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【未来は懐かしい】特別編
柴崎祐二・選 2021年リイシュー・ベスト10

21 December 2021 | By Yuji Shibasaki

今年も国内外のリイシュー/発掘リリースはおしなべて大盛況だった。2019年に本連載がスタートして以来、毎年そう言い続けてきたわけだが、どうやらこの勢いはまだまだ収まりそうにない。

相変わらず目立っているのは、主にロックの<歴史的名盤>をリマスター(場合によっては再ミックス)した上、大量の未発表音源と詳細なライナーノーツを付した、アニバーサリー盤の攻勢だ。複数のディスクを収録した<スーパー・デラックス盤>を筆頭に、様々なエディションを取り揃えるこれらは、その値段設定からしても主にはベテラン・ファンを対象にしたものであろう。だが、フィジカル盤の発売と同時に未発表音源も含めてどどんとストリーミング配信されるので、若いファンが気軽に歴史的名盤へと触れる導線としても(リリースに合わせてアップされる各種のネット記事とともに)有効に機能しているようにも感じる。各作品の原盤を保有するメジャー・レーベル各社からすれば、パッケージ・ビジネスの「最後の砦」というべき領域でもあり、来年以降も同様のアニバーサリー企画は活況をみせていくだろう。

こういった動きによって、微に入り細に入りテイクやミックスの違いを味わおうとする、および、あらゆる情報を網羅し分類しようとする(かつて一部のマニアに寡占されていた)傾向が一般に開かれ、知的エンタテインメントとしての「名盤の語り直し」のプチ・ブームを呼び込んでいるようにも思う。膨大な情報がインターネット上にアクセスしやすい形で蓄積されていくに伴い、聴き手もまたその情報を自ら再編集し、あらゆる角度から「名盤」を吟味しようと積極的に試みてきた。実際、「名盤」のアニバーサリー盤がリリースされた際、それに対するトリビアや一家言を披露しようとする(必ずしもリアルタイム世代ではない)SNSユーザーも目に見えて増加しているように思う。そして、彼らが拡散する「議論」もまた、一種の副読本として機能している。

一方で、主に本連載がこれまで対象としてきた「まだ見ぬ過去からやってきた作品」=これまでは一般的に評価されていないどころか、その存在を殆ど知られずにきたオブスキュアな作品のリイシューも、引き続き充実している。旧来のレア・グルーヴ視点による発掘もなお堅調だし、ニューエイジやアンビエント等、近年のDJカルチャーと連動しながら深化してきた発掘作業も国内/国外問わず盛況だ。世界各地域のニッチなポスト・パンクやインダストリアル系のカセットテープ掘り起こしも盛んで、ほとんど誰も注目してこなかったようなマニアックな作品がにわかにリイシューされ、コアなサークル内で話題になる例が増えている。

現在、よりオブスキュアな作品を掘り起こしていこうとするこうした欲望は、長らくポピュラー・ミュージックの一大輸出元/消費地域であった英米産の音楽ではなく、それ以外の国や地域に差し向けられがちだ。もちろん、例えばブラジルを含むラテン・アメリカ圏の音楽への関心と再発状況は以前から巨大なものがあった。またアフリカ大陸や、日本を含むアジア圏の音楽へも、ときに西洋(中心)から見た「辺境」という倫理的な問題を多分に孕んだ視点ながらも、それなりに関心が向けられてきた。しかし、ここ数年のリイシュー動向をみていると、旧来型のオリエンタリズム的視点に基づいた「フックアップ」(これはそもそもかなり恣意的な権力勾配性を想起させる概念だ)は退潮に向かっているように感じる。かつてのワールド・ミュージック・ブームの折によくみられたように土着的/民族的傾向の強いものを優先的に選び出し称揚するのではなく、ファンク/ディスコ/AOR/ポスト・パンク/各種エレクトロニック・ミュージックなどの全世界的伝播状況の中に生まれた、一定のローカリティを内包しつつもコスモポリタンな文脈へと開かれた「グローカル」な音楽が積極的に再発掘されている印象だ。その際、西洋音楽の「異形な」消化ぶりをエキゾチシズム的好奇心とともに眼差すばかりではなく、当地の歴史的/文化的背景への知的かつ真摯な探求心を備えていることが、(その人がどんな文化圏の出身者だったとしても、あるいは対象となる文化に属する「当事者」だったとしても)発掘者/コンパイラーにとってより一層望まれるべき態度になってきているのは間違いない。

