「残したい情報だけ残せる時代への抵抗」
VIDEOTAPEMUSICが『NOISE FACE LANDSCAPE』に残した、歴史からこぼれ落ちる“ノイズ”
インタヴュー冒頭でも触れている高円寺の書店《ヤンヤン》(現在は東中野に移転)に、VIDEOTAPEMUSICの前作『Revisit』(2024年)のカセットブックを購入しに行った時の話である。この書店は“記録”にまつわる書籍を中心に扱っており、その一角に昭和のものと思われる古いフィルム写真が、なんということもなく、ガサっと積まれていた。カメラの向こうの撮影者に笑みを向ける、何らかの制服姿のおじさんの写真。決して出会うはずのなかったその男性の──もう亡くなっていても不思議ではない──笑顔が、その写真を何気なく手に取ったことで、時を超えて筆者に向けられ……その体験に、自分でも不思議だが、泣きそうになった。今思うと、自分が知りもしない他人がかつてそこにいたという誰かの記憶は、その記録を筆者のような他の誰かの中に開き、広げることで、決して消えて無くなりはしないのだと、一種の感銘を受けたからだと思う。
何故こんな個人的なエピソードを記すことから始めたのかというと、VIDEOTAPEMUSICの6枚目のアルバム『NOISE FACE LANDSCAPE』はまさにそうした取るに足らない個人の記憶という、歴史の中では“ノイズ”でしかない“記録”を紐解く意義を考えさせてくれる作品だからだ。
2020年から2026年までに制作された楽曲が収録されているという本作。VIDEOTAPEMUSICがコロナ禍に参加したアート・プロジェクトで関わった土地への“再訪”を軸に、そこで作られた楽曲を収めた前作『Revisit』とも、制作時期が一部被っていることから『Revisit』との連続性もある作品だ。実際に、そうしたアート・プロジェクトの中で集めたホームビデオの音声も本作のいくつかの楽曲に象徴的に使用されており、つまりは本作はVIDEOさんの近年の活動そのものの“記録”と言ってもいいだろう。
近年のVIDEOTAPEMUSICの活動の中で筆者が個人的に注目していたのが、“湖底”名義でのパフォーマンスだ。匿名のホームビデオの映像を映しながら、そこに映っているものや音を説明的に読み上げていく、という即興パフォーマンスで、湖底という名前には、多摩湖のダムの建設で湖の底に村が沈む過程で最後まで抵抗した集落があり、それが今では“強情島”と呼ばれている、というエピソード(『Revisit』のカセットブック付属のエッセイ内に書かれている)を想起する。2023年には『UNDER THE LAKE』と銘打ったライヴも行っているが、そのエピソードには、歴史の中に埋もれた人々の営みと想いへの眼差しが浮かび上がってくるように思う。
雑多なもの、振り分けられないもの、綺麗に整えられていないもの。街並みにしろ、人の属性や境遇にしろ、そういったものが、商業や経済的な効率、あるいは一方的な価値判断から、不可視化されたりジェントリフィケーションされることが(どちらかと言えば権力やマジョリティの側から)善しとされがちな傾向が進む昨今にあって消えていく風景や営みが、ますますある。そこに無力感を抱くこともあるが、このインタヴューでのVIDEOTAPEMUSICの言葉を借りるならば、このアルバムはそのように綺麗に整えられていく世界の中でこぼれ落ちてしまうものを見落とさないための“ささやかな抵抗”だ。
映像の中の今はもうない風景=“ランドスケープ”、人々の表情=“フェイス”。そうした歴史の“ノイズ”を残し、他者の前に開く意味について、VIDEOさんこと、VIDEOTAPEMUSIC自身にじっくり語ってもらった。
(インタヴュー・文/井草七海 写真/Sho Nakajima)
Interview with VIDEOTAPEMUSIC
あらゆる記録には本人の意図していなかった情報が含まれている
