Back

「いいものを作っているという自負。作り手の矜持はある。僕から音楽をとったらただの飲んだくれですから(笑)」
渚にて・柴山伸二キャリア総括ロング・インタビュー<後編>

01 March 2021 | By Shino Okamura

昨年11月にニュー・アルバム『ニューオーシャン』をリリースした渚にて。リーダーの柴山伸二のロング・インタビュー、<前編>に続き後編をお届けする。

前編は柴山の大学時代から、EPでのソロ・デビュー、イディオット・オクロック加入を経て、レーベル《オルグ・レコード》の立ち上げ、そして渚にて結成に至るまでのキャリア序盤の話だったが、ここからはいよいよ渚にてが“船出”してからの展開となる。運命的な出会いを果たしたパートナー、竹田雅子と信頼関係を築いていきながら、バンドが変遷していく過程を様々なエピソードを交えて語ってもらった。
(インタビュー・文/岡村詩野  撮影/竹田雅子)

Interview with Shinji Shibayama

――<前編>では竹田雅子さんが渚にてに加入したところまでお話を伺いました。すごく自然な流れで一緒にやることになったとは思いますが、お二人で今後のバンドのことを話しあったりもしたのでしょうか?

柴山伸二(以下、S):いや、特に計画的なものではなかったです。最初は僕のソロ・プロジェクトだった渚にてが、竹田というメンバーが入ることによって最小編成のバンド形態を作ることができた、これが偶然とはいえ一番大きな変化だったと思います。しかも彼女の歌声を聞くと自然とインスピレーションがわいて曲が生まれるようになって、可能性が無限になるな、という確信がありました。それまでは毎回、現地調達のような感じでその都度メンバーを集めて演奏してもらうようなことをやっていたんです。もちろんそれはそれで楽しいんですけど、ただ将来的にはどうなんだろう?と。今後のことを考えて限界を感じていた時だったので、竹田を相棒として「これはもう俺と竹田のバンドだ」という意識でやっていけるな、と。それがファースト以降の心境の変化だったと思います。すごく気持ちが開かれた感じがしましたね。

――それまでは、まだどこかで壁にぶつかっていたと?

S:そうですね。一人でやると全て自分で思うようにコントロールできるわけですけど、それと引き換えに意外性や驚きが得られない。そこに限界を感じていたんだと思います。次の新しいことを考えていく時に、なかなかいいアイデアが出てこないっていうことも正直ありました。そんな時に竹田がメンバーになって一緒にやっていくということになった。これはもう2倍以上の力を得たという実感がありましたね。やっぱり僕自身、昔からバンドにこだわっていたところがあって。複数の才能が集まることによって人数以上の力を発揮する。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドもそうですよね。ルー・リード一人よりもジョン・ケール、スターリング・モリソン、モーリン・タッカーが加わることによってプラスアルファの起爆力がつく。時代関係なく昔からバンドとはそういうものだったと思っていましたし、いわゆるバンド・マジックに僕はずっと十代の頃から憧れ続けていたんです。そのマジックが、渚にてのファーストの制作過程で竹田と知り合うことによって、自分にも起こったわけです。彼女はファーストの制作段階では具体的にレコーディング作業に関わっていたわけではないんですけど。

――ただ、柴山さんが作った曲のインスピレーションになって大きな影響を及ぼすという形で関わっておられた。

S:ああ、それはそうですね。もちろん彼女はミューズ的な存在ではあったんですけど、彼女に直接捧げるラブソングみたいな形ではなかったんです。“to 雅子”ではなく“with 雅子”という感じかな。創作の対象は彼女自身ではなくて、また別のどこかに向けて作られるような感じでした。そのきっかけになったのが竹田の存在だったということだと思います。つまり、創作の根源的な部分では男女の性別は関係がなくなってくる、ということです。精神的に一番近くにいて、信頼できる的確なジャッジを自分に与えてくれるパートナーになっていくわけですね。

――そこまでお互いに信頼しあえるような理解者は、それまでの柴山さんの近くにはいらっしゃらなかった?

