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ノーネームが『Sundial』で手に入れた真の自由

20 September 2023 | By Keiko Tsukada

シカゴ出身のラッパー、詩人。そして活動家、ブック・クラブ&フッド図書館経営者、フェミニストであり、社会主義、反資本主義、反植民地主義、汎アフリカ主義の思想に傾倒するノーネームが、前作『Room 25』から5年の時を経て、ついに期待のニュー・アルバム『Sundial』をリリースした。彼女はこの作品にどんな想いを込めたのだろうか。

■『Sundial』が生まれるまで

本作リリース直後に、ノーネームは自分の貯金をはたいて、彼女が育ったシカゴの地元のファンを無料で招待し、リリースを祝うブロック・パーティを行った。そこで行われたインタヴューによると、2作目となる『Room 25』(2018年)では、「何かを証明しなくてはならない」というプレッシャーがあり、結果的に批評家には気に入られたが、ファンはミックステープとして出した1作目『Telefone』(2016年)の方が気に入っていた。その現実を謙虚に受け止めた彼女は、新作ではそんな振り出しに戻ろうと感じたという。



また2021年にリリースした、切ないボサノヴァに乗せて革命を語る曲「Rainforest」が好評だったことから、「Twitterの左翼たちに向けて、『Rainforest』のような左翼的なパップ風のアルバムを作ろう」と決めたと言う。「人を喜ばせるような音楽を作ろうとすると、自分のアートが嫌いになってしまう。だから『Sundial』では、ミックステープ的なアプローチを取ろう。わたしはうんざりしてるってこと、(自分のことを最高のラッパーのひとりだと讃える人がいる割には、詩人としてカテゴライズされることが多いために)一般的にラップの話題に入れてもらえないこと、わたしはラッパーじゃないなんて絶対に言わせない」という想いも伝えたかったのだという。だからこそ新作では余計、人の意見など気にせず、ミックステープ的なアプローチに立ち返り、真面目になり過ぎず、言いたいことを何だって言える「自由」が欲しかったのだと振り返る。



さらに感じたことを歯に衣着せず語る彼女は、彼女のツアーに来るオーディエンスの大半が白人だという事実について、「白人のためにステージで踊りたくない」と発言して物議を醸し、引退宣言かと囁かれたことも多々あった。

「音楽を辞めようとしたんだ、本気でね(笑)。でもあまりに好きすぎて、音楽をやらずにはいられない。お金のことだけじゃなくて、音楽を作らなかったり、友達と音楽をやらないでいたら、もうむちゃくちゃ落ち込んじゃって。音楽はわたしに真の喜びをもたらしてくれるものなんだ」

■『Sundial』に込めたメッセージ

太陽の日周運動を利用した「日時計」を意味する『Sundial』。アルバムを聴く前にまず注意を引かれるのは、この非常に興味深いカヴァー・アートだろう。一見、世間が黒人女性のセレブに求める美のスタンダードを皮肉っているような印象を受けるし、幻想より現実を直視すべきだというメッセージにも受け取れる。実際、彼女がInstagramにこのカヴァー・アートを投稿したときに、批判の声が非常に多かったが、同時に「アートとして受け入れるべき」というポジティヴな声も少なくなかった。または、MFドゥームが「見た目なんかに惑わされず、音楽で真の自分を判断して欲しい」という仮面に込めたメッセージを思い起こさせたりもする。

黒人女性の歌手、俳優であるハリー・ベイリーがメジャー映画『リトル・マーメイド』の主人公アリエルを演じ、「自分と同じ見た目の黒人女性もヒロインになれる」と多くの黒人少女たちに希望を与えたことは、記憶に新しい。しかし『Sundial』のカバーで長い白髪の先で宇宙に漂っている人魚は、そんな社会現象さえ嘲笑っているようにも感じられる。

前作『Room 25』から新作リリースまでに5年もあいてしまった理由として、ノーネームは、音質的に求めているサウンドを提供できるプロデューサーが長い間見つからなかったことをあげている。心地よく穏やかに流れるジャズやボサノヴァ、ネオ・ソウル系のサウンドに相反するように、ノーネームは鋭い社会的批判の言葉を放つ。

