「大掛かりな資金や高価な機材が揃っていないと刺激的なポップ作品は作ることはできないという概念に挑んでやりたい」
Eden Samaraがデビュー作『Rough Night』で示す
“Music is community”という哲学
筆者がEden Samaraを知ったのは2021年に《Hyperdub》からリリースされたロレイン・ジェイムスの傑作『REFLECTION』に収録された「Running Like That」だった。幽玄なシンセと溶け合うようにスムースで美しい歌唱。そのとてつもない存在感に魅せられ、Edenについて調べてみたが、当時は現在ほどメディアでの露出はなく、ミステリアスさを纏ったまま、EdenはParris「Sketer’s World」にも参加するなど、UKエレクトロニック・ミュージック・シーンで着実に注目を集める。そして待望のファースト・アルバム『Rough Night』を発表。日本では先日、国内限定でCD化される運びとなった。
とても抽象的に言ってしまえば、『Rough Night』は温かい音のする作品だと思う。Eden Samara本人の言葉を借りて言えば「音楽を作り続けてきた時間がそのまま音になっている」レコードである。一通り聴いてもらえば、この言葉に誇張がないことをわかっていただけるのではないだろうか。疑いようのないエレクトリック・ミュージックであり、ポップでいてエクスペリメンタル、そしてどちらの枠にも綺麗に収まることのない、人肌に触れているような質感。この音に耳を預けている間、Edenの歩みを追体験しているかのような親密な感覚に襲われるのである。
その他にない音像の正体を探るべく、本作の国内限定CDに付く解説で、Edenのこれまでのキャリアについて現時点でわかる情報を元にできるだけ詳しく書いたのでできれば手にとっていただければと思うので、こちらではかいつまんで説明するに留めておく。
Eden Samaraはブリティッシュコロンビア州ネルソンの小さな町で育ち、高校を卒業後はトロントへと移る。幼い頃から音楽に触れて育ってきたが、一時は俳優の道へ。その後、自身が音楽のために演劇に携わっていたことに気がつき、改めて音楽の道を進む中、パートナーの転勤を機にロンドンへ拠点を移し、今に至っている。ちなみにこの辺りの情報は日本盤をリリースする《Plancha》のHPからもご確認いただけるのでぜひ参照いただきたい。
また、本作の大きな特徴のひとつは、Edenのメイン・コラボレーターであるRyan Pierreをはじめ、Call Super、Shanti Celeste、TSVI、Peach、それにロレイン・ジェイムスといった錚々たるメンツが参加していることにあるだろう。加えてobject blue、ロレイン・ジェイムスがリミックスを手がけている(ロレイン・ジェイムスによるリミックスは国内限定CDのみに収録)。Edenがロンドンに移ったのは2019年。ちょうどパンデミックの直前で、パンデミックを迎えたロンドンは日本と同様にほとんどのクラブが閉鎖。そんな思いがけない状況で、Edenはスキルトレード的に交流を図っていったそう。つまり、大金を積んだわけではなく、基本的に自身のスキルによって本作に収められた多くのコラボレーションを実現していったということだ。だからこそだろう、Edenは本作のリリースに際しSNSのポストにはこう書き込まれている。
“Music is community”
コミュニティから生まれた音楽である『Rough Night』にさらに迫るべく、今回はEden Samaraにメール・インタヴューを行なった。
(取材・文/高久大輝 翻訳/竹澤彩子 トップ写真/Natalia Podgorska)
Interview with Eden Samara
──音楽制作におけるコラボレーションをとても楽しんでいるように感じます。どのコラボレーションも忘れがたいものだと思いますが、『Rough Night』を制作している中で最も印象に残ったコラボレーションについてできるだけ具体的に教えてください。
Eden Samara(以下、E):『Rough Night』でのコラボレーションは、このアルバムのために友達を結集させたようなものだから、どれも自分にとってはすごく特別で、しかもそのうちの大半がカナダからロンドンに移ってからできた友達なんです。どのコラボレーションも刺激的だったけど、1人を挙げるならやっぱりRyan Pierreになると思う。今回のアルバムの大半は2人で何年もの時間をかけて作り上げたもので。Ryanとは2人だけの共通の音楽理解があって足りないところを補い合いつつ、どちらか一方が思いついた突拍子のないアイディアをもう一人が本能的にそれをサウンドスケープに変換してくれる関係。2人でカナダにいる頃から作り始めてロンドンで仕上げたから、この何年か一緒に暮らして音楽を作り続けてきた私たちの時間がそのまま音になっているみたいですごく感慨深い。
──『Rough Night』を聴いているとベッドルームとダンスフロアを行き来しているような感覚になりますし、過去のインタヴューを読むとあなたのダンス・ミュージックへの情熱を感じます。コロナ禍でダンスフロアが封鎖されていた時期もありましたが、ダンス・ミュージックの体験はあなたの音楽にどのようにフィードバックされているのでしょうか?
