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積み上げてきた熱量と旨み
WELL-DONE『JUICY!!』インタヴュー

15 May 2026 | By Koichiro Funatsu

1994年生まれ、兵庫県尼崎市出身。京都での日々をくぐり抜け、現在は大阪を拠点に活動するラッパー、WELL-DONE。バンドマンとしての出発、フリースタイルに明け暮れた日々、生活と音楽で揺れた数年。決して一直線ではなかったその軌跡は、削ぎ落とすのではなく、むしろ旨味として蓄積され、彼のラップにコクと熱を与えてきた。ふとした瞬間に垣間見える愛嬌やユーモラスな感覚もまた、彼の活動を支えてきた側面のひとつだ。

そして2026年、WELL-DONEにとって初のフル・アルバム『JUICY!!』がリリースされた。キャリアの節目であり、同時に再出発でもある一枚。そこには、これまで積み重ねてきた時間、街の空気、そして言葉にしきれなかった衝動が、そのまま封じ込められている。

Tha Jointzの一員としてのこれまでの活動や、東京のラッパー=peedogとの共作でも知られるWELL-DONE。そのキャリアのなかで培われてきた柔軟さは型に収まらない。とりわけ、universe last a wardやDCといったハードコア・バンドとの接点は、その動きをよりヘヴィーでジューシーなものへと変化させてきた。ジャンルを横断しながらも、どこか地続きで響くその音像は、彼ならではのものだ。

今作『JUICY!!』では、そうした背景の上に、これまでの活動の中で築いてきた地盤から広がった国内外のプロデューサーたちが参加し、作品にさらなる輪郭が与えられている。さらにYoung Yujiroがエグゼクティヴ・プロデューサー的な立ち位置で制作を支え、方向性を研ぎ澄ませたことで、アルバムは一層明確な芯を獲得した。そして、その過程にはC.O.S.A.という時に厳しく、しかし確かに導く“師”のような存在も、現在の彼を語るうえで欠かせない。

また、6月5日(金)には渋谷《clubasia》で開催されるDCのリリース・パーティーに出演。SAIGAN TERRORといった正真正銘のOG東京ハードコア・バンドをはじめ、JNKMN、Slumza、042ghxst、YAHMAN木村、D-SETOといったユニークで特異なラッパーたちとともに出演予定であり、その動きはさらに広がりを見せている。

少しずつ空気もあたたかくなってきたこの季節に、固まっていたものをゆっくりとほぐすように。本インタヴューでは、アルバム制作の裏側から、これまでの人生、そして次に向かう現在地までを、WELL-DONE自身の言葉で紐解いていく。
(インタヴュー・文・写真/船津晃一朗)

Interview with WELL-DONE

──アルバムのリリースおめでとうございます。

WELL-DONE(以下、W):アルバムを出すのって本当に大変やなって思いました。作り始めたのは結構早かったんですよ。2年くらい前から「アルバムを作る」動きをしようとしたんですが、シングルばっかり出しちゃう状況でした。人生に区切りがつくタイミングがあって「そろそろもう作ろう」となりました。

──作品の青写真はどのようなものでしたか?

W:正直、あんまり自分に自信がなくて。自分、リリシストみたいなラッパーがすごく好きなんですよ。例えばニプシー・ハッスルやミーク・ミル。胸を打つリリックをラップする人が好きなんで、そういう人たちと比べると、自分のラップがどうしてもチープに見えてしまって。だから、自分のラップの良いところも悪いところもちゃんと指摘してくれる人と一緒に作りたいなと思ったんですよ。メンター的な存在が必要やなと。それで今回はYoung Yujiroに制作を手伝ってもらいました。

──エグゼクティヴ・プロデューサー的な立ち位置で。

W:そうですね。彼自身もビートを作るので、実際にビートを提供してもらったり(*Made in Crimson名義)、客演もしてくれて、MVも作ってくれて。正直、彼がいなかったら、このアルバムは完成してなかったと思います。

──Young Yujiroさんとは、どういうきっかけで知り合ったんですか?

