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「どうでもいいことを一生覚えていよう」
neco眠るなど様々なバンドで活躍する
おじまさいりによるソロ名義
くまちゃんシールが発する宛てのない「好き」が導く“今”

05 July 2023 | By Daiki Takaku

形態やジャンルを問わず、ときおり音楽の中から、かすかに、でもたしかに聞こえることがある。失われた物、人(感情)、時間、場所の慟哭のようなものが、嗚咽のような何かが。制作者本人がどう思っているかはさておいて、くまちゃんシールことおじまさいりによるセルフタイトルのファースト・アルバムからも、そういった声が聞こえてくると思う。

唐突に抽象的なことから書き始めてしまったが、もしくまちゃんシールとは何者なのかを真っ先に知りたい方はぜひインタヴューの本編から読んでいただくとして、話を続けよう。

象徴的だったのは取材中におじまが何度も「好き」という言葉を口にしたこと。このファースト・アルバムはアンビエントやニューエイジと呼ぶことのできるサウンドで、おじま自身のワードレス・ヴォイスや歌詞のあるヴォーカルも含まれる、少々異質なポップ・ミュージックと言えるが、おじまにとってはそれは自分の「好き」の結晶に過ぎないらしいのだ。つまり本作は、“ポップ”という言葉の定義によるが、もし大衆に向けたものと定義付けるなら、その意識はほとんど無い、表現を変えれば「社会性のない」、個人的な「好き」の詰め合わせだと。それは現状のポップ・ミュージックの中にあって、はっきり言って異常かもしれないし、これまでおじまがさまざまなインディー・バンドでキャリアを積んできたことを鑑みれば奇跡的なことなのかもしれない。

今回のアルバム・リリースの発端にある大阪の《エム・レコード》を主宰する江村幸紀は、おじまの作る音楽の異常性と価値をいち早く嗅ぎ取った人物であり、それを伝える使命感すら抱いた人だろう。その異常な音楽の核を残しながら、如何に多くの人へと伝えるか。Le Makeup、Takaoの二人にアレンジの協力を要請したのもそういった意識からだと容易に想像できる。

もしかすると、誰かに鼻で笑われてしまうような「好き」、笑われずとも気にも留められない「好き」。そんな「好き」を大切に大切に抱えて生み出した「好き」の記録である『くまちゃんシール』から湧き上がる情景の数々は、ふわふわと聴く者の持っていた「好き」を思い出させていくはずだ。わたしにとっては、例えば、終わることのない工事が昼夜音を立てる駅前にあった、特段美味くもなく安くもない中華屋の店主の口調。管理者を無くして荒れ果て、誰も足を踏み入れなくなった山林で嗅いだ雨のあとの蒸した匂い。そこによく咲いていた、名前のない花の色。開発。生産性の向上。合理化。せわしなく過ぎていく日常の中で、それらが良い悪いでなく、ただ仕方ないとどこか割り切って捨てた「好き」。自分だけが感じていたのかもしれない「好き」。あのとき、言葉にしていれば、行動にしていれば、今もまだ残っていたのかもしれない「好き」。

これはきっと郷愁であり、反省でもある。だが同時に、この『くまちゃんシール』から聞こえる、誰に宛てたでもないたくさんの「好き」という声は、またこの手からこぼれ落ちていこうとする「好き」を抱きしめるように、慈しむように、必然的に「あなたはどうする?」という問いかけを宿しながら、私たちを“今”へと導いている気がしてならないのだ。
(取材・文/高久大輝)



Interview with Kumachan Seal

──まずはくまちゃんシールことおじまさいりさんのこれまでついて伺えたらと思います。おじまさんのキャリアのスタートはどこだったんですか?

くまちゃんシール(以下、く):そもそもEmerald Fourというバンドが最初なんです。Emerald Fourに入っていて、自分でも何かやりたいと思い始めて、ラブリースヌーピーラブ(LOVELY SNOOOPY LOVE)というバンドをCASIOトルコ温泉と同じメンバーでやっていたんです。それと平行する形でCASIOトルコ温泉もやり始めて。そういうことをしていたらneco眠るに誘われて、という流れで、気がついたらこんな感じに。CASIOトルコ温泉のブッキングが多くなって、もともとやっていたラブリースヌーピーラブの方のブッキングは減っていって、だから自分で作ったCASIOトルコ温泉に馴染まない曲をやるところが欲しくて。ソロ名義としてくまちゃんシールを始めた感じですね。だけどずっと場所だけ作ったまま、そこまで頻繁に活動していませんでした。

──Emerald Fourのヴォーカリストとして注目を集めていた印象があります。

く:Emerald Fourは、もともとラリーズのコピーとかをやる、歌のないバンドだったんですけどね。入って半年くらい経ってからわたしが歌うことになって。2011、12年くらいですかね、Emerald Fourの最初のアルバムは歌っていたと思うので、そのあたりから歌うようになりましたね。ラブリースヌーピーラブはもちろん歌っていたしCASIOも歌っている感じですね。

──neco眠るにはキーボーディストとして参加しています。

く:あんまり自覚がないんですけど(笑)。気づいたらキーボーディストになっていて、「ヤバいな」と(笑)。

──neco眠るは去年で20周年とキャリアの長いバンドですよね。

く:わたしが入ってからはコロナで止まっていた2年くらいも含めて5年ほどですけど、neco眠る自体は長いですね。ゆっくりいる感じです。

──そもそもおじまさんの音楽のスタート地点は合唱団だったんですよね?

