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「耳を澄ます」体験者として──
岡田拓郎、葛西敏彦、香田悠真が創作する“水の変容”

25 April 2022 | By Kentaro Takahashi

サウンドエンジニア、葛西敏彦が新しいレーベル《S.L.L.S Records(シルスレコーズ)》を設立。その第一弾として、岡田拓郎、香田悠真を誘い、三人の名義による三曲入りのEP『To Waters of Lethe』をリリースした。

この作品、とりわけ、タイトル曲を聴いて、僕は深い感銘を受けたのだが、以下、そのことについて文章を書く前に、ひとつだけ断っておくと、葛西敏彦は僕の個人的な友人と言っていい。音楽の現場をともにした経験もあり、彼が今回のようなプロジェクトに踏み出すことも、1、2年前からの本人の言葉から予想ができていた。ただ、『To Waters of Lethe』という作品については、特に話を聞いたことはない。音源だけをともとに、今回の原稿は書くことにしている。

『To Waters of Lethe』については、すでにメディアに一定の情報が出ている。話題になっているのは、“Sony 360 Reality Audio”という技術を使って制作された立体音響作品だということ。完成音源は2チャンネルだが、バイノーラル技術、“HPL”を使ってマスタリングされているので、ヘッドフォン、イヤフォンでの聴取では、左右・前後・上下の感覚もあるサウンドを体験できる。

僕も自分でサウンド・エンジニアリングを行う人間なので、この“Sony 360 Reality Audio”や“HPL”には強い興味を惹かれる。実際に愛用するゼンハイザーのヘッドフォンで『To Waters of Lethe』を聴いて、その立体音響には刺激を受けた。その技術的側面について、もっと知りたいという欲も持っている。だが、本稿ではそこには深入りしない。それよりも、ここではタイトル・トラックである「To Waters of Lethe」という1曲の音楽的な美しさについて、書いてみたいと思う。

今回のプロジェクトの出発点として、ソニーの“360 Reality Audio”システムを使って製作するということがあり、「To Waters of Lethe」という楽曲もそこから発想されたのは間違いなさそうだ。だが、僕の聴取体験としては、「To Waters of Lethe」という曲の音楽的な美しさは、必ずしも立体音響を前提とはしないものだった。ヘッドフォン聴取による立体音響にも魅力はあるが、リビングルームの大きなスピーカー(偶然ながら葛西のスタジオのステレオ・モニターとほぼ同じATCのスピーカーである)で聴く体験は、音場の幅こそ狭くなるものの、重低音で部屋の空気が震える中に身を置く、別の快楽をもたらしてくれる。

あるいは、ベッドに寝そべりながら、ラジカセ・サイズの小さなスピーカーで聴くのも、この音楽には似合っていた。この場合は楽器定位などはあってないような状態になる(なにしろ、少し寝返り打っただけで、聴こえ方はがらりと変わってしまう)訳だが、実はそういう聴き方も「To Waters of Lethe」という楽曲に内在するメッセージと連動しうるのではないかと思われた。聴き方は聴き手が決めれば良いということだ。

「To Waters of Lethe」という楽曲では文字通り、“水”がテーマに据えられている。楽器音や声に混じって、フィールド・レコーディングされたと思われる「水の音」もふんだんに聴こえる。「水のある空間」が表現されていると言ってもいいだろう。

レコーディングを通じて、「水のある空間」を表現するというアプローチは、考えてみると面白い。というのは、レコーディング・エンジニア的には「水のある空間」というのは、避けるべきものだったりするからだ。

水や湿気は楽器や機材の大敵だ。ゆえに、レコーディング・スタジオというのはドライな空間である。良いアコースティック、良いアンビエンスといったものは、それがドライであることを前提としている。当然ながら、「To Waters of Lethe」においても、その楽器録音などはドライな空間で行われたはずである。

ここで個人的な記憶を辿ってみると、「水のある空間」への憧憬というのは、僕の中にもありそうだ。子供の頃からだ。鍾乳洞や海辺の洞窟などが大好き。その後、芸術作品の中でも強烈な「水のある空間」体験をしている、アンドレイ・タルコフスキーの映画だ。『ストーカー』や『ノスタルジア』をもう一度、観たくなるのは、あの「水のある空間」に浸りたいからだ。

では、音楽ではどうだろうか? 水のある場所での録音例は少ないはずだが、確かビョークは1990年代に洞窟での録音や海岸で足を水に浸して録音することを試みているはずだ。エンジニアのハウイー・Bが彼女の望みに応じて、機材を運んで、実施したとされるが、上手くは行かなかったようである。

制作者がそれを意識しているかどうかは分からないが、個人的に水の匂いを感じるのは、ダニエル・ラノワのサウンド・エンジニアリングかもしれない。とりわけ、彼の最初期の仕事であるジョン・ハッセルの『Dream Theory in Malaya』(1981年)と『Aka Darbari Java』(1983年)。あの2枚には「水のある空間」を感じる。あるいは、ラノワのソロ作品の中も鍾乳洞のようなサウンドと形容したくなるものがある。

