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【未来は懐かしい】Vol.31
アンダーグラウンド/DIYカセット・カルチャーと
ニュー・ミュージックの歪な出会い

15 July 2022 | By Yuji Shibasaki

ここ数年来、1980年代のアンダーグラウンドな国内ポストパンク〜インダストリアル系音楽への関心が世界的に高まっていることは、本連載をチェックいただいている読者の方ならよくご存知だろう。《Vanity Records》のカタログが続々と再発されたり、例えば以前紹介したPale Cocoonのように、小ロットで流通していたアイテムがにわかに注目を集める状況は珍しくなくなってきた。中でも、DIY制作のカセットテープ作品に対しての探求は、かなりディープな次元に達しつつある。

近年になってとりわけ熱心に再発掘されつつあるのが、甲府在住の大学生・鎌田忠によって1980年に発足した《DD RECORD》のカタログだ。同レーベルは、投稿雑誌『おしゃべりマガジン ポンプ!』での読者同士の交流によって生まれたテープシェアを目的とするサークル「リサイクル・サークル」を母体に、更にアンダーグラウンドな音楽を志向する同好の面々が集ったのに起源を持つ。学生音楽家からの公募に基づくリリース体制、モノクロ刷りのアートワーク、安価な価格設定、そしてなにより、コマーシャリズムとは(ごく自然に)隔絶した濃密なアマチュアリズムに貫かれた《DD RECORD》各作は、当時を経験していない後年のリスナーにとって、オブスキュアゆえの蠱惑をたっぷりと湛えた物体として強烈な印象を与えてくれるのだ。謎めいた作家名がひしめく中、若き日のK2や春日井直樹らも作品を発表していたり、当時米国のプログレ系雑誌『Eurock』で特集が組まれたりと、そのあたりも同レーベル作がジャパニーズ・アンダーグラウンド好きの琴線に触れる一要因だろう。予てより《DD RECORD》作品のアーカイヴ化を望む声は少なくなく、実際に一部アーティストの作品が海外レーベル主導でコンピレーションにまとめられている(しかし、主宰の鎌田忠が1985年の転居以来音信不通に陥ってしまったため、大規模なリイシューは未だ困難な状況にある)。

現在、地元広島を拠点に映像作家として活動する吉松幸四郎も、そんな《DD RECORD》から大量のカセットテープ作をリリースしていた人物だ。大学の軽音楽同好会の仲間と組んだバンド、JUMAの作品を皮切りに数十本のカセットを制作してきた吉松だが、音楽性の幅広さという意味では、シーンの中でもかなり特異な存在だろう。タンジェリン・ドリーム等のドイツのエレクトロニック・ミュージックを基調としつつも、ポストパンクからノイズ系、更にはニューミュージック的な手法を取り込んだ彼のオリジナル曲は、ひとことで「アンダーグラウンド」とくくるのは困難で、ごく多層的なものだ。

今回紹介する1985年オリジナル・リリースの『Marine Crystal』こそは、彼の音楽の持つそうした複雑性をもっとも鮮やか(かつポップ)に提示している作品だろう。本作は、馴染みの《DD RECORD》ではなく広島のレーベル《Villa Blanca》からリリースされおり、ジャケットアートワークもフルカラーの豪奢なものだ。このあたりからも、本作が他作とは一味違うものを志向していたことが伺える。

元来吉松は、アンダーグラウンドな音楽と並行して、山下達郎、松任谷由実、オフコースなどのニューミュージック系アーティストの音楽にも親しんでいたのだという。確かに《DD RECORD》での作品にも、そうした「楽曲志向」は度々聴かれるのだが、ここではそういったカラーがより一層全面的に押し出されている印象だ。まずA-1「Cosmic Colors」のイントロを聴いてみてほしい。いかにもカセットMTR録音というローファイな音質がまず耳を捉えると同時に、このギターカッティングは山下達郎「SPARKLE」のそれを脱構築(というか脱臼?)させたものに聴こえてならない。ドラムマシンによる硬質なビート、キッチュなシンセサイザーの響き、儚げなヴォーカル、それら全てが「ハイファイでハイコントラスト(で金満)なシティポップス的なもの」の朧気な影絵を浮かび上がらせる。

ポストパンク的なDIY志向と、ニューミュージック/シティポップ的なもの≒無意識過剰のコマーシャリズム。一見水と油の関係に思われるこれらをぶつけ合わせ、そこに生じる様々な「座りの悪さ」を味わうとき、現在のリスナーが即座に思い起こすのはやはり、かつて初期ヴェイパーウェイヴが孕んでいた戦略性のようなものだろう。「地」としてのコマーシャリズム的風景に、アンチコマーシャリズム的諧謔を重ね合わせることによって、それを歪な「図」として反転的に抽出する……。当時の吉松にそうしたニヒリスティックな意図がどの程度自覚されていたのかは謎めいているが(だからこそ余計に魅力的なのだと確信するわけだが)、これはまさに、ヴェイパーウェイヴがある種の過剰性をもってテクノオリエンタリズムの荒涼のいびつな芳醇を浮かび上がらせたのと似た、というか異常なほどにそれを先取りしてしまった例に思えてならないのだった。吉松本人のコメントを参照すると、一部の歌詞で「既に住めなくなった地球」「沈んだ太陽」などのSF的モチーフを用いており、更には「失楽園へのノスタルジーを含ん」でいるというのだから、こうした指摘もとたんに説得力を帯びてくるではないか。

ガタピシと音を立て、ひょっとすると崩壊してしまいそうなアンバランスさ。それは、かつてポストパンクやDIYという方法論/アティテュードが宿命的に出発点としなくてはならなかった地点だろう。この作品の場合、同時にその内奥には、メロディーやポップスへの素朴な信頼も蔵されており、その飲み下ししにくさこそが聴き手の「居心地」をしたたかに揺さぶってくる。ここにはつまり、二重の「よろめき」への誘いがあるのである。そう考えれば、なんと贅沢な音楽だろうか。

本作リイシューに際して、「メタ・シティポップ」という言葉が惹句として使われていたが、まさに言い得て妙だと思う。シティポップリバイバルを素朴に言祝ぐ(あるいは短絡的に拒否する)人たちには到底オススメできない、というかオススメしようがない、胸のすくような複雑さにまみれた音楽だ。(柴崎祐二)

Text By Yuji Shibasaki


K. Yoshimatsu

『Marine Crystal』



2022年 / Jet Set


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Jet Set


柴崎祐二 リイシュー連載【未来は懐かしい】


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