く:あー、そうです! だから歌がはじまりですね。一応ピアノも習ってはいたんですけど、全然弾けなくて。両手を動かすのがダメで、あんまり楽器に向いていないなと思いながら。大人になっていってシンセサイザーとか、例えばカシオトーン(Casiotone)とかは自動演奏の機能がついていて、一つボタンを押したらいろんな幅の広い音が出るし、シーケンサーやドラムマシンもそれくらいのタイミングで知って。押したら鳴る機械をずっと触っていられることに気づいたんです。そこから自分でもできるかもなと。機材を見た目がかわいい、色が赤いという理由で選んで買って、そこからですね。キーボードをやるぞというより、「音が押したら鳴る機械、すげえ!」みたいな感じで(笑)。

──ラブリースヌーピーラブが自分から組んだ最初のバンドですか?

く:自分でメンバーを集めて組むぞとなったのはラブリースヌーピーラブからですね。矛盾するんですけど、ラブリースヌーピーラブではギターヴォーカルがかっこいいなと思ってギターヴォーカルをやっていたんですけど、ギターは弾けないんです。それも《CASIO》から出ているカセットテープの入るギターがあって。ギターを練習するためのギターというか。あれを使っていて。あ、あとからちゃんとしたギターを買ったんですけど。それも、音がしっかりしていないものが好きで、そういうのができたらいいなと思って使っていましたね。

──チープな音を求めていたと。

く:町の放送とかあるじゃないですか、行方不明のおばあさんを探すときや、盆踊りだったりで使われる、ああいうスピーカーの音が好きで。あとは古いサウナで音楽やラジオがすごくヨレヨレで流れていたりするところがあったんですけど、そういう感じが好きで。そういったもののリヴァーヴ感というか、ローファイ感のようなものを自分でできたらいいなと思っていて。Emerald Fourのメンバーはホンモノ志向というか、「俺はやるんだ!」というタイプだったから、わたしは「ああはなれないしな」と思って、それもあって自分は何が好きなのか探ったときにやっぱりそういうものにたどり着いたんです。千紗子と純太の千紗子とバイト先がいっしょだったから誘って。今は抜けちゃったけどCASIOトルコ温泉にはシンセ先輩という子がいて、その子はめっちゃキーボード弾けるからその子とベースの子といっしょに始めて。

──CASIOトルコ温泉の音楽はシュールというか、ユーモアのある表現ですよね。

く:CASIOトルコ温泉は事故的に始まったんです。ラブリースヌーピーラブのライヴにメンバーが来れなくて、千紗子とわたしで、何が好きか話し合った結果、カシオトーンが好きってわかったから何かやってみることにして。あんまり音楽のジャンル名はわからないんですけど、レゲエとか尻を振る音楽が二人とも好きだなってことで音的にはそっちに寄りつつ、シュールに寄せようという気はなかったですけど、勝手にシュールになりましたね。各々のすきなものを持って集まったらああなった感じで。

──現在はSummer Eyeにもサポートで参加していますよね。

く:Summer Eyeのバンドセット(Summer Eye Sound Syndicate)のキーボードをやってます。今月は自分のライヴも合わせて6本あって。去年くらいからライヴ的にはコロナが明けていると思うんですけど、でも月に6本とか、そういうの久しぶりだから「あーやっちゃったな、ライヴめちゃあるな」と思いつつ、ライヴいっぱいで嬉しい感じです(笑)。

6月23日のソロ・ライヴより

──ソロの話に戻すと、どのバンドの音楽にも合わないものとしてくまちゃんシールの名義があるということですね。

く:分けたいんですよね。一個に全部詰めるという感じが今もあんまり好きじゃないんで、トーンが違うなら分けた方がいいんじゃないかなと思っちゃう。

──くまちゃんシールは2013年くらいから活動を始めています。

く:でもほぼ何もしていないというか、曲を作って名義だけあるという感じで、ライヴもほとんどしたことが無いです。飯島くん(飯島大輔)がやっている《hoge tapes》から出すくらいまでは、SoundCloudに3ヶ月に一回曲をUPするかどうかくらいの範囲でしか動けていなくて。だから2013年からやってはいるけど、逆に6年くらい前に関東に越してきてから、2017年くらいからもう本腰を入れて少しやりだした感じで。