──一昨年、記録をめぐる書籍などを扱う書店《ヤンヤン》が企画されていたイベント(『行方知らずの記憶をまとって』2024年10月13日、東中野《ポレポレ坐》)で、VIDEOさんの別名義の湖底のパフォーマンスを拝見したんですが、今回の『NOISE FACE LANDSCAPE』には、その時使われていたホームビデオのサンプルが使われているかと思います。冒頭の「1000年前」に登場するサンプルやポエトリー……というか朗読の部分は、その時にも使われていた、中国での日本人の団体観光客の宴会の様子や鉄道移動の様子を撮影した、90年代のホームビデオの映像ですよね。
VIDEOTAPEMUSIC(以下、V):そうですね。多分あの時にもやったはずです。
──そもそもまず、こうした個人のホームビデオを扱うようになって時系列についてお伺いできたらと。ホームビデオからの素材をVIDEOTAPEMUSICとしての作品に取り入れる比重が高くなってきたのが、前作の『Revisit』、そしてこの湖底の活動のあたりからだと思うのですが。
V:以前から使ってはいましたが、プライベートなホームビデオを大々的に使うようになったのはコロナ禍に国内での幾つかのアート・プロジェクトに参加するようになってからですね。『Revisit』に収録されているような作品を各地のアート・プロジェクトで作り始めた時、地域に滞在してそこに住んでいる方からホームビデオをお借りして作品を作ることをやり始めて。嬉野に滞在して「嬉野チャチャチャ」を作った時もですが、特に意識的にやったのは高知県須崎市の『現代地方譚』という芸術祭プロジェクトに参加した時です。地域の方が協力的で、実際にお宅へビデオテープを借りに行ったり。それを元にした作品制作がきっかけで、それ以降プライベートなホームビデオを使う比重が増えていった、という流れです。
『現代地方譚』でのライヴの様子──湖底のパフォーマンスについてはどうですか?
V:最初は、折坂悠太くんの重奏のバンドで演奏してたりするギタリストの山内弘太くんから即興をやってくれと言われたのがきっかけですね。沖縄で折坂悠太くんと池間由布子さんのツーマンがあった時に僕がDJをしたんですが、その打ち上げで山内くんと「昔、即興をやっていた」という話をした流れで、久々にやってほしいということになって。今、自分が即興をやるならどういうやり方があるかと考えた時に、ホームビデオの映像を流しながら、そこに映っているものを読んでいくという方法を思いついたんです。普段、人からホームビデオを借りると、何が映っているか文字起こしをしたり、会話の内容を書き起こしたり、例えば映っているのがお祭りであればその背景を調べたり、という形で詳細に記録しているんですけど、それをそのままパフォーマンスとしてやってみようと。それが各地でホームビデオを集め始めた時期と重なっていたのもあって、ホームビデオを言葉で表現する朗読の即興をやってみたのが、湖底の最初です。
──映っている事実を大勢の前で読み上げる、というパフォーマンスをやってみて、実際VIDEOさんとしてはそこにどういう意義を感じていますか? お客さんの反応ってどんな感じなんでしょう。
V:本来誰にも見られることなく家の隅に置き去りにされていたホームビデオに閉じ込められている“かつて流れた時間”を、ただ複数の人と見ていく、っていう行為を極限までミニマルにやってみたらどうなるんだろうっていう、僕自身の興味と実験ですね。毎回お客さんの反応も違ってて、混乱もされていると思うんですけど……(笑)。ただ、ホームビデオって、撮った本人が記録として保管するだけでなく、色々な人が見ればその人の分だけ引き出せる情報が無限にあると思うんです。だから、それをあえて大勢の人と共有した時間の中で再生することでもう一回解きほぐしてみる、ということをパフォーマンスにできないかと思ったんですね。
──それが次第にVIDEOTAPEMUSICとしての活動と混ざり合っていったと。
V:最初は全く別の即興パフォーマンスとして湖底をやっていたんですけど、バンドメンバーの潮田雄一くんやエマーソン北村さんも面白がってくれて、それに背中を押される形で、だんだん普段のバンド・セットのライヴにもその要素を入れるようになっていって。それが今回のアルバムに繋がっていったという感じです。
──やってみて、手応えは感じますか?