S:もちろんそれまでにも色んな人との出会いがあっただろうし、お互いに信頼できるような人もいたと思うんですけど、彼女との関係はキャッチボールというか、対等にバランスを取りながらサポートしあう同志という感じですね。確かになかなか出会えるような相手ではなかったと思います。

――ズバリ、竹田さんのことを歌った曲はあるのですか。

S:「渚のわたし」(ファースト・アルバム『渚にて』収録)です。あれは一つの映画のような曲なんですね。主人公は竹田で。彼女の心の中を僕が描いてみたような感じの歌詞なんです。彼女を主人公に映画を撮ってみたらこんな感じになった、というような。僕自身あの曲が一番好きだったりします。こんなことは本人にいってないですけど(笑)。うすうす感じてはいるんじゃないかな(笑)。何も渚にてに限った話ではなくて、僕自身、すごく好きなアーティストの曲を聞く時に同じような感覚、自分の心の中を見透かされたような感覚に気づくことがあります。たとえばレナード・コーエンの「ある女たらしの死」を初めて歌詞を読みながら聴いた時、すごくそれを感じました。自分があの時感じたあの気持ちがまったく同じようにレナード・コーエンの曲で描かれている……!という驚きです。それが音楽の秘密というか、音楽の魔法じゃないかなと思いますね。

――その竹田さんが正式に加入……というか、ここから一緒に活動をするようになっていきますが、実際に彼女と組むことで変化も目に見えて起こります。例えば、98年の『太陽の世界』では緑魔子の「やさしいにっぽん人」をとりあげたりもしていますね。

S:あれはまさかのカヴァーですよね。もちろんあの曲は知っていましたが自分でカヴァーをやるという発想はなかったですね。でも、竹田が歌ってみたいと。こっちは「ほんとにやるの?」って感じですよ。でも、そういう意外なアイデアが出てくるのがバンドの面白さですよね。『太陽の世界』は音量制限の厳しいフリー・スペースでのアコースティック編成のライヴなんですが、その録音が独特の密室感があってかなりよかったんです。で、「これはこのまま(CDにして)出した方がいいんじゃないか?」ってことになって。それで「やさしいにっぽん人」が『太陽の世界』に収録されたんです。

――しかも、その『太陽の世界』は、完全な一発録りのライヴ・アルバムで、「朝顔~川」と「結合の神秘」といった12分ほどの曲が序盤とラストに入っています。特に「結合の神秘」の構成力には本当に驚かされました。

S:あれはもう再現が本当にできない……難しい曲です。あの時はアコースティック編成だけどバンドとしての広がりが出たと思います。竹田が入ったことで見た目の華やかさもありましたし(笑)、僕自身、ステージでは僕が少し脇に寄る感じになって……ジョージ・ハリスンみたいな(笑)。それで、彼女がヴォーカルの時にはどうするか?みたいなアイデアも出てくるようになりました。彼女はいっぱい曲は作らないので、僕の曲の方がどうしても多くなってしまうんですけど、彼女が歌う場面が入ることで意外性は増えますよね。たとえば、イディオット・オクロックはリード・ヴォーカリスト(高山謙一)の“男の世界”が支配するシリアスなバンドで、まさにそこが魅力でしたけど、渚にての場合は“男の世界”が特に必要ないんですね(笑)。ファーストを作っている時はその点で(自分の才能に対する)迷いもありました。それが竹田というパートナーを得たことによって思いがけない方向に変化していったんです。たとえば、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのドラムがモーリン・タッカーだったということには大きな意味があるんです。彼女よりテクニック面で遥かに上手いドラマーはいくらでもいたと思うんですよ。でもルー・リードたちは、純粋にドラマーとしてのモーリン・タッカーの個性を重んじたわけですよね。それと同じで渚にても、性差関係なく竹田雅子という個性をバンドの中で生かしていくような形になって、それによって渚にてというバンドが大きく変わっていく、僕の曲も変化していくというのはすごく面白いなと思いますね。

――柴山さんの曲にも確かにどこかフェミニンな側面があります。男の無骨な色気のようなものが徐々に作品の中でも感じられるようになっていきますね。加えて……まあ、ファーストからしてそうですが、アルバムのジャケットにも竹田さんが登場するようになり……。

