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【From My Bookshelf】
Vol.5
『黒人音楽史-奇想の宇宙』
奇想の系譜から導き出すアフロ・マニエリスム

13 July 2023 | By Yo Kurokawa

本書『黒人音楽史-奇想の宇宙』を読み進める間、私の頭の中には執拗に「沼」のイメージが付きまとった。それは森の奥にぽっかりと口を開けていて、冷たくて、ぬかるんでいて、こもった匂いがしている。足を踏み入れたら最後と分かっているのに、どうしてものぞき込まずにはいられない、不気味な魅力を湛えた沼。

タイトルを黒人音楽史と銘打っているが、広い視点からポピュラー音楽史を正統的に学ぼうという目的なら、本書の中でも複数回触れられている大和田俊之『アメリカ音楽史』(2011年)のほうが、その知的好奇心を満たしてくれるだろう。なにしろ、こちらの副題は「奇想の宇宙」だ。暗黒批評を標榜する筆者、後藤護は、黒人音楽史の中の驚異博物館(ヴンダーカンマー)たる奇想の系譜を紐解いていく。黒人霊歌、ブルース、ジャズ、ファンク、ヒップホップとジャンルごとに大筋では歴史を辿りながらも、しかし、そのなかで解釈に用いられるのは暗号、秘密結社、宇宙論、神話、神秘主義、ホラー趣味……一見カルト的にも思えるモチーフだ。さらに、筆者自身があとがきで述べているように全編を貫く「方法的悪文(!)」が放つエネルギーは圧倒的で、明らかに読者に対しても本書を読み下す体力とバイタリティーを要求している。

率直に言ってしまえばこのある種の読みにくさは、そのまま本書のテーマ「アフロ・マニエリスム」を体現している。合理性を拒否し、夥しい量の知識を基にした怪物的な知性で、不条理と共にある世界を生きる、そんな精神性で成り立っている書籍なのだ。そもそもマニエリスムとは美術用語で、本書では特に美術史家、G.R.ホッケの定義が念頭にある。単にルネサンスとバロックの間、16世紀半ばから末にかけて見られた一様式という以上に、「世界大戦によって引き裂かれた人間精神が、終末状況のなかでバラバラになった断片を蒐集、弥縫し、全体イメージとして繋ぎ止めるアート」として、「人類の歴史全体に普遍化可能な、終末状況に繰り返し立ち現れる『歴史的常数』と定義」されるという。

ナマズやクモ、稲を荒らす昆虫、カエル、ヘビといった歌詞に現れるたくさんの生き物からブルースマンたちの自然誌的態度を読み解いた「『鳥獣戯画』ブルース」の章に顕著なように、土着的な部分からアフロ・マニエリスムとしての黒人音楽史を考える内容もあるが、特に筆者が力を入れているのは、ヒップホップの章だ。「引用と蒐集がマニエリスム・アートの要諦」だとすれば、ヒップホップにおけるサンプリングはまさに本質的に「マニエリスム芸術(断片化した世界を再統合するアート)」に近いといえるのではないか? 「過去のレアグルーヴを掘り返し、蒐集し、切り刻んで再配列するプロセス」としてのサンプリングに、後藤は黒人の「共同体の対抗的記憶装置」を見出す。つまりサンプリングは「黒人音楽の伝統を秘密裡に語り継ぐ行為であり、黒人共同体を知識によって一つにまとめ上げる啓蒙的な」機能を持っている。後藤にとって、「良き音楽のもたらす快楽とグルーヴに身を任せる」こと以上に、ヒップホップとは「サンプリングの磨き抜かれた技術と膨大な知識、巧みな配列によって黒人共同体の歴史を音楽的に語り、リスナーを『教育』する」ものなのだ。

癖のある文体とその圧倒的な知識量、扱われるニッチでカルト的なモチーフから、一度通読しただけでは本書の全貌は掴み切れない。しかし、本書の中に限りなく広がっていくめくるめく奇想の宇宙は、確かに魅力的だ。やはり、これは底知れない「沼」なのだ。(Yo Kurokawa)

Text By Yo Kurokawa


『黒人音楽史-奇想の宇宙』

著者:後藤護
出版社:中央公論新社
発売日:2022年10月20日
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