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「消費されて消えてしまうなら消えるし残るなら残る。その曲が自分自身の人生の一部であるならそれでいい」
エラード・ネグロによる“遥かなる”アブストラクト・ポップの現在地

22 October 2021 | By Shino Okamura

いわゆるエレクトロ・コラージュ的な作法が得意なのかと思えば、コンポーザーとして細やかなフレーズやメロディ、ヴォーカルやリリックを丁寧に扱っている曲もある。エクアドル移民の子供として生まれたアイデンティティを感じさせる視座もあるけど、フロリダでベースミュージックやヒップホップを聴いて育った影響を素直に出したり、カレッジでアニメーションやサウンドデザインの勉強をした成果を柔軟に作風の中に落とし込んだり。エラード・ネグロの約20年ほどのキャリアの変遷の断面は、そのように彼自身の経験に基づく多層的かつ、一方でつかみどころがないものだ。だが、そうした多面的でオブスキュアな表現であればこそ、一つのアングルに収まらないことによって引き起こされてきた新たなポップ感が、とりわけ2010年代以降に広く加速してきたことの意味を裏付ける。それまでになく高い評価を得た2019年発表の前作『This Is How You Smile』は、その点においても重要な1枚であったと言っていい。ここ10年ほどの間にヒップホップ、R&Bなどを起点に世界規模で“ポップ”の定義を反転させてきたアーティスト……例えばそれはソランジュかもしれないしフランク・オーシャンかもしれないが……らの作品と、別方向から連動した作品だったと。

そんなエラード・ネグロのニュー・アルバム『Far In』。これまでの作品の中で、最もメランコリックで幻想的でさえある1枚で、創作の源泉を特定させないようなアブストラクトな音処理ながら、不思議な人懐こいフックを持った曲が揃っている。そして全体的なトーンは決してダークではなく、風通しは極めてよく、どこか飄々とした開放感とブライトさも纏っているのが特徴だ。ヒップホップ、マイアミ・ベース、トロピカリア、もちろんソウルやフォークの要素も……でも決してレトロスペクティヴではなく現代的な音質で時代の波を静かに乗り越えていくような。ケイシー・ヒル、ベナミン、ワイ・オークのジェン・ワズナー、オパル・ホイトらブルックリン周辺の鬼才たちが多数ゲストとして参加。現在ニューヨークを離れノースキャロライナ州アシュヴィル(モーゼス・サムニーがLAから移ってきた町!)に引っ越したというそんなエラードの最新インタビューをお届けする。

ところで、エラード・ネグロが時折更新するSpotifyのプレイリスト《Day is clear, Night is here》がとても興味深いのでぜひこちらもチェックしてみてほしい。昼と夜の対比を感じさせるタイトルが印象的なこのプレイリストにはこれまでにもう600曲近くが放り込まれていて、新旧様々ながら彼のフェイヴァリット曲をチェックすることができる。20日ほど前には、カエターノ・ヴェローゾやアルカ、先ごろ4ADとの契約を発表したAnjimileなどの新曲が追加されているし、今年夏には坂本慎太郎や冥丁、サム・プレコップやムーア・マザーも彼のお気に入りだったようだ。
(インタビュー・文/岡村詩野)

Interview with Helado Negro

──素晴らしいニュー・アルバム『Far In』についての話の前に、今回はこれまでのことも少々聞かせてください。私があなたのことを知ったのはEpsteinの『Puñal』でのことでした。そのあとは、ROM、Boom&Birdsなどで作品を出しているあなたの活動を追いかけるようになり、そしてプレフューズ73のアルバム『Preparations』(2007年)などでのギレルモ・スコット・ヘレンと合流もとても痛快に思っていました。そこからさらに多岐に及ぶ場所、フォルムで活動するようになった現在のあなた自身は、音楽家としての自分の存在を社会の中でどのように位置付けているのでしょうか?

Helado Negro(以下、H):それは自分にはわからいから、言葉には出来ないなあ。人に何をしているか聞かれたら、音楽を作っていると答えるだけ。あとは、サウンドアートの仕事をしてる、とかかな(笑)。これだ!と自信を持って言える言葉がないから答えるのはちょっと難しいよ。

──では、アルター・エゴとも言える「エラード・ネグロ」と本名である「Roberto Carlos Lange」との関係性はどうでしょう? どのように使い分けているのですか?