これは、各地において現在進行形で興っているグローバリゼーション以後/ポスト・インターネット時代におけるグローカル・ミュージックの実践(=ある種の「ポスト・ワールド・ミュージック」的状況)とパラレルに進行してきた傾向とも理解できそうだ。かつて想定されていた画一的な「土着性」を、「覇権的存在としての西洋対それ以外」という構図が溶解していく中で相対的に捉え直し、市場の物理的懸隔や様々なエスニシティ区分による恣意的なマーケット分断を、主にインターネット上での展開戦略によって(場合によっては「土着性」をしたたかに援用しながら)乗り越えていこうとする戦略。エレクトロニック・ミュージックをはじめとした様々なジャンルで現在興りつつあるそうした動きと呼応するように、リイシュー・シーンにおける論理/倫理も徐々に変遷しつつある。

こうした動きと連動するように、インディペンデントなECスキームの浸透や、Bandcamp等を使用したデジタル・リリースの簡便性から、より「草の根」的なリイシュー作品が(新譜作品におけるそれと同じように)増えていきそうな予感もする(もちろん、そういった例が増えていくほどに、当該商品がきちんと権利クリアランスを経ているか、マスタリング/カッティング/プレス等のクオリティーがきちんと担保されているか等をユーザー側がよりシビアに判断すべき状況になるだろう)。

以下は、当連載担当としての独断の元、今年2021年にリリースされた中で重要かつ好内容と思われるリイシュー/発掘作をチョイスし、ランキング形式で著したものだ(レギュラー連載で取り上げた作品と、公平性に鑑みて、自らが制作に関わった作品は選考対象外とした)。

今年も一年間お読みいただきありがとうございました。来年も、何卒宜しくお願いいたします。



10

辛島宜夫

水の巡礼歌

Super Fuji

筆者も執筆参加した『ニューエイジ・ミュージック・ディスクガイド』(DUブックス 2020年)は、近年におけるディスクガイド刊行物の豊作の中でも、ひときわエポック・メイキングな存在だ。本作は、その編著者・門脇綱生が監修するリイシュー・シリーズ「ニューエイジ・ミュージック・リバイバル」の第3弾としてリリースされた作品である。

1923年生まれの占星術師・画家・オブジェ作家・オカルト研究家の辛島宜夫は、一般的にはベストセラー『タロット占いの秘密』の著者として知られているだろうが、45歳を迎えてからドラムとシンセサイザーを手にし、遅まきながら音楽制作にも進出していた。これは、1982年にキング・レコードから発売されたアルバムの世界初再発だ(当時、『風の奇想曲』という姉妹盤も出ている)。同時期に元ファー・イースト・ファミリー・バンドの喜多郎や伊藤詳らが主導したいわゆる「マインド・ミュージック」とも通じあう瞑想的でコズミックな内容で、タンジェリン・ドリーム等のドイツ産シンセサイザー音楽に日本的情緒を溶かし込んだようなものとなっている。シンセサイザーの即興演奏によって2年の歳月をかけて制作されたという本作は、同手法で作られた後年のお手軽なヒーリング・ミュージック諸作に比べ、「本気度」において異次元のものだ。じっくり聴くとわかるが、相当に「もっていかれる」音楽である。

日本産ニューエイジ〜アンビエント作品は、これまで主に国外レーベルによって海外ユーザー間で人気の盤がリイシューされてきたが、本作のように、いまだネット上で広く「再発見」されていない良質なものは沢山ある。同シリーズの今後の動きに注目したい。