S:あれは竹田へのラブレターみたいなもので……(笑)。彼女自身が曲の世界とシンクロしてるのでお願いしてジャケットに出てもらったんです。最近は嫌がるようになってしまいましたけど……「もういいでしょ」って(笑)。ジャケットは毎回苦労するところですね。その頃には曲が次々とできるようになって『太陽の世界』の時にはもうサードの『本当の世界』の曲は用意できていました。『太陽の世界』は全編ライヴだったんで、次はスタジオ録音を出そうということで、竹田が参加して初めてのスタジオ録音になったわけです。タイトル曲の「本当の世界」は渚にての原点になりました。僕が途中まで作ったところで詰まってしまって困っていたら、竹田があの爆発するサビを作ってくれて一気に完成したんです。いまだにあの曲の凄さを超えることができない……自画自賛ですが(笑)、そう思える重要な曲です。前半を僕が歌って、後半を竹田が歌う……真ん中のファズギターのところで転調しているんですが、その転調にはほとんど誰も気づかない。その部分を指摘した人は今まで誰もいませんね(笑)。普通、転調って曲を盛り上げるためにキーを上げる編曲のテクニックですけど、あの曲のあの部分は、必然的に転調したというか、ワープした感じ。本当にそのくらいよくできた曲なんです。完成した時には手応えがハッキリありました。頭の中で思い描いてきた理想の形がそこで達成できた、というか。音楽をずっと続けてきて辿り着いた場所……ニール・ヤングでいえば「Heart of Gold」です(笑)。

――「世界」「星」「太陽」という、捉える人によって大きく変化するもの、何かを示唆するものをタイトルや歌詞に与えることが多いですが、それらのワードは何を象徴、示唆しているのでしょうか。

S:どうしてもそういう単語が出てきてしまうんですよね……たぶん、普遍的なものに憧れているんだと思います。「太陽」は一つしかない。「星」……はたくさんありますけど、その「星」は一つしかないわけです。そういう言葉を本能的に選んでしまう。どこに向かって生きているのか?という自分の疑問に対する自分の回答なんだと思います。何を自分はしようとしているのか、自分には何ができるのか?……それを音楽で確かめようとしているんだと思います。音楽を作っている人、やっている人であれば、必ずその人の求める真実が、音の形になって現れると思うんですよ。自分もはたから見れば、ただ気ままに曲を作って歌っているだけですよね。でも、そこにある種の自負はあります。作り手の矜持というか、長年やってて、その時点、その時点で、自分として最高のものを作っていると思っています。僕から音楽をとったら、ただの飲んだくれですよ(笑)。だから、足跡を残すという意識はすごくありますね。作品を残していくということが大事だと思っているので。レコード、CDという形で発表していくことが自分がいた証でもある。たとえば60年代のサイケのローカル・バンドでも、当時にシングル1枚でも出しているかどうかでその後の再評価は全然違うと思うんですよ。

――確かに、柴山さん自身、最初は自主制作でのシングル・リリースでしたし、《オルグ・レコード》を設立してからは、自分たちだけではなく頭士奈生樹、イディオット・オクロック……と、積極的に仲間アーティストの作品も出していきました(詳細はインタビュー<前編>)。その姿勢からも、リリースするということの意味の大きさをすごく理解した上で活動されてきているということが伝わります。

S:そうですね。イディオット・オクロックのリリース(『オリジナル・ファースト・アルバム』)については、バンドの最後期での作品だったわけです。発売されたのが1989年ですから。だからファーストにしてはいい意味で枯れてるんです(笑)。僕が加入した81年前後の数年間(頭士奈生樹が在籍した時期)にはバンドとして凄い瞬間がいっぱいあった。あの頃にシングル盤1枚でも出していれば……って思うんですよ。そしたらその後の展開もずいぶん変わっていたかもしれない。もちろん、(リーダーの)高山(謙一)くんには高山くんなりの考えがあったんだと思いますけど。僕が(イディオット・オクロックに)いた時に「なぜレコードを出さないのか?」「まだその時期じゃない」というような議論をしたことを覚えてます。今となっては『オリジナル・ファースト・アルバム』が残されているだけでもすごく大きな価値があると思いますね。

――今はインターネット上に誰でも作品をアップできる時代です。「作品を発表する」という手段自体は手軽になりましたが、CDやレコードとして「残す」という感覚はまた全然違うものです。

S:SNSとかYouTubeとか、手軽に発信することができるのはいいことではあるし、楽しいことではあるんですけど。古臭いことをいうようですけど、肝心なのはそこに魂が込められるかどうか……。それがレコードとかCDにはあるんじゃないかと思います。

――形のあるレコードやCDが縁を繋ぐというのは確かにあると思います。スコットランドに暮らすパステルズのスティーヴン・パステルも、2000年代初頭に自分のレーベル《Geographic》から渚にてやマヘル・シャラル・ハシュ・バズの作品をリリースします。スティーヴンとの交流が始まったのは90年代後半のことですか?