H:本名を使う時は、ギャラリーやどこかの場所で展開するサウンド作品を作る時。エラード・ネグロよりも抽象的と言えるかな。エラード・ネグロの作品は、レコードやアルバムとしてリリースする作品だから、よりサウンドがベースになっている。そういう意味で、本名と芸名はやっぱりそれぞれに異なる役割を果たしていると思う。本名の方が、曲をパフォーマンスするというアイディアから解放されていると思うし、それが一番の違いだと思うね。でも、じゃあ、どんなミュージシャンなの? って訊かれると難しいね。答えるなら「無責任なミュージシャン」(笑)。僕はただ、自分が作りたいものを作っているだけのミュージシャンだから。でもある意味、それを選ぶことで自分で自分のハードルをあげているんだ。何かで成功して、それが周りの人々が求めていることだとわかり、それを再び作って皆を満足させている人々ももちろんいる。前回のレコードも良い結果になったし、周りの反応も良かったから、作りたければ前回のようなレコードを作ることもできた。でも、それを繰り返していては僕が僕でなくなってしまうんだ。だから、無責任なミュージシャンなんだよ。そうやって、自分が置かれている状況をハードにして、常にチャレンジを生み出している。僕は、好奇心旺盛なミュージシャンなんだよ。常に新しいことを学び、自分が他にどんなことが出来るかを探っていきたいんだ。

──あなたが本格的にレコーディング・ベースに音楽制作を開始して20年ほどになると思うのですが、この20年ほどの間に音楽家としての姿勢はどのように変化、拡張、もしくはフォーカスされていったと感じていますか?

H:これもまた難しい質問だな。20年前の僕は21歳だったから、色々な変化がありすぎて。今の僕は以前よりも少し緊張しなくなったかもしれない。でも、未だに常に何かを探し求めていることは変わらないし、自分が作りたいと思うものに対する熱意はそのままだね。例えリリースされなかったとしても、作りたいものが作れれば僕はそれで幸せなんだ。曲の中には、僕自身のためだけに作られたものも沢山あるし、それが僕の中で存在し続けてくれたらそれでいい。音楽さえ作れたら僕はハッピーだし、それはこれまでもこれからも変わらないと思う。変化しているのは、人々とシェアする作品と一緒に仕事をする人々に対しての責任感。アーティストとして、経験と共に成長する過程でその変化は起こっていくんだと思うね。もう一つ変化していると思うのは、僕自身の声。年月をかけて自分の声を探求してきたし、歳を重ねると共に声は確実に変化した。前よりもコントロールできるようにもなったし。この自然の変化に気づくのは嬉しい。同じものであり続けないというのは僕が望んでいることだしね。

──あなたは1980年に南フロリダでエクアドル人の両親の元に生まれています。80年代~90年代にかけてのフロリダ周辺ではマイアミ・ベースなどが盛んだったと思いますが、その頃のリスナー体験で今に生かされている部分があるとすればどの辺りでしょうか?

H:うん、子供の頃はマイアミ・ベース、フリースタイル、80年代のラップといった音楽がラジオでしょっちゅう流れていたし、僕もハマっていた。だから影響も受けているし、リスペクトもしている。聴くこともちろん楽しんでいたし、そういったサウンドをどうやって作るのかを学ぶのも楽しんでいたね。使われていた楽器やテクニックを学びたかったし、当時のプロデューサーたちが使っていたツールは自分が初めて手に入れたツールでもあった。僕は、MPC2000のサンプラーを使って音楽を作り始めたんだ。

──当時は具体的にはどうやって作品を作っていたのですか?