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9

Dead Goldfish Ensemble

Fishy Tails

Conatala

2020年4月から東京・下北沢で営業する《pianola records》は、現在の国内外リスニング/DJカルチャーの先端を担う重要なレコード店のひとつだ。本作をリリースした《Conatala》は、同店オーナーの國友洋平が中心となって運営されているレーベルで、これまでも日本のポスト・パンク・アクト、Pale Cocoonの作品や、ワールド・スタンダードによるデビュー前のデモ音源をLP化するなど、精力的な活動を続けてきた。下の“La Contra Ola〜”の紹介でも触れている通り、80年代を中心としたDIYなカセット・テープ文化というのは、現在のリイシュー・シーンにあっても最もアツい領域のひとつであり、《Conatala》もそうした潮流を牽引してきた。

The Dead Goldfish Ensembleは、英国サウサンプトンのミュージシャン、Steve Hartwellによるソロ・ユニットで、1983年から1993年にかけて、簡素な電子機器と家庭用コンピューターによって作られた宅録作をカセット・テープでリリースしていた。このLPは、それらの音源をコンパイルしたものだ。各曲、ブライアン・イーノやペンギン・カフェ・オーケストラ等にも通じるポップなミニマル・ミュージック解釈を聴かせてくれるが、あくまでプライベートな空間で鳴らされる小ぢんまりとした電子音アンサンブルとロウな音像が何より魅力的。DTM文化全盛ともいえる昨今だからこそ、その始祖のひとつとして、このように親密かつプリミティヴなサウンド(と機材使用)にひとしおの感慨を覚えてしまう。

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8

V.A. / La Contra Ola

Ambient & Acid Exoticism in Spain 1983-90

Les Disques Bongo Joe

スイスのジュネーヴを拠点に、リイシューに限らない優れたワールド・ミュージック系作品をコンスタントに送り出しているレーベル《Bongo Joe》。本作は、彼らが2018年にリリースした名コンピレーション『La Contra Ola – Synth Wave And Post Punk From Spain 1980-86』の続編という位置づけで、タイトル通りアンビエント(調)の電子音楽を集めている。対象となっている1983年から1990年というのは、スペイン現代史においてやや特殊な期間だった。当時は、フランコ独裁政権の崩壊後、1978年の民主化を経て1982年から1990年代半ばまで続いた左派ゴンサレス長期政権下であり、アンダーグラウンドな音楽家たちにとっても、ある種の安寧ともいえる期間となっていたという。そのような状況を反映してか、ここに収められた音楽も、総じて麗しく、どこ安らかである。しかしながら、特にMiguel A. RuizやVictor Nubla、Esplendor GeométricoなどのDIY的な活動を行っていた(やはりカセット・テープでのリリースが主だった)アーティストたちの音楽には、明らかにポスト・パンク経由の切迫感と緊張感も漂っており、全編がただ心地よいアンビエントで占められているというわけではない。アングロサクソン文化圏における「主流」の電子音楽との差異化を図ろうとする、セルフ・オリエンタリズム的な意識も滲む。旧来、スペインの電子音楽シーンは何かとイビサ島のレイヴ文化に代表される享楽的な文脈と結びつけて語られがちだったが、このような内向的で思索的な実践があったことはもっと知られていい。バレアリック文脈で著名なFinis Africaeなどのビッグネームにしても、キャッチーな曲ではなく(あえてなのだろう)かなりアブストラクトなトラックが選ばれており、そのあたりにも独特の批評眼が反映されている。

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Bandcamp

7

윤시내(YOON SI-NAE)

새노래 모음(First Album: A Collection Of New Songs)

Beat Ball

韓国・ソウルを拠点とする《Beatball》は、同国内外の新旧の良質な作品をリリースする名門インディー・レーベルだ。昨年の本連載年間ベスト記事でも韓国産のライトメロウ系楽曲を集めた同レーベル発のコンピレーション盤を紹介したが、本リイシューの仕事ぶりも相変わらず素晴らしい。これは、名曲「熱愛」で知られる歌謡系シンガー윤시내 (ユン・シネ)が1978年にリリースした作品で、現在ではレア・グルーヴ的視点から再評価されているレコードだ。なによりもまずドスの効いたソウルフルな歌声にうっとり……。