──《hoge tapes》からリリースした『朝昼兼用』以外にも、Bandcampなどで『焚き焚き』『まにまに』といった作品をリリースしていますよね。今作にはそういった作品やSoundCloundで発表されていた曲をアップデートしたものが多めに収録されています。

く:《エム・レコード》から声をかけてもらってこのアルバムを作ることになったのが4年前くらいで、それもカセットに入っている曲も入れていいってことで話は始まったと思います。だから比較的「スピーディーにできるんじゃない?」という雰囲気だったんですけど、声をかけてもらうちょっと前にわたしのパソコンのデータが全部消えて。サルベージできたところもあるんですけど、『朝昼兼用』のデータはほぼほぼ無くなってしまったんです。結局イチから作ることになって、間延びして間延びして今になっちゃった。ライヴでは新しい曲をやっていたりするので、自分的にもアルバムの曲はたしかに前に作った曲という印象が拭えなくは無いんですよね。

──Le Makeupさん、Takaoさんとの共作はそのイチから作ることになったときから決まっていったんですか?

く:実は計画的なことはあんまり無く(笑)。途中までバーっと自分だけで作っていたものは、《エム・レコード》の江村さんから見ると「デモ感から抜けていない」みたいで。くしゃくしゃなまま出しちゃっていたのはわかっていたんですけど、わたしはそれで完成だと思っているんです。でも江村さん的には「くしゃくしゃなままではちょっと……」という感じで、ちょうどLe Makeupさんが『微熱』を《エム・レコード》から出した時期で江村さんと交流があって。「(二人は)合うんじゃない?」と江村さんがそのタイミングで閃いて。だから最初から考えていたというよりは、流れでそうなっていったんです。Takaoさんも似たような感じで「これはTakaoさんに相談してみよう!」と。だからLe Makeupさんともやってもらうまでに1回しか会ったことがなくて、話したこともほとんどなく、だから全然知らないまま始まって「ごめんなさい!」という感じです。

──Le Makeupさんの『微熱』は聴いていましたか?

く:話題になっていたので聴いていたけどめっちゃ聴くような感じではなくて。わたし、歌ががっつり入っている曲は聴かなくて、だから元々ラップとかもあんまり聴かないんですが、存在は知っていたし、「おー、すごい人出てきたな」とは思っていましたね。そんな感じだったのですが、実際にライヴを観たらすごく良くて。

──Le Makeupさんとの作業はいかがでしたか? ヴォーカルの雰囲気だったり、同じ曲で既に発表しているものと聴き比べると大きく変わっています。

く:わたしは割とこもった音で録ってしまうというか、全体をちっちゃくする癖があって、そういう悪癖があって、ちゃんと録れていないことがあったんですけど、Le Makeupさんはマイクも貸してくれて。録ったのは自分なんですけど、Le Makeupさんは歌に想いのある人だから、その辺は気を遣ってくださって。

──Takaoさんの作品は聴いていましたか?

く:Takaoさんの音楽も……。気づいたら「これそうだったんだ!」というのはあったと思いますね。でもあまり知らなくて、お名前と雰囲気だけなんとなく知っていて。会ったこともなくて。

──Le MakeupさんとTakaoさんとの作業は別物でしたか?

く:全然別物ですね。ほとんどの曲をLe Makeupさんがやっていて、かなり終盤くらいに1曲だけ違う人にやってもらおうとなって、それだけTakaoさんに丸投げした感じです。だから全く別で、Le MakeupさんとTakaoさんもこれに関しては交流の無いままで。「CHINA​珊​都​異​知」だけTakaoさんで、あとはLe Makeupさんがやっています。

──この曲はカセットにも入っていた曲ですよね。

く:全然違うものになってるんですよね、その曲だけ原型を留めていなくて。「おー!」ってなりながら。

──Takaoさんとの作業の印象はいかがですか?

く:美容師さんのように「ここ軽くしておきました」みたいな感じで「ここは違う位相になってるから」とちゃんと言語化してくれる感じ。neco眠るにもそういうタイプの人がいないし、あとメールのスピードがめっちゃ早いからそれも驚きましたね。仕事が早くて、もともとこういうことをやっているんだろうなという印象をメールから強く感じました。

──なるほど。

く:もし今回の作品を例えるなら、わたしがくしゃくしゃに作った折り鶴を江村さんを介してTakaoさんとLe Makeupさんが折り直してくれたアルバムだと思っているんです、わたしの感覚的には。

──おじまさんからすると完成品を投げているから、あとは勝手にやってくれと(笑)。

く:正直そういうところはあって(笑)。こんなに音楽を作ったり、たくさんバンドにも入ったりしているのに、「ここはこういうアレンジにしたいよね」とか言うのが苦手で、わたし。

──それは思っているけど言わないんですか? それともそこまで言語化しないようにしているんですか?