H:当時はサウンドのターニング・ポイントだったと思う。コマーシャル・ミュージックでも、より多くの人々自分自身のやり方で様々なサウンドを取り入れ、サウンドで色々な実験をしていた。あのプロセスは、自分の中に入り込んでいると思うね。新しいサウンドを取り入れることがすごく心地良いし、自分が好きなことは何でも試していい、という感覚をもっている。未知のサウンドに対して違和感を感じることがないんだ。あと、自分が意識してそうしているわけではないけど、僕の音楽のテンポやメロディはもしかしたらマイアミベースや80年代の音楽の雰囲気がでているかもしれないな。

──加えて、あなたは《Savannah College of Art and Design》でコンピュータとアニメーションを学んでいたと聞いています。つまり、いわゆる一般的なコンポーズ/ソングライティングより、サウンドデザインやオーディオ・プログラミングから音楽制作に入ったわけですが、具体的に大学で学び身につけたスキルや興味が、今のあなたにどのようにプラスに働いているか教えてください。

H:当時はまだ本格的なサウンドデザインのプログラムはなくて、サウンドデザインは副専攻だった。メインの先行はアニメーション。サウンドデザインはすごく面白かったよ。自分にとって新しかったし、18歳の僕にとっては実験的なサウンド・ミュージックというのはものすごく刺激的だった。高校の時にオウテカとか《Warp》の作品を既に聴いたりはしていたけど、それ以上に実験的なサウンドは初めてだったからね。それについての歴史や知識を学べたのもクールだった。学校で教わったことでプラスに働いているのは、自由なアプローチかな。当時、学校はまだ全くコマーシャル的ではなくて、プログラムも仕事を得るためのものではなく、純粋に知識とスキルを得るためだけに作られていた。僕が学校に通っていた時期はクリエイティヴな時期で、すごく自由を感じられたし、自分がやりたいと思うことができたんだ。学校では、自分が作りたいものを作っていいんだ、という自信を得ることができたと思う。今考えるとそれはすごく貴重な経験だったと思うし、制作活動において大切なことでもある。そのアプローチは、今の活動に活かされていると思うね。

──その頃、あなたがよく聴いたり観たりして影響を受けていたクリエイターや作品は?

H:一番大きな存在だったのは、カナダ人アーティストのノーマン・マクラレン。彼はヴィジュアル・アニメーターで、19歳の時に初めて彼の作品を見たんだけど、その時、「これが自分が作りたい作品だ!」と思ったんだ。なんだかすごく励まされた感じがした。あれはかなりの刺激だったな。ヒップホップに似ているとも言えると思う。既に出来上がった、例えばヴァイナルのサウンドを何か新しい自分の作品に作り変える感覚。彼の時代、それは斬新なアプローチだっただろうね。自分が既に興味を持っていたことでもあったし、彼の作品に出会ったことで、自分の発想や世界観が変化したと思う。

──ニュー・アルバム『Far In』からの先行曲「Gemini And Leo」のPVはジェイコブ・エスコベド(Jacob Escobedo)が監督をしたカラフルでシュールなアニメーションでした。アニメーションという方法論、手段にあなたが可能性を感じるのはどういう部分なのでしょうか。「Gemini And Leo」に対するあなたの解釈を交えて教えてください。

H:アニメーションがもつ力はすごくパワフルだと思う。アニメでは幻想的な世界を表現することも出来るし、現実の世界も表現することが出来るからね。僕はどのタイプのアニメも好き。ジェイコブはアダルトスイムのクリエイティブ・ディレクター。僕は以前アダルトスイムの仕事も引き受けていたアニメーション会社で働いていたことがあって、当時は会ったことはなかったんだけど、縁があってジェイコブと知り合うことがきた。彼と話していたのは、二人の人間でない登場人物が異空間で触れ合い、もう一つの宇宙、平行宇宙を作り上げる、というもの。融合や協調をそれで表現したかったんだ。

──その後、2000年代半ば以降のあなたは次第にメランコリックな側面、メロディアスなヴォーカル・ミュージックとしての良さも発揮していくようになります。プレフューズ73やサヴァス+サヴァラスでの活動はその背中を押していたようにも思うのですが、カタルーニャの血を引くギレルモ・スコット・ヘレンとあなたは互いにスペイン系移民同士、何か共鳴し合うところがあったようにも思っていました。実際にギレルモと出会い、共に作業をし始めた当時、あなたにはどのような気づきがあったのでしょうか。