歌謡色の強い各曲に滴る情緒もたまらないが、後年のリスナーからは「난 모르겠네 (Can’t Understand)」、「공연히 (Uselessly)」、「짝 (Partner)」等のファンキーな曲に人気が集中するだろう。ディスコ・ミュージックが当時の各地ポップスへいかに大きな影響を及ぼしたかということについては強調してしすぎることはないだろうし、こうした優れた融合例に触れると、他にも数多あるだろうローカル・ファンク〜ディスコ作への興味がいや増していく。

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Tower Records

 

6

Hailu Mergia & The Walias Band

Tezeta

Awesome Tapes From Africa

2014年に米レーベル《Awesome Tapes From Africa》がリイシューしたHailu Mergia And The Waliasの‎『Tche Belew』(オリジナル発売:1977年)は、ここ10年ほどのアフリカ音楽リイシュー界最大の話題作の一つだった。エチオピアにおけるジャズ・ファンクの至宝ともいえるそれは、《Stones Throw》主宰EGONのフェイバリット・プレイ盤としても知られており、内容はもちろん、レア度、歴史的重要度のどれをとっても出色の作品といえる。他にも《Awesome Tapes From Africa》はHailu Mergiaの作品をリイシューしは、2018年と2020年には新録アルバムも制作するなど(それらも実に素晴らしい!)、レーベル活動の基幹を担うプロジェクトとなりつつある。

これは、1975年にHailu Mergiaと彼のバンドが自主制作しカセットテープでリリースしていた幻のアルバムのリイシュー盤だ。『Tche Belew』におけるファットできらびやかなサウンドに比べて、どちらかといえばよりラウンジ色の強いポップな演奏を聴かせてくれる(選曲も同地で人気の高いスタンダード・ナンバーが中心)。彼らの奏でた柔らかくしなやかなインストゥルメンタル・ミュージックは、エチオピア人民民主共和国体制下における歌曲(「帝国主義的」なラブ・ソング等)への弾圧の中にあってしたたかに人気を集め、多くの公共放送等でも盛んに使用されたというが、いわばそうしたBGM的な傾向が強く出たのが本作だともいえそうだ。エチオピアン・ポップス特有の音階と温かな演奏が耳と体を解きほぐす。

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5

V.A.

TRANSONIC RECORDS FROM 1994 TO 1995

ExT Recordings

ここ10年ほどで、いわゆる「和モノ」再評価のフィールドは、ブギー、和ジャズ、シティポップ、アンビエント、ニューエイジ、あるいは90年代のレフトフィールド的なポップスへとドンドン拡大していきたが、今後更に盛り上がっていきそうなのが、90年代に産み落とされたピュア・テクノ系の作品である。本作は、まさにそんな流れの先鞭をつけるもので、DJ/電子音楽作家・永田一直主宰のレーベル《Transonic Records》活動初期に残された優良トラックを集めた2CDコンピレーションだ(発売元は、同じく永田が主催する後身レーベルの《ExT Recordings》)。

MIND DESIGN、ORGANIZATION、KING OF OPUS、SUZUKISKI、PALOMATIC、TRANSONIC JOKERS、DRAWING FUTURE LIFE、TANZMUZIK、KEN ISHII、SUBVOICE ELECTRONIC MUSIC等々多彩な面々によるトラックは、このところのリスニング感覚を主導してきたアブストラクトなテクスチャー重視の志向からすると目の覚めるように鮮明かつ鮮烈で、デトロイト・テクノやアシッド・ハウスを独自の文脈で消化したサウンドは、なるほど今ならかえって新鮮に響く。本来非クラブ的な文脈の元に制作されてきたレコードやCDがクラブ・ミュージック的な視点のもとに再発見されてきたのがこの間の主な流れだったわけだが、その中で、かえってクラブ/ダンス・プロパー的なトラックが見過ごされてきたというのはありそうな話だ。当然、そのような作品にも現在聴くべき素晴らしいものが多いし、昨今の再評価ムーブメントを主導してきた若年のユーザー達にとって「未知」であるという点では、もっとも探索しがいのある芳醇なフィールド。本作のリリースに際しパソコン音楽クラブの柴田がコメントを寄せているのは、その意味でまさに象徴的に思える。

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4

Alice Coltrane

Kirtan: Turiya Sings

Impulse!