V:手応えがあるのかないのか、自分でもよく分かってなくて。ただ、ライヴハウスのような場所でやることで、本来は映像を撮るために回されていたビデオの“音”に注目してもらいたいという意図はあります。当時のビデオカメラはマイクが付いているので、映像に撮影者が意図していない音がたくさん入っているんですよ。子供の成長や行事を撮っているつもりでも、マイクの指向性が広いので周囲の雑音まで拾ってて。記録のために撮られたものの中に、意図していない音が必ず入っている。それを音として聞いてみる、ということには意味が見出せるんじゃないかと。
──それが今回のタイトル『NOISE FACE LANDSCAPE』の“ノイズ”に繋がってくる。
V:僕が事実として目に見えたものを朗読し、聞こえている音についても言及することで、見ている人の意識をフレームの外の音に持っていけないかと思っています。それが今回のタイトルの“ノイズ”の意味ですね。
──そうした映像ありきのパフォーマンスを、あえて今回のアルバムで音源に落とし込んでみたことで新たに感じたことはありますか?
V:本来、音を記録するために撮られていなかった映像から、逆に映像を抜き去って音だけを聞くのはやっぱり面白かったですね。冒頭の「1000年前」という曲も街の声としてのノイズが乗ってますが、その中で象徴的にサンプリングしているのは、中国の電車に乗っている撮影者が酒を飲みながら「内田百閒の味がするな」と独り言をこぼしている声です。他にも「三門峡にも春が来るか」といった撮影者の独り言や、記録するつもりがなかったのにこぼれ落ちた言葉がたくさん聞き取れる。あらゆる記録には本人の意図していなかった情報が含まれているということを、音楽にすることで感じてもらえるといいなと。
物語になる前のものに愛着がある
──そういえば最初に挙げたイベントでVIDEOさんが湖底のパフォーマンスの解説をされていた際に、「エモくならないように気をつけている」と言っていたのが記憶に残っているんです。
V:それは多分「物語にしてしまわない」ということを言っていたんだろうなと。ホームビデオって、元々ストーリーがあるわけでもドラマが存在するわけでもなくて、あくまで撮影している人の家族や友人との、ただ目の前で起こっている日常を撮っているものなので。それを第三者としての僕が使わせてもらう態度として、自分の作りたいストーリーの素材にするのではなく、本当にそこに映った事実しか伝えないということは大事にしてます。
──映画やドラマ、CM等の創作物ではなく、生身の他人による記録をサンプリングするという表現における誠実さや、慎重さ、ということですね。
V:おっしゃる通り、倫理的にも非常に繊細な表現をやろうとしているのでバランスを日々探っています。ホームビデオそのものが持つノスタルジックな“エモさ”みたいなものから、もう一歩さらに踏み込むために、自分自身がそのエモさに酔いすぎないよう気持ちをセーブする、それが「エモくならないように」ということでもあると思います。使っているホームビデオは、だいたいが直接顔を合わせていただいたものなんです。誰からどの場所でもらったものかも、全部覚えてて。「どうぞ、好きに使ってください」というテンションでくださる方もいれば、「何に使うんだろう……」と怪訝そうな顔で渡される方もいて。それぞれの表情を思い返しながら、どういう使い方だったら大丈夫そうか、提供してくれた人がこれを見たらどう思うか、考えながら基準を決めてます。単なる素材としてではなく、倫理観を探りながらやっている感じですね。いずれにしても、自分の理想を作るための素材にはしない。感情まではこちらで言い換えず、撮った人の気持ちを代弁しすぎないようにしています。想像はしますが、それ以上のことは付け加えない。
──音楽的にも、『Revisit』から連続するようなアンビエント的な質感もありつつ、そうしたノイズに寄り添うようにあえてドラマティックだったりノスタルジックすぎない、「エモすぎない」「感情を付け加えない」というラインが意識されていると感じました。