気になるアルバムの内容に注目してみよう。1曲目の「black mirror」では、「光にも闇にも属せず、月を崇拝する、黒人著者、図書館員、人と反対意見を持つ、社会主義のシスター」と始まり、親友のことを語るように自身について語り始める。「日が沈むまで『日時計』とシャドウボクシングをし、バックミラーに映る燃える火(またはリンチで燃やされて焦げた体?)を目にし、明確な視点を持って進み」、自身を分析していく。

LA出身のジメッタ・ローズ(Jimetta Rose)率いる聖歌隊、ザ・ヴォイシズ・オブ・クリエーション(The Voices of Creation)のコーラスに支えられ、ノーネームは2曲目で「hold me down」(わたしを支えて)といつになく弱気になって仲間に助けを求め、黒人が置かれた社会状況を嘆きながらも、互いに手を取り合っていこうと呼びかける。

「ノーネームはアルバムリリースを取りやめるべきだ」という声が上がるほど大炎上を巻き起こしたのが、ジェイ・エレクトロニカをフィーチャーした「balloons」だ。ジェイは、アメリカ黒人の間で広がった異端児的なイスラム教の一派、ネイション・オブ・イスラム(以下、NOI)の信者であり、彼が支持するNOIの現リーダー、ルイス・ファラカンは、常々反ユダヤ主義的な発言をすることでも知られている。この曲の3ヴァース目に登場するジェイは、いくつか反ユダヤ主義的とされる発言をしている。

・ジェイは、ロスチャイルド家(ユダヤ人)のケイト・ロスチャイルドが婚姻中に付き合っていたが、それは彼の影響力を取り戻すためだった(結果的に彼女は離婚に至っている)。
・「俺はどこに行こうとヤアクーブの息子としてその足跡を残す~俺はファラカンと一緒に嘘つきどもを暴いていく」。NOIで信じられてきた神話によれば、ヤアクーブ(ヤコブのヘブライ語。旧約聖書では、イスラエルの名を得て、ユダヤ人の祖となった人物。ずる賢く詐欺的なやり口で知られる)は6600年前に存在した黒人の科学者であり、白人人種を創造したとされている。
・「無知な大衆がやってきて俺を押しつけた/そんなの作り話さ、至ってシンプル、ゼレンスキーみたいな冗談さ/ついでに言わせてもらうがイマーム(イスラム社会の導師)やラビ(ユダヤ教の宗教指導者)、ローマ教皇が何を言おうと、俺は先生(ファラカン)の真実の言葉を広めるぜ」。ゼレンスキーはユダヤ系ウクライナ人であり、ウクライナの大統領になる前にコメディアンをしていて、このラインは、ウクライナ戦争が冗談(いわゆる陰謀論者の間では、ウクライナ戦争は茶番だとされている)であることも示唆している。

あまりの激しいバッシングに、ノーネームはTwitter(X)のアカウントを閉じたり、Instagramの投稿も(一時的に?)削除したが、ジェイをフィーチャーしたことについては、正々堂々とこう主張している。

「わたしは反ユダヤ主義じゃないし、特定の人たちを嫌ってもいない。わたしは、白人と見なされる人たちに特権を与えている『白人優越主義』という世界的なシステムに反対している。それは長年はっきり言ってきたこと。わたしが書いてもいないヴァースについて謝るつもりはない。それを自分のアルバムに入れたことについて謝るつもりはない。そんなわたしは間違っていると思うなら、妥当なんじゃない? このアルバムを聴かなければいい。わたしをアンフォローして、ドープな音楽を作っている他の素晴らしいラッパーをサポートすればいい。あなたががっかりしたからって、わたしはマジでまったく何とも思ってないし、愛をこめてそう言わせてもらうよ」

「(批判されると分かっていて)敢えて彼をフィーチャーしたのは、白人のファンを遠ざけるためかもしれないし、彼は私が好きなラッパーだからかもしれないし、自分には黒人としてもっと大事な仕事があるからかもしれない」

