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「自分の存在自体がすでに自分のアイデンティティについて物語っている」
──イメージを逆手に取って遊ぶ
Yu Suが語るオリエンタリズムの行方

29 November 2023 | By Daiki Takaku

腕に彫られたタトゥーが目に入り、ふと最初に彫ったタトゥーについて尋ねると、「マイ・ファースト・タトゥーはこれ」と笑顔で腕を差し出して見せてくれたのは、ユー・スー(Yu Su)だ。エクスペリメンタルな電子音楽のプロデューサーであり、ダンサブルなセットでフロアを彩るDJでもある。彼女の腕に彫られていたのはあるアーティストの有名なロゴマークだった。

「18、19歳くらいのときかな、中国で入れたんだ。何年かは両親に内緒でね(笑)。だって衝撃だったから! もちろん私だけじゃなくてたくさんの人たちにとってもそうだと思うけど、あまりにも新しすぎてワクワクする気持ちが抑えられないくらい。最初に触れたエレクトロニック・ミュージックがジャスティスだった」

中国は開封市で生まれ、幼い頃からピアノのスパルタ教育を受けていたというユー・スー。大学進学のタイミングでカナダはバンクーバーへ移住し、現在もバンクーバーを拠点に世界中を飛び回って活動している彼女に、高く評価されたファースト・アルバム『Yellow River Blue』(2021年)のことから、中国/バンクーバーの音楽シーン、アイデンティティと音楽の関係、そして坂本龍一についてなど、たっぷりと話を訊いた。

なお、《Raindow Disco Club 2023》で来日していたタイミングでの取材であったため今年7月にリリースされたEP『I Want an Earth』とは前後してしまうが、その経緯も垣間見えるはずだ。
(インタヴュー・文/高久大輝 撮影・協力/菊地佑樹 通訳/竹澤彩子)

Interview with Yu Su

──《Raindow Disco Club 2023》はいかがでしたか?

Yu Su(以下、Y):最高でした! すごく健康的な雰囲気で、お子さまもいて、ファミリー・フレンドリーな空気で。自分にもし子どもがいたら一緒に連れて来たかったくらい。

──ライヴやパーティが再開され始めてお忙しいと思いますが、近況はいかがですか?

Y:夏が終わるまでずーっとこの状態で駆けずり回ることになりそう(笑)。とりあえず倒れないように注意して、健康に気をつかってこの夏を何とかサヴァイヴしていこうって作戦!

──コロナ禍でDJやライヴから離れている時期は別の辛さがありましたか?

Y:と思いきや、超ハッピーに暮らしていたんです(笑)。ツアーに出ない代わりに家でひたすら音楽を作っていて。リミックスもたくさんやったし、日々の暮らしを満喫していた感じかな……いや、ツアーも楽しいんです。ただ肉体的にやっぱり相当しんどかったりもするし、そっちにエネルギーをすべて持っていかれてしまうから、ツアー中は音楽作りをしてる時間や余力がなくて。だから思いっきり曲作りに没頭できて、そういう意味では終わらないで欲しかったくらい(笑)。めちゃくちゃ充実していました。

──ライヴやDJなどの活動とスタジオワークはどのように関係していますか?

Y:ライヴやバンドでやってることをスタジオでどう活かすかで言えば、ちょうど今その作業をやっているところで、なんとかバンドと一緒にリハーサルする時間を作ってバンド用に曲を書こうとしている最中なんです。だから今作っている曲はロック寄りというか、今やっているセットもそうなんですけど、サイケデリック・ロック的な感じで。それがめちゃくちゃ新鮮で面白いんです! 歌詞を書いたり、言葉で表現したり、それをバンドのみんなと一緒に合わせて演奏したり。難しいけど、やりがいがある。今はDJツアーで時間が全部そっちに取られてしまっているから中断しているところなんですけどね。



──『Yellow River Blue』は2019年8月から2020年3月にかけてシアトル、ロサンゼルス、開封、上海、バンクーバー、メサチー湖、ケマイナスと、ビザの問題を理由にさまざまな場所で作られたものとのことで、ちょうどパンデミックの直前に当たります。そもそもこの作品の出発点はどこにあったのでしょうか?

