Review

Helado Negro: PHASOR

2024 / 4AD / Beatink
Back

無責任な自由が紡ぐ物語

27 February 2024 | By Shino Okamura

エラード・ネグロは自身の興味、好奇心によって手にする情報の咀嚼の仕方が抜群に洒落ている。例えば、この約3年ぶりのニュー・アルバムの1曲目「LFO(Lupe Finds Oliveros)」。最初の1分くらいは驚くことにロウ・ファイ系ギター・ロックだ。しかも本人はこれまでになく朗々とスペイン語で歌っているときた。おお、今回はこの路線なのか、と思いきや、中盤でノイズや外部音がテープ・コラージュのように挿入されていて、その後再びギター・ロック調に戻るも結局はテープ・コラージュで終わる。そこでLupe Finds Oliveros=“ルーペがオリヴェロスを発見する”というタイトルに大きな意味が隠されていることに気付かされるのだ。Oliverosという苗字で思い出すのは現代音楽/電子音楽の作曲家でアコーディオン奏者としても活動していたアメリカのポーリン・オリヴェロス(2016年死去)だが、なんと実際にこの曲はそのオリヴェロスと、もう一人、フェンダーのアンプの配線組み立て技師だったルーペ・ロペスという女性の二人に捧げられた楽曲なのだという。しかも、スペイン語による歌詞では“庭に迷い込んでしまった”“あなたは誰?”といったことが繰り返し歌われているようだ。実に面白い!

実際にポーリンとルーペとの間に交流があったかどうかはわからない。私が知らないだけで、二人はほぼ同じ時代に生きていたのであるいは接点があったのかもしれないが、いずれにせよ、知名度の差はあるにせよ、ともに電子音楽、電子機材に関わっていた二人の偉人へのエラード・ネグロからのリスペクトであることは間違いないだろう。どうやらこのアルバムでエラードはヴィンテージのシンセサイザー、古典的な電子楽器の“物語”の影響を受けている。シンセそのものに対してはとうに理解があるはずだが、それ以上にその背後に眠るストーリーに思いを馳せた、そんなアルバムになっているように思えるのだ。これこそエラードの洒落た想像力を実感できる瞬間だ。

本作の制作のきっかけとなったのは2019年……ということは前作『Far In』(2021年)のリリースよりも前のことになるが、サルヴァトーレ・マルチラノという作曲家/音楽家が1969年に製作したというクラシック・シンセ=Sal-Marに出会ったことだったという。クラシック音楽の領域で作品を残しているマルチラノは、イリノイ大学で教鞭をとりながら、一方で磁気テープを用いたコラージュ作品を作っていた。近年になってミュージック・コンクレートとも思える斬新で奇抜な作品は気軽に聴けるようになったが、どうやらエラードはこのマルチラノが開発した巨大な電子楽器にイリノイ大学に出向いた際に触れ、大いにインスパイアされたようだ。

だが、エラードはこのSal-Marの発振回路・電子回路の解明、その音の鳴りの秘密をテクニカルにたどりつつも、どうしてこういう機材をマルチラノが作ったのか? 大学で教えたりクラシック音楽の作曲家という顔も持っていた普段の生活の中から、なぜ電子楽器を製作することを思いついたのか? といった、今となっては真実が定かではない“物語”を想像したのではないかと思う。それは、ポーリン・オリヴェロスとルーペ・ロペスの二人を“出会わせた”ことと同じだ。だから、本作は……というか、エラードの作品はある種のロマンティシズムにも似た甘やかさがある。彼は電子音楽や機材に対する興味を、ポップで親しみやすいフレーズや心地よい歌という形でファンタジーとも言える物語へと昇華させようとしたのではないか。黎明期の電子楽器、電子音楽を巡るエラードによる豊かな想像こそが、例えば1曲目「LFO(Lupe Finds Oliveros)」のメロディアスな部分に現れている、といったように。

すべての曲がこうした“電子音楽の黎明期の物語”に裏打ちされているかどうかはわからない。トロピカリズモへのエラードからの回答のような曲もあるし、ブラジリアン・ジャズとの共振を伝えるものもある。「Best For You and Me」ではOpal Hoytという女性ピアニストと共演もしているようだ。曲そのものにはあからさまな電子音楽、及びSal-Marからの影響というのは見てとることはできない。ここらへんが基本的には聴き手に焦点を絞らせない、起点なき循環が螺旋階段のようにゆるゆると登っていって、気がついたらカラフルな靄のようなものができあがっている、という彼のアンビバレントな面白さなのだろう。けれど、そうやって煙に巻きつつも、背後にはハッキリとしたクリエイティヴィティとそのための視座……今作であれば“物語”を編み出すことの醍醐味がある。

そしてもう一つ、「LFO」でともにスペイン系の名前を持つポーリン・オリヴェロスとルーペ・ロペスを、同じくかつてはスペイン領だったエクアドル移民の子供として生まれたエラード・ネグロが引き合わせた(?)ことにも大きな意味があるだろう。そういえば、サルヴァトーレ・マルチラノもアメリカ出身だがスペイン、もしくはイタリア系?だ。「答えるなら“無責任なミュージシャン”(笑)。僕はただ、自分が作りたいものを作っているだけ」と、前作『Far In』(2021年)をリリースした時のインタヴューで語ってくれていたエラードだが、無責任というのはなんと自由なのだろう! ということを思い知らされる。(岡村詩野)

More Reviews

The Road To Hell Is Paved With Good Intentions

Vegyn

1 2 3 64