H:それは面白い質問だな。彼とは2003年に出会ったから、僕らは長い付き合いになる。参加が実現したのは偶然で、あの時期、僕は同時にエラード・ネグロとしてのファースト・アルバムを制作していたんだけど、それをギレルモが聴いて面白いと思ってくれて、彼のサヴァス+サヴァラスのレコードのために音源をいくつか送ってくれないかとオファーしてくれたんだ。だから、彼に出会ってから僕の中で何かが変わったわけではないんだよ。僕の方向性は、彼に会う前から既に変わっていたってことなんだ。彼のために曲を作るようになったのはその後。エラード・ネグロの作品がリリースされたのは彼の作品に参加した後だったけどね。でも、自分が作ったものが彼の手によって彼の世界に入り込んでいくプロセスをみているのはとても興味深かったな。ただ、ギレルモと出会ってからの新たな気づきはあったかもしれないね。全てのコラボレーションがギブ&テイクだから。サヴァス+サヴァラス のコラボからは、自分が作ったもに対してリーダーになるばかりではなく、それを旅立たせること、自分の作品が他の誰かの作品の一部になることも心地の良いことだということに気づかせてくれた。誰かのアイディアの中で自分の作品がある特定の役割を果たすというのがどういうことなのかを学んだと思う。

──ところで、エクアドルにはもちろん古くからの伝承音楽が多くあり、私自身は《Nonesuch》が出していた“エクスプローラー・シリーズ“でエクアドルやコロンビアのブラック・ミュージックを聴くようになりました。デイヴィッド・ルイストンのように昔の音源を採取するような研究者の力によって今は簡単に聴けるようになりましたが、あなた自身は、エクアドルや周辺のそうした伝承音楽を、そのまま伝えるのではなく現代のエレクトロ~アート音楽として更新させていきたいという思いはどの程度あるのでしょうか。

H:エクアドルには素晴らしい音楽が沢山存在していて、それを皆に知ってほしいという気持ちはもちろんある。でも僕自信はやはりアメリカ人であり、エクアドルの人々に、自分がエクアドルの音楽を更新しているとは言えない。移民は僕の家族であって、僕が作っている音楽は育ったマイアミの文化がより反映されていると思うし、そういった音楽は全くエクアドルと関係ないとも言えると思う。エクアドルの音楽は、僕が聴いて育った音楽の一部だから、もちろんそれに影響を受けてはいるけどね。

──例えば、コロナによるパンデミック以前のキト(エクアドルの首都)では、金曜夜は毎週のようにカッティングエッジなエレクトロニック系のイベントが開催されていたと聞いています。エクアドル出身ながらベルリンで活動するDJのQuixosisのような存在もエクアドルと欧米との橋渡し、アップデートするきっかけをつくっているように思います。あなたはそうしたエクアドルの新しい動きについて、どのように考えていますか? 個人的なつながりもあるのでしょうか? それとも距離を置いていますか?

H:そういったDJたちのことはもちろん知っているし、彼らとは友人でもある。Quixosisは、彼の家族を通してエクアドルの伝統的音楽に特別な繋がりがあるんだ。彼の家族がレコード・レーベルを運営していたからね。だから、彼が橋渡しのような活動をしているのはすごく喜ばしいことだと思っている。でも、正直僕は彼ほどアップデートはしていないと思う。もちろんエクアドルの音楽に繋がりは感じているし、自分が彼らの一部という感覚も持っている。でも彼らと比べると、やっぱり僕は自分が作りたいものを中心に作っているアーティストなんじゃないかな。ただ、彼らとは繋がりを保って関係を築き上げていきたいという強い気持ちはもちろん持っているよ。

──あなた自身は現在アメリカに暮らす中で、トランプ政権時代の厳しい移民政策を目の当たりにしてきているわけですが、そうした移民としての目線、人種差別も含めた厳しい体験は、移民の権利団体《United We Dream》に収益の一部が寄付された2019年の前作『This Is How You Smile』に明確に現れていました。もちろん、今回のアルバム『Far In』でも地続きかとは思いますが、そうしたアングルから『This Is How You Smile』を今一度どのような手応えを残したアルバムだったか振り返ってみてください。また、『Far In』に繋がった部分があるとすればどういう部分になりますか?