V:確かにそこは意識しましたね。僕の曲って、ループを基本に作られているのでとにかくコードが進行しないんですよ。コード進行のテクニックやドラマチックな展開で感情を誘導するのとも違う、何かまったく別の切り口は探していますね。むしろ、一曲に対して一つのシーンが流れていくようなイメージを見せられたらいいなと。これは僕の持論なんですけど、一曲に使うコードの数は“漫画のコマ割”みたいなものだと考えてて。ワン・コードのものは一枚の絵、コードが二つになると時間が生まれて景色が流れていく。三つ四つと増えて複雑になっていくと、人物が現れ、起承転結のある物語が生まれる、というイメージ。僕としては、物語になる前のものに愛着があるので、基本はワン・ループで、コードは一つか二つまでしか使わないことが多いです。今の自分がやりたい音楽にはそれだけで十分だし、それしかできないとも言えるんですが。受け取った人が自分の中で物語を作るのは自由ですが、ループするものの中でその記録を深掘りできるようなものを作りたいので。
──VIDEOさんの作品を聴くと、いつも記憶と記録の境界について考えさせられるんですが、特に今回のアルバムはホームビデオの素材も相まってか、自分の中に他人の記憶が重なって、その記録の存在自体が深く、豊かになっていくような感覚がありました。時間の流れが、過去から現在へという横への一方通行ではなく、積層的に感じられるというか。
V:今回、イ・ヒムンさん(京畿民謡歌手&アーティスト)をフィーチャーして韓国の民謡(「Heung Taryeong」)も取り入れているんですけど、民謡も同じようなものだと僕は思っているんですよ。どんな民謡も最初は仕事の場や祝いの場など歌われる目的がそれぞれあったはずだけど、長く歌い継がれる中で、楽しい気分で歌った人もいれば、悲しい気分で歌った人もいる。色々な人の口を介してきた歴史の中で、色々な人の感情が蓄積され、その曲に込められた感情がどんどん複雑になっていく面白さがあると思う。ホームビデオも同じで、撮影者が思い出のために見るだけでなく、第三者が紐解くことで情報がどんどん増えて複雑になっていくように感じます。
──記憶が、人の数だけ縦に積み重なっていくようなイメージ、ということですね。
V:去年、東京藝大でワークショップをやったんです。ホームビデオの中から30秒ほど切り出して、参加者の皆さんに「ここから自由に文章を作ってください」という宿題を出して。一ヶ月後、集まった文章を僕が朗読するんですが、同じ30秒のビデオでも見る人の数だけ全然違う文章が出来上がって。僕みたいに映っているものを事実ベースで言う人もいれば、フレームの外の歴史を調べて読み上げる人、ビデオの前後の時間軸を想像する人、自分の物語を作り出す人、あるいは映像の中の音だけを書き起こす人もいました。記録というのは紐解く人がいれば、その分だけ内容が無数に増えていくんだなと。
残したい情報だけを残すことが可能になった時代へのささやかな抵抗
──今回のアルバムには、シングルですでにリリースされている「Funny Meal」が収録されていますよね。私個人の話をすると、ライヴでの「Funny Meal」の映像が本当に大好きなんです、ちょっと涙ぐんじゃうくらい。あの映像でループされる映画のセリフ、「見知らぬ人々が奇妙な食事を食べて……不思議ね、ここにも人生があるのね」という部分はまさにVIDEOさんが記録を扱う時の視点、つまり、見ず知らずの人間の人生の中のささやかな瞬間を、第三者として眺める姿勢そのものに感じて。ホームビデオもそうですけど、他人の人生の何気ない瞬間を見る、ということについては以前から興味があったんですか?
V:そうですね、やっぱり、歴史に残っていないような、正史からこぼれ落ちた人々の記録にはもともと興味がありました。年表には「何年に何があったか」と記録されるけれど、1994年に中国旅行で酒を飲みながら「内田百閒の味がするな」と言った男の一言は、ホームビデオを紐解かない限りどこにも記録されなかった出来事ですし。
──その興味はどこから来たものなんですか?