S:2000年代に入ってからじゃなかったかな。僕がメールを始めたのは2000年なんです。スティーヴンが最初にコンタクトをとってきたのはメールだったのでたぶん2000年になってからですね。最初は「マヘル〜とハレルヤズのレコードを《Geographic》からリリースしたい」というオファーでした。

――渚にてのライヴ録音、ハレルヤズ、柴山さんの未発表音源などを集めたレトロスペクティヴ・アルバム『Songs For A Simple Moment』(2001年)と、7インチ・シングル「They」(2001年)、マヘル・シャラル・ハシュ・バズの『From A Summer To Another Summer(An Egypt To Another Egypt)』(2000年)ですね。スティーヴンはその直前にハレルヤズの「星」をカヴァーしています。

S:そうですね。あれがきっかけでライヴに来てくれるお客さんの層が少し変わりました。若返ったというか女子率が高くなった(笑)。《OZディスク》(当時)の田口(史人)さんが作ったオムニバス『So Far Songs』に参加したりして(「あなたを捨てる」)、それでお客さんが増えた時期もありました。あと当時、“うたものブーム”みたいなものもあって、それも大きかったかな。

――2000年以降は《P-Vine》からアルバムがリリースされるようになり、旧作もまとめてリイシューされました。

S:それは本当に大きかったですし、嬉しかったですね! それこそ《タワーレコード》で買えるようになって、聴いてくれる人が広がりましたから。きっかけは、田口さんが《P-Vine》の井上(厚)さん(現在も渚にてを担当するA&R)に話をして渚にてを聴いてもらったらすごく気に入ってくれて。「そんなに(アルバムをたくさん)出してるならウチで全部出しちゃおう!」みたいな感じになったんです。井上さんも勢いのある人ですから。しかも全部見開きの紙ジャケでLPタイプの帯もつけてくれて。まだCDが普通に売れる時代でしたからね。

――そして、2001年に『こんな感じ』をリリース。頭士奈生樹、山本精一、ティム・バーンズ(ex-ジム・オルーク・バンド)、のちに渚にての正式メンバーになる吉田正幸、中崎博生(マヘル・シャラル・ハシュ・バズ)、中村宗一郎……錚々たる顔ぶれがここに参加しています。しかも、竹田さんがここからドラムも叩くようになりました。

S:このアルバムは2000年……ミレニアムのお正月にレコーディングを開始したんです。ところが、ドラマーが失踪してしまいまして(笑)。レコーディング初日にスタジオに来なかったんです。その時には僕らはもう東京の《PEACE MUSIC》にいるわけですよ。連絡もないので最初は事故か何か?と思って、焦ってあちこちに電話しても全然つかまらない。しばらくして、あ、これはフケたんだなと気づいて(笑)。ただ、スタジオを3日間ロックアウトでキープしてしまっている都合上、作業はしなきゃいけない。どうしよう?ってことになって、そこでドラマー・竹田雅子が誕生したんです。彼女は渚にてのデビュー・ライヴ(1995年5月21日《下北沢CLUB Que》)で一回だけドラムを叩いたことはあったんですが、本格的に叩いたのはこのアルバムのレコーディングが最初だったんです。で、この時は竹田のドラムで僕がギターを弾いて、全曲二人でベーシックを録音しました。ベースは竹田が後から重ねて。そのまま二人だけで作り上げてしまうこともできたんですけど、曲数が多くて二人だけでヴァリエーションを出すのが難しいということになって、曲ごとにゲストを招待したんです。ちょうど知り合ったばかりのティム・バーンズが日本に来るというので参加してもらい、頭士くん、山本くん、吉田くん、中崎くんも呼びました。もちろん、全員が一堂に集まったわけではないんですが、それぞれクセの強い個性あるミュージシャンが参加してくれたおかげで、それまでになくすごくカラフルなアルバムになりましたね。

