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ダンスフロア、孤独、主体性
──RDC “Sound Horizon”に寄せて

23 December 2022 | By Daiki Takaku

©︎ Masanori Naruse / RDC “Sound Horizon”

あえて、前書きのようなことを書いてみようと思う。

思い返すまでもなく、パンデミック以降のここ数年、ダンスフロアの置かれた状況は厳しいものだった。それはなにもクラブの経営やパーティーの存続といった“場”にまつわることだけではない。目に見えないウィルスにより、多くのクラバーたちは、自らのためにダンスフロアに向かうことと他人の命を危険に晒してしまうことのリスクを否が応でも天秤にかけなければならなかったはずだ。「今日の感染者数は○○人」「今日の感染者数は○○○人」「今日の感染者数は○○○○人」「ナイトクラブで集団感染が発生」……そういった環境下において、判断の主体性が徐々に奪われてるような感覚に陥ったのはわたしだけではないだろう。

現在はどうか? コロナの感染者数は減少したわけではない。にも関わらず、クラブのフロアが人で溢れている光景も東京では珍しいものではなくなった。チケットがソールドアウトしているイベントだって少なくない。これは手のひらを返してクラブへと押し寄せた人々への批判ではない。環境が変われば人も変わる。自然なことだし、1人のクラバーとして歓迎すべきことでもある。ただわたしは改めて自分自身に問いたいのだ。なぜわたしはダンスフロアへ向かうのか、と。

実のところ、その答えはすでに明らかだ。わたしはわたしのためにダンスフロアへと赴く。だからここでハウスやテクノの歴史を再検討しカルチュラル・スタディーズ的な文章を書くのもとても重要なことに感じたが、そういった語りはあくまでも結果に対する分析でしかないような気もしてしまう。悩んだ挙句、以下に続くのは非常に個人的な、イベントレポートとは呼びにくい文章である。一般的に価値のないような私的な語りもまた、ダンスフロアをそれぞれがそれぞれのままでいられる場所として、逆説的にその価値を語り直すものになるのではないだろうか。

©︎ Masanori Naruse / RDC “Sound Horizon”

「自分が消えてしまいたいという気持ちの中でだけ、何か大きなものに近づく時は間違いなくある」

これは『JAPANESE YEAR ZERO OFFICIAL BOOK』の中でKID FRESINOと対談した写真家/映画監督の長谷川億名が口にした言葉だ。なぜこんな引用をしたのかと言えば、それは単純に、わたしが『RDC “Sound Horizon”』のフロアで、この言葉を思い出していたからに他ならない。

10月29日、土曜、《RAINBOW DISCO CLUB》(以下、《RDC》)のスピンオフ・パーティー『RDC “Sound Horizon”』は、JR川崎駅のロータリーからバスに乗って15分ほどのところにある臨海公園「ちどり公園」を会場に開催された。18時間、ノンストップのオールナイト公演となったそのパーティーは輝かしい瞬間で溢れていたと言っていい。

例えば、二つあるステージのメインフロアである「RDC Stage」では、ヘッドライナーのFloating Pointsへと繋がれる素晴らしい助走にして、いくつものピークを生んだCYK→Romy Mats→Stones Taroによる見事なリレー。それを受け取って、サウンドシステムへの類まれな理解力が滲むようなエクスペリメンタルな音響空間へと誘ったFloating Pointsのパフォーマンス。朝日を共に迎える喜びを伝えてくれたPeachの幸福感に満ちたクロージング。あるいは、京浜工業地帯の夜景を一望できるステージ、「The Top」での、早いBPMで様々な展開とともに駆け抜けた食品まつり a.k.a foodmanによるLIVE SET。夢中になって踊りすぎてほとんど何が起きたか覚えていないLil MofoのDJ。

©︎ Masanori Naruse / RDC “Sound Horizon”

無論これら以外にもたくさんのハイライトがあったわけだが、わたしが冒頭の言葉について考えていたのは、Floating Pointsからバトンを受け取ったHAAi、そしてその後のWata IgarashiとHarukaによるBack to Backの時間、(《FUTURE TERROR》などに足を運んだことのある人なら容易に想像できるような)極めてハードなテクノが展開された時間だった。

思えば、「消えてしまいたい」と思う瞬間、わたしは頼れるものがなく、わたしにはわたししかいなかったのではないだろうか。そしてこれら──消えてしまいたいと願う自分とダンスフロアで踊る自分──の状況は関係がないようでとてもよく似ているのだった。優れたサウンドシステムから放たれる爆音のベースに全身を包まれたとき、わたしは内側に滞留し充満した自意識と向き合う他なかったのだ。

それに、このパーティーでは野外では考えられないほどの、隣人すら見えなくなるほどの濃いスモークが定期的に焚かれては消えを繰り返し、眠気や酔いを覚ますような深夜の澄んだ空気が肌に触れ肺を満たしていた。つまりこのダンスフロアは偶然か計算されてか、濃密な孤独と出会うために十二分に整えられていたということでもある。波打つ終わらない反復に合わせて、自意識を振り払わんとするとき、わたしはたしかに何か大きなものに近づいていた。

もちろん、一方でわたしは知っている。その先に、カタチのある何かがあるわけではないことを。翌日に引き摺る身体的な気怠さ以外、わたしの人生に直接的に作用するものなどないことを。でも、その何かがわたしを生かしているという感覚だけは、しっかりと身体に刻まれているのだ。

正直なことを書いてしまえば、わたしはこの『RDC “Sound Horizon”』以外でも同様の感覚を抱いたことがある。しかし同時にそれは優れたDJやサウンドシステムを含め、素晴らしい環境があってのことだというのも事実として書いておかねばならないし、当然そのような瞬間が訪れることを打算してダンスしていたわけではない。それに、パーティーの楽しみ方なんて星の数ほどあってその日その瞬間で全く違っている。だからとにかく、わたしはこの日のパーティーで、濃密な孤独の中で、わたしがわたしでしかないという事実をなぞりながら、その先で踊ったということ、それだけを書き留めておく。

©︎ Masanori Naruse / RDC “Sound Horizon”

(追記)
『RDC “Sound Horizon”』の数週間後に北千住の《BUoY(ブイ)》と日暮里にある《元映画館》の二会場で開催されたイベント、『水平都市 (FLATLINE CITY)』へ足を運んだ。そのプログラムの一部、「パーソナルな経験の場所としてのクラブ」と題されたラウンドテーブルではクィアなレイヴ《SLICK》を主催するMidori Moritaと国内屈指の“変態”イベント《DEPARTMENT H》を主催するゴッホ今泉を中心に現実的かつ現実離れしたトークが展開されたが、その中で偶然にも映画監督の石原海がクラブと孤独の関係性について話していた。詳細は省くが、つまるところダンスフロアと孤独というのは、意外かもしれないがとても密接な関係にあるのだと思う。それにパーティーで経験する孤独は、消えてしまいたいと願うときよりも、きっと気分がいい。(取材・文/高久大輝 写真/Masanori Naruse)

©︎ Masanori Naruse / RDC “Sound Horizon”

Text By Daiki Takaku


《Rainbow Disco Club 2023》
【日程】
2023年4月29日(土)、30日(日)、5月1日(月)
【会場】
東伊豆クロスカントリーコース(静岡県)
【詳細およびチケットのご購入はこちら】
https://www.rainbowdiscoclub.com

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