V:僕は音楽を始める前、クラシック・バレエ専門のビデオ撮影会社で働いていたんですよね。色々な地方都市のバレエ教室の発表会を市民ホールなどで撮影する仕事で。あと、結婚式の映像なんかも撮ってました。で、その時の社長に「主役だけ撮るな」と言われたのが印象に強く残ってて。結婚式なら新郎新婦をしっかり撮るのが基本ですけど、後から見返して面白いのって、その時の出席者の様子や外の天気、風景だったりするんですよ。だから、バレエの発表会だったらバックステージの子供たちの様子とかも積極的に撮ってました。そういう経験から、主役以外のノイズがたくさんあった方が、後から見返す時に価値や意味が出てくるということを、肌感覚で身につけていたのかもしれないです。僕がホームビデオを作品に使う時も、家族旅行のメインである子供の姿よりも、お父さんがふとカメラを海に向けた時に映っている景色とか、そういう場面ばっかり使ってますね。
──なるほど。それが今回のアルバムのタイトルの、“ノイズ”としての“フェイス”と“ランドスケープ”に通じているわけですね。
V:“フェイス”は直訳すれば顔ですが、“表情”として捉えてもらえるといいかもしれません。物語の存在しないホームビデオを見る時、僕が何を見ているかといえば、フレームの外から聞こえてくる本来ノイズとされる音や、そこに映し出された固有の人々の顔です。それらを韻を踏むように並べてみました。僕がホームビデオの中に見ているものが、まさにノイズとフェイスです。
──“ランドスケープ”=風景についてはどうですか? ホームビデオに残された風景も、今現在そこに訪れるとすでに存在しなかったりする。各地を再訪されているVIDEOさんは、失われてしまった風景や変わっていく街並みを実際に数多く目の当たりにしてきていると思うんですけど、正直なところ、そうした変化をどう受け止めているんですか。
V:一言では言い表せないですね。悲しさや寂しさもありつつ、変わっていくことへの抗い難さもある。好きなお店がなくなって寂しいと思うこともあれば、ポジティヴな変化もありますし。はっきりとした言葉で答えが出せるわけではないからこそ、それを音楽にしているという部分もあります。 あと一つ、風景について言えるのは、当たり前に見ているそうした街並みも、誰か一人の意志だけで出来上がったものではない、ということです。物言わぬ風景の中にも様々な人の意志が刻み込まれていますからね。しかしダムの底に沈んでしまった集落を題材にした「Goujou Jima(強情島)」(『Revisit』収録)という曲もありますが、今見ている街の景色も、誰かが望んだからこそこの景色になった一方で、この景色を望んでいなかった人もいる。古いものを紐解くことで、そういった記録が見つかることにも意義があると思っています。
──そのように、変化する風景の中に積み上がってきた人の歴史や想いを紐解くために、やはり“ノイズ”が不可欠だということでしょうか。
V:本人がノイズだと思った情報が、第三者には大事なものだったりしますから。今は映り込んだ知らない人をAIで消したり、肌のシワを加工したり、看板の文字を消したり、写真や映像に映った風景をツルツルに整えることが容易にできてしまいますよね。。音声もそうで、ホームビデオの素材のノイズ──周りの人の喋り声とか、街に流れてるBGMなんかを消して自分が残そうと思った声だけを残すこともできる。今回アルバムを作りながら一度、ノイズを消してみたものを試しに使ってみたんですけど、やっぱり何だか違うと思って、結局あえてヒス・ノイズを残す形にしたんです。音楽的にも邪魔な帯域かもしれませんが、今後あらゆる記録がノイズ・キャンセリングされたものばかりになると、第三者が何かを引き出す余地がなくなってしまうのではないかと思ったんですよね。残したい情報だけを残すことが可能になった時代に、僕がホームビデオの中でグッとくるようなノイズやフェイスはどうなっていくのか……このアルバムは、それに対するささやかな抵抗、という側面もあるかもしれません。
──バンドの演奏に生っぽい揺らぎがあるのも、そのノイズの乗った音声とマッチしているような印象を受けました。
V:今作はバンドの演奏をがっつり入れてるんですけど、それはなぜかというと、バンドのみんなの演奏の“なまり”のようなものやノイズを翻訳しすぎずに伝えたいと思ったからなんですよね。
裏テーマは“翻訳”なんです
──話が少し変わりますが、今回、先ほども触れていた京畿民謡アーティストのイ・ヒムンさんとコラボされていますが、その経緯も教えてください。
V:ヒムンさんが2023年にフリー・セッション・バンドのCADEJO(カデホ)と来日した際に共演したのがきっかけですね。その後、彼から韓国民謡に関するプロジェクトに誘われ、韓国で何曲かレコーディングしました。「Heung Taryeong(興打令)」という曲もその時にレコーディングしたんですけど、その時は実際にはリリースには至らなくて。でもこの曲、僕はすごく気に入ってたんですよね。ついお風呂で口ずさんじゃうくらい(笑)。この韓国語の“興(フン)”という言葉は、気分が高まって盛り上がっているという意味でも使われるとのことなんですが、この曲で歌われる“フンはもっと複雑な色々な感情がこもった感嘆詞なんだそうで。そのニュアンスを日本語にそのまま翻訳するのが難しいという話をヒムンさんから聞き、異なる言語同士で全く置き換えられない言葉があるということを面白く感じたんです。ただ、この“フン”も、僕には“正確には分かり得ない何か”ではあるけれど歌になった時にそのニュアンスは伝わってくると思う。それで、ヒムンさんにこの曲をアルバムに収録したいと連絡をとって、今回収録することにしました。翻訳不可能な言葉について考えたり試行錯誤したりした過程を、記録としてアルバムに残しておきたかったんですよね。
──民謡の枠に留まらず、ある種前衛的でもあるジャンルのクロス・オーヴァーをされているイ・ヒムンさんの活動自体についてはどう感じていますか?