――結果として、竹田さんがドラムを叩く今の渚にての原型がまた一つここで出来上がっています。ベースも弾くし、曲も作って歌うし、その上ドラムも……渚にてで一緒に活動するようになってから、マルチな才能がじわじわ発揮されていくのがとても興味深いですね。

S:竹田は『太陽の世界』のライヴでやった「わたしのはなし」が初めての作詞作曲です。『本当の世界』でも彼女はまずメロディを鼻歌でカセットに録音して……という感じで、作曲にピアノとかギターを使わない。その鼻歌の単音のメロディに僕がギターでコードをつけていくんです。でも、同じメロディでも違うコードをつけることで響きが変わるから、それを一つ一つ彼女に聴いてもらって確認するんですよ。「いや、そのコードは違う」「それも違う」って感じで(笑)。そういう感じで何パターンか聴いてもらって「あ、それ」って決まる感じ。これは基本的に今でもそうなんですけど、そのやり方ですごい曲を彼女は書いてしまうんです。しかも『こんな感じ』でたまたま叩き始めたドラムがすごくよかった。僕にとってはリンゴ・スターやリチャード・マニュエルみたいな感じですよ。独特のビートを叩くし、曲の世界をちゃんと把握して。で、もうドラムに専念してもらうという流れになりまして。これ以降は、彼女のドラムを前提にして曲を作っていくことになるんです。

――柴山さんとの関係性の中で、互いの世界を共有できていたから、ピンチヒッターでやり始めたドラムなのに曲にフィットしたんでしょうね。

S:そういうことです。でも、竹田をドラムにコンバートしたから今度はベースが不在になってしまった。だから次のアルバム『花とおなじ』(2004年)まで時間がかかるんです。結局、ファースト・アルバムで弾いてもらった田中栄次くんに戻ってきてもらって。

――ex-変身キリンの田中栄次さんですね。

S:田中くんは超シンプルなフレーズしか弾かないんだけど、ベースの音色そのものに存在感、個性がすごくあるんですね。ぜひまた弾いてほしいと頼んだら引き受けてくれて。《PEACE MUSIC》に彼を呼んで、その時点での新曲を全部録音したんです。それが『花とおなじ』です。10年間ブランクがあったんですけど、ファーストの時に渚にての感覚を共有できていたので、レコーディングはすんなりといきました。で、そこで欲が出まして(笑)、過去の選りすぐりの4曲を竹田ドラム、田中ベースという編成で録音し直したリメイク・アルバム『夢のサウンズ』(同2004年10月リリース)を立て続けに作ったんです。

――確かに、竹田さんと田中さんのリズム隊は絶妙でした。

S:竹田のドラムと田中くんのベースは相性がよかったんですよ。重いけど抜けのいい音で。でも鈍重じゃない重さ。田中くんのベースと合わさることによって竹田のドラムも基礎がしっかりしていったんです。だから、昔の曲……たとえば「本当の世界」とか、録音に心残りのあった曲をこのリズム・セクションで録り直したくなった。『夢のサウンズ』はそういう流れで作った作品でした。結果、全曲“オリジナル・ヴァージョン”を遥かに上回る充実した作品になりましたね。ただ、この後がまた色々とありまして(笑)。田中くんをベーシストに迎えてライヴもコンスタントにやっていたんですけど、田中くんは仕事を続けながらライヴをやるのがだんだんキツくなってきて。バンドと仕事を両立するのは難しい、ということで脱退の申し出があったんです。