H:ここ数枚のレコードでは、パーソナル・アイデンティティについても触れてきた。それは全て政治的というよりは自分のために書いた曲だし、アイデンディディの様々な側面が色々な形で曲に現れていたと思う。でも最近は、アイデンティティに触れたり、それを語ることが商業化されてきてしまった。僕は、そのために個人的なことに触れたいわけではないから、今は以前よりもアイデンティティに触れることが難しくなっていると感じている。でも僕が書いた曲はそういったトピックが商業化されるよりもだいぶ前に書かれたものだし、自分の人生を通して見てきたものを素直に曲にしただけなんだ。そして、それをリリースすることで皆とシェアしたいという気持ちもあった。曲を聴くことで、自分と同じくらい、もしくは自分よりも辛い思いをしている人が他にもいることにお互い気づき、助け合い、それに向き合うベストな方法を見つけ出すことができると思ったから。シェアするとはいっても、全てをさらけだしているわけではないけどね。プライベートな部分は明確にしないし、特定の言葉や具体的なことは、他の言葉を使ったり言葉をぼかす。そうすることで、人々がそれぞれに自分自身の状況と曲を重ねることが出来るから。『Far In』との繋がりは、作ったのが僕だということ。もちろん僕という人間は映し出されているからね。

──あなたの作品は、そこまでシリアスでもない……というか、どこかにポジティヴなヴァイブス、コンフォタブルなタッチがあります。新作の中の「Gemini and Leo」も、「あなたが南フロリダで80年代のクラブソングを聴きながら育った少年時代を思い起こさせるような音楽」とプレスリリースで評されているように、ノスタルジーと現実との間を軽やかに行き来する開放感もありますね。今作『Far In』の創作の出発点はどのような思い、モティヴェイションからのものだったのでしょうか?

H:特定のヴィジョンを基盤にアルバムを作ったわけではないんだ。前回のアルバムを作り終えたすぐ後からまた曲を書き始めて、その曲が集まって出来上がったのが今回のアルバムだから。大変なのは、アルバムを仕上げることだった。アルバム制作は興奮の連続で、最初は23曲も音源ができたからね。それを15曲に絞らなければいけなかったんだ。でも、もうこれ以上書きたいとは思えないくらい、すごくハッピーな状態でアルバムを仕上げることができて良かったよ。前回のレコードは、意識してある意味孤立した状態で作ることにした作品だった。敢えてハードなスケジュールと環境で制作に挑んだんだ。その結果はすごく良かった。自分自身でも気づいていなかった感情が現れ、個人的にそれに気づくこともできたしね。でも仕上がった瞬間は、こういうレコードはもう作りたくないと思った(笑)。あのレコードではとにかく本当に沢山のことを実行したんだよ。その中には自分が完全に満足できなかったものもあったし、一度作ったものを繰り返し作るのではなく、新しいものを作りたいという気持ちもあったしね。今回のアルバムの中で最初に出来た曲は「Mirror Talk」だった。あの曲は、それ以降に作った曲のガイド的存在になったかもしれない。

──あなたとパートナーであるヴィジュアル・アーティストのクリスティ・スウォードは、2020年初頭にテキサス州マーファを訪れ、共同プロジェクトであるKite Symphonyに取り組むための滞在を計画していたそうですね。コロナのパンデミックで結局去年の夏の間はマーファに滞在し、今回のアルバムのためにかなりの量の曲を書いたと聞いています。どのような流れでアルバムの完成へと向かったのか、その流れを詳しくおしえてください。

H:アルバム制作の流れは、2019年~2020年にブルックリンで友人たちとセッションをして、それをマーファにもっていき、マーファでは新たにセッションをしたり、ブルックリンからもっていった音源の上からレコーディングしたりした。そのあと2020年の終わりにブルックリンに戻ってきて、そこから毎日車で3ヶ月半スタジオに通い、10時から18時まで毎日スタジオで作業したんだ。

──これまでのあなたの作品には共通して「想像上の生き物、幽霊、お化けのような存在」的なものが登場します。今回のアルバムでも「Mirror Talk」「Wind Conversations」のような曲に、その“存在しないはずの存在との会話“みたいな気配が感じられます。今作における、オブスキュアでイマジナリーな存在とは、何を象徴したものとして捉えているのでしょうか。