く:いや、言語化できない感じですね。今、この時点だったらもうちょっと何かできるかもしれないんですけど、わたしはずっと音楽自体をかなり混乱しながらやっていたんです。うまく言えないですけど、混乱して作っているなと自分でも思っていて。何かを作っているときに他人に説明したりするのがあまり得意じゃないし、制作途中は、それを他人を巻き込んでやるのが怖くなっていて。コロナも重なってメンタルも変になっていて、ちょっと被害妄想めいたところも出てきてしまって。「どうせ仕方なくやってんだろ」みたいな。拗ねてというか、おかしくなっていて。乱暴なことをしていたなと後から反省しましたね。本当だったらもっとゆったり「こうしてほしい」とか、「どう思いますか?」とか聞いてやれたと思います。反省をこんなとこでしちゃってどうするんだって感じですけど(笑)。

──ではアレンジが返ってきて、そこからさらにラリーすることはなかったんですか?

く:何回かあった曲もあるんですけど、基本的にわたしはすでに完成だと思っているから。あまりにも整理されすぎて返ってきたら「ちょっと整理されている」とは言った気がします。でもLe Makeupさんはほとんどそういうことはなくて、コアになるくしゃくしゃな部分はちゃんと残して、そこにうまいこと音を乗せてくれていて。江村さんも癖のある人だから、Le Makeupさんに独特の表現で、要約すると「汚してくれ」みたいなことを言ってくれていたんです。たぶんLe Makeupさんがもっと本気を出したらもう少し整理されたものにできたはずなんですけど、わたしの作品だしこの辺のくしゃくしゃ感は残すんだなと察してくれていて。でも雰囲気を一個上に上げるイメージでは作ってくれて、だから返ってくるたびに「すげーな」と思いながら。

──江村さんを経由してのやりとりだったんですね。

く:三人でラリーしている感じでした、わたしと江村さんとLe Makeupさんで。だからわたしとLe Makeupさんの二人が「いいな」と思っても江村さんが「うーん」となってもう一回揉むようなこともあったり。本来自分がやらなきゃいけないことだと思うんですけど、手伝ってもらった感じです。わたしだけで作っていたら絶対できなかったものはできましたね。自分ができる範囲のことしか自分はしないから、だからちょっと一個上のことをする意識というのを始めてもらいました、他人から。CASIOトルコ温泉も、neco眠るも緩いし、Emerald Fourも割と緩かったから、「できないなら仕方ないじゃん」という感じがあったんですけど、自分のやりたいことを自分だけでやっても、出られない枠のようなものがあることにちゃんと気づきましたね、やっと(笑)。

──別のバンドだと巻き込まれる側のことも多いですよね。

く:たしかに、巻き込まれる側ですね。これも巻き込まれたと言えば巻き込まれたんですけど(笑)。

──歌のあるものはあまり聴かないとおっしゃっていましたが、今作は音としての言葉も含め歌、声の比重は大きいです。歌と音としての声を扱う上で意識していることはありますか?

く:意識しているつもりはないんですけど、もともと重たいものがあんまり好きじゃなくて。音もいわゆるアンビエントの発想なんですけど、シーンがあって、音楽がある方が好きなんですよ。本を読むために聴くとか。音楽だけを聴くっていう感じ、特にイヤフォンをして真剣に聴くのがダメで。ながらで流れていて、全部が合わさって、良い空間になるのが好きなんです。食べ物とかもそうで、美味しい店というよりは自分の中で気に入った場所にあるちょっと美味しいくらいが好きみたいな。歌うのはやっぱり好きだし、声を乗せたくなるから入れるんですけど、歌詞を書いちゃうとそこに意味が出てしまって重くなっちゃうから。それがなんとなくあまり好きじゃなくて、自然と避けてしまったというのはありますね。ライヴとかしてると歌詞のある曲の方が演っていて楽しくて、歌うのってやっぱり楽しいから、思っていることとかを乗せて歌うのは楽しいんだけど、さっき言ったように聴く側になったときにそういうものがあんまり好きじゃないから、声と歌との関係みたいな部分は、今になって考えていますね。どうしていきたいかなって。本当に探り探りで。みんなそんなつもりないと思うけど「このジャンルでやるぜ!」みたいな感じが無いままだから。プレイヤー(演奏家)じゃないし、こういうミュージシャンになりたいとかも強く思ってこなかったから、なんとなく自分の中でこういうトーンという落とし所はあるんですけど、それって色味というか、青っぽい感じにしたいとか、そういう音じゃないものになっているし。

──歌詞がある曲でも抽象的ですし、空間的に流れているものを意識しているというのはアルバムを聴いていてよくわかります。ただ、ラウンジ・ミュージックではないですよね。見せたい情景というか、おじまさん自身が曲に対してしっかりイメージしているものは確実にあると思うんですが、曲ごとに思い描くシーンは違っているんですか?

