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ヨ・ラ・テンゴが描く“愚かなる世界”

11 February 2023 | By Yusuke Sawada

コロナ禍という苦難をやり過ごしながら、まだ終わりはみえないけれど少しずつ日常が戻りかけてきたなか、約5年ぶりにまたこうしてヨ・ラ・テンゴの新作『This Stupid World』が届けられた。

5年ぶりとは言っても前作『There’s A Riot Going On』(2018年)から本作の間にはロックダウン中にレコーディングされた長尺のインプロヴィゼーション5曲を収録したアンビエント寄りのインストアルバム『We Have Amnesia Sometimes』(2020年)と、奈良美智とのコラボレーションでカヴァー曲中心のEP『Sleepless Night』(2020年)の2作品がリリース。

コンピレーション作品への参加では、フレーミング・リップスやハイムなどが参加したユダヤ系のルーツをもつアーティストによるカバー曲や新曲を収録した『Hanukkah +』(2019年)、音楽雑誌《UNCUT》のウィルコ特集号の付録CDとしてリリースされたトリビュート『Wilcovered』(2020年に拡張版としてリリースされたLP)、今は亡きNYの名物レコード店のドキュメンタリー映画のサントラ『Other Music: Soundtrack From The Documentary』(2021年)、坂本慎太郎やサーストン・ムーア&リー・ラナルドも参加した詩人アレン・ギンズバーグのトリビュート『Allen Ginsberg’s The Fall of America: A 50th Anniversary Musical Tribute』(2021年)、オノ・ヨーコのトリビュート『Ocean Child: Of Yoko Ono』(2022年)ではデヴィッド・バーンとの共演を含む2曲を提供し、3年間で5枚の作品に参加。

さらにバンドのアーカイヴ・シリーズの一環としてリイシューされた『Electr-O-Pura』(1995年)と『I Can Hear The Heart Beating As One』(1997年)の25周年記念盤など絶え間なくリリースが続いていた。

多面的な魅力をもつヨ・ラ・テンゴというバンドを構成する、このようなスピンオフやアンソロジーともいえる作品も重要だけど、やはり一番心待ちにしていたのは純粋なオリジナルのフル・アルバム。

アルバムに先駆けて最初に公開された「Fallout」は90年代の名曲「Sugarcube」や「Tom Courtenay」、そして近年の「Nothing To Hide」、「Paddle Forward」、「For You Too」辺りの曲にも通じるヴェルヴェット・アンダーグラウンド、フィーリーズ、テレヴィジョン、ビッグ・スターの遺伝子を感じさせるアイラ・カプラン節のギター・ロック。次に公開された「Aselestine」はジョージア・ハブレイの優しい歌声がフィーチャーされた「Madeline」、「Take Care」、「I Feel Like Going Home」、「Weakest part」、「Cornelia And Jane」、「Shades Of Blue」などにも通じる冬の朝のひんやりとした空気感にぴったりな心地よいフォーク・ソングで、この2曲を聴いた人はヨ・ラ・テンゴらしい曲に安心感と新作への期待感を抱いたと思うけれど、これまでのどの作品とも音の質感が随分変わったとも感じたはず。

初のセルフ・プロデュースだった前作『There’s A Riot Going On』同様、本作も自身のリハーサル・スペースでレコーディングが進められたということだが、映画のサントラの作業の延長線上から制作をスタートし、瞑想的な静けさと揺らぎや微睡みを感じさせるアンビエントな要素が多かった前作とは音の質感がだいぶ異なるサウンドに仕上がった。前作ではジェームス・マクニューがレコーディング・エンジニアに初挑戦していたが、ミックスに関しては前々作の『Fade』でもプロデューサーを務めたトータスのジョン・マッケンタイアに依頼。リリース当時はこの人選にあまりスポットが当たっていなかったような気がするが、聴きかえしてみると前作1曲目「You Are Here」はたしかにトータスのような音の感触もある。空間を生かした端正なサウンドプロダクションはジョン・マッケンタイアの貢献も大きかったのかもしれないが、楽器の音の鳴りという点では少し平面的だなとも思っていた。

