Review

Hannah Cohen: Earthstar Mountain

2025 / Bella Union
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キャッツキルの山間から生まれた穏やかな意思

21 May 2025 | By Kenji Komai

前作『Welcome Home』から6年ぶりのアルバム、とはいえあまり期間が空いたとは彼女自身も感じていないのではないだろうか。ハンナ・コーエンは2018年にウッドストックにほど近いキャッツキル山地に移住し、パートナーであるサム・エヴィアンと住居兼スタジオ《Flying Cloud Recordings》のオーナーとして運営にいそしんでいた。ここではビッグ・シーフ『Dragon New Warm Mountain I Believe in You』(2022年)やヘレナ・デランド『Goodnight Summerland』(2023年)、ケイト・ボリンジャー『Songs From A Thousand Frames Of Mind』(2024年)などが録音されており、ここ数年、「いいアルバムだなぁ」とクレジットを確認すると《Flying Cloud》だったことが1度や2度ではなかった。また、同時期にニューヨークからキャッツキルに移住し、お隣同士であるというスフィアン・スティーヴンスのアルバム『Javelin』(2023年)にも彼女は全編にわたりコーラスで参加し、その開放感に満ちたムードに大きな貢献を果たしている。

『Earthstar Mountain』は、60年代から豊かな音楽の土壌が育まれてきたこの地域に腰を据え、新たなレガシーを生み出そうとする彼女からの途中経過報告と言っていいかもしれない。『Welcome Home』は多分にドリーム・ポップ的色彩のなかで、まどろみの時間がゆるやかに流れていたけれど、今作はエヴィアンが采配をとるプロダクションのダイナミズムが彼女のハイピッチでどこか安心感を与える歌声をより浮き彫りにしている。エヴィアンのプロデュース・ワークの変化については、彼の2024年のアルバム『Plunge』も合わせて聴いてほしい。メイン楽器をベースギターに持ち替え、ほとんどの楽曲でベースをプレイ。彼曰く「プロデューサーの楽器」をもってリズム・セクションに加わることで、バンドのコントロールの方法を改めて会得したことを明かしている。『Earthstar Mountain』でも多くの楽曲でベースあるいはコントラバスをプレイしていて、単にドリーミーなのではなく、より立体的な音像、そしてサウンドのパレットの広がりが生まれている。

スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンあるいはシャギー・オーティス譲りのリズムボックスによるファンクネス、ロータリー・コネクションのようなサイケデリックなチェンバー・ソウル、トルコのセルダ・バージャンを思わせるストレンジなファンキー・フォーク、そしてクレイロとスティーヴンスが参加したエンニオ・モリコーネのカヴァー「Una Spiaggia」まで。ブリル・ビルディングなポップ・ソングを築く手前でツイストを加えていく手法が、なんとも言えぬ心地よさとなっている。《Flying Cloud》以外で制作された近年の作品だと、ジェシカ・プラット『Here In The Pitch』(2024年)あるいはクレイロ『Charm』(2024年)が近い感触だろうか。時折差し込まれるファズ・ギターとオリヴァー・ヒルによるストリングスがアクセントとなり、ヴィンテージな手触りに留まらない新しさを感じることができる。なによりコーエンの歌声が、その精細さから一歩陽光に躍り出ていて、ガル・コスタをヒーローに挙げ、ブラジリアン・ミュージックに夢中だという音楽的嗜好の広がりと新たなジャンルをディグしていくときの高揚が伝わってくる。

また、アルバムのオープナー「Dusty」で〈全ては移り変わる〉と切り出しているように、コーエンは時間の流れと、そこから生まれる、喜怒哀楽でなかなか切り分けることができない感情の機微をストーリーテリングで伝えている。「Earthstar」でベッドを共にする相手でさえ完全に知ることはできないという感覚を描くと同時に、「Baby You’re Lying」では、自分以外の誰かが自分のことをよく知ってくれているはずだと描写する。「Shoe」では自分の居場所を探す、普遍的な問いを投げかけ、「Rag」では道端に捨てられた布に時間の経過と喪失を象徴させる。そんな「分かり合えないことを分かり合う」感覚はポップ・ソングでは定石だけれど、彼女はとにかくその揺れ動きを丁寧に綴っていて、達観しているようだけれど、人懐っこく響く。キャッツキルで一から作り上げていった暮らしの変化と心情が投影されていると言っていいのではないだろうか。ダンサブル、と形容したくなるくらいアップリフティングなプロダクションが少なくないものの、トータルの印象としてはとても穏やかなトーンに包まれていて、そこに彼女の意志を確かに感じることができる作品だ。(駒井憲嗣)




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