く:わたしが通して持っていたイメージは冬とかに家でうっかり寝ちゃって、パッて起きたらめっちゃ暗くて、仕方ないからお湯を沸かそうと思って、暗い部屋の中でガスの火だけがポッと点いている、とか。今住んでいるところは海が近いんですけど、誰もいない海に木だけまとめて捨ててあったりする、そういう感じとか。割と夜寄りの夕方で一人みたいなシチュエーション。でも「狼の庭」という曲だけ、激しく生きている人もイメージしていて、トー横キッズ的な、駅で出産しちゃう子とか、明日死ぬつもりかっていう、刹那的な生き方をしている人もイメージして作りましたね。

──たしかに「狼の庭」からは切迫したニュアンスを感じます。

く:自分の中ではコンカフェの控え室とか、歌舞伎町で誰が契約したかわからないマンションの一室の溜まり場とか、ああいうところにいる人のイメージで作りました。そういう友達はいないから勝手なイメージで作ってますけど(笑)。なんというか、すぐ死ぬじゃないですか。長く生きるつもりのないものの一つの情景として、それが好きなんだと思います。ごちゃごちゃした控え室が好きなわけじゃなくて。

──破滅的なニュアンスのある情景ですね。

く:そうそうそう、ホストに800万貢いじゃうのとかといっしょで、かっこいいという感覚ではなく、惹かれるんですよね、そういう話に。それ自体は真剣そのものじゃないですか、マジで。みんな笑うかもしれないけどそれ自体は非常に真剣なことだから、「すげーな」って。しかもそういう真剣さってオモチャみたいな形というか。舐めているわけじゃなく、本当に会ったことはないからわからないけど、歪で、真剣な感じというのが、グッときてしまうんですよね。

──インダストリアルな感触のビートもあります。

く:もともとわたしの実家が精米機があるタイプの米屋で、自分の中の音の好みに、そういうリズム感のある機械の音が好きで、そういう部分が入っちゃっているらしくて。あと、今はそこで働いてないですけど、工場街の中の売店で働いていたことがあって、そのイメージはたしかにありますね。

──他にもラテン・ミュージック的なパーカッションもあったりします。

く:ちゃんと体系的にこういう音楽が好きっていうのはわかっていないんですけど、たぶんラテンっぽいリズムは好きらしくて。ディズニーの映画のVHSを小さいときめっちゃ観ていたんです。『三人の騎士』だったかな、それがめっちゃラテン・ミュージックなんですよ。気づいたら、あんまり詳しくないけど好きですね。あと乾いたポコポコいう音が好きです、ボトムの効いた音が全体的に苦手で、なんとなくですけど、中音のギターの低い音とか、スネアでもパッじゃなくてドッていう感じとかはあんまり好きじゃない。割と軽めのタム的な音を入れたくなると選んじゃうというのはありますね。だから好みが偏っているんです。それで選ぶ音もそうなっちゃう。

──曲でいうと「晩夏」は呪術的な雰囲気もある中でインダストリアルさとラテン・ミュージックの要素をどちらも感じました。

く:あれはわたしの中で成功した感じで。「晩夏」は本当にわたしの音の好みで作っていますね。electribe(《KORG》のシンセサイザー/シーケンサー)を使っているんですけど、electribeを押してできたリズムに足していって。この曲は歌詞の乗ったヴァージョンもあったんですけど、わたしかLe Makeupさんが無くしちゃって。でももともと鼻歌の方がいいなと思っていたからこれでいいかなと。

──曲を作るとき記憶の中にある情景を探っているようなところもあるんでしょうか?

く:結局、気づいたらそうなっていますね、不思議なもので。そういうものをアウトプットしたいとずっと思っていたと思うんです。自分の好みで溜まっていたものを出しているのかもしれないです。

──サウンドの統一感はありつつも後半にはダンサブルな曲もあり、バリエーションが多彩なアルバムですよね。そんな今回のアルバムをセルフタイトルにしたのはどうしてですか?

く:いや、めっちゃアルバム・タイトルをボツにされちゃって(笑)。さっきから反省を口にしがちですけど、こんなに長い時間を掛けて自分の作品を作ったのは初めてで、一番最初にコアにしたアルバムのイメージをメモしたりしていなかったから、ちょっと落としているんです。そういうアルバムの芯になりそうな言葉を拾えなかったんですよね、わたしが。だから、そういう意味でいうと、おっしゃっていただいたみたいに自分の中でもショウケース的ではあるから、だから衒わずにそのままつけるのがいいかなと思ってセルフタイトルになった感じですね。本当はタイトルをつけるのが結構好きだから、つけたかったんです。曲を作ってタイトルを付けるのが一番楽しい(笑)。でもアルバムタイトルは難しいですね、なんでも分けるのが好きだから、逆に分けたものが集まったときの名前を付けるのが苦手だったのかもしれないです。これから先アルバムを作ってもいろんな味を入れるだろうから、『くまちゃんシール2』とか『くまちゃんシール3』とか付ける可能性が大いにありますね、このままいくと(笑)。

──ボツになったタイトル案を聞いてもいいですか?