W:コロナ禍前に知り合ったんですよ。それから、Young Yujiroのアルバムに参加して「風の時代」という曲をコロナ禍に作りました。そのときに一気に距離が縮まって。制作では「ここダサい」「ここいらんな」とか、遠慮なく言ってくださいって最初にお願いして。第三者的なアドバイスや自分のキャラクターも踏まえて、最初に打ち合わせしてから制作に入りました。

──話し合いの中で、作品の核となるようなアイデアが出てきたと。

W:まず、自分の中にある明るさというか、自分にしか出せない陽気さみたいなものがあると思っていて。そこは前面に出そうと思いました。あとは、ラップ以外の部分でフィーチャーしてもらうことが多かったので、リスナーに「俺はラップできるんやぞ」っていうのを、とにかく証明したかった。そういう意味合いもありましたね。中でも思い入れがあるのは、やっぱりイントロですね。言いたいことを全部詰め込んでラップした。アルバムを出すまでの経緯や自分の内面を、そのまま出した。アルバムのスタートとしては、一番しっくりきた曲ですね。

その時、ミーク・ミルのドキュメンタリーを観て「俺もこうありたい」って思って。彼って、逆境の中でも常にアグレッシヴにラップしてるじゃないですか。自分は、ラップと“スピット”って別物やと思ってて。ライヴでかっこいいと思うのは、やっぱりスピットしてるラッパーなんですよね。だから、そういう表現を自分もやりたかったんです。

──1曲目をはじめ、全体的にフリーキーなフローが印象的でした。よくWELL-DONEさんの“持ち味”として語られる部分ですが、ビートもかなり自由度の高いものが多いですよね。

W:そうですね。とにかく、いわゆる“ゆっくりしたやつ”はあんまりいらんな、みたいな感覚はありました。1枚目のアルバムやし、“WELL-DONEらしさ”全開で行きたかった。ただ「WELL-DONEって、こういうビートでもラップできるんや」っていうのも見せたかった。だからドリルやオルタナなビートも入ってます。

──参加しているプロデューサーたちについてご紹介お願いできますか? Soy TippiさんはWELL-DONEさんのファースト・シングルを手掛けていたり。

W:Soy Tippiはトロントのビートメイカーなんですよ。友達が先にビートをもらってて、その友達の曲で俺が客演したのがきっかけで繋がった。一度大阪にも来てくれて、第一印象は「生徒会長」という感じなんですけど、すごく愉快なやつでしたね。

トラックリスト順にいくと、DJ FRIPくんは東京のプロデューサーで、eydenなどの作品を手がけてるんです。千葉のラッパーの楽曲に参加したときに知り合いました。Made in CrimesはYujiroくんが別名義でやってるプロデューサー・ユニットですね。今回エンジニアリングとマスタリングを担当してくれたWARKARくんと一緒にビートを作ってるんです。YDIZZYにビート提供したりしていますね。

W:「TRIP & ROLL」を手がけるBONE$ MONE¥は東京でHollow Sunsというハードコア寄りのオルタナっぽいバンドをやってます。Doggy Hood$というバンドでギター弾いたりしています。バンド繋がりで参加してもらいました。めちゃくちゃ面白いビートなんですよ。ちなみに、この曲の最後にシャウトが入ってるんですが、あれは大阪・堺にある《TACO BITEZ》っていうタコス屋さんで、家族ぐるみで付き合いがあるんです。お店でアルバムのジャケットの写真も撮らせてくれたり、活動もずっと応援してくれてるので、「何かで返したいな」と思って入れさせていただきました。

DJ Panasonicは《IFK Records》に関わりがあるのですが、「NANIWASUJI FREE STYLE」に関してはパナくんから声をかけてもらって、家に録りに行って、その場でできた楽曲です。シングルとして出して、MVも公開して、あとからアルバムにも入れさせてもらいました。ちょっとフォンキーな要素もあって、“フリースタイル”ってタイトルにしたのも、実際にフリースタイル的に録っていったからですね。