ジェイのヴァースにばかり注目が集まっているが、ノーネームはこの曲でとても重要なメッセージを伝えている。多くのアメリカ黒人が置かれている状況について、「天国に行ったら裕福になれると祈りながら、何とか切り抜けるべきところを、貧困の暮らしや苦悩を受け入れる」と悲哀を込めた描写をし、「わたしは月の上で涙を流す風船」と、コーラスで悲しみを打ち明ける。

さらに、彼女をノーネームたらしめる痛烈な社会的批判がリスナーに刃を向ける。「上辺だけの白人のファンよ、詮索好き(人の不幸を見て楽しむ人)を発明したのは誰?/人が悲しむ姿に夢中になって、彼女がトラウマに打ち砕かれればいいのにと願ってる/なぜみんな、よくできた悲しい曲や暗いアルバムが大好きなの?/ホーミーが死んだとか、母が死んだとか、ストリートでブラザーが血を流したとかさ~真摯に心を痛めているのか、単なる消費に過ぎないのか、分からない」

しかし正直、これらのラインには複雑な思いと共にハッとさせられた。彼女は「白人」と名指ししているが、「アジア人」の自分はどうなんだろうか。例えば、ケンドリック・ラマーが、亡くなったホーミーについて語る「Sing About Me, I’m Dying of Thirst」に心を痛め、家族のトラウマについて語る「Mother I Sober」に号泣する自分は、自己陶酔していただけだったのだろうか?、と。

軽快でつい踊りたくなる「boomboom」では、ノーネームがセックスや恋愛の話題を絶妙な軽さで言葉巧みに操りながら、喜びを表現している。そして本作の中でノーネームが最も感情を露わにしているのが、「potentially the interlude」だ。「人は『愛してる』って口にするけど、目の前のその人でも、慣れ親しんだその人のことでもなく、その人が持つ『可能性』に期待しているだけ」と、フラストレーションをぶつけ、「コンコン、可能性さん? 誰も応えやしない/コンコン、可能性さん? 知ったこっちゃないし」と怒りを吐き出す。これは恋愛関係について語っているのかもしれないし、音楽業界に嫌気がさした彼女の本音なのかもしれない。さらにコーラスでは、「もしあなたがもっと可愛いかったら/もうちょっとケニー(おそらくケンドリック)みたいにリリックを書けたら/生きる価値があるのに」と、不安な面も覗かせる(それにしても、ノーネームはケンドリックについてよく触れる)。

ノーネームの社会批判を込めたリリシズムがひと際光る曲のひとつが、名声のために生きる人たちに物申す「namesake」だ。この曲で目立つのは、黒人セレブを真っ向から批判するラインだろう。2ヴァース目にある「NFL(全米フットボール連盟)ともジェイ・Zとも関わりたくない/軍事施設の宣伝活動~わたしたちはみんな、スーパーボウル(NFLの優勝決定戦)って最高だと思ってる」というラインの背景には、以前はNFLと関わることを否定していたはずのジェイ・Zが、「国に変化をもたらすために」、彼が率いる《Roc Nation》の「ライヴ音楽エンターテイメント戦略家」としてNFLとパートナー契約を交わした事実がある。

NFLと軍事産業は昔から密な関係にあるという指摘もあるが、この国にはスポーツの祭典で国を守る軍人に感謝を示す伝統があり、スーパーボウルもその例外ではない。そこで行われるハーフタイムショウでは、毎年超有名アーティストがパフォーマンスを行い、そのTV放映は驚異的な高視聴率を記録する。ノーネームはこの曲で、最近ハーフタイムショウに出演したリアーナ、ビヨンセ、ケンドリックを名指しで攻撃し、「戦争機構(兵器)が美化される」と皮肉っている。しかしそんな彼らを非難するノーネームは、結局今年のコーチェラに出演した自分も非難の対象にしている。彼女がコーチェラに出演したのは、インディペンデント・アーティストとして、新作のツアーにかかる旅費やホテル代、バンド・メンバーへの給料を支払う必要に迫られていたからだと告白している。資本主義に反対しながらも、そのシステムを利用せざるを得ないジレンマもうかがえる。「男なんて、名声なんていらない(そもそも彼女は「ノー・ネーム」というアーティスト名を選んでいる)/わたしにはちょっとした愛と思い出があるから」というコーラスで曲を締めている。