く:火を石で点ける『火打ち石』がいいかなと思っていて。母の地元が火打岩(ひうちわん)というところで、だからひらがなで『ひうち』っていうのもいいなと思っていたんですけど、全部微妙に覚えにくいってことでボツになって。良いと言ってくれる人もいたんですけど、江村さんのOKが出なきゃ出せないから(笑)。

『くまちゃんシール』Back Cover

──曲のタイトルでいうと「羹(あつもの)」の英訳が“Soup”というのが面白かったです。そこはストレートなんだなと思ったりしました。

く:そう、あれを説明すると長くて、「羹(あつもの)」って羊羹の羹(かん)じゃないですか、だからわたしは羹は煮こごりのことだと思っていたんです。固まったスープだと勘違いしていて。荒木飛呂彦が書くような、人を刺したら煮こごりになるみたいな気持ち悪いもの、人の煮こごりのようなものを想像していたんです。羊の羹とか書いてあるし、肉が入っているからグロテスクなイメージになってしまって、蓋を開けたらそんな料理じゃなくて、ただのスープなんだなって知って。わたしの中で羹という食べものがなくなった瞬間だったから、無くなった瞬間をタイトルにしてそのままSoupを英訳でつけて。

──そもそものところですが、なぜくまちゃんシールというアーティスト名にしたんですか?

く:昔シモジマという大阪にもある店舗用品とか紙袋とか文房具を売っているお店で働いていて。めちゃくちゃ忙しくて、グリーティングカードやシールも売っているんですけど、それを補充しているときに疲れすぎて、このわたしが補充している熊のシールをわたしは一生好きな気がすると思って。疲れている頭でそれを考えていると、その瞬間にめっちゃテンションが上がって。こういうどうでもいいことを一生覚えていようって、くまちゃんシールっていう名前にしました。思いつきで刺青を入れる感じというか、「うどん」と書いてあるから「うどん」って彫っちゃうみたいな。でも実際にそのときは具体的にそこまでは考えてなくて、テンションのままくまちゃんシールにしましたね。「これでイケる!」という謎の確信があって。

──まさに作っている音楽に直結するお話ですね。

く:そうですね、そういう瞬間みたいなものって捉えるのが難しい。他人に伝えても、自分の熱量ほど他人には伝えられないから、そういうものをなんとかして持っておきたいという欲はたしかに自分の中にめちゃくちゃあって。「コレいい!」と思うけど他人に言っても「ふーん」となるようなものを記録している感覚はくまちゃんシールにはありますね。

──言い方が変かもしれませんが、このアルバムは人に向いていない感覚があるんですよね。

く:あ、すごく言われます、それ! 記録っぽいと言われました。別のインタヴューを受けたときも手芸みたいと言われて。うまいこと言うなと。

──例えばLe Makeupさんの作品の場合はもっと人に寄っていますよね。

く:そうなんですよね、取材をされるまで無自覚で。自分のこれまでのつまずきだったりもたぶん直結しているんだと思います。たぶん対人という感覚がやや薄いんですよね、わたし、わかんないんですけど。この前のSummer Eyeのライヴでも思ったんです、まあミスもあるんですけど、わたしが一番ダメだったのは音量で、それが一個象徴している気がしました。対人、他人というものとの距離感がこの歳でわかんないんですよね。それが結局作るときにも出ているのかもしれない。

──音量というのは具体的にどんなことですか?

く:単純に聞こえないというか。PAさんの関係とかもあると思うんですけど、家でめっちゃ練習して、調整して持って行っているはずなのに、どっかやっぱりできていないってことだから。そういう注意力とかないんじゃないかなって。マジで足りていないから、こんなにいろいろやっているのに。ちょっと聴かせるつもりみたいなものがないんだなとちょっと反省しましたね。あと夏目くんという人のライヴに対する姿勢が今までわたしがいたバンドと全然違うから。人に聞いてもらう、こういうライヴにしたいという強い気持ちがある人は初めてで。「こういう風に観て欲しい、楽しんで欲しい」というのはあるけど、やっぱりCASIOトルコ温泉とかはみんなやけくそでやっているところもあるから。あんな強い気持ちでライヴしている人は初めてで、そういうのも重なって思ったのかもしれないです。