W:DJ KEN-BEATくんは福岡のYELLADIGOSというクルーのDJ/プロデューサーです。一度、関西でYELLADIGOSのツアーに出演したことがあり、そこで繋がりました。さらにYujiroくんとも仲が良くて彼に「DJ KEN-BEATのストックあるで」って紹介してもらって、その中から自分で選びました。それで2曲使わせてもらってます。

ルイちゃん(RUI HAYAKAWA)は今、MFSのオフィシャル・バックDJをやってるプロデューサーです。付き合いも結構長くて、ルイちゃんがビートを作り始めた頃くらいから、「一緒にやろう」みたいな話はしていたんです。今回アルバムを作るにあたって、ビートを使わせてもらいたくて連絡したら、いくつか送ってくれたんですよ。

──アルバムの中でもかなりしっとりとした曲ですよね。

W:そうですね。こういうムードの楽曲は絶対作りたいなと思っていました。

──最後は999BEATZさんの曲で締まります。

W:999BEATZはTha JOINTZのメンバーで、もともとダンスをしていたダイチくんのプロデューサー名義です。ダンスを引退してからDJやプロデューサーとして活動を始めて、そのビートをもらって書いた曲ですね。フィーチャーリングで参加してもらっている136youngbossは京都のラッパーです。自分のいるシーンとは少し違うかもしれないですけど、最近で言うと『ラヴ上等』にヤンボーとして出演していました。

結婚して安定した生活をしなくちゃいけないなかで、“仕事してる=ダサい”みたいな風潮があるのが逆にダサいやろ、ってムカついて書いたんです。正直、過去の自分に言ってる曲でもありますね。

──なるほど。これまでリリースされた、まとまった作品というと、東京からLSBOYZのpeedogさん、大阪のDJ ROOTWAXさんとのEP『HOMEBOY』もあります。

W:そうですね。かなりアンダーグラウンド色が強い作品です。peedogと遊んでいて、「せっかくやから曲を作っていこう」ってなったのが始まりです。ビートは全部DJ ROOTWAXのものです。DJ ROOTWAXは大阪のBACKROOMというクルーのメンバーのひとりで俺がラップを始めた頃から、DJとしてガンガン活動していて、ミックスも出していた先輩ですね。めちゃくちゃかっこいい人です。

「最近プロデュースはしてないけど、ビート作ってるから聴いてみて」ってビートを送ってくれて。それが全部ヤバかったので、「一回これで作品を作りたいです」と話をしたんです。peedogにストックを聴かせたら、「この人めっちゃ良くない? 全部この人のビートでやろうよ」となりました。peedogのラップは本当にストロング・スタイルなので、そこに引っ張られかける瞬間もあって。だからこそ、自分らしいラップを書かないと、というのはかなり意識して作りました。

──WELL-DONEさんらしさは、ご自身ではどういうものだと思いますか?

W:最近、人に言われて「確かに」と思ったんですけど、ラップを普段あまり聴かない人からすると、ヒップホップってかなり聴き取りにくい音楽だと思うんです。好きだからみんなリリックを聞き取れるけど、そうじゃない人からしたら、何を言っているのかわかりにくい。でも、うちの奥さんに「まこちゃん(WELL-DONE)のラップは、何を言っているか聞き取れる」と言われたんです。やっていることもわかりやすいって。それがネックだなと。嫁のお陰で自分の持ち味に気付けたというか。リリックをシンプルに書いたり、ストレートに書いたり、フックをわかりやすくキャッチーに作ることは、なんだかんだ意識しています。

──アルバムを出して、ライヴもかなり決まっていますよね。

W:せっかくアルバムを出すなら、ツアーみたいなものも自分で組もうと思って、各地の知り合いに連絡したんです。そうしたら、11本くらいライヴが決まりました。5月23日には京都の《Octave》で、ツアー・ファイナルというわけではないですけど、一応ツアーのラストみたいな感じでやろうかなと思っています。

