこられたアフリカ人、そして先住民とそれらの混血の人々が暮らす。近年ラテン音楽が流行している、という言説は度々耳にするが、ラテン音楽に当てはまるジャンルはルーツがアフリカやスペインである場合が殆どだ。その中でアンデスの高地地方は比較的先住民文化が保持されており、音楽においても先住民由来のものが多く残る。『Los Thuthanaka』の楽曲のタイトルに書かれているワイニョ(Huayño)、カポラル(Caporal)、クジャワーダ(Kullawada)、サライ(Salay)といった語は(カポラルのみ黒人由来の要素が強いようだが)アイマラ人やケチュア人といったアンデス先住民の舞踊音楽のジャンル名である。ワイニョが最も広く一般的なリズムで、『Wak’a』では3曲すべてのタイトルに付随しているアイマラ人特有のクジャワーダもその近縁。二拍子系のリズムで、二拍目の頭が均一な二拍子にしては速く、二拍三連符にしてはやや遅い位置で打たれるのが特徴である。このリズムがアイマラ人としての表現の土台となり、どれだけ破壊的な混沌であっても屹立した力強い音楽が成立している。

『Wak’a』は2人のディスコグラフィの中で最もアイマラ文化と深く結びついていると言えるかもしれない。現在《Bandcamp》でのみデジタル配信されている作品を購入すると、きょうだいが子どもの頃から聞いてきたアイマラの神話を収集し再構築した、アイマラ語の短い物語をPDFで手に入れることができる。アルメニアのジャズ・ピアニスト、ティグラン・ハマシアンが『The Bird Of A Thousand Voices』(2024年)においてテーマにしたアルメニアの民話をサイトにてPDF形式で公開したのを思い出す手法であるが、Los Thuthanakaの作品でも民族的ルーツを表現する物語と音楽が相互に補強し合うように存在している。

1曲目「Quta (capo-kullawada)」は日本語で湖という意味のタイトル。これは物語において太陽が生まれる前の時間も秩序も存在しなかった海のような状況を示しており、カオティックな音楽性と確かにリンクしている。人々の踊りとともに出現した太陽により世界には境界や支配が生まれ、調和した世界は分裂(アイマラ語でWak’a)する。星を意味するタイトルを冠し、鋭利で攻撃的なフレーズで始まる2曲目「Wara Wara (capo-kullawada) 」はこのような分離された現実世界の苦しみを描写する。3曲目「Ay Kawkinpachasa? (capo-kullawada)」は『DJ E』の最終曲「Until I Find You Again」と同一の美しいメロディを持つ楽曲。より激しくダイナミックなアレンジにより、旋律が儚く朧げに響く。

エピック・コラージュのエピックは基本的に壮大と訳されるが、叙事詩という意味もある。今回、Los Thuthanakaは叙事詩を音楽と並置し、神話からのインスパイアを音楽に込めた。彼ら自身がエピック・コラージュというジャンルに対してどういう意識を持っているのかは定かではないが、彼らの音楽はその中心に聳え立ち、そして留まることなく新たなサウンドを生み出し続けている。(raqm)



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Los Thuthanaka『Los Thuthanaka』
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