そこから現在のベーシスト……山田(隆司)くんに巡りあうまで、かなり苦労しましたね。田中くんの脱退後、実にたくさんのベーシストと合わせてみたんですよ。一か八かでネットで募集してみたり(笑)。羅針盤の須原(敬三)くんに弾いてもらったこともありましたし、須原くんの紹介でラリーパパ&カーネギーママの水田(十夢)くんに弾いてもらったこともありました。でも、ヘルプとしてはみんな十分に上手いんですけど、レギュラーのベーシストとしての相性はどうかな……という感じだったんですよね。渚にては特殊音楽だし(笑)。で、もうあきらめかけてた頃に出会ったのが山田くんです。山田くんは、当時ヘリコイド0222MBの田中ヒロコちゃんから「渚にてが好きだというベースの子がいるよ、CDも持ってるみたい」ということで紹介してもらって。正直、全然期待してなかったんですけど(笑)試しに合わせてみたらビックリ、田中くんを上回るほどのベースだったというわけなんです。彼は僕の10歳下なんですけど、ホントに渚にての世界にフィットしたんですよね。

――その山田さんを新ベーシストに迎えた次の『よすが』(2008年)を聴いた時、田中さんのベースとは全然違うタイプだな、と思いました。

S:そうですね。田中くんのベースの特徴は、モノトーンでした。これ以上シンプルにできない、というような。山田くんはストーンズ・フリークなんですが、彼が変わってるのはミックやキースじゃなくてビル・ワイマンが一番好きという(笑)。実際、山田くんのベースはビル・ワイマン的な面もあって、手数は多目なんだけど曲のフックを的確に押さえた必然性のある手数で。しかもオブリガートのフレーズがクラウス・フォアマンか!って思うぐらいよくて「それそれ、そういうのを弾いてほしかったんや!」っていうベースラインを普通に繰り出してくれるんで驚きましたね。これはもう彼しかいないってことで、即採用です。あとは何回かライヴをやって竹田のドラムとのコンビネーションがなじんでから新作のレコーディングに入りました。それが『よすが』でした。

『よすが』からは、山田くんのベースを想定して曲の構成を考えたりするようになるんです。それがまた楽しい作業で。いちいち指示しなくても僕が求めているベースラインを出してくれる天性のセンスがあるし、ベースの重要性を身体で理解しているんでしょうね。最新作『ニューオーシャン』の1曲目「Newocean」のウネウネしたベースラインなんか、天才的ですよ。彼じゃないと編み出せない。練習であのベースラインを初めて聞いた時、本当にすごいやつだな!って改めて思いましたね。鍵盤の吉田くんは……『よすが』の時はまだ正式メンバーじゃなかったんですけど、オルガンが必要だなって思った時に吉田くんしか考えられなかったので声をかけて。わずか1日の強行スケジュールにも文句を言わず朝から晩まで10時間ぐらい弾きっぱなし(笑)で『よすが』全曲の鍵盤パートを録音してくれました。で、その甲斐あって(笑)少し後になってから正式メンバーとして入ることになって、今の渚にてのラインナップになったんです。

――その頃から東京の《PEACE MUSIC》ではなく、大阪の《LM STUDIO》で録音するようになっていきますね。

S:やっぱり東京を行き来するのに時間と経費がかかっちゃうんですよね。ホントにそれだけです。日帰りで作業して往復できる距離だったら今でも《PEACE MUSIC》で録音していたと思いますよ。うちの家庭の事情で、大阪で録音できる環境が必要になってきて見つけたのが《LM STUDIO》……79年オープンの老舗のスタジオなんですけど、マゾンナの山崎(マゾ)くんから「LMいいですよ」って勧められて。マゾくんがいいっていうなら間違いないだろうってことで使ってみたら、これが本当によかった。まあ、マゾンナの爆音ノイズに平常心で対応できるエンジニアの須田さんがいるスタジオなんで(笑)。

――柴山さんが録音スタジオに一番に求めるものは何ですか?

S:アナログ・テープを回せるところですね。昔に買ったテープのストックがあるので、それを使えるスタジオがなくなってしまうと困ります。テープはさすがに経年劣化があるからこの先何十年とは使えないんですけど……今持ってるテープが使えなくなったらどうしよう、ネットオークションで買うしかないかな(笑)。最近何かとアナログがブームなのでテープも新しく海外のメーカーで作られているらしいんですけどね。やっぱりアナログ・テープのヒスノイズと空気感が魅力なんですね。当たり前だけどこればかりはデジタルでは絶対に出ないんです。子供の頃の体験というか刷り込みだと思うんですけど、あの「サー」っていうテープのノイズ、無音部分でも聞こえてくるあのノイズっていうのは、いわば「濃厚接触」で出る音なんですよ(笑)。テープとデッキのヘッドが直に擦れ合って出る音です。もちろん《LM STUDIO》でもフル・アナログというわけにはいかなくて、3リズムのベーシックはアナログ・テープを回して録って上物の細かなダビングはプロ・ツールスで重ねていくんですけど、僕らは重ねた音を全部テープにコピーしてアナログ領域を通過させてからデジタルに戻してミックスする……という、エンジニアの須田さんにすごく負荷をかけた作業をさせてもらってるんです。須田さんには毎回本当に申し訳ない思いです(笑)。