──地元の尼崎でもライヴがありますね。

W:そうなんです。尼崎で同い年の友達がクラブをやっているんですが、その横のタコス屋さんでライヴをすることになって。尼崎の若い子がライヴに来てくれて、「WELL-DONEくんと地元が一緒なので、今度ライヴに誘いたいです」って言ってくれて。それで連絡をいただいて、最初はそのクラブでやるのかなと思っていたんですけど「横のタコス屋さんでやります」と。「クラブの方じゃないの?」って聞いたら、クラブのエントランスに前のモーター・プールから車が突っ込んできたらしくて、ライヴができる状態じゃなくなっていたんです。それでタコス屋さんでやることになりました。会場の前で、乱闘起こったりしてまじで「やっぱGhettoやな」と思いました(笑)。

──地元の話もありましたが、ここから少し遡って、WELL-DONEさんのこれまでについても聞かせてください。生まれも尼崎ですか?

W:兵庫県尼崎市で生まれました。家庭環境はちょっと特殊で、親も高齢出産で、自分が生まれた時には父が60歳くらいでした。父が小学校5年の時に亡くなって、母もその翌年に亡くなってしまって。そこから母の妹、つまりおばさんに育てられることになります。それで環境を変えた方がいいということで、中学から滋賀県の山間部に引っ越しました。尼崎とは全然違う、何もない場所でしたね。中学では陸上部に入って、砲丸投げをやっていました。結構本気でやっていて、滋賀県チャンピオンになったりもして。そのまま高校には陸上で進学しました。だから中高は、音楽というよりは完全に部活中心の生活でしたね。もともと音楽は好きでいろいろ聴いていたんですけど、高校の頃にバンドを始めました。最初はヴォーカル、その後、同級生のバンドでベースがいなくなったタイミングで「やってみて」って言われてベースになります。ELLEGARDENとかL’Arc〜en〜Ciel「Driver’s High」のカヴァーとか、王道やってましたね。僕はヴォーカルやったんでhydeになり切ってました(笑)。うちの高校、文化祭がすごくて、武道場を丸一日ライヴハウスみたいにして、ずっとライヴやってるんですよ。他のクラスの出し物と並行しながら、朝から晩までずっと音楽が鳴ってるみたいな。バンド文化も結構盛り上がってましたね。

──すごい環境ですね。音楽との出会いは?

W:一回り上の兄ちゃんの影響が大きいですね。自分が小学生の頃にはもう大学生で、DJもやっていて、その頃、兄がヒップホップも聴いていて、自分にもCDをくれたりしたんですよ。思い出せるのは、Eveの『Scorpion』(2001年)をずっと聴いてたことですね。兄ちゃんは結構やんちゃで(笑)。車高も低くて、爆音で朝帰ってくるみたいな感じでした。

あと、おばさんの娘の旦那さんが名古屋の人で、自分がパンクやハードコアが好きだと言ったら、いろんなCDを送ってくれて。ニューヨークのハードコアとか、日本のバンドとか、アヴァンギャルドなものまで。それが毎月ダンボールで届くんですよ。しかもちゃんとジャケットもプリントしてくれていて。すごく律儀な人でした。

──印象に残っている作品はありますか?

W:当時は全然わかってなかったんですけど、戸張大輔っていう人の作品ですね。ジャケットも独特で、最初は「何これ?」って思ってたんですけど、すごく心地よくて。部活から帰ってきて、自分の部屋でずっと流してました。大人になって調べたら“アシッド・フォーク”って出てきて、「こんなん聴いてたんや」って(笑)。

──かなり音楽漬けの環境になっていったと。

W:高校生の頃にラジオをチェックするようになって、ファンクとかソウルにも興味を持つようになりました。いわゆる元ネタ的な音楽ですね。山の中だったので電波が悪くて、NHK-FMしか入らなかったんですけど(笑)。それでソウルの名盤特集とかを聴いていました。それで、パソコンを手に入れてからは、ネットでもラジオを聴くようになって。中学生の頃はまだネットで面白フラッシュ見てるだけだったんですけど(笑)、高校生くらいから、音楽をちゃんと深掘りするようになりました。