E:たしかにパンデミックでクラブが閉鎖されてたけど、その代わり家でガンガンにダンス・ミュージックを聴きまくることでクラブへの欲求を満たしていた、まさにベッドルームをダンスフロア化してたってわけ! Ryanと2人で「ブッククラブ」と称して1人のアーティストをピックアップして、一晩中そのアーティストの音楽をかけて踊ったり本を読んだりしてたんです。そうしたところから常にインスピレーション源を確保しつつ、Atom TMやBaby Ford、Barkerだったりそれまでよく知らなかったアーティストを発見したり、その期間に聴いてた音楽の影響が今回のアルバムの音にも活かされています。
Photo by Natalia Podgorska──『Rough Night』について「アルバム全体として、少し洗練されていない、本物の人間がほとんど機材を使わずに心を込めて音楽を作っているようなサウンドにしたかった(I wanted the album as a whole to sound a bit unpolished, like real people making music with little to no equipment and a lot of heart.)」とあなたは綴っていて、本当にその通りのアルバムになっていると思います。この考えに至ったきっかけがあったんでしょうか?
E:そう感じてもらって嬉しい。とくにきっかけがあったわけじゃないけど、もともと自分の音作りに関する姿勢がそういうもので。ありのままの自分を表現するような音楽を作りたい……となると、完璧さなんて期待できないんです。今回、ヴォーカルに関してはレコーディングからプロデュースまでほぼ自分一人でやっていて、トライ&エラーを繰り返しながら。アルバムの大半は《Shure》製のSM27(マイク)とインターフェイスと私のラップトップとRyanの年季の入ったAbleton Pushを使って作っていて、そこに色んな友達が折りに触れて入ってきて音をプラスしてくれている。誰一人として特別な機材は一切使っていないし、みんなベッドルーム・ミュージック職人のような感じで自分達の持ってる道具で全力を尽くしたという感じ。誤解しないで欲しいんだけど、もっと色んな機材を使って本格的なエンジニアと組んでの作品作りにもいつか挑戦してみたいと思っていて。と同時に大掛かりな資金や高価な機材が揃っていないと刺激的なポップ作品は作ることはできないという概念に挑んでやりたいって気持ちもあるんです。
──元々は俳優として演劇の舞台で活躍していたとのことですが、俳優としての経験が音楽の現場や音楽制作において活きることはありますか? また俳優からミュージシャンへ転向することにプレッシャーや不安はありませんでしたか?