本作はレコーディングを終えてマスタリングする日までほとんど他者が関わることはなくメンバー3人のみで制作を行い、録音とミックスもジェームスが担当。これまでのヨ・ラ・テンゴのサウンドは曖昧な音の重なりや残響をいかした音像が多かったが、本作の前半から中盤までは『Washing Machine』以降の後期ソニック・ユースにも通じる、乾いていながらも艶のある楽器そのものの鳴りを生かしたサウンドへ変化した。今回のレコーディングではマイクを置く位置や音の重ね方など試行錯誤を繰り返していたのだろうがジェームスが相当頑張ったそうで、ギター、ドラム、ベースなど楽器そのものの音の鳴りを捉えて、その輪郭をしっかり保ったままアンビエント的な要素も流し込みつつも空間を塗りつぶしてしまわないように絶妙にミックスされた立体感のあるサウンドは見事としかいいようのない仕上がりになっている。

アルバムはレコードの片面ごとに違う表情の曲が並ぶような構成になっていて、ソニック・ユースの名曲「Sunday」(後期の名作『Thousand Leaves』に収録)を彷彿させるベースラインと変則チューニングのギターのぐにゃりとしたコード感の組み合わせの不穏な空気を孕んだ「Sinatra Drive Breakdown」で幕をあけ、先行公開された「Fallout」が続き、これまでのジェームスがヴォーカル担当の曲のなかでも異色な、アコギのアルペジオと蠢くフィードバック・ノイズのなかをファズ・ベースがグルーヴする「Tonight’s Episode」でSIDE Aが終わる。

SIDE Bにあたる4曲目「Aselstine」から「Apology Letter」まではヨ・ラ・テンゴならではの穏やかで浮遊感のある曲が続くが、B面のラスト「Brain Caspers」はインタールードのようなパートを挟んで次のサイドへの布石になるようなギターとオルガンが交錯する混沌としたムードに流れ込む。

SIDE Cではここまでの楽器の音の鳴りを生かしたサウンドとは打って変わって大胆なポストプロダクションが施されたアブストラクトなサウンドで今までのヨ・ラ・テンゴにはなかった荒廃した世界観の曲が並ぶ。『I Can Hear The Heat Beating As One』収録の「Spec Bebop」を思い出させる混沌とした荒々しいワンコードのフィードバック・ギターとインダストリアルな響きのリズムが鳴り響き続ける「This Stupid World」に続いてアルバムのラストを飾る「Miles Away」は今作のハイライトといえる新機軸。ローファイなブレイクビーツとマイブラのような時間感覚が歪んでいくようなギターが組み合わされたブリストルのサード・アイ・ファウンデーションやフライング・ソーサー・アタックを彷彿させるサウンドで、ブリアルのような退廃的な雰囲気もある。ジョージアが歌うメロディもこれまでにない歌いまわしで、これまでのヨ・ラ・テンゴからすると突然変異のようなサウンドの曲がクロージング・ナンバーとして配置されている。

CDとストリーミングはここでアルバムは終了となるが、レコードのSIDE Dにはシークレット・トラックとしてふざけて遊んでいるだけのジャムセッションのようなマテリアルが収録されている。本来ならば1LPで収まる収録時間だが、敢えて2LP仕様にしてボーナストラックを入れた理由は「いつも自分たちはこんな感じのセッションから曲を生み出しているんだよ」というヒントのような気もするし、レコード愛好者へのささやかなプレゼントでもあり、サブスク全盛の時代への密かな抵抗のような気もする。あと今回のアルバムは音の鳴りにこだわっているので、片面に収録する曲を少なくして音溝を広く深くすることで音質への影響も考慮したのかもしれない。またB面最後の「Brain Caspers」はラベル面に曲の長さが∞(無限)と表記されていて曲の最後の数秒間がストップボタンを押さない限り、永遠にループする仕様(ロックド・グルーブ)になっていて、ヨ・ラ・テンゴならではのちょっとした遊び心とレコード愛を感じる仕掛けが施されている。こういったこだわりを声高に表に出さず、さらりとやってみせるところがヨ・ラ・テンゴが愛される所以だなと改めて感じる。