──なるほど。それから大学に進学するんですよね。

W:そうですね。一応、親とか兄ちゃんに「大学には行け」って言われて。部活引退後の夏休みも返上して勉強して、京都の佛教大学に入学しました。でも、大学に入ることが目標になってしまっていて、それから何をしたいとか全然なくて、1ヶ月くらいですぐ行かなくなりましたね。その頃にはもう「バンドをやりたい」っていう気持ちの方が強くて。高校の同級生とそのままバンドを続ける流れになって、「バイトしながらバンドやるわ」って。

高校3年くらいからメタルにハマり始めて、卒業後にやってたバンドはメタルコア寄りでしたね。そこからだんだんUSのハードコアに影響を受けて、よりハードコア寄りになっていきました。

──ライヴも結構やったりしてましたか?

W:滋賀の《B-FLAT》というライヴハウスが拠点みたいな感じで、あとは京都の《GATTACA》、大阪だと《HOKAGE》。そのあたりでよくライヴしてました。バンドは続けていたんですけど、メンバー間の関係がちょっとずつうまくいかなくなってきて。みんな同級生だったので、いろいろとゴタゴタしてきて、活動が止まりかけたタイミングがあったんです。その頃に、自分が京都に引っ越しました。それから京都のライヴハウス、《Octave》や《METRO》でいろんな人と出会って、フリースタイルをするようになったんです。

──ラップとの出会いですね。

W:そうですね。そのきっかけを作ってくれたエロリンさんという先輩がいて、その人は別にラップをやっていたわけではないんですけど、かなり年上で、すごく影響を受けました。

──フリースタイルをやっていたのは、どんなメンバーでしたか?

W:京都でラップしてるやつが何人かいて、あとは高校生ラップ選手権に出てたやつとか。今も地元で活動してるやつもいますね。京都駅サイファーとか、そういう場所に原付で行って、みんなでラップしてました。決まった曜日、時間に集まってラップする、みたいな。あとは先輩の家に行って、ビートをかけてもらってラップする、みたいなこともしてました。とにかくラップがしたかったですね。そのころはバンドがうまくいかなくなってきたこともあるし、そのときのモヤモヤとかを吐き出す場所として、ラップがしっくりきたんだと思います。それに、そのとき働いていた環境が結構きつくて、ラップやるって言ったら「お前みたいなやつにできるわけないやろ」みたいなことを言われたり、精神的に負担を感じることも多く、少しバランスを崩していた時期でした。それでより一層、フリースタイルにのめり込んでいった感じはあります。

──なるほど。それから作品のリリースまでは少し時間が空きます。

W:そうですね。2017年くらいから動き始めてたんですが、最初のシングル「Shout Down」を出したのが2020年なので、3年くらいですね。京都で一度クルーに入ったんですけど、いろいろあってそのクルーの活動が止まってしまったんです。イヴェントもやっていたんですけど、それも続かなくなって。その後、Tha Jointsのメンバーと出会って、みんなと仲良くなっていきました。それで大阪に移る流れになったんですけど、最初は京都に家を借りたまま、大阪の会社で契約社員として働いていました。次第に大阪の後輩の家に泊まるようになって。それが大阪で生活するきっかけになりました。その頃に「Shout Down」も出したりしていました。出したときは思った以上に反応があって、今考えても「なんでやろう」と思う部分はあるんですけど(笑)。

──印象的なMVですよね。

W:あの頃の映像は、Vlog的なノリや、オフショットの空気感を大事にしていたと思います。ディレクターのPINKS DIARYことタカトが、Odd Futureがやっていたようなラッパーの映像文化が好きだったんですよね。だから、作り込むというより、その場の雰囲気を切り取ることが多かった気がします。あのMVも、撮影直前まで具体的な内容は決まってなくて。当時、自分はまだ京都に住んでいたんですけど、撮影の日は泊まっていたスーパーホテルにタカトさんが来て、どういうMVにするか話し合いました。エキストラをたくさん呼んで撮りたいというアイデアがあったので、「こういうシーンを撮ろう」とざっくり決めて、その日に友達へ電話して「エキストラで出てくれへん?」と声をかけました。それで来てくれた人たちと、そのまま撮影した感じです。その日の空気ですね。