V:ぶっとい根を持ったアーティストですよね。アレンジは本当に大胆ですけど、民謡を歌い続けてきたという説得力と根っこの太さがあるので、揺るぎない安心感があります。ビジュアルも含め民謡の表現からはみ出していますが、本質は失ってないと思うし。どんな場所でも根を張れる民謡の強さを体現している人だと思います。この「Heung Taryeong」も元は3拍子の曲なんですが、ヒムンさんは4拍子でアレンジしていて。でも、アウトロで僕はあえて元の3拍子にそっと戻したんです、ヒムンさんが育てた太い根の苗を預かって、自分の家の庭に植え直すようなイメージで(笑)。
──話が行ったり来たりしてしまうんですが、今回、先ほども挙がっていたヨ・ラ・テンゴの「Our way to fall」のカヴァーを収録した意図も教えてください。こちらはVIDEOさんのバンドにも参加されているmmm(ミーマイモー)さんの歌唱ですね。
V:これは元々インストで出した曲ですが、原曲の歌詞がすごく好きなんです。ラブソングではありますが、「I remember」から始まる歌詞が日記のようですし、ホームビデオ的だとも感じて。ビデオカメラで撮ったような記憶の集積から、サビで感情が動き出す……というところも、VIDEOTAPEMUSIC的な楽曲だなと思ったので。さっきも「Heung Taryeong」の話でも出ましたけど、今回のアルバムの裏テーマは“翻訳”なんです。ライヴの映像演出で使うためにmmmさんが歌詞を翻訳してくれたことも、その裏テーマとフィットするなと思い、収録しました。
──“翻訳”というのはつまり、先ほども韓国語の例でおっしゃったように、言葉にすると取りこぼしてしまうものをどう表現するか、ということですかね。
V:言葉にする際に取りこぼしてしまう意味って、必ずあると思うんです。ベストな形はなくても、ベターな形で伝えるにはどうするか……ホームビデオに残っているノイズをあえて音楽の中に残しておくというのも、記憶から取りこぼされていくものがあるということを伝える、という点で同じだと思う。だからこそ、ノイズまで含めてどう伝えるかということをどの曲でも考えて。“翻訳できない感情”を音楽を通じて伝える、ということを今作ではやってみた、ということですね。
<了>
Text By Nami Igusa
Photo By Sho Nakajima
VIDEOTAPEMUSIC
『NOISE FACE LANDSCAPE』
LABEL : KAKUBARHYTHM
RELEASE DATE : 2026.05.20
各種配信リンク
https://videotapemusic.lnk.to/NOISE_FACE_LANDSCAPE
VIDEOTAPEMUSIC
https://linktr.ee/VIDEOTAPEMUSIC
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7/11 水戸 our place LABORATORY
7/18 鳥取 土曜夜市
7/19 松江 NU
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8/2 金沢PAILAS
8/9 江ノ島OPPA-LA
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8/13 岡山歌謡スタジオ700
『NOISE FACE LANDSCAPE』
アナログ盤発売決定!
発売日:10月中旬予定
品番:予定KAKU-256
予約は7月中旬よりスタート予定!
カクバリズムWeb
http://www.kakubarhythm.com/