――さて、『よすが』の次のアルバム『遠泳』は実に6年ぶりでした。このブランクはお子さんが生まれたことが一番の理由ですか?

S:まさに。文字通り「育児で大変」だったんです。とにかくドラマーがお母さんですから(笑)。しかも双子でしたから、もうバンドどころじゃない。ギターとかレコードとか全部子供の手の届かないところに置いて。ギターにもさわれない24時間育児の日々だったんで左手の指もフニャフニャになってしまって。当然ライヴもやらないから、そこでファンの振り落としもやって(笑)。でも、焦りとかはなかったですね。その後、子供たちが幼稚園に通うようになってやっと音楽の時間が少しずつ戻ってきてレコーディングに入ることができました。それが『遠泳』です。吉田くんが正式メンバーとして初めて曲作りの段階から関わるようになったのが新鮮でしたね。あと、竹田がお母さんになったというのもすごく大きかったと思いますよ。「ひかる ふたつ」など子供たちをテーマにした曲はもちろん彼女が作ったもので、もう僕が出る幕ではないって感じでした。ドラムも変化しました。生音がデカく、ダイナミックになった。『よすが』まではわりと小さな音で叩いていたんですけど、『遠泳』で二倍くらいのボリュームになりましたね。時々「デカすぎる」(笑)と思うくらい。それに引っぱられるように山田くんのベースも力強さが増していっそう太くなりました。前作『星も知らない』(2017年)は、そういう点でバンドの状態がすごくいい、ということがそのままサウンドに反映されたアルバムになりました。

――渚にてはライヴで新曲を披露し、そこからアルバムの制作に入るというスタイルを長年続けています。2020年はライヴができなかったわけですが、そこは最新作『ニューオーシャン』の制作に影響はあったのでしょうか。

S:やっぱりコロナでライヴができなかったのは影響ありましたね。なにしろ、岡村さんが企画してくれたイベント(2019年10月12日 京都《磔磔》)以降ライヴやっていないですからね。だから、今までみたいに新曲をライヴで披露して練ってからレコーディング……というやり方が貫徹できなくて。最新の曲はライヴなしで、やむなくスタジオで練習してからレコーディングに入るというやり方になりました。逆にいえば、スタジオで曲を構築していく、それこそ後期ビートルズみたいにライヴではとても再現できないような曲ができました。たとえばアルバム4曲目の「Sign of Soul」は竹田の最新曲なんですけど、聴いてわかるようにノイズ・ミュージックなんですね。スタジオのエフェクターを駆使した音の構築を繰り返して、ミックスも竹田で、後半はシンバルのノイズだけになる。僕は「ベーシックの演奏を消してしまって一体これでいいのか?」って文句をつけたり(笑)もしたんですけど、最終的にはバンマス竹田のコンセプトでいこうと(笑)いうことになりました。あと、アルバム最後の「何かが空をやってくる」もライヴで一回もやっていない曲です。この2曲は誰もライヴで聴いていない、つまり、2019年の《磔磔》でのライヴ以降にスタジオだけで作り上げた曲なんです。こうして制作に二年間かけた新しいアルバム『ニューオーシャン』をやっとリリースしたのに、東京と大阪でやる予定だった発売記念ライヴは延期になってしまいましたけど、ライヴで再現できないような曲が2曲も入ったというのは逆に新鮮だったとは思いますね。

――『ニューオーシャン』の歌詞の多くは畏怖、不安などを纏った表現です。ただ、メロディや曲自体はむしろ抜けのいい、開放的なものが多い。不安と希望とを共存させた、そのコントラストが実に鮮やかな曲が揃っている印象があります。まるでコロナ以降の世界を示唆したかのような。

