汝、愛を諦めるな
「汝、欲望を諦めるな」とはジャック・ラカンの言葉だが、その真意はさておき、LAを拠点に活動する、このホンジュラス系アメリカ人シンガー/ソングライター、Empress Ofことローリー・ロドリゲスも、どうやら欲望についての思考を促しているようだ。
アッ、ハァ、アッ、ハァ、アッ、ハァ、アッ! 4作目にして、自身のレーベル《Major Arcana》から初のアルバムとなった『For Your Consideration』は、濡れた吐息の混じった声と電子音が重なって幕を開ける。このパーカッシヴな声の扱い方、その声の湿ったニュアンスは本作における一つの特徴と呼べるだろう。つまり(ラカンが“欲望”という言葉を性的欲求のみを指して用いていないことはたしかだが)ロドリゲスは性的欲求に、そこにある精神性/身体性にフォーカスしているのだ。そしてそれを裏付けるように、官能的なヴォーカルが滴り落ちてくる。「これはあなたが書いた台本/私の言葉じゃなくて、あなたのもの/あなたは私が家のようだと言った/あなたを中に入れた」。わかりやすく言えば、ここでロドリゲスはセックスに喩えて言及しているわけだ。欲望の主体性と、それを取り巻く快楽について。
アルバムの最初のハイライトは、リナ・サワヤマとのアンセミックなダンス・ポップ「Kiss Me」……ではなく、ロドリゲスがスペイン語の歌詞を口ずさみながらダンス・フロア(あるいはSMクラブのようなどこか)を闊歩する「Femenine」である。ラメ入りのリップを塗った唇がネオンライトをギラギラと弾く。「フェミニンな男が欲しい/私だけのために踊ってくれるラテン系/料理して パレードして 映画に連れて行って/私だけのために」「私はあなたを必要としないし、あなたも私を必要としない/あなたと私は同じ/ご褒美をちょうだい、血統書付きのビッチに」。スペイン語の歌詞をアプリを使って翻訳してみれば、これがクィアで過激なセリフに溢れた欲望の讃歌であり、ロドリゲスが支配/服従の関係性を弄んでいることがわかるだろう。
さらにプロデューサーにNick Leónを迎え、ロドリゲスが失恋の悲しみを火遊びで紛らわせる「Cura」や、《PC Music》からのリリースでも知られるUmruがプロデュースしたトラックに乗ってストレートかつ軽率に欲望をぶちまける「Fácil」など、本作は中盤以降も聴きどころに満ちている。特に後者はロザリアを彷彿とさせもするし、フロア・ユースなアヴァン・ポップの中にカリブ海経由で構築されているであろうロドリゲスのアイデンティティと近い要素を感じる瞬間も多い。
また、何よりも注目すべきはロドリゲスがどのような状況でも欲望を肯定的に描き切っていることだ。アルバムが最終的に辿り着くのは内省的な、それも大きすぎる問い──フィービー・ブリジャーズのレーベル《Saddest Factory》からもアルバムをリリースしているLAの3人組、ムナを迎えたラスト・ソング「What’s Love」は、タイトル通り愛とは何かを問いかける。「教えて、あなたが私の安全装置だったら危ない?/教えて、私があなたに変えられてしまうのって悪いことなの?」「もしこれが愛じゃないなら、愛の本当の意味を教えてくれる?」。曲調は本作を代表するものではないが、この問いこそロドリゲスが出した答えであり、徹底して欲望を肯定する理由なのだろう。言うなれば、愛と欲望は不可分であるという主張。そして見えてくる、身近な人々と欲望をぶつけ合い、許し合い、互いに変化していく先にある可能性。Empress Ofが『For Your Consideration』でまざまざと見せつけるのは、愛と欲望をごった煮にして湧き立つ芳醇な美しさである。だからロドリゲスの主張はきっとこうも言い換えられる。汝、愛を諦めるな。(高久大輝)
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