──その後、シングルを少しずつ出していく流れになりますよね。その中で、C.O.S.A.さんとの出会いも大きかったのではないでしょうか。

W:大きかったですね。C.O.S.A.さんとは、ラップを始める前からの面識があるんです。京都にいた頃で、フリースタイルを始めたくらいの時期だったと思います。それこそエロリンくんに「C.O.S.A.って知ってる?」と言われて、聴いてみたらめちゃくちゃかっこよくて。それで「ライヴを観に行きたいです」と話していたら、《Octave》でイヴェントがあって、そのときにC.O.S.A.さんに話しかけたのがきっかけだったと思います。それから連絡を取るようになって、「ラップを始めようと思ってるんです」と話したら、「いいじゃん」と言ってくれて。実際にラップを始めて、「Shout Down」を出したときも、すぐに連絡をくれたんです。「いいね」と言ってくれて、それはすごく嬉しかったですね。レコーディングや曲作り、技術的な部分も含めて本当に色々なことを教えてくれて、多大な影響を受けてます。名古屋の先輩たちには本当にお世話になってますね。今回も一緒にやってくれているCampanellaくんはもちろん、HARAKUDARIくんやMIKUMARIくん、MC KHAZZくん、ソウタくん(ATOSONE)……。

──C.O.S.A.さんとの印象に残っているやり取りはありますか?

W:アルバムを出す前に、自分の中で何回か大きな波があったんですよ。キャリア的にも。2021年くらいから結構長くて、去年も半年くらいちょっと落ちてたんです。その時期って、今の奥さんにもかなり支えてもらってて、「ちゃんと生活を安定させなあかんな」っていう気持ちが強くなってて。それで「今は音楽じゃないのかもな」みたいなことを考えてたんですよ。そのタイミングで大阪にC.O.S.A.さんがライヴで来てて、会う流れになって。その時に結構ストレートに言われて。「今、音楽に対するモチベーションがあんまりなくて、趣味くらいでいいかなと思ってます」って自分が言ったら、「やるかやらんかどっちかやろ。そんな考えやったらやめた方がいい」って言われて。しっかり火をつけてもらいました。

──核心を突く言葉ですね。

W:そうなんですよ。でもその後に、元々は僕のバックDJもしてくれて今はC.O.S.A.くんのオフィシャルDJのCRAZY-Tから連絡が来て。「C.O.S.A.さん、ずっとまことくんに期待してますよ!」って言われたんですよ。「めっちゃ愛情ある目で見てるし、上がるのをずっと楽しみにしてる」って言われて。それが結構刺さって。そのあと、とにかく生活を立て直すことを優先して動いてたんですけど、気づいたら1年が終わってしまった。peedogとの作品は出したけど、ずっと作ってたアルバムをどうするかわからなくなってたタイミングで、いろいろあってTha Jointzを抜けることになって。そこで「今やらんかったら、この先もうないな」って思ったんですよね。これまでチャンスも自分で潰してきた部分もあるし、ここで頑張れへんかったらあかんなって。奥さんにも話して、「何年かの区切りの中で全力でやりたい。もしダメでもいいけど、やり残したくないから、3年間は全力でやらせてほしい」って伝えて。そしたら奥さんも「何年後に俺は、って目標を掲げてないで最短で叶えるってくらい本気でやり」ってケツ叩いて言ってくれて。それが今回のアルバム・リリースに繋がってます。C.O.S.A.くんは本当に大きな存在です。あと、あの人が着てた服をもらったりとかもあって(笑)。サイズ合わへんからって、カルトップとか服を結構くれるんですよ。「合うやつおらんからお前にやるわ」みたいな(笑)。憧れから付き合いが始まったラッパーが、今もこうやって気にかけてくれてるっていうのは、本当に嬉しいですね。