Y:何かこれという決定的な瞬間があったわけじゃなかったと思うけどなあ……1曲できて、また次に1曲できて、そうやってどんどん転がしていくうちにいつの間にか始まっていた感じで。最初に出来た曲はたしか「Klein」だったかな……あのちょっと少し変わった、トライバル的な雰囲気が出てきたとき、「あ、今までとはちょっと違う」と感じたのを覚えています。

──『Yellow River Blue』はお母さまの名前を冠した曲「Xiu」もあって、自伝的な作品でもありますよね。

Y:2017年に母親が他界してるんです。自分のやっていることすべて、自分が作っている音楽の一つ一つが母親から受け継がれたものという意識だから、それをきちんと刻みつけておきたかった。もともと母親の強い意志で長いことずっとピアノを習わされていて……13年くらいやっていたのかな。だから自分の音楽のすべてに母親の存在がある。 自分がやってることすべてが母との思い出に結びついていくような……だから、子供の頃の母親と一緒に過ごした時間を再訪するような気持ちで母親の名前を曲のタイトルにしたんです。

──最初はお母さまに半ば強制的にピアノを習わされていたんですよね?

Y:そう、鬼教育で(笑)。

──ミュージシャンとして世界で活動していくことは中国のご両親から反対されたりはしませんでしたか?

Y:自分が活動を始めてからは両親も理解してくれるようになりました。父親もすっかりファン(笑)。常にInstagramをチェックしてパーティの写真を観ながら「もっと動画を送ってよー」という感じ(笑)。まあ、自分がやっている音楽を100%理解してるわけじゃないかもしれないけど、娘が楽しんでる姿を見て親としては幸せみたい。

──バンクーバーに渡ったことはエレクトロニック・ミュージックを作る大きなきっかけになりましたか?

Y:それは大きいと思います。最初は自分にとっては異国だし、何もかもが目新しかった。それがエレクトロニック・ミュージックと出会った最初のきっかけです。それに周りからの良い影響もあって。そういう意味でも自分は本当にラッキーでしたね。

──バンクーバーのコミュニティにはすぐに溶け込むことができたんですね。

Y:比較的すんなり溶け込めました。アジア人も多いし、アジア系のご飯屋さんも充実しているし、あんまり苦労した記憶はなくて。

──バンクーバーの音楽シーンはどのような状況ですか?

Y:そこまで大きくはない、というか、確実に小さくて、クラブ・ミュージックが盛んなところではないんですけど、それでも良質な音楽を作ってる人はたくさんいます。そんな状況でも音楽を作っている人がいるということ、そこが大事なんです。

──ルーツである中国のシーンについても教えていただけますか?

Y:中国の音楽シーンの移り変わりのスピードが早すぎて、それってすごくいいことだと思うんですけど……それこそ毎月アップデートされているくらいの早さなんです。この間もどこかのクラブに行ったとき、ごく少数ながらも中国人の姿もチラホラ見かけて、「おー、ついに中国人もダンス・ミュージックに興味を持ってくれるようになったか!」と思って嬉しかったですね。そもそも日本や韓国などとは全然状況が違って、中国にとってダンス・ミュージック自体、いまだに未知の、まったく新しい存在なんです。

──あなたのレーベル《bié Records》も中国の音楽シーンに貢献していますよね。

Y:少なからず貢献してると思います。レーベルに関しては自分自身はそこまで時間を割くことができなくて、中国にいる自分の友達が主体になってやっているものなんです。ただ、すごくいいですよね。それまで中国の音楽シーンの存在すら知らなかった西洋や他の地域の人たちにアクセスするきっかけとして、いい感じの場を提供できてるんじゃないかな。

──バンクーバーや中国に限らず、音楽を作っていく上で影響を受けたアーティストがいたら教えてください。

Y:ローリー・アンダーソン。彼女の『Mister Heartbreak』(1984年)という作品が自分的にすごくツボで。オリエンタルというか、東洋的、第四世界的というのかな……サウンド自体がそもそもすごく好きなのもあるんだけれど、アジア人として別の角度からああいったサウンドに触れたというのがすごく新鮮で。自分もあんなサウンドを作ってみたいって、ものすごく興味をそそられたんです。あとはジョン・ハッセルやファラオ・サンダースといった、あの辺りのジャズですね。

──オリエンタルという言葉がありましたが、ご自身の音楽がオリエンタルと評されることもあると思います。そういった言葉に抵抗はありませんか?