葛西らの「To Waters of Lethe」は、僕の中ではそれに続くものかもしれない。そこでは常に水が流れていて、それが音楽の変化していく美しさを導いているかのようでもある。

葛西がこのプロジェクトのために声をかけた岡田拓郎はシンガー/ギタリストで、葛西と組んだソロ作品も数多い。香田悠真は僕はこれまで知らなかったが、映画音楽や舞台音楽を手がけてきた音楽家だという。「To Waters of Lethe」という楽曲は香田がピアノで作曲したモチーフから発展したようだ。香田による映画『その日、カレーライスができるまで』のサウンドトラックを聴いてみると、連なる作風が感じられる。

ただ、「To Waters of Lethe」をサウンドトラック的あるいはサウンドスケープ的な作品と呼んでしまうのは、何か違うようにも思われる。その理由を考えてみよう。

香田のピアノやアコーディオン、岡田によるギター、マンドリン、スティール・ギターなどの弦楽器演奏、さらにはゲスト・ヴォーカリスト、細井美裕による多重コーラスがちりばめられ、アコースティックな録音も多い同曲だが、一方ではシンセサイザーやエレクトロニクスの類も空間を飛び交う。三人の音楽家のアイデアが縦横に詰め込まれ、総トラック数はかなり多く、自然音、楽器音、電子音(あるいは、そのどれとも判断がつかないもの)が渾然一体となっているのが「To Waters of Lethe」のサウンドだと言ってもいい。だが、レイヤー的な塗り込み感はあまり感じられない。それは立体音響作品として作るというところから発想された楽曲だから、それゆえの構造を持っているからかもしれない。

この音楽空間の中心に位置するのは聴き手である。絵画や映画や風景を眺めるような体験ではなくて、聴き手が作品の中心にいて、そこで耳を澄ます。そこから始まる経験が最も重要なことであると、この作品は静かに主張しているようにも思われる。

それはヘッドフォン聴取による立体音響がなくても感じ取れるものだ。ベッドに寝そべって、片耳は枕で塞がれていても、耳を済ましている私がそこにいれば、それでいい。何週間か、この曲をいろんなシチュエーションで聴く中で、僕はそういう印象を強く得るに至った。より重要なのは、聴き手と作品の関係性なのだ。あるいは、そこで聴き手が示す意志なのだ。

ミュージシャンとしては、香田はピアニスト、岡田はギタリスト、葛西はエンジニアの色を強く持ち、プロダクションにおいて実作業を分担はしているのだろうが、「To Waters of Lethe」を聴きながら、僕が感じたのは彼らひとりひとりも、「耳を澄ます」体験者として、この作品に関わっているのではないかということだった。作曲者や演奏者や制作者である以上に、彼らも意志を持ったリスナーであるといえばいいか。

近年、そんなことを感じた作品はもうひとつあって、それはピノ・パラディーノとブレイク・ミルズの『Notes With Attachment』(2021年)だった。

ピノ・パラディーノはベース・プレイヤーとして、ブレイク・ミルズはギタリストとして、それぞれ超絶技巧を持つ世界のトップ・プレイヤーだが、二人のこのアルバムを聴いていると、そんなことはどうでも良いとしか感じられない。サム・ゲンデルやラリー・ゴールディングといった強者達を含め、全員がただ耳を澄ましている。そして、立ち現れる音楽の美しさに導かれて、必要な音だけを奏でる。

『Notes With Attachment』の冒頭の「Just Wrong」は、だからこそ成立している心優しいセレナーデのようなインストゥルメンタルで、僕の2021年のベスト・トラックだったと言ってもいいが、「To Waters of Lethe」を最初に聴いた時に、僕はなぜか同じ匂いを嗅ぎ取った。その時点では理由は分からなかったが、考えてみると、それはこの時代、今の音楽状況に対するメッセージをその底に感じたからかもしれない。どちらも柔らかな美しさをたたえた音楽だが、そのメッセージはある種、反逆的なものでもある。

ストリーミング・サーヴィスで私たちは今や毎日、話題の新譜を次々に聴くことができる。AIが自分の好みに合わせたミックスを差し出してくれる。そこでは「配信映えするマスタリング」が施された曲達が、人々の耳を奪おうと競い合っている。しかし、多くの曲は15秒か、30秒しか聴かれないで、飛ばされていく。

「Just Wrong」や「To Waters of Lethe」のような曲は、そういう現代的状況からこぼれ落ちたところにある。ザッピング的な15秒や30秒では何も分からない。心を決めて、時間を作り、世界の中心に自分を置いて、耳を澄ましてみなければ。

それはある種のシェルターのような場所での経験にも思われる。そして、「To Waters of Lethe」の場合には、それは「水のある空間」なのだ。あの「水のある空間」に戻りたい、と思って。タルコフスキーの映画を見返すことがあるように、時が過ぎても、僕はこの曲に戻ってくることがありそうに思う。(高橋健太郎)


岡田拓郎、葛西敏彦、香田悠真

To Waters of Lethe

LABEL : S.L.L.S Records
RELEASE DATE : 2022.02.25


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Text By Kentaro Takahashi

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