──なるほど。それと、Tha Jointzを脱退されたとのことですが、彼らもものすごく大きな存在ですよね。

W:もちろんです。抜けたことに関しては、自分なりに考えて、メンバーとも話して決めたことです。迷惑をかけた部分もあると思うし、それも理解した上でですけど、それ以上に、メンバーから受けた影響は本当に大きかったです。7年くらい在籍していて、かなり濃い時間を過ごしましたし、すごく感謝しています。今回の作品でも999BEATZがビートを作ってくれたり、MVも撮ってもらったり、ライヴでバックDJをやってもらったりしてるので、関係が切れたわけではないです。これからも良い関係を続けていきたいです。

──ありがとうございます。今後の展望についても聞かせてください。

W:もうすでに次の作品へと動いていて、今年はEPを出せたらいいなと思っています。今まで溜めていたものを一気に出す、みたいな年になるかなと。

──ちなみに、C.O.S.A.さんがFIGHT IT OUTなどハードコア・バンドと関わりがあるように、WELL-DONEさんもハードコアの文脈と繋がりが強いですよね。バンド時代の経験が大きい、というのもあるかと思いますが。

W:そうですね。バンドをやってた期間って、実際は2〜3年くらいなんですけど、その間にしっかり形に残した音源って言われると、公式では2曲くらいしか出してなくて。ただ、その時に一緒にやってたバンド仲間とか、たとえば北九州のバンド、universe last a wardとは同い年で一緒にツアー回ったりもしてたし、当時の友達が「あのバンドかっこよかった」って言ってくれたりして、そこから今も繋がってる関係があるんですよ。なのでuniverse last a wardのフィーチャリングに入ったりとか、ハードコアのイヴェントに呼んでもらってライヴしたりとか、そういう機会が増えていて。universe last a wardのベースのMasaとは19歳くらいからの付き合いで、もともと遊んでた仲なんですけど、仕事の関係で大阪に来て。それでこっちでもまた繋がっていったりとか。

東京のバンド、DCのDALEKも、もともと自分のバンドを知ってたわけではないんですけど、「WELL-DONEはもともとハードコア出身らしい」っていう話を聞いて、「こうやってシーンを跨いで活動してるのは重要やと思う」って言って連絡をくれて。それで東京で会いに来てくれたり、一度大阪のライヴで会ったことはあったんですけど、そこからちゃんと繋がった感じです。

──6月5日(金)に渋谷《clubasia》で開催される「DES ACCEL 〜DC 2ndalbum AKB SIGILS release show〜」にも出演されますよね。

W:特殊な音楽性ながら今飛ぶ鳥を落とす勢いのDCに誘ってもらえたのは、めちゃくちゃ嬉しいです。他の出演者も、自分のカラーがしっかりある人たちばかりで「俺はどうかまそうかな?」って考えたりして。とにかく楽しみやなって思ってます。今回のイヴェントの為に、スペシャルな曲を数曲作りました。勿論、当日に全部やるつもりなんでそれも楽しみにしてもらえたら嬉しいです。

<了>

Text By Koichiro Funatsu


WELL-DONE

『JUICY!!』

RELEASE DATE : 2026.02.14
各種配信リンク
https://linkco.re/eSFh0vag

WELL-DONE
X: https://x.com/shakexnuggets
Instagram: https://www.instagram.com/shakexnuggets/


Event Information
5/16 at 鹿児島TIMELESS
https://www.instagram.com/timeless_kagoshima/
5/22 at 名古屋JB’s
https://www.instagram.com/club_jbs/
5/23 at 京都Octave
https://www.instagram.com/octavekyoto/
6/5 at 渋谷clubasia
https://www.instagram.com/clubasia/ ADV: https://livepocket.jp/e/desaccel


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