Y:むしろそれを逆手に取って遊んでいるかもしれません……あえてオリエンタルなサウンドを打ち出しているというか。オリエンタル志向に対する批判や皮肉では一切なく。現代音楽シーンもかつては完全に西洋音楽中心だったわけで。西洋人がオリエンタルなサウンドに手を出すのがカルチャーの盗用であるとも全く思わない。というか、YMOのやっていたことはまさしくそれなんだと思います。まだバリバリ西洋音楽主体の70〜80年代に意図的に東洋色の強いサウンドを打ち出すことで、そのイメージで完全に遊んでいた。それが西洋人の関心を惹きつけて魅了していて。自分の場合もそんな感じで、完全に遊びのノリなんです(笑)。

──とりわけ実験的な音楽はそうした境界線を壊していっているイメージもあります。

Y:そこが音楽作りの楽しいところだと思います。何だってアリだし、何をやったっていい、ルールなんて一切ない。それがいいところ。そもそも変化していくものだから、変化するのだって全然アリ。世の中に絶対変わらないものなんてない。音楽だろうとアートだろうと、自分自身が常に移り変わり続けているんだから、自分が作っているものも変化していって当然で、だからこそ面白い。

──ビザの問題でかなりの時間と労力を裂かなければならなかったと過去のインタヴューで知りました。はっきりと言葉で主張することのない音楽でも、そういった問題に対して作用することはあると感じていますか?

Y:確実に自分には貢献できることがあると思っています。そもそも私の中国人DJという肩書自体が強烈な主張になっているから(笑)。それは本当に自分でも誇りに思っていて。例えば《Dekmantel Festival》(アムステルダムで開催されるヨーロッパを代表するフェスの一つ)の出演者の中で、私が唯一の中国人だったりもするように、自分の存在自体がすでに自分のアイデンティティについて物語っているんです。ダンス・ミュージック自体が、ものすごくヨーロッパ的なもので、いまだにヨーロッパ、イギリスが中心になっているから。中国人DJも、日本人DJも、韓国人DJも、これからさらに増えて、もっと世界に出てヨーロッパでツアーしたりするようになったらいいですよね。

──コロナ禍ではアジア人ヘイトの問題などが起こりましたが、そういった面で嫌な思いをした経験などはありますか? 思い出したくないことであれば無理には……。

Y:いや、アジア人のコミュニティが相当巨大だから、バンクーバーはそこまでではなくて。アジア人だからということで危険な目に合うこともないし、そもそも異文化に寛容なんです。一方で、ヨーロッパやアメリカでアジア人に対する風当たりが強いことも実際の経験として知っていて。ドイツ滞在中、道を歩いているだけでも怒鳴られたりも……。

──うわー。

Y:でも、しょうがない、ありますよね、そういうことって。心の狭い人はどの国にもいるから。そう思って割り切っていくしかないですね。

──気を取り直して、コラボレーション作品についても教えてください。『Yellow River Blue』のリリースと近い時期にFrancis Inferno OrchestraとのYUF​-​O名義で作品を発表しています。メルボルンシーンの重要人物と2019年の夏にロサンゼルスで2人は共にスタジオに入ったそうですが、もう少し具体的な経緯を教えていただいてもいいですか?

Y:もともと仲の良い友達なんです。たまたま2人ともLAにいるとき何日間か被っていて、1週間ぐらいかな? 遊んでいた流れで一緒にスタジオに入ろうということになって、1日だけ午後からスタジオに入って完成させたんです。たまたま流れに乗っちゃったというか、自然にケミストリーが起こって。もうまさに即興的で、最高。本当にその場のノリで作っちゃった感じなんです。

──役割分担はどのように?

Y:向こうはリズムやパーカッション周りの音を作るのが得意で、私がメロディ担当。だから完璧な組み合わせでしたね。



──パーケイ・コーツやWilliam Phillips(Tourist)などさまざまなリミックス・ワークやミックスの提供を行なっていると思うのですが、中でも『Meeting With A Judas Tree』に収録されたデュヴァル・ティモシーとのビートレスな共作曲「Wood」はピアノとアンビエンスが美しく絡んだ素晴らしい1曲です。このプロジェクトに参加した経緯や制作過程を教えてください。

Y:もともとインターネットで知り合って、何年か前ロンドンにいるときに「うちのスタジオに遊びにおいで」「すごいいいピアノもあるから弾きにおいでよ」と連絡をくれて。それでお家に遊びに行って一緒に曲を作って……って、あれ? さっきと同じような話をしてる(笑)。流れで一緒に曲作ったら、すごく良いものができたんです。あの曲も良かったけど、アルバムのほうも最高。

──似た流れだったんですね(笑)。

Y:家の裏庭で録音してるから、あの曲のバック全体に彼の家の音が鳴っていて。だから鳥の声が聞こえるでしょ? スナップ写真のような音になっているんです。彼がその場の全体の音が録音できるようにマイクを設定していたから、鍵盤に触れるときの空気感まで入っている。それを後から彼が編集したんです。



──さまざまなアーティストと共作することはご自身の音楽にどんな影響を与えていますか?