今年、『レコード・コレクターズ』誌上の拙インタビュー連載「ミュージック・ゴーズ・オン」の書籍化にあたって、これまで登場してもらったミュージシャンに改めて「最近よく聴いている音楽」を挙げてもらったのだが、その中で、デヴェンドラ・バンハートがお気に入り盤として選んでくれたのが本作だった。彼は近年、ニューエイジ・ミュージックを熱心に聴いているようで、その成果はノア・ジョージソンと組んだアルバム『REFUGE』に結実している。

こうした例からも分かる通り、アリス・コルトレーン再評価というのも、この10年のリスニング潮流において際立って印象的な現象の一つだろう。スクエアなジャズ・ファンの間では、夫ジョン・コルトレーンのキャリア末期に名を連ねた異色のハープ奏者、というイメージが支配的だったろうし、その後のソロ・アルバムに対して正当な評価を与えてきたのも、スピリチュアル・ジャズ発掘の文脈からそれらに親しんできた後年のリスナーたちだったりする。フライング・ロータスとの親類関係でも知られ、実際に、名作『Cosmogramma』(2010年)は彼女の音楽から多大な霊感を得て制作されたものだった。もちろん、西海岸を主な発信地とするこの間のニューエイジ・リバイバルにおいても、その存在感が相当大きなものだったのはいうまでもない。彼女は、インドの神秘主義に深く傾倒し、1975 年にはカリフォルニアに《The Vedantic Center》を設立するなど、ニューエイジ運動そのものにも深くコミットしてきた経歴を持つ。1983年には同センター運営の《Shanti Anantam Ashram》を開設し、更に実践的な活動を繰り広げていった。

この『Kirtan: Turiya Sings』は、そうした歩みの中で録音されたもので、1982年にカセット・オンリーでアシュラムのメンバーに向け限定頒布された『Turiya Sings』の元となった音源だという(タイトルの「Kirutan」はサンスクリット語で、特にインドの宗教において思想や物語を「語り、朗読し、伝え、記述する」という意味を持つ)。オリジナルの『Turiya Sings』は、シンセサイザーのサウンドに彩られていたが、今回の『Kirtan: Turiya Sings』は、全編がシンプルな電気ピアノ(ウーリッツァー)の響きに満たされている。この楽器の特性であるまろやかなトーンと、サンスクリット語のヴォーカルが入り交じるとき、なんとも遠大かつ親密なスピリチュアリティが立ち上がってくるのが体感される。各曲、聖歌そのもののようでありながら、彼女の音楽を形作ってきたゴスペル、ジャズ、ソウル等の要素が奥深いところに流れているのもわかる。もっとも豊かな意味で瞑想的である状態と「ソウルフル」というは、もしかすると同義なのかもしれない……。香を炊き、座して聴くべし。

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3

ジャックス

2nd Jacks Show, Jul. 24, 1968

Super Fuji

日本ロックの大転換期に屹立する伝説的音源。このような作品がたまさか正式再発盤として登場してしまうのも、2021年ならではの現象といえそうだ(ここ最近の裸のラリーズ関連の動きもその極点という感がある)。

これは、ファンクラブ通信販売限定でたった400枚のみが流通した自主制作盤『Live ’68’7’24』にリマスタリングを施しCD化した作品だ。元々ファンが録音していたテープ音源をソースとしているため、お世辞にも高音質とはいい難いものだが、かえって「かの日、たしかにこの演奏が繰り広げられた」という、濃密な歴史性のようなものが立ち昇ってくる。タイトルにある通り、1968年7月24日に東京・日仏会館で行われた《第二回ジャックス・ショウ》のステージを記録したもので、オリジナル・ラインナップの演奏を堪能できる音源として以前から評価が高かった。同年のファースト・アルバム『ジャックスの世界』リリースから間もない時期のライブ記録であり、ギター担当の水橋春夫在籍時の激烈な演奏が味わえるという意味でも貴重だ。今から振り返れば、日本のロックの開闢にとって彼らの存在がいかに大きなものだったかというのが理解できるわけだが、この当時、あらゆる潮流から隔絶している(ふうに聞こえる)彼らの演奏に生で接した観客の衝撃はいかばかりだったろう。アヴァンギャルドだとか、アンダーグラウンドだとか、そういう尺度では図り難いバンドのオリジナリティが、生々しく直截に記録されている。