──それが作家性とも言えそうです。

く:そう思うしかないですよね、無い物ねだりなので。あと取材受けていて思ったことで、わたし、音楽に恩がないんです(笑)。特にポップ・ミュージックに恩がなくて、やっぱりそういう気持ちがあるから音楽やるじゃないですか、「バンドしよう!」とか。そういう感じでここまでこなくて、不思議なままずっと続けていて。でもやりたいという気持ちは本当だから、でも恩がないんだなっていう寂しさはずっとあって。

──いわゆる「音楽に救われた」というような。

く:そうそう、あと感謝みたいなことも。今やっていること(作ること)は繋がっているはずだし、わたしも精米機が好きとか、音の好みはありますし、好きなミュージシャンだっているけれど、みんなみたいに恩は持っていないんですよ。他に対してそんな感じだから、もうこういう風に行くしかないんだなという、やっと吹っ切れた感じがします。今までくちゃくちゃと考えていて、Emerald Fourの人はホンモノ志向というか、割と恩があるタイプの人で、こうなりたいんだという想いが強くある人だったのにも当てられていたし。

──それに気づいたきっかけはあるんですか?

く:いつだろう。薄々はずっと感じていて、言葉になっていなかった感じでした。ちゃんと好きな音楽とか、ライヴで好きな感じとか、行きたいイベントもあるんです。でもneco眠るの伊藤さんがLOUD PARKに行って盛り上がる感じとか、わたしは無いなと思って、勝手に寂しくなって、それに急に気づいたんです。「あ、恩がないんだ、わたし」って。あとは最近neco眠るでアルバムを作ったときですかね。neco眠るはみんなで考えて作るんじゃなくてメンバーの誰かがガッツリ作ったものを演奏するタイプなんですけど、Biomanが曲を作るスピードが早くなっていて、彼から11曲くらいすぐ作って送られてきたときにも感じましたね。だからアルバムの完成と最近のneco眠るの活動の中でなぜか気づきましたね、恩がないって。でも前はそう思うのも怖かったんですけどね。

──音楽を景色の中で捉えているからですかね。

く:わたしは本を読みながら、電車に乗っていて、音楽を聴いていて、全部が合致する感じが好きです。読んでいる世界観と、パッと顔を上げたときに自分がいる場所の感じと、それが耳で鳴っている音楽と合っている瞬間みたいなことがあると一番嬉しいですね。複合的なもので、音楽一つで成り立つという感じじゃなく、いわゆる映像と相まってすごいとかそういうことでもなくて。ライヴは別ですけどね、観るところがいっぱいありますし、変な人も絶対いるし。

──言葉がない方が好きなのもそういうことですよね。

く:散漫とも言うかもしれないですね、一つに集中していられないというか。たぶん自分で組み合わせるのが好きなんだと思うんです。そのまま受け取るよりも、これとこれとこれって合わせるとちょっと曖昧に大きな形なるし、自分で組み合わせているからちょっと自分だし、というのが好きなのかもしれない。

──それを音楽にしているから逆に「ながら」で聴くものではなくなっているという。

く:今作はそうなっていますね。あとやっぱりちょっと誤解を招くかもしれないけど、傷つけたいみたいな言葉も散りばめている気がします。言葉のある曲は、正しい表現をまだ自分でも見つけられていないですけど、近い言葉で言うと傷つけるつもりで書いてます。特に「ペディキュア」や「芦毛の馬」はこのアルバムで作った曲だったから、そういうところはちょっと強いですね。

──どうして傷つけたいんですか?

く:たぶんですけど、結構わたし惚れっぽいタイプで、1年に1回は告白するような。もう結婚してから全くないですけど。そういったことの延長な気がしますね。相手に対して優しくしたいという気持ちもあるけど、やっぱり恋愛で片思いしているとき傷つけたい気持ちもちょっとないですか?

──なんとなくわかります。

く:片思いしていたときのことを薄っすら思いながら書いているから、その傷つけるニュアンスが入ってくると思うんです。うまく言えないな、うまく言えなかったです。

──それはおじまさんが描いている情景が発しているものなんですか? それともおじまさんが聴く人に対して直接訴えているものですか?

く:そこまで考えていないですね。何かポエティックなことを文字でやりたいと思ったとき、そのニュアンスを入れたくなるんです。だから聴いている人に直接は加害者意識がなくて、自分の思う素敵なものの中に、恋愛で傷つくというニュアンスがあって。だから入れたいんです、きっと。そういう感情が綺麗だと思っているんですよね。綺麗なものだから文章に含ませたい。それを「好き」「愛してる」と入れるとふわって消えちゃうから、違う言葉に置き換えて入れようとしているんだと思います。

──好みなんですね。

く:そう、そんな言葉が好きです。

──今作に影響を与えた作品はありますか?