H:その答えはリスナー次第。皆がそれぞれに好きに解釈してくれたらそれでいいんだ。今回のアルバムに特定のテーマはなく、曲ごとにそれは異なるけど、一つ共通していることがあるとすれば、それは環境や気候変動だと思う。特に「Wind Conversations」はそれについての曲だしね。これは、僕が妻と一緒にマーファの公園にある木下に座ってランチを食べていた時に感じたフィーリングを曲にしたんだ。座りながら、すごくピースフルで美しい場所だけど、それがいつまで存在していられるのかわからないというなんとも言えないフィーリングを感じたんだよ。

──曲調も、ヴォーカルのループを取り入れたアブストラクトな「Brown Fluorescence」のようなものもあり、幻想的な仕上がりになっている印象ですね。

H:曲を書く時、僕はよく色の名前を使うんだけど、特にブラウンは多いと思う。前回のレコードにも出てくるしね。茶色というのは自分がアイデンティティを感じる色、絶えず自分の中で存在する色であり、また、強さを感じる色でもあるんだ。そのアイディアが再び発展していて出来上がったのがこの曲。参考にした作品はないかな。この曲とは全く関係ないけど、よく見ていた映画はある。それはヴィム・ウェンダースの『夢の涯てまでも』。4時間くらいある映画なんだけど、僕はあの映画がとにかく大好きだった。これといった理由はわからないんだけど、アルバムを作っている時にすごくインスパイアされたんだ。

──一方で、演奏面では、スティール・パンやフェンダーローズといった楽器が印象的な使われ方をしていますし、ケイシー・ヒル、ブスカブラ(Buscabulla)、ベナミン(Benamin)といったフィーチュアリング・アーティストはもちろんのこと、ベースでジェン・ワズナー(フロック・オブ・ダイムス)、L’Rainことタジャ・チーク、シンセサイザーとコーラスでオパル・ホイト(Opal Hoyt/Zenizen)が参加するなど、音楽面でも人脈面でも今回もあなたのハイブリッドな指向が現れていると思います。今回、これらのゲスト勢に求めていたのはそれぞれにどういう部分だったのですか?

H:ケイシーとは友人で、2019年に彼女が僕のスタジオに来て、その時に沢山曲を作りレコーディングをしたんだ。アルバムにレコーディングされている曲はすごく早く出来上がった。彼女がメロディをハミングをしていて、それに合わせて曲を書いたんだけど、そのハミングがあまりにも美しかったから、歌詞を加える必要はないと思ったんだ。

ブスカブラは、僕の昔からの友人達。彼らは前ニューヨークに住んでいたんだけど今はプエルトリコに戻っている。マーファに着いて最初に作業を始めたのが彼らとの曲だった。僕たちのお互いを心から信用しているから、音源を送った時もこれといってリクエストはしなかったんだ。僕が彼らに求めたのは、歌ってもらうこととベースを弾いてくれることのみ。期待通り、彼らは曲をレベルアップして送り返してきてくれた。この強い信頼関係と繋がりがあるからこそ、彼らに依頼したんだ。もともと僕はあまりコラボするアーティストに指示をするタイプではないんだよね。彼らの演奏の素晴らしさを知っているからこその依頼だし。

ベナミンはも僕の親しい友人。彼は素晴らしいプロデューサーであり、ニューヨークで様々なアーティストとの作業経験をもっている。彼に送った音源は、僕がツアー中にピアノだけで書いたものだったんだけど、ブルックリンに帰ってきてから彼に送ったら、彼から戻ってきたプロデュースがあまりにも素晴らしくて驚かされたよ。あれは感動した。ものすごくシンプルだったのに、様々な要素が加えられ完全に姿を変えて戻って来たからね。彼とあの曲をシェアする経験が出来て、本当に良かったと思ってるよ。

ジェンも最高のコラボレーターの一人。彼女のことはかなり信用しているし、彼女の演奏のエナジーは素晴らしい。「Gemini and Leo」を初めとするいくつかのトラックでベースをプレイしてくれている。僕は彼女の音楽が大好きだし、彼女はとてもクリエイティブで才能があるんだ。感覚能力がすごくて、独自のアプローチで曲をより面白いものにしてくれる。彼女に期待していたのはその部分だよ。