一方で、彼らの音楽の奥底に流れる甘く熟れたポップネスが噴出する瞬間こそが、個人的にもっとも興味を惹かれる点でもある。ジャックスを巡る言説というと、何かとラジカルな異形性が強調される傾向があるが、早川義夫のビートルズ贔屓を筆頭に、各メンバーが(意外にも?)ロックやポップスへまっとうな敬愛を抱いていたことも知られている。この演奏は、ところどことビート・バンド的な美意識が顔を出す瞬間もあり、その点にもスリルを覚える。

4月には、1969年6月15日近畿放送(現KBS京都)公開番組でのライヴを収めた『LIVE, 15 Jun.1969』も蔵出しリリースされた。そちらも素晴らしい。

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2

Leo Nocentelli

Another Side

Light In The Attic

これもまた驚きの発掘音源。ニューオリンズ・ファンクの王者ミーターズのオリジナル・ギタリスト=レオ・ノセンテリが1971年に録音していながら、長い間お蔵入りしていた未発表アルバムだ。当時のミーターズといえば、それまで在籍していた《Josie》を離れて《Reprise》への移籍を準備していた時期であり、そのゴタゴタにまぎれて本作のリリース話も立ち消えになってしまった、ということらしい。《Reprise》移籍後初のミーターズのアルバム『Cabbage Alley』(1972年)及びその後の一連作は、ヴォーカルを導入したポップな作品として広く評価されているが、『Another Side』を聴くと、その躍進にレオ・ノセンテリのセンスと演奏がかなり大きな役割を担っていたことが改めて確認できる。

意外にも『Another Side』では、ミーターズ風の小気味よくタイトなファンク要素はかなり抑制されている。その代わりに導入されているのが、同時代のロック〜ニュー・ソウル・シーンを席巻していた、いわゆる「シンガソングライター」風のフォーキー路線だ。そうした音楽を実践した例に、例えばビル・ウィザースやテリー・キャリアーなどがいるが、『Another Side』はさらに柔和でポップな印象だ。どうやらこれは、当時一世を風靡していた白人シンガソングライター=ジェイムス・テイラーの音楽にノセンテリ本人が触発されていたことにも拠るようだ。洗練されたハーモニー、繊細なアコースティック・ギターさばき、およびジェントルな発声にその影響を聞き取れる(それでもうっすらとにじみ出てくるニューオリンズ流儀が愛おしいわけだが)。こういった洗練味は、「南部地域ほど泥臭いサウンドを志向していた」という当時の米国ソウル〜ロックに関する先入観を解きほぐしてくれるものでもある(この時代の米国産音楽に明るい方なら御存知の通り、「泥臭い」サウンドを志向したスワンプ・ロックの中心地はむしろロサンゼルスだったし、東部のウッドストックでもおなじようなルーツ志向が顕在化していた)。思えば、こうした洗練味というのは、ここにも参加しているニューオリンズ音楽界の立役者アラン・トゥーサンの同時期ソロ作にも通じるものだったりする(どことなく歌声も似ている)。そのアラン・トゥーサン(キーボード)はじめ、バッキング陣の演奏も実にいい。ミーターズからジガブー・モデリステ(ドラム)とジョージ・ポーターJr.(ベース)、ジャズ系のドラマー、ジェイムス・ブラックが参加し、絶妙に渋いプレイを聴かせる。

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1

George Harrison

All Things Must Pass (50th Anniversary)