Y:実際そもそも人と一緒に曲を作ること自体がそんなに多くないんです。だから今話した二つはものすごくレアなケース。それだって全然計画したものではないし。というか、計画して行動するのはそもそも自分の脳味噌には無理(笑)。ぶっちゃけてしまうと、そこまで積極的に人と一緒に音楽を作りたいとは思わなくて。あ、バンドは別です。バンド・メンバーに関しては付き合いも長くて、みんな親友だから。でもよく知らない人と一緒に音楽を作ったりするのは、どんなに自分がその人の作品のファンであったとしても難しいかも。一緒に音楽を作ることになったら、相手との間で化学反応が起きなきゃダメじゃない? それを毎回起こさなくちゃならないってプレッシャーを考えたら、自分だけで音楽を作る方が気楽。自分のやりたいことだったら自分でわかっているし、相手にいちいち気をつかわなくて済むから。

──なるほど(笑)。お話にもあったように最近はバンドでの曲作りに注力していらっしゃると思うんですが、それによってエレクトロニック・ミュージックやダンス・ミュージックとの関わり方にも変化はありそうですか?

Y:もうすでに変化しています。例えば今バンド用に書いている曲は、ほぼ歌が入っていて。幾何学模様のツアーのとき、何度か共演させてもらったんですけど、それにものすごくインスパイアされて。ベースとギターとドラムとで真のインディー・バンドな感じのノリで(笑)、なんか「すっごい楽しいなあ!」って。とはいえ、自分一人で作っている音楽とは全然違うんですけどね。バンドでやっていることはあくまで別物というか。

──次回作のイメージのようなものはすでに固まっていますか?

Y:全然。そうやって事前に何か計画して行動することができない性格なんですよね。そういうことは起こるべくして起こるべきタイミングが訪れるものだと思っているから。

──過去のインタヴューで道教(タオイズム)の影響について話していましたが、やはりそういった考えは影響を受けているんですね。

Y:そう、大学で勉強してたくらい。瞬間を大事にする、無理に計画を立てない、流れに身を任せる、という感じで、実生活でも実践しています。何事も無理やり引き起こすことなんてできないわけだから。

──YMOの話もありましたが、坂本龍一が亡くなったときにInstagramに追悼のポストをしていましたね。最後に彼とのエピソードについて教えてもらえますか?

Y:坂本さんの音楽を初めて知ったのも母親がきっかけで。6歳くらいのときかな? その頃、私はまだ幼くて、ロシアの作曲家の作品だったり技術重視の曲をずっと練習させられていたから退屈で仕方がなくて。母親としょっちゅう衝突していたんです。そしたらある日、母親が坂本さんの「戦場のメリークリスマス」の楽譜を家に持ち帰ってきて。「お店の人がこの曲は本当に美しいからとオススメしていたから、これならあなたも興味を持つかもしれないよ」と。だから母親は坂本さんのファンというわけではなくて、私に練習させる目的だったんです。その「戦場メリークリスマス」の楽譜が坂本さんの作品との出会いですね。で、楽譜を見ながら弾いてみたら「何て美しいんだろう!」って……。当時はまだYMOもアーティストとしての坂本龍一の存在も知らなくて。坂本さんがアーティストとして活動してる姿を見たのも本当に最近になってからなんです。

自分が通っていたバンクーバーの大学に坂本さんがチャリティー・イベントで来たときが最初で。……たしか東日本大震災の後、坂本さんがメインというわけではなく、核廃絶を訴えかける趣旨のイベント、しかも大学生だけが参加できるイベントだったんです。おそらく学生の中に坂本龍一が誰なのか知っている人はほとんどいなかったんじゃないかな? 私は大学で文化人類学とアジア研究を専攻していたから参加することができたんですけど、坂本さんはただ普通にピアノを弾いているだけで、それがもう本当に素晴らしくて。あくまでイベントの参加者の一人として、すごく謙虚で控えめな感じで、それも含めてすごく感動したのを覚えています。今思えばものすごく貴重な機会に立ち会っていたんですよね。

──今日はお忙しい中ありがとうございました。

Y:ありがとうございます。次日本に来るときはもうちょっと滞在期間を延ばして、音楽と料理のコラボ的なイベントできたらいいな。実現したら絶対に楽しいですよね!

<了>

【Yu Su Cooks with AC HOUSE】
2023/11/19に実現した料理 × 音楽のイベント
(詳細は以下から)
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Text By Daiki Takaku

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