タジャも最高。彼女とはライブでも何度も共演していて、今回は一緒に「La Naranja」を書いて、タジャはベースとギターをプレイしてくれている。多分、あと2、3曲でもベースをプレイしてもらったんじゃないかな。タジャもジェンと同じ。彼女も惜しみなく彼女の才能を発揮してくれるんだ。タジャも友達だから、会話をしながら色々な音を試して曲を作っていった。それはコラボレーションにおいて重要なことだと思う。相手を信用できて、自分が正直になれるというのは大事だし、それができれば、エゴの衝突もない。お互いがハッピーな気持ちでコラボができるからね。

ディレクションに関しては、ちょっとしたベースのアイディアは二人ともに伝えたけど、それを元に彼女達の要素をもたらしてもらったんだ。彼女たちには、ファンキーにしてくれとお願いした(笑)。指示したのはそれくらいだね。時にはあまり指示を出しすぎないほうがいいこともある。それが頭にあると考えすぎてしまうし、パフォーマンスが十分に誠実ではなくなってしまう可能性も出てくるから。自分の理想を突き通すことで、作品がロボットのようになっていまっては意味がない。だから彼女たちに与えたディレクションはミニマルだったし、B#をプレイしてくれとか、そういう具体的なことではなかった。サウンドのカラーと形と質感の話をした感じだね。この辺りは丸みを帯びた感じとか、ちょっとぼやけた感じとか。そういったちょっとしたポイントを伝えただけだったな。

オパルは、彼女のライブを何回か見たことあるんだけど、それを見て以来絶対にコラボしたいと思っていたんだ。それから彼女に連絡をとって、セッションに参加してもらった。彼女も、曲を作りながらそれ以上の作品をもっと一緒に作りたくなるアーティストの一人。彼女が加わると、作品が一気にダイナミックになる。そこがすごく気に入っているんだ。コラボするミュージシャンたちには、最小限の指示しか与えない。僕が求めているのは、彼らに貢献してもらうことだけだから。彼らには自由を感じてほしいし、それによって自分たちが好きな方向へ音楽を導いてほしいんだ。

──15年間拠点としてきた街から離れたことが曲に反映されたという「Hometown Dream」や「Outside the Outside」という曲からも伺えるように、あなたにとって再出発、新たな門出を感じさせる内容でもあるかと思います。なかなか物理的な動きがとれないコロナ禍で、住む場所、拠点となる場所を、このタイミングで行ったことで、どのようなプラスとなって働いたと思いますか?

H:ああ、ニューヨークからノースキャロライナのアシュヴィルという街に引っ越したんだ。ただ気分転換がしたくて。小さい街だけど、すごく良い場所だよ。ニューヨークとは全然違うし、気分転換には最高だと思う。引っ越したのは、ニューヨークに飽きたからではないんだ。ただ、今は少し気分を変えたくてね。NYは大好きだし、恋しくもあるし、またそのうち戻るかもしれない。でもここは静かだし、引っ越したばかりの時は変化に適応するまで大変だったりはしたけど、今はすごく気分良く過ごせている。美しい街だし、落ち着いているし、天気もいいんだ。どうプラスになっているかは、まだわからないな。自分でそれを実感して説明できるようになるにはもっと時間が必要だと思う。

──いわゆるポップ・ミュージック、大衆音楽としての宿命として消費されていくという側面もあるわけですが、あなた自身はそうした宿命との逡巡を、自身の活動、作品の中においてどのように格闘し、どのように解決していると言えますか?

H:僕はそういうことは一切意識していない(笑)。消費されて消えてしまうなら消えるし、残るなら残る。でも僕にとっては常に存在し続ける音楽だし、その曲が自分自身の人生の一部であるならそれでいいと思う。周りに何が起ころうと、僕の一部であることに変わりはないからね。それを人々をシェアしているだけで、人がそれをどう扱おうと、僕にとっては永遠の作品だから。たとえ僕がその存在を忘れたかったとしても、僕が作り上げたものは一生残るんだ。自分の子供と同じさ。そもそも僕は、格闘や解決の仕方なんてわかっていない(笑)。もしわかっていれば、もっと違った作品が出来ていると思うよ(笑)。
<了>

 

Text By Shino Okamura


Helado Negro

Far In

LABEL : 4AD / beatink
RELEASE DATE : 2021.10.22


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