Capitol Records / Apple Records / Dark Horse Records / Universal Music

今年の5月末の夜半、私はこんなツイートをしていた。

「良いアンビエントを、できればポップなアンビエントを聴きながら眠りたい…とガサゴソし、結果的に“オール・シングス・マスト・パス”をかけていた。」

『All Things Must Pass』(1970年)ほど(もしかしたらビートルズによる全オリジナル・アルバムを対象に含めても)その評価を上げつづけてきた作品も稀なのではないだろうか。解散に向かうゴタゴタでソロ活動への意欲を燃やし続けた彼が遂にものにした大作だけあって、その楽曲の充実度が(他のビートルたちのスロー・スタートぶりに比して)際立っているというのももちろんある。もっとロマンチックな言い方をすると、「第三の男」の成長譚が最初のクライマックスを迎えた瞬間としてファンの心を否応なく熱くする、というのもある。加えて、現在的な視点において特に重要な要素として認識されていそうなのが、そのアンサンブルの緻密さとシンプリシティのバランス感、そして、フィル・スペクターが主導した(1970年現在の)最新型ウォール・オブ・サウンドの旨味(主にリヴァーブ成分)だろう。私の上ツイートも、そのあたりの快楽性を「ポップなアンビエント」というタームに繋げようとしたものだった(と記憶している)。「豪華絢爛」、ときに「オーバー・プロデュース」と評されてきたスペクターによる特徴的な音像が、今となってはむしろ、隅々まで染み渡った霊妙なアンビエンス要素=ある種の瞑想性を喚起するものとして認知しうることが(この間の聴取感覚の変遷を経て)理解できた、というわけだ(ジョージもまたインド文化およびその神秘主義に深く傾倒した人物だったという事実が、ここでまた意味を持ってくる)。

今回の50周年記念盤は、このところの《Apple》関連作再発プロジェクトと同じく、オリジナルのマルチ・トラック・テープを元にした新ミックスを主な売り物としている(ちなみに、ジョージ存命中の2001年に出た30周年盤“ニュー・センチュリー・エディション”は、オリジナル・ミックスを元にしたステレオ・リマスタリングだった)。再ミックスを担当したエンジニアのポール・ヒックスへのインタビュー(『レコード・コレクターズ』2021年10月号掲載)によると、生前のジョージ・ハリソンはフィル・スペクターが本作に施した音響処理をやや過剰だと感じていたらしく、今回の新版にあたってもその点を考慮してミックス作業が行われたようだ。だからといって賛否両論ある『Let It Be…Naked』(2003年)のような「改竄」(=フィル・スペクター色の払拭)が行われているわけでなく、あくまでオリジナル盤の歴史性に立脚した絶妙のバランス感に貫かれているふうだ。中でも特に好ましく感じたのがオケに対するジョージのヴォーカル・バランスとヌケ感だ。これは上記のポール・ヒックスへのインタビューでも強調されている点で、現在的視点からローエンドをリッチに響かせるべく調整が行われたという。そうすると、上に述べた「アンビエント」感を減衰することにもつながりそうなものだが、実際に聴いてみると一向にそういった印象はなく、というより、より研ぎ澄まされた印象になっているのが素晴らしい。全体を覆っていた雲が薄くなった代わりに、個々の音が担っている豊かな倍音成分がよりはっきりと見通せるようになった、という感じだろうか。ということで、私は今後も本作、というか本ヴァージョンを、折に触れて最高のアンビエント・ポップ作として聞き続けることになりそうである。

スーパー・デラックス・エディション:ディスク3-4のデモ・トラックも興奮せざるをえない。名曲の赤裸々な骨組みに触れると、改めてこの時期のジョージがソングライターとしてただならぬ境地に突入していたことがわかる。また、彼の声の魅力にどっぷりと身を委ねるには、これらのデモ・トラックが最適かもしれない。「セッション・アウトテイク&ジャムス」と題されたディスク5も、歴史の生成現場のダイナミズムを知れる資料として超一級品である。

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(以上、文/柴崎祐二)

Text By Yuji Shibasaki


柴崎祐二 リイシュー連載【未来は懐かしい】


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