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冬にわかれて: forgotten

2026 / こほろぎ舎
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有限性が生む悲哀と美

06 June 2026 | By Dreamy Deka

2025年10月、愛知県にある豊田市美術館の開館30周年を記念した、寺尾紗穂が伊賀航をゲストに迎えたライブに足を運んだ。美術館の庭園にPAシステムが設置されただけの簡素なステージだったが、それでも寺尾の歌は圧倒的だった。秋の日差しが降り注ぐなか、どちらかと言えば淡々としたペースで紡がれる、死や別れの悲しみを内包した楽曲たち。それに感情を強く揺さぶられ、どうにも涙が止まらない。ライブの途中で、「この人は本当は意地悪なんじゃないか、もうやめてほしい」と本気で思ったのは、後にも先にもあの日だけだ。

生きている人、もういない人。この土地とあの場所。寺尾紗穂の歌は、過去・現在・未来に宿る記憶を実体化し、それだけで聴く者の感情を埋め尽くす。

伊賀航、あだち麗三郎という、それぞれが優れたプレイヤーであり、ソングライターでもある二人と2017年に結成した、冬にわかれて。彼らの“バンド”としての命題の一つは、この寺尾の歌の存在感をどう楽曲のなかに配置しながら、三人ならではの意味を確立するのか、ということだったように思う。例えば2018年のファースト・アルバム『なんにもいらない』では、三人が鳴らす音と音の隙間、とりわけあだち麗三郎の奔放なドラムがもたらす遠心力に、その役割を求めた。また2021年の『タンデム』では、ローファイな質感を持つシンセサイザーが生み出す軽やかさと呪術的な空気を三人のシグネチャーとしていた。しかし2026年5月にリリースされた4作目のアルバム『forgotten』は、そうした言語化できる手法を必要としない。理性や感情に先んじて肉体に届くアンサンブル。それ自体が、このバンドの核であり存在意義であることを証明した作品である。

その変化は、アルバム冒頭の流れからして明らかだ。無国籍な響きをたたえたインストゥルメンタル「somewhere」に導かれるように始まるブルーズ調の「夜半の火の子守歌」。寺尾の憂いに満ちた歌声とブルージーなピアノに絡みつく伊賀のベース。それを支えるはずのあだちのドラムは序盤こそステディにリズムをキープするが、次第にグリッドを絶妙に逸脱していく。 この“ディアンジェロ以降”という表現では言い足りない、揺らぎをたたえた変容するリズム。三人の鳴らす音が闇夜の向こうで蠢くようなスリルと快感は、冬にわかれてというバンドが、これまでとは異なる領域にたどり着いたことを明らかにする。続く「ペパーミント・タイムズ」では、パッド系のシンセとエレクトリック・ピアノが白い音の幕をつくり、その裏側で残響を活かしたドラムがアブストラクトなビートを刻む。そして、この曲で大胆に逸脱するのは、作曲者でもある伊賀のベースだ。洗練された黒っぽいリズムを淡々と刻んでいたかと思えば、ふいに寺尾のボーカルの下をなぞるように雄弁なラインを奏ではじめる。もはやジャンルの輪郭すら曖昧になった音像の中に立ち上るのは、冬にわかれてというバンドにしか描きえない景色だ。

他にも、伊賀が細野晴臣のバックを務めていたことを思い起こさせる泰安洋行的な雄大さをたたえた「シーフー」、ニューソウルのリズムを再構築したような「東京レイン」など、フルートに池田若菜、ギターに細井徳太郎を迎えて紡いだ楽曲のバリエーションはこれまで以上に多彩だ。 だが、それらの根底には、ある共通点が貫かれている。それは、拍を外し、揺らし、均衡を崩すことで獲得した生々しい身体性だ。濃密なアンサンブルだけが持つ説得力と換言してもいい。その土台を成す低音の存在感には、エンジニアの飯塚晃弘、風間萌の貢献も感じさせる。

この感覚は、歌詞の世界にも及ぶ。 「なにげないダンス」、「気まぐれなステップ」、「つちふまずに砂」といったフレーズが歌われる「夜半の火の子守歌」や、身体そのものをモチーフにした「風のうわさ」が描くのは、物理的な肉体の質量と輪郭。そして個としての身体は、人々の営みや社会の気配へと広がっていく。大陸的な広がりを持つ「シーフー」は音楽に鮮烈な移動感覚を与え、Momが作詞を手がけた「ペパーミント・タイムズ」では、うつろいゆく社会の中で惑う人々の姿が、駅の光景と重ね合わせられながら象徴的に描かれていく。

また、8曲目のインストが「tandem ⅲ」と名付けられていることは示唆的だ。セカンドアルバムのタイトルでもあったその二人乗りというモチーフが「ⅲ」へと更新されたという事実は、ロードムービーのように移ろいゆく景色を共有し、バンド自身が変わり続ける有機体であることを象徴している。

この“移動”と“身体”という二つの感覚が交錯し、クライマックスへと達するのが終盤の「君の旅」だ。繰り返されるベースラインに誘われるように、同じ旋律を重ねはじめる寺尾のピアノ。抑制的ではあるが、そこには心臓の脈動が感じられる。スタジオの濃密な空気を伝える残響のなか、シンバルのざわめきが静かに満ちていく様は、音そのものがある摂理に従って発芽してくるかのようだ。そして閉じた空間のなかで波打っていた生命の明滅は、大きく展開するサビの「彗星と言う名の飛行機に乗って」という一節によって、広大な宇宙へと接続される。この楽曲が寺尾の知人の死に際して作られたことがインタビューで明かされているが、その個人的な悲しみは、この濃密なアンサンブルによって、誰もがいつかは赴く永い旅の情景へと昇華されている。続く最終曲「みらい」では、ここまでアルバムを牽引してきたドラムとベースの低音が消え、時間も座標も失われた無重力の世界が現れる。そこで歌われる「ときをこえ/わたしたちは/つながる/音かなで/つながる」という言葉は、私たちが広い宇宙に放り出された永遠の迷子であること、そしてその果てしない孤独の中で出会ったという偶然の奇跡を浮き彫りにする。

不可逆に進んでいく時間の中で、記憶は忘却へと向かい、生命は確実に減衰する。それでも、私たちは誰かと繋がるために彷徨い続ける。冬にわかれてが『forgotten』という旅の果てに見せたものは、私たちの有限性が生み出す悲しみと、そのかけがえのない美しさである。(ドリーミー刑事)

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