S:偶然そうなっちゃったんです。実は『ニューオーシャン』にはコロナの騒動以降に作った曲、歌詞は1曲もないんですよ。本当に、偶然に引き寄せたといいますか。アルバムの収録曲を書いた時には、まさかその後の世界がこんなになるとは夢にも思っていなかったんですけど、予兆みたいなものを感じとっていたのかもしれないです。今だからいえることですけどね。まあ自分が年齢を重ねて、漠然と不安になってくることは事実としてあって、それが率直に歌詞に反映されたということかもしれない。子供たちの成長を見るにつけ、自分が年をとったことを実感するんですよ。すでに自分は過去より未来の方が短くなっているわけですよね。それを受け入れるしかない。限られた、短くなっていく未来の中で、どこまでジタバタできるのかということを考えると、自分の場合は音楽でジタバタするしかない。でも、それは決して悲壮感の漂うものではなくて、面白い、楽しい作業だと思うんです。スリリングで怖くもあるし、美しくもある。そこに気づかせてくれる……子供たちの存在はすごく大きいですね。楽曲の響きがポジティヴなのは、知らないうちに子供たちからパワーをもらっているからでしょうね。子供たちのパワーが渚にてのヴォーカルと演奏に反映されているんです。竹田のドラムも今までで一番力強い。でも力んでいない。それは子供たちの影響なんです。彼女ら二人はまだ12歳、毎日毎日が楽しいんですね。夜中にトイレにいくのが怖い、みたいなね、可愛いわけです。そういう部分も含めて眩しい。生きてることが眩しい。その眩しさというか、光が『ニューオーシャン』に宿っているんだと思います。

――アルバムのジャケットも象徴的な気がします。これまでのアートワークの写真はどこかオブスキュアな良さを伝えるものが多かったと思うのですが、今回の写真は結構クッキリとしていてフォーカスするものが明白だと感じます。日陰の道から陽の当たる場所に向かって手を取り合って歩いている、その先には大海原が広がっていて……と、メッセージはいつになくストレートですよね。やはりお子さんとの未来、これからを生きる子供たちへ託す未来がここに刻まれている気がします。

S:そうですね。今回のジャケットは確かにストレートでわかりやすいです。でも、見開きの内側には夏の太陽が大きく空に写っているんですけど、何かギラギラしていて、これはもしかしたら“災いの星”の象徴かもしれない、というようにも見えるんです。どれも(コロナ以前の)旅行中に偶然撮れた写真ばかりなんですけど、そういう予知的なところもこのアルバムには込められているので、内容とシンクロしたアートワークに仕上がったなと思います。今回は本当に最高傑作だと思いますね。毎回そう思うんですけど(笑)。過去25年で最高のアルバムです。だからあと25年は続けないと(笑)。そう決めています。

――その頃になると、お子さんと一緒にバンドをやっていたりして……。将来は音楽をやりたいということを言ったりはしていませんか?

S:それがあんまりないんですよ(笑)。今はティーンズ・ファッションの方に夢中で。今時のブランドものの服がほしいとか、そういう感じですね。まあ、将来がホント楽しみですけど、ユーチューバーだけは勘弁してほしいですね(笑)。

<了>


前編はこちら>

渚にて Official Site
http://www.eonet.ne.jp/~org-records/top2.html



渚にて

ニューオーシャン

LABEL : ORG RECORDS / P-Vine
RELEASE DATE : 2020.11.18


購入はこちら
Tower Records / HMV / Amazon / iTunes

関連記事
【INTERVIEW】
「“あらかじめ決められた”演奏が自分にできるのか?できないのか?……みたいなものに挑戦していく」
結成25年を迎えた渚にて・柴山伸二ロング・インタビュー<前編>

http://turntokyo.com/features/nagisa-nite-interview-1/

【INTERVIEW】
「1975年まで世界を半周し、クレイジーなアナーキストになり、 6年間アンダーグラウンド映画の制作に携わり、修道院に住んだりトラックで生活したりしていたんだ」
アンソニー・ムーア(ex-スラップ・ハッピー) 再発された幻のソロ作『Out』を語る

http://turntokyo.com/features/anthony-moore-interview/

Text By Shino Okamura

Photo By 竹田雅子

1 2 3 30