E:というか、最初は音楽で自分を表現することのほうから入っているんです。人生の不思議な巡り合わせで、もともと子供の頃からミュージカルの舞台に立っていて、それはそれで楽しかったんだけど、あくまでも音楽が好きだったからであって。演技はあくまでもそのついでというか、少しでも音楽に触れたいからやってたようなもので、役者としてやっていく自信もなかった。音楽は自分にとってもはや生理現象の一部みたいなものだけど、演技に関しては身体レベルで自分の中に入ってきたって感じたことは一度もないんです。だから、続かなかったんだと思う。音楽に全身全霊を集中してると自分自身が解放された気持ちになる。とはいっても、曲作りをするにあたってストーリーテリング的な視点とか曲全体の流れを意識したり、役者だった頃の経験が少し活かされてたりもしますね。
Photo by El Hardwick──トロントからロンドンへ移住したことも『Rough Night』には大きく影響していると思うのですが、クラブシーンやそのコミュニティにおいて、トロントとロンドンにはどのような違いがありましたか? また、現在あなたのいるロンドンのコミュニティがどのような状況なのかも知りたいです。
E:トロントは大好きだしものすごく愛着があるけど、ナイトライフとかクラブ・シーンに関しては残念ながらあってないような状況で、向こうでやっていくにはかなり厳しいんです。実際、フルタイムでミュージシャンとして生活できてる人はほとんどいないし、そもそも活動の場が限られているから。最近になってからトロントで新しいクラブが2店舗オープンしたらしくて、それはすごく心強いことだと思います。ただ、トロント発信でグローバルな世界に向けて音楽を発表するような雰囲気はほぼなくて、それに比べてロンドンは可能性の宝庫のようなもの。ロンドンの音楽コミュニティに関しては、今でも自分の足場を作ろうと摸索している最中です。まだまだ新参者ってこともあるし、コロナが明けてからも隠遁者みたいな暮らしをしていて、あまり外に出てなくて。それでも音楽のコミュニティはあるし、その点で言うと、世界中のどこよりも自分の肌に合ってるって感じる。基本、オタク気質だから、DJでもクラウドでも映えを意識してるようなイケイケなノリが苦手で、それよりもクィアとか引っ込み思案のオタクの人達と一緒にいるほうが安心できるんです。そういう意味で、ロンドンの《Fold》で行われている「Unfold」というイべントは特別な場所で、自分にとっての居場所みたいな感じ。ゲイのためのテクノの教会みたいな。
※「Unfold」は「NO RACISM, NO SEXISM, NO HOMOPHOBIA, NO TRANSPHOBIA.」を掲げており、チケットページ(オンラインでの販売は行なっていない)には“Priority will be given to our community, with entrance at the discretion of our door team.(私たちのコミュニティが優先され、入場は私たちのドア・チームが判断する)と付されている。
https://www.fold.london/tickets
──あなたがロンドンへ移住してからほどなくして街はロックダウンの状態になったかと思います。ロックダウンによってどのような影響を受けましたか? また、現在はどのように過ごしていますか?
E:確実におかしな時期ではあって。ただ家で大量のクラブ・ミュージックを聴くことで、できるだけクリエイティヴな状態に保つようにしていました。今回のアルバム作り以外には、《NTS Radio》で公開された“Pop Patrol”というミックステープ作りに励んでいて、それが自分にとってセラピー的な役割を果たしてくれたんです。すごくいい仕上がりになってるから、そっちもぜひチェックしてみて。最近では心と身体のケアに注力していて、少しずつショウを再開したり新曲作りに取り組んだり、自分のペースで徐々に活動しています。
──『Rough Night』でもあなたの歌声は重要な役割を担っています。EP『Days』と比べても『Rough Night』でのあなたのヴォーカルはより自由になっていると感じたのですが、この変化にはコラボレーションしてきた様々なアーティストの影響もあるのでしょうか?
E:今言ってくれた“自由”っていうのは、すべて自分1人で録音してるところから来てるんだと思う。『Days』でやっていたみたいにオートチューン加工する代わりに自分の生身の声を解禁していったんです。もともとはそのほうが多くの人にアクセスしやすいかもとかそういう発想から始まったんだけど、その生々しい音によって自分の中の何かが外れた感じで、最初に思ってたよりもアーティストとしてはるかにワクワクするような可能性が開けていったというか、この先もっとこの方向性を突きつめてみたい。自分のヴォーカルをいじったり加工したりも楽しいんですけど、ただエレクトロニックな音とどこまでも“人間的な”要素を並べることの面白さに目覚めたんです。
──《Mixmag》に掲載されたロレイン・ジェイムス、object blueとの鼎談での、女性やクィアな人々をはじめとしたマイノリティにとって、機材の量などが参入障壁になっていることついての会話がとても印象に残っています。よろしければこれから音楽を始めるさまざまな人のために、あなたがこれまで経験した困難や、それをどのように乗り越えていったのか、また周囲のサポートはどのようなものがあったのかについて教えていただけますか?