く:ポコペンさんのやっているさかな(SAKANA)というバンドの『夏』(1991年)というアルバムだけすごい好きで。エマーソン北村さんがプロデュースしている作品なんですけど、その歌詞や曲が短い感じとかが自分が思っている世界観とぴったり合っていて、音でわからなくなったら聴いたりしていましたね。Peaking Lightsというバンドも好きで、二人組の夫婦でやっているダブっぽいバンドで、音がカシュカシュの。それも好きだったから制作の最初の方はたぶんよく聴いていましたね。

──『夏』の歌詞も影響しているんですね。

く:変身キリンじゃなくてそれなのって思うかもしれないですけど。80年代、アーント・サリー(Aunt Sally)とかの時代のイメージですかね、ああいう時代にありそうな感じの歌詞。アーント・サリーもそうですよね、作っているときはちゃんと聴いてなかったけど。ああいう歌詞です、怖いというか。

──詩情のある?

く:そう、詩情があって、ちゃんとそれが曲に対して機能しているというか。さかなの『夏』はめっちゃ短いんです、曲が。あっさりしていて、そういう感じもわたしは好きで。

──音楽以外で影響を受けているものはありますか?

く:映像はあんまりですかね。つまみ読んでいる本とかでわたしはイメージを拾ってくることが多くて。中国の纏足についての小説だったり、夏目漱石の『夢十夜』だったり、そのときどきで。コロナの期間、図書館をめっちゃ利用していたんです。文化史や風俗史の棚にある自分では買えない3,500~4,000円くらいのものを選んで。そういうところからもイメージを拾ってきていて。言葉を拾ってメモしておいたものを見てイメージしたり。

──読む小説はクラシック的なものが多いですか?

く:クラシックも漱石だけなんとなく好きで。あとタブッキとか。ちゃんと読んでないけど、つまみ読むときはよく読みますね。

──読書は日常的に続けているんですね。

く:古本を買うのが大阪にいたときから趣味になっていて。シモジマで働いていたんですけど、その上の階に天牛書店という古本屋があったんです。そこでめっちゃ古本を買うようになって、本を集める癖ができて。でも引っ越したら本は捨てちゃうから、本を集めるのはもう嫌だなと思って。図書館も良く考えれば古本の集まりだなと。それで使うようになりましたね。『斧の文化史』とか、文化史的なものも読みますね。こういうのは高いから借りたりして。こういうの探して。道具系の文化史とかあと村とか、海辺の人とか塩の作り方とかの文化史とか。小説はたしかにだんだん読まなくはなってきているんですけどね。

──文化史や風俗史のどういうところに惹かれますか?

く:ヤンキーっぽいけど好きな言葉を拾うのが好きで。“羹”もその一つですね。一個の言葉にたくさん意味が含まれているのがめっちゃ好きで。例えば羊を飼っている人の多い地域には羊に対する言葉がめっちゃあるから、羊の区別がつくとか。色とかもそうですよね、この壁をわたしは白としか言えないけど、塗装屋さんは白とは言わないだろうし。そういう言葉を一個知ると、解像度が上がったりもするし、コンパクトに情景を持てるから。だからそういう言葉を集める癖ができて。それが小説だとシーンで出てしまうから、わたしの中でイメージがデカくて。

──物語としての情景というより点で見る感覚、見たい感覚なんですね。

く:そうなんです、その辺もまた散漫なところというか。点で拾ってきて、自分で好きな言葉を並べたりするのが好きで。字のバランスとかも好きな感じがあって。

──文字そのものもインスピレーションになっていると。今作はCDとレコードでリリースされます。これは最初から決まっていたんですよね?

く:そう、一番最初に決まっていて。でも途中までレコードのレの字も出ていなかったから、全部曲が揃ってから「A面とB面で」と言われたときに「あ、本当にレコード出るんだ」となりましたね(笑)。

──実際に形のある物になることに思い入れはありますか?

く:あんまりわかっていなかったですね(笑)。リアルになってびっくりしてます、「うおー本当になってる!」って。

──ご自身はレコードを集めたりしないんですね。

く:ないですね、レコードプレイヤーも持ってないし、CDプレイヤーもない。でもやっぱり、物で残るとひょんなことから出てくるから、絶対。だから嬉しいです。

<了>

Text By Daiki Takaku


くまちゃんシール

『くまちゃんシール』

LABEL : EM Records
RELEASE DATE : 2023.6.23
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《エム・レコード》 /
Tower Records / HMV / Amazon / Disk Union


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【INTERVIEW】
Le Makeup
「どっちつかずなところが自分たらしめている」
Le Makeupが境界線上から放つ音、言葉、微熱
http://turntokyo.com/features/le-makeup-interview/

【REVIEW】
Takao『Stealth』
https://turntokyo.com/reviews/stealth/

【REVIEW】
Summer Eye『大吉』
http://turntokyo.com/reviews/daikichi-summer-eye/

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