黒人女性にとって非常に重要である、ヘアケア製品などの美容用品を通して自己愛や自己嫌悪について語っているのが、7曲目の 「beauty supply」であり、ノーネームは黒人が持つ美の標準を改善していこうと訴える。まだ社会的に、黒人らしさが少ない方が美しいというヨーロッパ中心の価値感に基づいて、黒人が生まれ持ったナチュラルヘアーをネガティヴなものととらえる風潮が根強く存在する(「namesake」に、「いけいけ、ノーネーム/コーチェラのステージは衛生的に」という自虐的かつ皮肉めいたラインがあるのだが、これはノーネームがコーチェラに合わせて、生まれ持ったカーリーヘアーの代わりにエクステを付けているからと指摘する声もある。実際にブック・クラブで見た彼女とあまり違いがないようにも見えるが…)。ウィッグやエクステを付けて新しいアイデンティティを手に入れても、結局は自分を敵に回すことになる。社会に押しつけられた標準ではなく、自分が生まれ持った美を尊重すべきであり、自分を最愛の人として受け入れよう、全体像が見えればきっと自由になれる、と力強いメッセージを送っている。

このアルバムの中でも非常に重要な曲のひとつが、間違いなく「gospel?」だろう。希望を感じさせるゴスペルが曲を通して光を射しているが、ノーネームは単にゴスペル・ミュージックについて語っているわけではなさそうだ。キリスト教や聖書のまやかし、白人がついてきた嘘を指摘しながら、アメリカ黒人が置かれてきた状況、そして世界中の黒人たちに想いを馳せ、抑圧された現状から抜け出して平穏を手に入れるまでは、まだまだ闘い続けなければならない現実を想い、疲れを感じながらも、志気を奮い立たせて祈りを捧げている。

つづくシルクマネー($ilkMoney)は、「フージーズがFBI(連邦捜査局)だったと聞いても驚かない」(最近フージーズのメンバーであるプラーズがFBIのスパイだったと発覚して話題になった)と、衝撃的なラインでリスナーの注意を鷲掴みにしておいて、同胞たちに武装(声をあげることも含めて)して闘うことになること、白人が作った神に対する恐れを永遠の誇りに変えていこうと訴えかけ、そしてこの闘いは神の指示であることを挑戦的に主張して志気を高め、互いのために祈りを捧げることを誓う。

そしてビリー・ウッズ(billy woods)なのだ、この曲の肝は! ビリーはマルクス主義の父と英文学教授である母と共にジンバブエで子供時代を過ごしている。彼はそこで不安な気持ちで父の肩車に乗りながら体験した、(恐らくローデシア紛争を経てジンバブエの大統領になった)ロバート・ムガベの就任式に集まった黒人大衆が喜ぶ様子、来たる革命に期待して解放のゴスペルに体を揺らす群衆、勝利の味を噛み締めて祝う大衆、歴史がうねりをあげて動き出した様子を実に鮮やかに語っていく。彼はその時に感じたほとばしる誇りを決して忘れない、と熱く語る。しかし最後の「満面の笑みで黒く長い銃を持つ男たち(国の軍隊?)が道を塞いでいる」というラインで、リスナーは愕然とさせられることになる。仲間たちと勝利を祝った湧き上がる喜びは、上辺だけのものだったこと、自由への闘いはまだまだ続くことを知らされるのだった。

最後の曲、忘却を意味する「oblivion」には、同郷シカゴのヴェテラン、コモンを迎えている。聖書における「忘却」は「死」を意味するようだが、ここでは仮に「死」として理解を進めてみよう。全体的に抽象的なストーリーではあるが、ノーネームの怒りは顕著で、「この世が爆破したら忘却の旅(死)へと/どうだっていい、言いたいことを言うだけ」とコーラスでひとりごち、「わたしはこの世界を発明した女の子/どんなヴァースでも黒人の神がわたしを黒人の神たらしめる」と挑戦的な態度を見せる。特にコモンのヴァースはキリスト教、聖書の参照が頻繁に見られるが、最後に「彼女は反逆者の資力がなくちゃな~エロヒムの優しい母/忘却の旅(死)へと、俺たちは夢を見る」とヴァースを締めている。