E:最初は確実にハードルが高かった。でも私の場合ものすごくラッキーなことに、地元のトロントでスタジオや機材をすでに持っている友人達がいて、しかも自分の時間とリソースを割いて根気よく私につき合って教えてくれたっていう恵まれた環境にあったから。しかも、その延長線上でロンドンに移住して自分の好きな場所で音楽を作れるようにまでなったわけで。だから、自分がこれまでキャリアを進めていく上で直面した最大の壁を挙げるとしたら、ロケーションの問題でしょうね。 それはメジャーな音楽シーンの基盤のある都市から離れたところで音楽をやってる他のアーティストからも聞くことで、ロンドンやニューヨーク、ベルリンのような音楽的コミュニティがあって第一線の人達が集まるところで活動したいと思っていても、そもそも移住のための費用や生活コストの問題もあるしね。実際、こうしてロンドンに移住する機会に恵まれて自分は本当にラッキーだったと思います。
──『Rough Night』の日本盤にはあなたの友人であり、素晴らしいアーティストでもあるロレイン・ジェイムスとobject blueによるリミックスが収録されます。このリミックスの制作に当たって、ロレイン・ジェイムスやobject blueとどのようなやりとりがありましたか? 完成したリミックスを聴いてどのように感じましたか?
E:2人が引き受けてくれて本当に感謝しています。私からのリクエストは「自分がDJしてるときにかけたいと思うような曲にして」ってことだけで、ミックスの選曲もそれぞれ本人がしていて、あとはもうただ信頼とリスペクトの気持ちから2人にお任せっていう。2人とも素晴らしいヴィジョンとユニークな解釈を加えてくれました。ロレインのリミックスはCD限定のリリースだから、CDでないと聴けないんだけど、遊び心と意外性に溢れてて素晴らしいからぜひチェックしてみて。object blueのリミックスの方はストリーミングでも配信されているからそちらもぜひ。あとこれもぜひ言わせてもらいたいんですけど、object blueのパートナーのNataliaが最高にクリエイティヴで才能のある人で、完全デジタルな『Rough Night』的ユニバースを作り上げて、ゲームをする感覚であのアルバムの世界観が楽しめるようなコンテンツを作ってくれています。『Rough Night』の世界観をPCゲームの形で楽しみたい人は私のインスタからダウンロードしてみてください。
──あなたがミュージシャンとしてキャリアをスタートさせたときと現在とで、目指している音楽は変わりましたか?
E:ものすごく変わってきてる。もともとはアコースティック・ギターでフォーク・ミュージックを作るところからスタートしていて、しかも、そっちも何気にそこそこいい感じで……もしかして、いつか何らかの形でリリースするかもしれません。ただ、今のところクラブ空間向けに音楽を作ることのほうに興味があって、その中でどこまで可能性を広げられるのか限界まで挑んでみたい。クラブはまさにカタルシスをもたらしてくれる場だし、そういう意味では教会みたいな役割を果たしてると思うから。まさにさっきの話にあったロンドンの「Unfold」みたいに。癒しをもたらしてくれると同時に激しさを体感させてくれる場でもあって、自分自身の感情を振り返って消化するための場所として重要な役割を果たしてくれていて。その意味でも、音楽的にまだまだたくさんの可能性が広がってるような気がして……その可能性をライヴという場の中で最大限に活かすにはどうしたらいいかを摸索していて、それが今のところ私にとっての目標ですね。
<了>
【購入はこちら】
https://www.artuniongroup.co.jp/plancha/shop/archives/3063?ffm=FFM_ecd03e4f1ba6b6c1a8ee61efc0f17531
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Text By Daiki Takaku