まもなく結成40周年(《MATADOR》移籍からも30周年)というアニバーサリー・イヤーを迎えるヨ・ラ・テンゴだが、アイラとジョージアが出会って始めた音楽(当初はカヴァー曲ばかりだった)がここまで続いて変化していくとは本人たちも想像もしていなかっただろう。

ソニック・ユースやペイヴメント、ダイナソーJr.など他のバンドが活動初期から注目されてオルタナ・シーンの表街道を進んでいったなか、マイペースに活動していたヨ・ラ・テンゴが世間的な評価を手に入れたのはデビューから10年以上も経ってから。

ジェームス・マクニューをメンバーに迎えマタドールに移籍し『Painful』(1993年)と『Electr-o-pura』(1995年)の2作品でその後の彼らのアイデンティティともいえるサウンドを熟成させていき、USインディーの金字塔といえる傑作『I Can Hear The Heart Beating As One』(1997年)を生み出し、その次の『And Then Nothing Turned Itself Inside-Out』(2000年)では前作で大成功を収めたサウンドを踏襲せず、静かなムードの自分達だけのサウンドを新たに生みだし、『Summer Sun』(2003年)ではそのサウンドをさらに拡張したフリージャズやポストロックを消化した透明感のあるサウンドに到達。その後、デビューから2000年代前半までの楽曲から選ばれたベスト盤『Prisoners Of Love (A Smattering Of Scintillating Senescent Songs 1985-2003) 』(2005年)でいったん20年の活動を総括した彼らだが、『I Am Not Afraid Of You And I Will Beat Your Ass』(2006年)と『Popular Songs』(2009年)の2作品はピアノやストリングスやホーンを導入し様々なスタイル(モータウンやソウルミュージック、ガレージロック、サイケデリックロックなど)を取り入れ新機軸を打ち出しつつも、無意識にこれまでのギターバンドとしての集大成的なものを作ろうとしていた時期だったようにも思える。

「Story Of Yo La Tango」や「 Pass The Hatchet, I Think I’m Goodkind」(今思えばテレヴィジョンの「Marquee Moon」を下敷きにしていたようにも聴こえる)、「And the Glitter Is Gone」などの作りこまれたギター中心の長尺の曲はクオリティも高いし、かっこいいのだけど、どこか力が入りすぎているように当時も思えていた。

彼らもこの2枚のアルバムについても誇りに思っているだろうし、今でもこのアルバムからの曲は頻繁に演奏されるけれど、このままのモードで進んでいったら袋小路に入り込んでしまうと感じていたのか、実際に『Fade』(2013年)リリース時のインタビューでは「今までと違う新しいことがしたかった」と語っており、長年一緒にアルバムを作っていたロジャー・マテノからジョン・マッケンタイアへプロデューサーを変更して膠着状態を抜け出そうとしていたのかもしれない。この辺りから肩の力が抜けて再び自分達から自然発生した音楽を作り始めて他には例えようもない独自のサウンドを鳴らして今に至るというのが、ここ10年間の彼らの歩みだと思う。この頃から歌詞もサウンドも人生の黄昏時を思わせるような美しく翳りのある曲も徐々に増えてきた。

今の彼らは余計なプレッシャーもなく、現在のシーンとの距離感も気にせず、ただ自分たちの感じるままの状態から生まれてきた音楽を作っていくだけというニュートラルな姿勢が見てとれる。今回、録音からミックスまでを含めたセルフ・プロデュース作を完成させ、他者の手助けを借りず3人だけで音楽を完成させるスキルを手に入れたことで彼らの未来はますます可能性が広がったと思う。

3人だけで自分達の音楽をもっと進化させていってもいいし、新しいカラーのサウンドに挑戦してもいいし、サントラを手掛けてもいいし、彼らの魅力のひとつでもありライフワークでもあるカヴァー集を出してもいいし、誰かとコラボレーションして一緒に音楽を作ってもいい。何をしてもいいし、何でもできる状態にいるのが結成40周年を迎える彼らの現在地だと思う。
(澤田裕介《ディスクユニオン新宿インディ・オルタナティヴロック館》)

Text By Yusuke Sawada


Yo La Tengo

This Stupid World

LABEL : Matador / Beatink
RELEASE DATE : 2023.02.10


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