わたしたちは往々にして、セレブを神格化したり、彼らにリーダーとしての役割を求めてしまう傾向がある。『Sundial』に耳を傾ける上で、ノーネームの人となりをできる限り誤解することなく、メディアの批判を鵜呑みにすることなく、欠点のない完璧なスーパーヒーローとして見るのでもなく、わたしたちと同じように日々悩み、苦しみ、喜び、考え、生きているひとりの人間であることを、忘れないでいたいと強く思うのだ。

■ノーネーム:社会主義とブック・クラブの活動

ノーネームの人物像を理解するにあたり、社会主義の概念がとても重要になってくる。定義をあらためて調べてみると、「個人主義、自由主義、資本主義、市場社会の弊害に反対し、より平等で公正な社会を目指す思想、運動、体制」とある。そしてアメリカには、長年この社会主義が忌み嫌われ、徹底的に排除されてきた歴史がある。

しかしながら、アメリカ黒人には、奴隷制度が廃止された後も構造的な人種差別制度によって、市民のシンボルであるはずの自由や権利を否定、剥奪され、暴力を持って抑圧されてきた歴史があり、その中で1966年に生まれたのがブラックパンサー党だった。彼らは黒人国家主義、社会主義、警察による残虐行為に対する自衛武装を主張し、その思想は少なからずノーネームにも影響を与えてきたと思われる。

彼女が全米に発足したノーネーム・ブック・クラブの活動(黒人の自由を啓蒙する本の読書会、政治犯に関する映画鑑賞や討論会、活動家の講演会、オープンマイクのイベント、刑務所に入れられたホーミーたちに本を送るなど)も、60年~70年代であったら、政府や人種差別組織は潰しにかかっていたのではないかと推測する(実際、LA本部はオープン直後に何者かにガラスを割られたという)。

そして同郷シカゴ出身で政府に暗殺されたブラックパンサー党イリノイ州の代表であり、カリスマ的リーダー、フレッド・ハンプトンのスピリットが、時にノーネームのそれと重なる。ちなみにノーネームは、このフレッドの伝記映画『ユダ&ブラック・メシア 裏切りの代償』(2021年)のサントラへの楽曲提供を依頼されたが、「この映画はフレッドの実際の政治理論が描かれていない」として、断っている。

ちなみにわたしもノーネーム・ブック・クラブのLA本部のメンバーであり、何度かイベントに参加したことがあるのだが、いわゆる意識高い系のメンバーが集まっているのは当然のことながら、トイレにはおむつやトイレットペーパー、生理用品などが置かれていて「ご自由にお持ちください」と書かれていたり、洗面台の鏡の横にはマルコム・Xの肖像画が飾られていたりして、社会主義や黒人リーダーへのリスペクトがここかしこに垣間見られる。そもそもこのブック・クラブは図書館として機能していて、本部内に所狭しと置かれた有色人種の著者による黒人の奮闘の歴史や自由を啓蒙する本の数々は、メンバーであれば無料で借りることができる。また、政治的教育を通してコミュニティを築き上げることが、自由を手に入れるために極めて重要であるという信念が根底にある。そしてメンバーが月々支払っている会費は、刑務所に入っているホーミーたちに送る本代としても使われている。コミュニティの人たちを支えるこのような活動は、朝食プログラムなどのブラックパンサー党の社会活動にも通じるものがあるように思う。

前作の『Telefone』、『Room 25』に比べ、ノーネームが『Sundial』ではより社会正義を中心に語っているのは、彼女が2019年に始めたこのノーネーム・ブック・クラブでの活動が大きな影響を与えているのではないだろうか。それに彼女の白人批判的なコメントに反応して、この作品から彼女の音楽を聴かなくなったファンも少なからずいるだろう。しかし、彼女はそんなことは気にしていないのだ。それどころか、彼女は自身の真実に忠実に生きることで、いまだかつてないほどの「自由」を手に入れている。そんな彼女のこれからの活躍と成長が、ますます楽しみで仕方ない。(塚田桂子)

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Text By Keiko Tsukada

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